第六一話 顕現せし魔王
波乱万丈の学園祭が閉幕した。帰宅したわたしは昨晩、いつどうやって寝床についたのも正直覚えていない。確かなのはズキズキする不快な頭痛と倦怠感。風邪という最悪な二文字が頭を過りおでこに手を当てたものの、どうやら熱はないみたい。塵も積もればなんとやら。きっと疲労が爆発したのだろう。ぎこちない身体に力を入れてなんとか身を起こす。
枕元に置いていたスマホで時刻を確認。時刻は八時少し前。いつもなら遅刻確定の時刻でも今日はお休み。もう少し寝ていればよかったと後悔した。色々とスマホを弄っていると朧げながら就寝前のことを思い出す。
確か寝る直前、志保から「明日は片付けに参加しないでゆっくり休んでいてね」と連絡が来たんだった。学園祭の翌日の休みは片付け日で、疲弊しきってゾンビのような表情の生徒が総出で荒れた学園を掃除する地獄のような一日。それが学園祭委員から直々に休むよう言われたのなら従わざるえない。
でもメイドと執事、負けた陣営が片付けをするという話だったから、志保の文面を見るに執事陣営が負けてしまったのだろう。
徐ろに立ち上がってリビングへ、と、立ち上がるのでさえ目眩がして危うく転びそうになった。これは疲れとか風邪とかいう次元ではなく、例の症状なのかもしれない。まいったな。結構辛い。
だけど少し歩いたり目が覚めてくると身体のリズムができてくる。あくびが出た頃にはもういつも通りだった。
運がいいことに葵お姉様御一行が泊まりに来てくれたおかげで食材も寝床も用意できている。きっとアイツも最低限、身体は休まっただろう。けどあの落ち込みようは尋常ではなかった。無理もない話で、わたしにも痛いほど理解できてしまったから余計に心配、だったのだが、
「おはよう」
「お、おはよう」
意外にも雅はわたしよりも早くに目覚め、慣れた手つきでキッチンに立って朝食の用意をしていた。食パンにウィンナー、コンソメスープ。一瞬わたしはホテルの朝食に迷い込んだのかと錯覚するくらいには鮮やかな朝食だった。
「さ、早く食おうぜ。起きてくんの待ってたんだわ」
朝は食欲がないことが多いのだが、どうもご馳走を前にするとお腹が空く。雅の言う通り、面倒な話は先延ばしにして食事にありつくことにする。
「あの殺風景の部屋で寝れた? テーブルもなんもないのも不自由だし家具とか買おうか」
「そんな長居するつもりはないから。物件を見つけ次第すぐ出てく」
彼は余裕綽々の様子だが実際はどうだろう。なんせ三ヶ月前、物件がどこも見つからず最終的に事故物件に住むこのわたしがこう思うのだ。絶対にすぐ見つかるわけがない。きっとそれなりに長い付き合いになる気がした。
そんなわたしのシグナルを察知したのかと疑いたくなるくらい、ちょうどいいタイミングで突然、ピンポーンとチャイムが鳴った。配達だろうか。先週頼んだやつがやっと届いたのかもしれない。パタパタとインターホンを覗くとカメラに映っていたのは制服姿の志保だった。
「凛ちゃーん、お見舞いに来ましたよっと」
昨日はそっけない態度だったけど、なんだかんだでわたしを心配してくれていたのだろう。ご心配ご迷惑をおかけした分、直接会って元気な顔を見せてあげよう。
「はいはーい、今開けますよっと」
オートロック解除。自動ドアがウィーンと開くと志保は小さな身体を揺らしながらマンションに入っていった。
と、何気なく後ろを振り向くと雅が顔面蒼白。お化けでも見るように。
「い、入れるのかっ!」
「だってお見舞いに来てくれたんだもの」
「おバカっ! 俺はどうすんだ」
「ほっ?」
「俺がここにいる理由がおかしいだろう。いいか? 相手は結月志保。入学半年足らずで魑魅魍魎とした学園でどの陣営からも好かれる化け物、あの結月志保だぞ。おしゃべりなアイツにバレたら最後、どうなると思う?」
「……た、大変だっ! 今すぐ出て行けっ!」
「横暴だ! そもそもお前が結月を追い払ってればよかったんだ!」
「なにをっ! 居候のくせに」
そんな一触即発の空気に、断罪を告げる鐘の音が聞こえた。
「は、はわわわわ。と、兎に角、雅は部屋に逃げてて」
「下手なことすんなよ」
◇
「おっじゃましまーす。ヤー、身体は大丈夫?」
「ん、なんとか。それより今日は片付けじゃなかった?」
立ち話もなんなのでと、怪しまれないように玄関に招く。こういう時に元気の塊を見るとなんだか安心する。
「そ、だけど様子を見にね。その、身体が、血が酷かったから」
「あー、えと、あれは」
しまった。言い訳を何も考えていなかった。考える余裕なんてなかったから仕方ない。
「最近のバーチャル映像はすごいよね」
……わかってる。我ながら酷い言い訳だと思う。それを口にした瞬間、どこからか「ドン」と物音がした。多分雅が聞き耳を立てているのだろう。
「ん? 誰かいるの?」
「お隣さんだよ。劇で主役をやるって張り切ってて、最近はずっと練習してるみたい」
「なんだぁ。てっきり男でも匿ってるのかと思ったよ」
コイツ、けっこー鋭い。一瞬でも気を抜けばかすり傷では済まされない。くそっ、なんでわたしはコイツと仲良くしてんだ。記憶を保持したまま過去をやり直したいが、強引で積極的な志保とはどうやっても友達になる未来しか見えなかった。
「ところでさぁ、雅くんと連絡取れる? 昨日、片付けの件で連絡したんだけど返事が来なくて」
「あぁ、アイツなら――」
ドンっ! 本日二度目の物音。
「お隣さん、ずいぶん張り切ってるねぇ」
「アイツなら多分、スマホが壊れたんじゃない? しょっちゅう壊してる印象ある。それか返信が億劫だったとか」
「ははっ、確かに。似たもの夫婦、心が通じ合ってるね」
「「誰が似た夫婦だ」」
と、この暴言にはさすがの雅も我慢の限界だったようだ。指し示したわけでもないのに声が重なってしまう。
「ん? 声がハモった?」
「ここはちょっと大きな声を出すと反響するの。さ、もう時間じゃない?」
「わっ、ほんとだ。じゃーねっ、また明後日」
小さな身体がとてとてと去っていく。見送りで丁寧にエレベーターで降りる瞬間を見届けると、緊張感がドッと解けてため息が漏れる。
「大丈夫、だよね?」家に戻ると雅がポツンと立っていた。
「多分な」
「というか、壁殴らないでくれない。普通に近所迷惑」
「失言する前に止めたんだろう」
「…………ね、また言い合いをするのも薮坂ではないけれど、ここは冷静に話し合う必要があるみたいだね」
「同感だな。いろいろ決めた方が良さそうだ」
◇
「二人とも元気そうでよかった。また楽しい学園生活が始まるね」
凛ちゃんに見送られた後、元気な子供たちが駆け回る公園を横切り駅へと向かう。
問題ないと思ったけど、やっぱりあんな姿を目の前で見せられるとどうしても心配になる。けど今日を見る限り大丈夫みたいだ。凛ちゃんも雅くんも。
「でもナー、詰めが甘いから心配なんだよね。頭隠して尻隠さず。隠すならちゃーんと、玄関の靴まで隠さないとバレちゃうよ。ま、このまま黙ってる方が面白そうだから言わないけどね」




