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第五九話 契約破棄



「本当にどこも痛みはないかね?」


「……はい」


「ふぅむ。不思議なこともあるもんだね。出血したと聞いたんだけども身体には傷一つもなかったよ。気を失っていたのは精神的な動揺があったのかもね。一応点滴は打ったけど、点滴は万能じゃないから調子が悪かったらすぐ連絡をするように」



 あれからまたしばらく意識を落とした。再び目を覚ますといくらか身体に自由が戻り、なんとなく気分も晴れていた。

 目覚めた時も病室にはまた誰もいなかったので枕元にあったナースコールを押す。するとドタバタと廊下が慌ただしくなった。


 それから医者の診断やら状況説明。なんでもわたしは血まみれの状態で手術室に運ばれたそうだが、不思議なことにいくら身体を調べても射創どころかかすり傷一つなかったという。


 わたしにはなんとなく見当がついている。撃たれたのはガラス玉に祈って一時的に手に入れたあの翼。人間か神秘なのかもわからない曖昧な状態だったから、きっとこの世界は人の身体の一部として処理したのだろう。結果翼は消えたにも関わらず痕跡だけ残ってしまった。これもわたしの罪である。



「お世話になりました。もう帰ってもいいですか? それともこの点滴が終わるまで?」


「あー、えぇっと、まだ帰らないでもらえるかな」



 人と話したからか体調も良くなった。体調も問題ない。もう帰る気満々だったのに何故か医者がそれを制した。不思議に思いながら病室を去る先生にぺこりと頭を下げる。けどその答えはすぐわかった。先生との入れ違いでコンコンと病室の扉がノック。はいと返事をすると矢継ぎ早にスーツを着たいかつい男性が数人現れる。その中にはあの抜け目のない刑事、一際目立つ真っ赤なネクタイをつけ、顎にちょび髭を蓄えた幕部の姿もあった。



「警察です。今回の事件のことで天塚凛さんにお話しを窺いたいのですが」



 わたしは思うのだ。捜査協力を求められた際に「ノー」と答えたらどうなるか。心底「めんどくさい」って顔をして口を閉ざしたらどうなるか。

 そんなわたしの心を見透かすように、先んじて幕部が割り込み主導権を握ろうとする。いきなり赤の他人が割り込んでは心象が悪いと警察同士でも思うのだろう。


「天塚さんとは面識がありまして――ね、こんないかついオッサンに囲まれるよりか、顔見知り一人の方がいいでしょう。ねぇ?」



 わたしは全力で頭を左右に振る。そんなの死んでもごめんだ。だったらわたしはあなたの左隣にいる塩顔の物腰低そうな若いイケメンがいい。

 そんな訴えも虚しく、刑事同士がなにやら頷くと「では」と部屋を出ていってしまった。

 

 ポツンと取り残される哀れな子羊。対して横柄な幕部は人の断りもなく勝手にパイプ椅子を持ち出しては勝手に足を組んで腰かける。刑事らしいといえばらしいのだけど、協力する気なんてなくしてしまうな。



「さて、お久しぶりですね。あの事件の事情聴取以来でしょうか」


「めんどうなので腹の中を探るのはやめませんか? 誰がどう見たって今回の被害者は明白なんですし」


「えぇ、えぇ、そうですね。なら単刀直入に訊きましょう。春夏冬雅の命が狙われた理由に心当たりは? なぜ彼を助けられたんです?」



 今日のわたしはやけに素直だった。

 わたしがあの席に座れたのも、ドローンに取り付けられた銃を見つけられたのも全て偶然。偶然に偶然が重なって運良く雅を助けることができた。幕部が疑うのも無理はない。最善を引き続けた結果なのだ。ポーカーだって何度もフルハウスを出されたらイカサマを疑う。

 だからまず身の潔白を証明するため、そして犯人を見つけるため、包み隠さず警察に情報提供した。



「ほぉー、では昨日の誘拐事件とは何一つ関係ないと?」


「……どうして知ってるんです?」


「警察を舐めちゃいけないよ。大抵の騒ぎは耳に入ってくるんだから。優秀な刑事に限るがね」



 あくまでも白状したのは今日のことに関してだけ。昨日のことはまたややこしくなりそうだったのであえて言及しなかった。わたしの知る限り、昨日の騒ぎで通報した人はいなかったはず。一体この人の情報網はどーなってる。



「先の誘拐と今回とでは標的が違う。ただの不運続きと思いましょうか。しかしおたくらは巻き込まれ体質なんでしょうなぁ」



 相変わらず人が気にしていることをネチネチと。これ以上、小言が増えるようなら幼気に叫んで廊下の刑事たちを呼んでこようかと思っていると、刑事が一人ずかずかと部屋に入ってきて幕部に耳打ちする。



「お疲れのご様子ですから今日はもう引き上げます。何か身の回りの異変や気づいたこと、思い出したことがあればご連絡を」



 人に手間だけ取らせておいてそそくさと帰ろうとする幕部。わたしは慌てて頓狂な声を上げて一度彼らを引き止める。



「帰る時に先生や看護師の方を呼んでくれませんか? 点滴引っこ抜いたらもう家に帰ります。あぁー、でもぉ、命を狙われてますし一人で帰るなんて怖いなぁ。警察の方が送ってくれれば大変心強いのですけど」



 わたしは特段、変なことを言ったつもりはないけれど、この瞬間確かに病室の空気が凍えた。

 正確に言うなら狙われたのは多分雅で、あくまでもわたしは巻き添えを食らっただけ。しかも怪我なし。正直なことを言えば帰り道がめんどくさいだけ。あと、これは考えられる可能性の一つなのだけど、見慣れない病院から無事に家に辿り着ける自信がなかった。



「あのねぇ、警察はアッシーくんじゃないのっ。ったく、学園の生徒さんは何故こうも我儘なのか――」


「まぁまぁ。では僕が送っていくから後のことは全部吉野くんに任せた」


「はぁ?」


「では下でお待ちしているので。ほぉら、いくよ」



 幕部は吉野と呼ばれた刑事の襟を掴んで部屋を出ていった。「あっしーくん」の意味がよくわからなかったけど、送ってってもらえるに越したことはない。


 それからすぐに看護師がやってきて点滴の針を抜き、退院の手続きやら帰り支度やらでだいぶ時間がかかってしまった。なんでも通常はこの時間での退院はできないようだが、今回は特例中の特例とのことで認められた。しかし受付はもう閉まっているから後日、また手続きに来なければならないようだ。こればかりは面倒だとボヤいても意味がないので渋々受け入れた。



    ◇



 入院着から着替えようと思ったのに肝心の制服がどこにもない。

 あぁ、そういえばわたし、血まみれになってたとかなんとか。クリーニングに出しても色とか匂いとか落ちないだろうし、多分買いなおさないといけない。まだ一ヶ月しか袖を通していないんだけどな。



「凛!」


「うひゃあ!」



 中途半端に服を脱いでいたところに何者かが侵入。振り返るよりも前に慌てて毛布で身体を隠す。一体どんな不躾なやつがやってきたのかと思えば、両目を真っ赤に腫らした龍閃鞠沙だった。さらにその後ろにはスーツ姿の大人が二名、四十代くらいの男性と二十代くらいの若い女性。なんだか一人足りない気がするが、トイレにでも行ったのだろうか。


 こちらがほぼ裸体だと気づくと男の方はサッと身を引く。できれば二人も着替える前に出ていった欲しかったのだけど、鞠沙はその正反対を往く。駆け寄ってくる鞠沙にてっきり安堵して抱きついてくるのかと思っていたら、すかさず纏っていた毛布を引き剥がした。



「…………傷口が、ない。よかったぁ」


「恥ずかしいんですけども」


「あらごめんなさい。傷でもついてたらどうしようって心配してて……はい、これ」



 と、後ろにいた女性が手にした紙袋をこちらに渡してくる。見舞いの品ならありがたいけど残念ながらもう退院、なんて思いながら中を覗くとふんわり、香水の香りが漂うシャツとパンツその他下着もろもろだった。



「先生が今日退院できるかもなんて言うからあたしの服を取ってきてもらったの。あ、別に返さなくていいから。似たようなの何枚もあるし」



 さっすが鞠沙。わたしが欲しているものを的確に用意してくれている。マネージャーと思しき女性にも頭を下げ、早速貰った服に着替える。ラベンダーかな、すっごくいい香りに包まれて安心する。



「もう入っていいかな? 失礼するよ」



 と、廊下で待たせていた男の方が部屋に入ってくる。やけに鼻筋がスッキリしていて日本人の面影が薄い。加えてフレームががっしりした丸メガネをしていて、着ているスーツや腕時計は見るからに高級。どこかのお偉いさんだろうか。



「えと」


「先に紹介するね。こっちがあたしのマネージャーの言問十香さん。それから――」


「金美嶺二と申します。金美プロダクション――きみのクラスメイトの春夏冬雅が所属していた事務所の社長といった方がいいかな」



 二人はかしこまった動きで名刺を手渡してきた。急だったものでわたしもつい渡されるがままに受け取ってしまった。

 なんとなく状況を掴めてきた。しかし肝心の雅はどこにいったのだろう。……わたしこそ、アイツが怪我していないか心配なのに。


 あの、雅はどこに――なんて口を開こうとする前、いかにも貫禄があった金美が突然地べたに正座し、深々と頭を下げた。



「雅くんを助けてくれてありがとうございます。本当に、ほんとうに、ありがとう」


「……金美社長」


「頭を上げてください。今回はたまたま気づいただけで、わたしが勝手に飛び出しただけですから。恩を売ったとか、誰かに感謝されるとか、そういうつもりはなく身体が勝手に動いただけ。それで今回の件は終わりにしませんか? これ以上、大ごとになるとわたしも雅の前で気まずくなるので」


「……凛、あの――」


「ありがとう。……えぇっと、きみは天塚凛さんで会ってるかな?」


「えぇ、そうです、けど何か?」



 わたしがもっと激怒していると思ったのか、それともわたしの淡々とした受け答えにか金美社長は目を丸くしている。こちらにも色々と事情があるから、できれば今は大人のやり取りをやりたくない。この話を深掘りされるのは面倒なので、さっさと話題を変えた。



「で、アイツ……っと、春夏冬雅くんはどこに? 怪我して他の病室で入院してるんですか?」



 今回もわたしは変なことを口走ったつもりはない。けれど病室に再び寒波が到来した。

 誰もが固く口を閉ざし、まるで緘口令のように誰も話を切り出さない。

 なんで誰も話さない? 情報が何一つないわたしは頭上にクエスチョンマークを浮かべるだけ。


 しかしその均衡を打ち破ったのは金美社長だった。



「春夏冬雅は本日をもって解雇しました。これまでのご声援とご支援いただき、心より感謝申し上げます」


「……はっ?」



 意味がわからなかった。雅が俳優の道を断たれたってこと? ほんとに意味がわからない。今日だってステージに立って鞠沙と夫婦漫才だってしてた。わたしが眠っている間に何があった?



「うそ、だよね、鞠沙。ドッキリかなにかでしょう?」



 助けを求めて鞠沙を見る。しかし彼女は下を俯いたまま、しまいにはポケットからハンカチを取り出して涙を拭っている。これは只事ではないようだ。



「ここからの話はオフレコにしてほしい。約束してくれるなら説明しよう」



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