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寄生悪役令嬢は星間戦争の夢を見るか  作者: エシェリキア梱


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第104話 追憶のユリシーズ


 思い出すのはいつも、春の日の柔らかな午後だ。


 気軽に城外へ出られない幼き王族の気慰(きなぐさ)みにと、王城の一角には自然を精緻に切り取ったような、箱庭の楽園があった。


 白亜の回廊に囲まれたその広大な庭には、ゆるやかに弧を描く小川がせせらぎ、中央には翡翠色の水を湛えた大きな池が横たわる。

 蔓薔薇が絡み、白と淡桃の花弁を風に散らすガゼボ。

 遠くで噴水が虹色にきらめき、風が甘い薔薇の香を運んでくる。

 計算された位置に植えられた(にれ)(かし)の巨木は、真夏には涼やかな木陰を、春には透き通るような若葉の天蓋を編み上げる。

 石畳に落ちる網目状の木漏れ日、若葉が擦れ合う囁き。

 転んでも怪我をしないほどふかふかに手入れされた芝生は、まるで世界で一番贅沢な緑の絨毯のようだった。

 幼かった僕はその芝生に寝転び、腕を枕にして空を仰いだ。

 雲はゆっくりと形を変えて流れていき、見上げた空はどこまでも、どこまでも広かった。


 そして隣には、いつもクラウディアがいた。


「ねぇ、ここは私たちだけの、秘密基地みたいね」


 木々に囲まれ、ぽっかりと空いた小さな秘密の空間。

 外からは重なり合う葉に拒まれて決して見えない、2人だけの聖域。


 時折、厳しい授業を抜け出してはこの“秘密基地”へ逃げ込み、厨房でせしめてきた菓子をこっそりと持ち込んだ。

 地面に直接座り、手づかみでお菓子を頬張る。

 作法の教師が卒倒するような行儀の悪い行動。

 その背徳感こそが、窮屈(きゅうくつ)な城内における僕たちの唯一の息抜きだった。


 料理長がこのあどけない企みに賛同し、あの日袋に入れてくれたのは、顔ほども大きいチョコチップとナッツのクッキー。

 ザクザクとした歯触り。

 焼きたての香ばしい縁と、わずかに柔らかさを残した中心部。

 クラウディアはいつも我慢できずに、先に一口を(かじ)り、急に恥ずかしくなったのか、「ゆぅりも、はやくたべて!」と頬を膨らませて拗ねて見せた。


 しかし――


 僕がその温かな欠片を口にする前に、いつも夢は無慈悲に醒めてしまうのだった。


   ◇


 現実のクラウディアからは、依然として返事がない。

 宛て所のない手紙は、いつしか虚勢を失い、過ぎ去った日々を懐かしむ独白の日記へと変わっていた。


 最近、僕は手紙にこう綴った。


【塔での一人の食事は、少しも美味しくない。あの日、君と一緒に食べたクッキーの味が忘れられないんだ】


 それは嘘偽りのない本心だった。


 甘く香ばしく焼けた生地の匂い。

 指先にほんのりと残ったクッキーの温もり。

 それだけが、この冷たい石牢の現実よりも鮮明に僕を支配していた。


 窓から新緑の風が吹き込む。

 うららかな日差しが、封印していた幼少期の記憶を容赦なく呼び覚ます。


 従兄弟同士で年が近く、兄妹のように側にいたクラウディア。

 ぷくぷくとした薔薇色の頬、桜貝のような爪。

 一つ年下の君がたどたどしい足取りでついてきてくれるのが誇らしくて、僕はいつも背伸びをして、お兄さんぶって見せた。

 人見知りの君は、僕の背後に隠れて世界を覗いていたね。

 泣いている君に庭から盗んできた花を差し出すと、くすぐったそうにはにかんだんだ。


 ――なのに


 いつの間にか君は僕より背が高くなり、勉強も礼儀作法も、楽器の旋律さえも僕を追い越してしまった。


 だから、また僕の裾を掴んでほしかった。

 涙をいっぱいに溜めた大きな瞳で、僕を見上げてほしかった。

 前だけを向かないでくれ。

 僕を置いて先に行かないでくれ。


 ただ、僕の隣で、あの頃のように笑っていてほしかった。


「幼いあの日に戻れたら――」


 そう願った瞬間、一際強い風が部屋に吹き込んだ。


 顔を上げると、ベランダの柵の向こうに、小さなクラウディアが立っていた。


「ゆぅり」


 あの日と同じように、長い黒髪を風になびかせ、悪戯っぽく笑っている。


 あの時、世界には二人きりだった。

 僕は君の手を握り、騎士のように守るつもりでいた。

 ずっと、そうして生きていくはずだったのだ。


 だが、幼いクラウディアは僕に背を向け、光の溢れる方へと走り出した。


「待って、行かないで!」


 僕は叫び、椅子を蹴って追った。


 彼女は振り返らない。

 けれど、もう大丈夫だ。

 今度はちゃんと追いつくから。

 君の隣に立つのに相応しい男になるから。

 今度こそ、正々堂々と並んで走ろう。


 ベランダの柵を越え、虚空へと足を踏み出したその瞬間。

 ユリシーズの横顔は、確かに幸福そうに輝いていた。


   ◇


 しかし翌朝。

 塔の下の冷たい石畳の上で発見された彼の遺体は、無残にも顔面が野犬たちに喰い荒らされていた。

 ゆえに、彼が最後にどのような表情で世界を去ったのかを知る者はいなかった。


 ただ、塔の最上階には、主を失い開け放たれた扉と、春の匂いを運ぶ虚しい風だけが、いつまでも吹き抜けていた。


ご覧いただきありがとうございます!

完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。

お楽しみいただければ幸いです。

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