第12話 逆転劇はアフタヌーンティーの後に
クラウディアがすべての皿をきれいに片付け、ティーポットのお代わりを頼もうかと思案し始めた頃――扉の向こうから、控えめなノックが響いた。
室内の空気が、わずかに張り詰める。
通されたのは、クラウディアの護衛騎士4名であった。
王太子の婚約者という、国家にとって極めて重要な立場にあるクラウディアには、常に王家から派遣された護衛騎士が付き従う。学園であろうと、城であろうと、彼女が動く場所には必ず彼らがいた。
ゆえに、クラウディアがアリバイを主張するなら、証人となるのは当然、彼らになる。
もちろん、それはユリシーズの想定の範囲内だった。
――だが、それだけだった。
「お仕事中、申し訳ありません」
入室してきた4名の騎士たちに対し、クラウディアは一人一人の瞳の奥を確かめるように、静かに見渡した。その背後で、ジャスパーは脳内の膨大なアーカイブから、かつてのクラウディアが無意識に視界の端に捉えていた微細な情報を引き出していく。
クラウディアは、まず左端に立つ屈強な騎士へと視線を定めた。
「皆様は騎士の誓いを立てておられますわね」
静かな声だったが、その場の誰もが自然と耳を傾けた。
「エイダール卿。8番目の誓いについて、教えていただけますか?」
その問いかけに、騎士エイダールの背筋が垂直に伸びる。
表情に乏しく、周囲からは影で“氷の公爵令嬢”と呼ばれてクラウディアだが、それが誤りであることを、最も近くにいた彼らはよく知っていた。
真夏の日差しの中、重い鎧を纏って微動だにせず持ち場を守る自分たちに対し、侍女に命じてさりげなく冷えた水を運ばせる――そんな、言葉よりも確かな慈愛を持つ女性だったのだ。
「真実と誓言に忠実であること、です」
「ありがとうございます」
クラウディアは柔らかく頷いた。
「それでは騎士の誓いに従い、私の質問に答えていただけますか?」
一瞬の沈黙。
「……はい」
わずかに緊張を含んだ返答だった。
クラウディアは今度は、左から2番目の騎士へ向き直る。
「ライン卿」
名を呼ばれた若き騎士が、雷に打たれたように顔を跳ね上げた。
――覚えていてくださったのか。
護衛騎士はシフト制で日々交代する。王族や高位貴族にとって、自分たちのような騎士は動く壁か背景の一部に過ぎない。名前を呼ばれることなど、一生に一度あるかないかの光栄であった。
彼の頬が微かに赤らんだのは、決して恋慕などではない。
高貴な人間に自分の存在を認められたという、戦慄に近い震えるほどの感動だった。
「ライン卿とエイダール卿は、10月8日、私の護衛に付いてくださいました。ニィナ様を倉庫に閉じ込めたとされている日です」
ライン卿が反射的に口を開こうとしたが――
「お答えになるのは最後で結構ですわ」
穏やかに、しかし断固とした制止。
そしてクラウディアは静かに、テーブルの上へ3冊の資料を並べた。
ジャスパーがクラウディアの記憶、そして王城での内偵の結果を照合し、現時点で最もユリシーズを沈黙させうる最適解として選び抜いた“3発の弾丸”である。
「こちらが私の日記です。この日、授業終了後すぐに私は王城へ向かい、王太子妃教育として地理学と礼法の講義を受け、夕食の後に帰宅したことが記されております」
「ハッ!」
ユリシーズの品のない嘲笑が、王の応接室に不快に響く。
「それが何だ。お前が日記に事実を書いた保証がどこにある? 保身のために捏造したに決まっているだろう!」
クラウディアは、挑発に乗るどころか、慈しむような微笑みさえ浮かべていた。
「確かに。私の日記だけでは、証拠としては不十分でしょう」
そう言って、もう一冊の重厚な革綴じの冊子を示す。
「こちらをご覧ください。護衛騎士が日々作成しておられる報告書です。護衛対象の分刻みの行動、異変の有無、立ち寄った場所――すべて詳細に記録されています」
宰相ラグナが身を乗り出し、眼鏡をかけ直して覗き込む。
護衛騎士の勤務報告は、クラウディアの行動の時系列の記録でもある。そこには近衛局の印が押され、それが公式に認められた書類であることが証明されていた。
「ご覧いただいた通り、私の私的な日記と、公式な報告書に矛盾はありません。ニィナ様が倉庫に閉じ込められたのは、当日の17時55分頃、でしたわね?」
静かな問い。追い詰められたユリシーズの顔が、脂汗でテカり始める。
「ですが、その時刻――公式記録によれば、私は王城の図書室で、王太子妃教育の課題に取り組んでおりました。王城と学園は馬車で30分はかかります。私がニィナ様に危害を加えるのは、物理的に不可能なのです」
一瞬の沈黙。室内の空気が凝固する。
「……どうせ公爵家の圧力をかけて、護衛騎士に嘘を書かせたんだろう!」
「王国の秩序と正義を象徴する護衛騎士が、あろうことか王家に対して虚偽の報告を上げた、と? 殿下は、王家よりも公爵家の権威の方が上だとおっしゃるのですか?」
クラウディアの唇が、わずかに弧を描く。
それは淑女の微笑みにしては、あまりにも冷たく、そして鋭利な刃のようだった。
「ぐ……っ」
言葉に詰まったユリシーズは、さらに惨めな暴言へと逃げ込んだ。
「そ、それは……お前がこいつらに色仕掛けでもしたんだろう!」
その瞬間、背後に控える4人の騎士たちの空気が、氷点下まで凍りついた。
命を賭して仕える騎士としての誇りと、主君への忠誠を、性欲という卑俗な天秤にかけられた最大級の侮辱。彼らの心は、今この瞬間、明確にクラウディアへと傾いた。
あまりに品性を欠いた言いがかりに、中立を保っていたラグナすら深い嫌悪感を露わにして眉を顰めた。
「我が国の誇り高き騎士が、そのような浅はかな誘惑に乗るとは到底思えませんが……。仮に、直接顔を合わせる騎士たちには、何かしらの働きかけが出来たとしましょう。……では、こちらはいかがでしょうか」
そう言って、3つ目の、最も地味な資料を差し出した。それは、王城の厨房記録ノートだった。
ユリシーズがそれが何だと言いかけ――10月8日の項目を見て、金縛りにあったように言葉を飲み込んだ。
そこには、給仕担当のサインと共に、クラウディアの名と、18時20分から開始された夕食で提供したメニューの詳細が記されていたからだ。
「調理場では、提供する料理だけでなく、いつ誰がどの程度召し上がったかも、逐一記録しております。王族の健康状態の把握と、栄養バランスの管理のためです。王太子の婚約者として、王族専用の食堂を利用する機会の多い私についても、同様の記録を残してくださっていました」
記録の余白には、【クラウディア様は少しお疲れのご様子。温かいハーブティーを多めに用意】といった、顔の見えぬ料理人たちの細やかな気遣いが並んでいる。
その内容を目にしたとき、クラウディア自身の心臓が、ジャスパーの制御を離れて、一瞬だけ不規則に打った。
「これらの記録は、医務部とも共有されております。この通り、そちらの記録とも、完璧に一致しておりますわ」
静かな声が、真実という名の重みで部屋を満たしていく。
「このように、私の見えないところで多くの方々が、まるで家族のように親身に心を砕いてくださっている。……本当に、ありがたいことですわ」
心からの感謝。以前は貴族然と振る舞っていた彼女が放った素直な言葉は、この場にいる者の胸を打つには十分だった。
「けれど、私は厨房の皆様にも、侍医以外の医務部の皆様にも、直接お会いしたことがありません」
クラウディアの視線が、まっすぐに、逃げ場を塞ぐようにユリシーズを射抜く。
「言葉を交わすことなく、一体どうやって、私は彼らに虚偽の記録を書かせることが出来たのか。……殿下、ご説明いただけますか?」
その瞳に宿っているのは、愚かな獲物の息の根を止めるタイミングを計る、絶対的な捕食者の眼差しであった。
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完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
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