第18話 卒業
3月中旬――出会いと別れの季節。
校門から校舎へと続く石畳の道は、淡い薄紅に染まる。卒業式に合わせるかのように、両脇に植えられたセリジエの樹が一斉に花を咲かせるのだ。
小ぶりで繊細な花弁は、陽光を受けるとほのかに透け、風が吹けばすぐに雪のように舞い散る。満開である時間はあまりにも短い。だからこそ人は、咲き誇るその瞬間を尊ぶ。
王国の国花は鮮烈な赤を誇るアネモネであるが、人々の心を掴んで離さないのは、この儚いセリジエだった。
学園の石畳を埋め尽くす薄紅の絨毯の上を、クラウディアは一歩、また一歩と踏みしめて歩く。
背筋を伸ばし、顎を引く。パーシヴァルとの特訓で身につけた体幹は、彼女の歩みを、神殿を往く巫女のような神聖なものへと変えていた。
本来3年で修了する王立学園を、彼女は2年で修了する。しかも卒業生代表のスピーチと答辞まで任された。
それは本来、王族に無条件で与えられる栄誉である。
異例中の異例だが、辞退などしない。
もちろん、その方が面白いからだ。
式当日、スピーチで壇上から見下ろしたときのユリシーズとニィナの表情は期待通り。まさに“ぐぬぬ”という擬音が似合うもので、大層愉快な気分だった。
「……卒業生、代表。クラウディア・リーベル」
答辞を読み上げるクラウディアの声は澄み渡り、それでいて広堂の隅々まで染みるような力強さがあった。
学問への情熱、師への感謝。
その言葉の端々に宿る知性と気品は、かつてユリシーズに着せられた悪女という汚名を、春の嵐が塵を払うように消し去っていく。
卒業証書と共に手渡されたのは、一束のブーケ。
在校生が卒業生から花を一輪もらい、押し花にして身につけると、必ず再会できるという。
――永遠の友情を意味する、学園の慣習である。
「必ずお手紙を書きますわ。どうか私のこと、忘れないで下さいましね」
校舎から校門まで、在校生が作る花道を通って卒業生が学園に別れを告げる。
そこに躍り出るようにして現れた女生徒の一言で、堰を切ったようにクラウディアの周りに人垣ができた。在校生だけではなく、卒業生までもが群がる。リボンで結ばれたブーケは、あっという間に茎だけになった。
花をもらえなかった令嬢達が泣き声の大合唱を始めたため、学園はやむなく前代未聞の特例を出した。
――クラウディアのみ、ブーケお代わり可。
それでも騒ぎは収まらない。
花を束ねていたリボンには“縁を結ぶ”というジンクスがある。数本のリボンを巡り、男子生徒が決闘寸前の騒ぎを起こした。
さすがに学園側も頭を抱えて、クラウディアを花道から校舎内に移動させて保護し、卒業生を含む全ての学園生を強制的に帰宅させた。
◇
生徒達が捌けるのを、クラウディアは礼法の特別教室で待っていた。
お茶会や晩餐会の場を想定したそこは、学園の中でも特に絢爛な調度品が並ぶ。
ただ高価な物を集めただけなら、ともすると下品な印象となる。しかし、この部屋を設えた人間の洗練されたセンスにより、そこは壮麗で統一された空間になっていた。
花道で大勢の学園生に囲まれたために、長時間外にいたクラウディア。礼法の教師は、その冷えた体を温めるため、甘いミルクティーをティーカップに注いだ。
「ご卒業おめでとうございます、クラウディア様。貴女は、私の教師人生で一番熱心な生徒でしたわ」
それは社交辞令ではない。
貴族の子息子女が通う王立学園という特殊な環境では、家柄がそのまま権威がとなる。そのため、教員に圧力をかける生徒は珍しくない。ユリシーズのように、権力を笠に着て成績操作を目論む者など、むしろ多数派と言えた。
そんな30年の教員生活で、これほど真摯に学び、そして教員へ敬意を向けた生徒はいなかった。
厳格で有名な教師は感極まり、涙を零しながら言った。
「貴女の努力と、身につけた知識は、きっと役に立ちます。必ず、必ず、幸せになるのですよ」
その言葉を受け取ったとき、クラウディアはほんの一瞬、少女の顔になった。
◇
厳かな儀式と波瀾の幕切れを終え、屋敷へと向かう馬車の中、ジャスパーはクラウディアの脳へと潜った。
目を閉じれば、そこには石畳の回廊が続いている。
そこはクラウディアの意識の深層――記憶の宮殿。
足音は乾いた音を立て、天井高く吊るされた燭台が柔らかな光を落とす。光は決して強すぎず、影をきちんと残す。
記憶というものが、常に明暗を孕む存在であることを、その空間はよく理解している。
壁面には額縁が掛けられている。そこに収められているのは絵画ではない。
幼い日の匂い、誰かの声の震え、紙をめくる指先の感触、血の気が引いた瞬間の冷たさ――それらが一枚一枚、丁寧に保存されている。
人は空間を記憶する生き物だ。
廊下の曲がり角、窓辺の椅子、階段の軋み。そこに情報を置けば、思い出すときは歩いて辿ればよい。
だがそれは単なる記憶の収納術ではない。宮殿の設計は、その者の精神の設計図でもある。
整然と左右対称に並ぶ列柱は理性の象徴。行き止まりの多い通路は、触れられたくない過去の名残。地下深くへ続く螺旋階段は、忘却という名の沈殿層。
かつて、この場所は機能性だけを追求した、冷たい書庫だった。
王太子妃教育の重圧、親愛のない家族、義務だけの勉強。並んでいるのは、埃を被った古い法典や、色のない地図ばかり。
だが、今の宮殿は違った。
ジャスパーが入り込むと、そこにはブーケの香りが微かに漂い、窓からは暖かな春の光が差し込んでいる。
壁に掛けられた新たな額縁。そこには、厳格な礼法教師が零した涙の一滴が、真珠のように輝きながら収められている。
ジャスパーは、今日のすべての光景を、一冊の薄紅色の本へと丁寧に製本していく。
文字ではない。光、温度、誰かの指先が触れた感触、そして――「自分は愛されていた」という気づき。
それらすべてを、体験として綴じ込んでいく。
かつては、ただ生き延びるために知識を詰め込んでいた棚に、今、鮮やかな色彩が宿り始めていた。
一冊、また一冊。
花束のように。
これからもこの部屋は――けして色褪せぬ思い出で満たされていくだろう。
ご覧いただきありがとうございます!
完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
お楽しみいただければ幸いです。




