第100話 北風と太陽
「そうは思われませんか? 公子様」
クラウディアの視線の先には、驚愕に固まるナイジェルではなく、その傍らに石像のごとく控えていた面頬の兵がいた。
ガゼボを包む春の陽だまりの中で、その一角だけが極低温に凍りついたかのような錯覚。
居合わせた者たちの視線が、吸い寄せられるように無機質な鉄の仮面へと流れていく。
「……」
兵は直立したまま微動だにしない。
磨き抜かれた胸甲が、クラウディアの掲げるダイヤモンドの光を冷たく撥ね返している。
「……何故、分かった?」
突如、ビザールの奥から、低く、地鳴りのような声が響いた。
その声には、隠しきれない警戒と、それを上回るほどの濃密な興味が混じり合っている。
クラウディアは肩をすくめ、悪さが見つかったいたずらっ子のような笑みで答えた。
「簡単な話ですわ。烏が舞い降りた瞬間、警護の皆様が身構えました。その視線の先にいるのが、主であるはずのナイジェル様ではなく――貴方だったからです」
いかに訓練された騎士であっても、いや訓練されているからこそ、咄嗟の挙動には忠誠心が反映される。
その弱点を突く企みに、大公国側の空気が爆発直前まで張り詰めた。
「あら?」
そんな緊張感など、どこ吹く風。
クラウディアは無邪気に小首を傾げる。
指先で大粒のダイヤモンドをくるりと転がすと、虹色の飛礫が天井に散った。
「ここまでお話しさせていただきましたのに、つれないこと。商売は信頼関係が命――そうではありませんか?」
一瞬の沈黙。
やがて、兵の肩がわずかに揺れた。
「そこまで考えた上での仕込みだったという訳か。……食えない女だ」
「ご気分を損ねてしまったのなら、謝罪いたしますわ」
言葉とは裏腹に、クラウディアの表情は晴れやかだった。
利に聡い砂漠の民が、このダイヤモンド利権という巨大な餌を前にして、立ち去れるはずがない。
そう確信していたからだ。
「いや、身分を隠していたのはこちらだ。詫びるのは私の方だろう」
次の瞬間。
カチリ、と硬質な音が響き、鉄の仮面が外された。
その素顔が露わになった瞬間、近衛隊長パーシヴァルは「……やれやれ」と、天を仰いで苦笑した。
もしここに石蕗がいたら、大騒ぎしていただろう。
仮面の下から現れたのは、異国の苛烈な太陽をその身に宿したような男だった。
浅黒い肌は艶やかで、陽光を受けるたびに柔らかな黄金色を帯びる。
広い肩幅としなやかな体躯は、獲物を狙う猛獣のような均整を保っていた。
高く通った鼻梁。
長い睫毛に縁取られた瞳は、夜の砂漠のように静かで、底知れぬ深さがある。
黒曜石のような髪が額に落ちるたび、意志の強い眉と端正な顔立ちが強調された。
それは、単なる美ではない。
近づけば魂まで焼き尽くされそうな、危うい熱を秘めた――魔性の美貌。
「大公国第五公子、セイル・バーブロストだ」
男は自らの名を刻印するように、一音一音を響かせた。
「お会いできて光栄ですわ、殿下」
対するクラウディアは完璧なカーテシーで応じる。
セイルは楽しげに口元を歪めると、彼女の白い手を取り、その場に跪いた。
そして触れるか触れないかの距離で、そっと手の甲に口付けを落とす。
片膝のまま、上目遣いでクラウディアを射抜いた。
「ナイジェルが公子というの全くの嘘ではない。元は第七公子だったんだが、幼い頃に臣籍に降りてな。今は俺の優秀な部下だ」
色欲王の血を最も濃く継いだ彼は、無意識に周りの女性を狂わせた。
セイルが成長するに従って、父親のハレムは息子を巡る争いが絶えなくなり、一時は3桁に及んでいた側室も、今は50にも満たない。
だが、その圧倒的な色香にも、クラウディアは全く動じなかった。
頬を染めることも、視線を逸らすこともない。
「それで……お誘いは、受けていただけそうですか?」
ナイジェルが隣で目を剥いた。
セイルに口付けられて平然としている女など、この世に存在するのか。
これまで、どれほど高慢な女でも、セイルの熱に触れれば必ず動揺し、思考を麻痺させた。
それを、完全スルー⁇
彼はラウンドブリリアントカットを見た時以上の衝撃を受け、もはやクラウディアを化け物を見るような目で見つめていた。
一方、セイルはそんなクラウディアの様子に、堪えきれないといった風に笑った。
「これほど大きな話を、一公子に過ぎない私に持ちかけた理由は?」
「貴方こそが、次の大公だと思ったからですわ」
事も無げに放たれたその一言で、ガゼボ内の空気が一変した。
大公国の未来を大きく左右する後継者問題。
これまでの経緯から言って、平和裡に決着するとは到底考えられず、今後、更なる血が流れることは想像に難くない。
一国の代表がそんな際どい話題を、これほどあっけらかんと口にしたのだから当然だろう。
「ご協力いただきました暁には、貴国の原石を現在の10倍の価格で購入するとお約束いたしますわ。このお話を土産に、どうか王手を指してくださいませ」
続く言葉は更に際どい。というか、むしろアウト。
内政干渉と受け取られても仕方がない、あまりにも踏み込んだ一言に、クラウディアの傍らに控えている宰相ラグナの胃が悲鳴を上げる。
しかし当のセイルはというと、気分を害したような素振りは全くない。
むしろ新しい玩具を見つけた子供のように、ただでさえ強い瞳を更に爛々と光らせている。
「……ずいぶんと我が国の内情に詳しいな。まるで見てきたかのようだ」
「ええ。――大公殿下がクピドの病を患い、余命幾許もないことも」
セイルの隣で、ナイジェルの顔色が青を通り越して土色に変わった。
クピドの病。
愛の神の名を持つその病は――性感染症、すなわち梅毒の別名である。
旧世界の文明が滅び、抗生物質の製造技術も失われた今では不治の病とされている。
後継者争いが激化した理由は、まさにそれだった。
無表情のまま、セイルは数秒間、沈黙した。
そして、迷いが晴れたように溌剌と決意を表した。
「必ず、貴女の期待に応えよう。クラウディア・リーベル嬢」
商談成立。
クラウディアは春の日差しのように柔らかく微笑んだ。
◇
“ブラッドダイヤモンド”――紛争地域で採掘され、得られた利益が武装勢力の資金になるダイヤを指す。
国家間の争い、内戦やクーデター。
国の統治が及ばず組織的暴力が横行する場所に、高価で持ち運びしやすい資源があればどうなるか。
鉱山は武力で不法に占拠され、莫大な利益は兵器に変わる。
住民は強制的に鉱山で採掘させられ、子供は教育を受けられず、貧困と無知が次の争いを産む。
国を富ませるはずの資源が国を滅ぼすという皮肉。
後継者問題を抱えた大公国は、常に内戦の危険性を孕んでいる。
ダイヤモンドシンジケートを作る真の狙いは、大公国の“ブラッドダイヤモンド”を根絶することだった。
原石の取引を王国が独占するのは、国家による封印、“コンフリクトフリー”の認証システムを導入するため。
ルート不明の原石を市場から排除し、武装組織の資金源を断つことで、戦争継続能力を失わせる。
更に、大公国の外貨収入の中心がダイヤモンドになれば、ゼフィロス王国は彼らにとって“最も重要な、失ってはならない顧客”。
そんな国へ侵略しようなどという愚行を犯すものはいなくなるだろう。
情けは人の為ならず。
周辺国の政治と経済の安定は、戦争の火種を消すことに繋がる。
つまり、王国は軍費を増強するよりも遥かに安価に、南の脅威を取り去ることができるというわけだ。
「北風と太陽。この星の先人たちは、よく言ったものですわ」
柔らかな春風が、ガゼボを吹き抜けた。
その光の中で、一つの国の未来が書き換えられていく。
それは、血を流さず、美しさと利潤によって敵を支配する、究極の“侵略”だった。
こうして今日も、崩壊寸前だった宰相ラグナの胃袋は、ギリギリのところで救われたのである。
ご覧いただきありがとうございます!
完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
お楽しみいただければ幸いです。




