第99話 征服されざる石
「これが……ダイヤモンド?」
国内に複数の鉱山を持つ大公国の公子ナイジェルが、震える指先でその石を見つめ、呻くように呟いた。
彼が困惑するのも無理はない。
現在主流となっているローズカットの石とは、もはや別物に見えたからだ。
ローズカットは、裏面が平らで表面に三角形のファセットを組み合わせた、バラの蕾を思わせる形状。光を受ければ静かにきらめく、奥ゆかしい輝き。
だが今、クラウディアの掌にある石は違う。
箱の中で輝いていたのは、これまでの宝石の概念を覆すような“完璧な多面体”にカットされた石。
きらきら、ではない。ぎらり、と。
まるで内部に凝縮された光の炎が爆発を繰り返しているかのように、強烈な輝きを四方八方へと撒き散らしていた。
それは宝石というより、地上に零れ落ちた「太陽の欠片」そのものだった。
ガゼボに差し込む春の日差しを吸い込むたび、石の深淵から無数の虹が弾け飛ぶ。
その場にいる誰もが、網膜を焼くような光彩に息を呑んだ。
「ダイヤモンドはこの星で最も硬い鉱物ですわ」
クラウディアは、教壇に立つ教師のような穏やかな声で語り始める。
「その性質ゆえ加工が極めて難しく、これまでその真価は発揮されておりませんでした」
古来、この石は“ 征服されざる者”と呼ばれてきた。
どんな金属でも傷つけることができず、ゆえに人は長い間、表面をわずかに磨くことしかできなかった。
石の内部にあるわずかなグレイン(柔らかい方向)を突くことで、ようやくローズカットが生まれたのがつい最近のこと。
だが、クラウディアの持つ石は、その新進気鋭のカットすら、過去のものへと追いやるものだった。
「素晴らしい……。一体、どこの鉱山で採れたものなのです?」
「貴国の鉱山ですわ」
「え……?」
絶句するナイジェル。
「……まさか。我が国の石に、これほどの質のものがあったとは……」
「原石が特別なのではありません。この輝きは『ラウンドブリリアントカット』によるもの。光学的特性を極限まで計算し、反射、屈折、入射角……そのすべてを最適化した設計図です」
58面体からなるその構造。
クラウン(上部)から入った光は、パビリオン(下部)で鏡のように反射を繰り返し、増幅され、最後には虹色の火花となって上面へと解き放たれる。
それは美を数学で定義した、失われし古代の技術だった。
あの日、匠の里の奥、付喪神の集落で見つけたレーザー切断機、成型機、研磨機たちは、かつての相棒であった職人たちの技術を習得していた。
ベルギーの数学者マルセル・トルコフスキーが1919年に光学の理論と数学的計算を用いて、ダイヤモンドを最も美しく輝く形状として完成させた“ラウンドブリリアントカット”を見事に再現してくれたのだ。
「御覧いただきましたように、加工次第でダイヤモンドの価値は大きく変わります。カラット、カラー、クラリティに加え、カットの良し悪しをグレーディングした保証書を付けて販売するつもりです。もちろん、販売する宝石店も、限られた店だけに絞りますから、更に希少価値は上がるでしょう」
クラウディアは淡々と言った。
「高い買い物ですもの。顧客は原石と加工の質が保証された、信頼できる店で石を求めますわ。そうして付加価値を高めれば、私と提携した鉱山の原石価値は、他とは比べ物にならないほど跳ね上がる」
そしてナイジェルを見て、唇に優雅な笑みを浮かべる。
「……どうかしら。皆様、こぞって私に原石を売りたくなると思われませんこと?」
その言葉の意味するところは、原石市場の支配。
採掘された原石を一括して買い占め、プールし、流通量をコントロールする。
供給を絞ることで宝石の価値を人為的に吊り上げる、恐るべき市場操作。
更に、ダイヤモンドの加工、鑑定、流通、すべてを掌握し、品質を保証して限られた店だけで販売する。
それは単なる流通管理ではない。
価値を科学的に定義し、付加価値を爆発させる“ブランディング”である。
かつて世界のダイヤモンド原石の9割を支配し、価格を意のままにコントロールしていた資源メジャー、デビアス。
そして、ダイヤモンドの品質を「4C」(カラット、カラー、クラリティ、カット)という評価基準で保証する鑑定機関。
クラウディアは、それらの機能を併せ持つ巨大なシンジケートを立ち上げるつもりなのだ。
「……ですが、加工技術を盗まれたらどうしますか?構造がわかれば、他国も真似をするでしょう」
「確かに、構造の解析くらいはできるかもしれませんわね。」
ナイジェルの鋭い指摘に、クラウディアは涼しい顔で答えた。
「ですが、再現できるかどうかは全くの別問題ですわ。1ミリの狂いもなく58面を切り出し、研磨するには、我が領地の匠たちが持つ技術と、特殊な装置が必要です。他所に真似ができると思いまして?」
現在の技術では、わずか1ミリのファセットを付けるだけでも約1ヶ月かかる。
またダイヤモンドを割るグリーピングでは、結晶方向を誤れば、原石は粉々になる。
だが匠の里のレーザーソーイングは従来の切断とは比べ物にならない成功率を誇る。
円盤状の研磨機は削られたダイヤモンドの粉末がブレードに再付着し、研磨剤が尽きることがないという、画期的な仕組みだ。
そして何より、ラウンドブリリアントカットは、極端な精度を要求する。
原石がどれほど素晴らしい質でも、このカットが少しでも歪んでいると、光はうまく屈折せず、ダイヤモンドの輝きが鈍くなる。
「あとは、需要ですわね。どれほど素晴らしい商品でも手に取る人がいなければ、ゴミも同然ですから」
もはや相槌すら忘れて呆けているのナイジェルを置いてけぼりにしたまま、クラウディアは淡々と先を続ける。
「うちの商品のターゲットは貴族だけではありませんの。庶民でも手が届く低価格ラインを展開しますわ」
さらに彼女は畳みかけるように、ナイジェルに小さなルーペを差し出した。
石はわずか0.1カラット。
貴族なら見向きもしないサイズだ。
しかし、その輝きの強さにより、大きさ以上の存在感がある。
そしてルーペの先には、完璧な対称性を持つ石だけに現れる、ハートと矢の模様が浮かび上がっていた。
「ダイヤモンドは永遠の絆、約束を意味する石。婚約指輪として売り出せば、世界中の男たちが愛する女のために私の石を買い求めるでしょう」
クラウディアの瞳に、獲物を追い詰める捕食者のような光が宿る。
「キャッチコピーは“愛の神クピドの矢によってハートは射止められた”、なんて、如何かしら?」
優美に、そして着実に。
追い込み漁のごとく、逃げ場を少しずつ塞いでいく。
利に聡い砂漠の民が、この商談から逃れることは出来ないだろう。
「価値も需要も、自ら創り出すものですわ」
ナイジェルの口から、もはや質問は出ない。
《茶番はここまでだ》
クラウディアは、ゆっくりと視線を動かした。
「そうは思われませんか? ……公子様」
彼女の視線の先にいたのは、椅子に座り脂汗を浮かべるナイジェルではなかった。
その傍らで、ビザールを付け、彫像のように控えていた一人の警護兵。
クラウディアは最初から読んでいた。
大公国が王国に礼を尽くそうとするなら、数多いる公子の1人を使者に立てるだろう。
更に、侵略国家に対して慈悲を持ち掛けるような指導者に興味を持ったのなら、その真意を探るべく、最も才のある人物を送るに違いない、と。
頭角を表す公子、つまり有力な後継者候補だ。
敵国に身を投じる最低限の安全策として、影武者を立てて、側近あるいは護衛に身を窶して様子を伺うであろうことまで、クラウディアの想定の内だった。
つまり、ナイジェルは単なる囮に過ぎず、側に控える者の中に本物の公子いる。
沈黙。
風が止む。
空気が、わずかに軋む。
――仮面の奥で、何かが“嗤った”。
ご覧いただきありがとうございます!
完結まで書き溜めておりますので、順々に投下していきます。
お楽しみいただければ幸いです。




