第10話 王城の調査
《なるほど。毒はあいつが入れたのか》
石畳に広がったワインの染みから、ゆっくりと透明な液体が分離した。
直径1センチほどの小さな雫。
それは普通の水滴のように見えたが、次の瞬間、ぬるりと形を変える。音もなく、扉の下の隙間へと這い寄り、するりと外へ抜け出した。
それはジャスパーの末端組織である。
ジャスパーは核細胞と体細胞で成る、粘液状の生命体である。末端を切り離し、分身として遠隔操作することが出来た。切り離された組織もまた、簡易的な感覚器と記憶伝達機能を持つ。
つまり――生きた盗聴器だ。
実行犯は必ず黒幕に結果を報告する。
もしクラウディアが死んでいれば、服毒自殺の証拠として現場に残す必要がある。だが彼女が生きている以上、証拠品である毒ワインの瓶は、そのままの状態で回収されるだろう。
そして、証拠品は“元の持ち主”のところへ戻る。
そう目論んだジャスパーは、自身の末端組織の一部をワイン瓶の中に仕込んでいた。
黒幕は意外な人物だったが、動機の点ではユリシーズよりもよほど納得がいった。
クラウディアは先王の娘を母に持つ。ゆえに彼女が産む男児には、王位継承権が発生する。
それがユリシーズとの子であれば問題はなかった。
だが婚約が破棄された今、他家へ嫁ぎ男子を産めば――それは王位争いの火種になる。
不穏の芽は、芽のうちに摘む。国家の安定のために。
その理屈は、ジャスパーにも理解できた。
《まあ、国が割れる原因は早めに潰すのが定石だよな》
理解はできる。
だが――気に入らない。
ジャスパーは地下室から石階段を伝い、王城内部へと侵入していった。
分離した細胞は、乾燥した場所なら1日、湿度が確保できれば7日ほど活動できる。その間に得た情報を本体へ送ればいい。
ジャスパーは、惑星の資源を食い尽くしては次の惑星へ移住する種族。
原住生物への寄生、社会構造の調査、侵略のための諜報活動――そういった任務は日常業務の一部だった。
《この程度の潜入は、研修レベルだな》
王城は広く、迷路のように入り組んでいた。だが問題はない。
クラウディアの記憶を読み取っているジャスパーにとって、城の構造はすでに地図として頭(に当たる場所)の中に存在していた。
最初に向かったのは地下室から最も近い厨房だった。
王城には3つの調理場がある。王族専用の厨房、官吏用食堂の厨房、そして使用人居住区の簡易調理場。
当然ながら、最も厳重なのは王族用の厨房だった。
食材は最高級。料理人は腕前だけでなく身元まで厳しく審査される。理由はもちろん、毒の混入を防ぐためだ。
食材の保管庫は別棟。在庫管理は細かく記録されている。食事時ともなれば厨房は戦場と化す。
ジャスパーが扉の隙間から滑り込むと、記録係の使用人が帳簿を書いていた。その日使った食材、料理名、調理法――細かく書き込んでいる。
舌の肥えた王族を満足させるため、同じ料理が続かないよう工夫されているらしい。
料理人だけではない。食堂では誰が何をどれだけ食べたかが記録され、嗜好や体調の把握に役立てられている。
王城では、護衛騎士の引き継ぎノート、教育係の進捗報告書――すべてが文書で管理され、情報が連携されていた。
《アホみたいに勤勉な種族だな》
ジャスパーの種族は、同族同士、精神通信で情報を共有する。
一度同期された情報は核細胞へ書き込まれ、永遠に失われない。ゆえに文字などは、必要ない。
それに比べれば、人間の方法は非効率だ。
だが、それでも、これだけの時間と労力を費やし、情報を正確に残そうとする執念には、素直に感嘆した。
2日半かけて城中を探索し、目的の情報を得たジャスパー。最後に向かったのは、ユリシーズの寝室だった。
中に入った瞬間、甘く据えた臭いが感覚器を刺す。
《うぇ……猿か、お前らは》
貞淑貞節が貴族女性の基本。未婚の令嬢は純潔が必須。
だが目の前の光景は、場末の娼館と大差なかった。
上へ下への激しい情事が終わり、ユリシーズは汗ばんだ体を拭うと、バルコニー脇のチェストを開く。
「ニィナ、見てごらん」
取り出されたのは煌びやかなティアラだった。無数の真珠、頂点には20カラット超のスタールビー。
「ふわぁ、なんて綺麗なの……!」
「王妃のティアラだよ」
少し舌足らずの口調でニィナが感嘆の声を上げると、ユリシーズは得意げに笑った。
「宝物庫から、ちょっと借りてきた。……ね、ニィナ。僕は君を側室になどしない。君が教えてくれたんだ。人を愛するのに血筋や身分は関係ないと」
大きな瞳いっぱい涙を浮かべるニィナ。
「ユリシーズ様……」
「僕が王になったら――これを被って隣に立ってくれるかい?」
言い終わる前に、感動のあまりニィナは抱きついた。
「嬉しい……でも、私なんかで、いいの?」
「君しかいない」
――そして、ユリシーズの肩越し。
そこにあったのは、ニィナの邪悪な笑みだった。
《ハァ……なるほどな》
どうやら理由は、愛だの恋だのという可愛いものではない。訓練された間者か、それとも天性の捕食者か。
いずれにせよ、箱入り令嬢のクラウディアには荷が重すぎる相手だったようだ。
だが、お前には誤算がある。
《見てな、クラウディア。絶対、落とし前つけてやる》
翌朝、王妃のティアラからは、中央のスタールビーが消えていた。
もちろん――ジャスパーが美味しくいただいたわけだが。
その結果、ユリシーズとニィナに、国宝盗難の疑いがかかったのは言うまでもない。
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完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
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