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第五八話 I Want You Back



「無茶したね」



 朧げな意識の中、どこか懐かしくて聴き馴染みのある声がした。

 ありえない。そんなわけがない。きっと幻聴だ。そう思って再び意識を手放そうとするも、またも同じ声が聞こえてくる。



「ボクはめんどくさがりなんだ。同じことは二度とは言わない。それでもいいなら寝ればいい」



 聞き違いではない。今、確かに、あのお方の声がした。


 徐に目を開けるとそこは見知らぬ天井。ハンガーには点滴がぶら下がっていて、長い長いチューブがわたしの右手に繋がっている。

 アルコールと消毒の匂い舞う空間。ここは病院のようだ。広い広い個室。隣にはなんだか高そうな機械がぴこぴこと動くだけで医者も看護師もいない。


 なんとなく意識を失う前のことを思い出す。あぁ、そうか。わたし、撃たれたんだ。


 ここに来るまでの過程に思い当たる節があったわたしは動揺することなく、ありのままの現実を受け入れた。きっと誰かが病院に運んでくれたんだ。あのステージはどうなったんだろう。鞠沙は……雅は無事だったのだろうか。

 些細な疑問が続々と湧いてくる。今がいつ、何時なのかもわかっていない。


 ――けれど、そんなことより、わたしは目の前の不可思議と向き合わなければいけない。

 ここにいるはずのない存在がどうして窓にもたれかかっているのだろう。どうしてあなたはそんなに不安げにわたしを見るのだろう。それが不思議で不思議で仕方なかった。



「か、帰ったんじゃ?」


「葵が『別れの挨拶くらい、しっかりしなさい』って言うから、渋々ボクだけ引き返してきたんだ。もちろん、地上に迷惑をかけないよう、一度は正規の方法で出国してからね」



 ソレはアキハの顔をして微笑んだ。そうしていればただの可愛らしい少女なのだから、ずっとその顔でいてほしい。癇癪に任せるとなにをしでかすかわからないし。



「で、ふらふら飛び回ってたら――」


「あ、そんな大きい声を出すと」


「その辺はボクだって弁えてる。しばらくは人が近づかないさ」



 弁えてるとはいうが、その匙加減は地上に降りて、散々葵お姉様に迷惑をかけてやっと学んだことだろうに。少なくともわたしといた時は下々への負担や迷惑を考えずに生きていた。成長といえば聞こえはいいけれど、背伸び程度の成長にどれだけの月日をかけたのかと呆れてしまう。



「……なにか言いたげだね」


「なぁんでもない。で、呑気に蒼月を飛び回ってたらステージの事故を目撃したと?」


「きみが撃たれた瞬間を見たわけじゃない。正確に言えば『摂理の歪み』を検知した」


「……は?」



「摂理の歪み」とはその名のとおり、この世がこの世であるための均衡が崩れたということ。


 どんな時に起こるのかと例を挙げれば「不老不死」「死者蘇生」「時間跳躍」――と、具体例を挙げればキリがない。現代風に言えば、いわば世界のバグ。

 この世に天使がいる理由はそのバグを治す、ないしは事前に食い止めるため。

 結構あるあるなんだよね。一番大変だったのは錬金術の隆盛。すんでのところでエリクサーの完成を食い止めたのは今でも記憶に新しい。


 とはいえ、とはいえだ。アキハの言ったことは信じられない。アキハに信用があるとかない以前の話。天界だって馬鹿じゃないんだ。大抵は歪みが起こる前に対処してしまう。

 偶然空を飛んでいたら「摂理の歪み」を検知したなんて、そんなことあってたまるものか。



「あ、あなたが勘違いしてるだけでは? ろくに天界で仕事しないから間違えただけ」



 しかしアキハはかぶりを振る。



「一度だけじゃない。あの瞬間、『摂理の歪み』は三回あった」



 絶句した。アキハの言葉より正気を疑った。

 そんなこと絶対にありえない。だって、そんなこと起きてしまえばこの世界が崩壊していても不思議ではないのに。



「あ、もう原因はほとんど突き止めたから。三回のうち、最後の二回の発生源は同じ。すでに監視してる」


「か、監視って、そんな甘ったるい手段を取ってる場合ですか? 一刻も早く取り除かないと――」



 あくまでも最善を述べたつもり。一度ならず二度も、立て続けに起こるなんて前代未聞だ。只事ではないのだから早急に強硬策を取るべきだ、そう言いたかった。

 しかしアキハは首を振る。コイツはいつもこう。わたしの意見決断を真っ向から否定する。それが嫌だからわたしは――



「原因はきみだよ。天塚凛」



 苦い記憶がフラッシュバックする寸前、無機質な病室に無機質な声がこだました。



「――わたし?」


「『人間が天使の力を手に入れた』『天使の翼が地に堕ちた』

 心当たりがあるだろう? きみはこのガラス玉――万能の願望機に願ったはずだ。ステージに立つ彼を助けるため、大方『天使の翼が欲しい』とかね。

 結果は見事叶った。それが一つ目の罪。しかしその力が中途半端だっただけに、本来天使に通用しない地上の兵器が命中してしまった。それが二つ目の罪――世界の矛盾だ」



 心当たりしかなかった。おそらくその推理は真実だ。


 かつて人間は神の半身として生を受けた。しかしあの禁忌を犯してしまったがために、人間は本来の力を引き出せなくなり放逐された。荒れ果てた地上で生きる人間を監視するべく、神は自らの力の一端を授けた半身を創造した。それが天使だ。


 天使は光輪と純白の翼、それと神の力を携えているからこそ天使と呼ばれる。


 たとえ「元」だろうと人間風情が神の力の一端を手にした挙句に呆気なく撃たれてしまった。なるほど、確かにこの世界の摂理に反している。というよりなんだか情けない話だ。



「というわけで、きみは言うとおり、原因を取り除くことにしよう。これは没収」



 と、いつの間にかアキハの手のひらには、わたしが大切に持っていたガラス玉があった。そして、それを指で摘むといとも簡単に粉々に砕け散ってしまった。足元には破片すら残っていない。


 あれはわたしの希望だった。もう二度とコイツに出会わないための非常口。あれにたくさん感情を溜め込んで、死ぬ瀬戸際にこう願うつもりだった。「もう一度人間として生まれ変わりたい」と。

 人間、死ねば無になる。輪廻転生なんてありえない。

 けれどわたしは摂理の外を生きる異形。死んでも多分、人間になる前に戻るだけ。だからわたしも天界も先んじて手を打ち、わたしが死んでも天界に戻らないシステムを構築した。その結晶があのガラス玉だった。


 仲間の努力が砕け散ってしまった。日頃の恨みはあってもこればっかりはわたしのせい。アキハに対する恨みなんてなかった。



「やけに素直だね。罵倒される覚悟はあったのに。ま、それならどんどん、本当のことが言えるね」



 アキハは口角を上げた。もう地上の人間として生きていくしかないやつに教えていいのかと疑問に思ったが、今はただ黙って首肯するだけ。今日はやけに機嫌がいいから黙っているだけでいろいろと教えてくれそうだ。



「で、『摂理の崩壊』の原因の二つを突き止めた。でも肝心な一つ目がボクも天界も半信半疑。というのもきみも知るとおり、あそこではステージが行われていただけ。それが引き金になるなんてありえると思う?」



「感情」は人間にごく普通に搭載されている機能。本来なら人間が手にすることがなかった禁忌。と同時に神の力の一端を持つ天使でさえ手を焼く厄介な代物。

 確かに「感情」は人間を予測不能に陥れる力がある。人間の目には見えないけど「感情」が溜まれば天界にとって危険なものに出来上がる可能性だってある。その処理だってかなりの手間がかかって天使側にもリスクがある。


 でもそんなこと、一世紀に一度あるかないか。

 人気アーティストのライブなんて今回のステージなんかよりさらに熱狂的だろうが、天界が危険視するほどのものではない。「摂理の崩壊」とは程遠い。

 経験上わたしも今回のステージが「摂理の崩壊」とは思わない。

 不審なことと言ったら……あのガラス玉に感情が一瞬で溜まったことくらい。そんなことを話した。



「ふぅん、ならそのガラス玉、天界に持ってくから貸してくれる?」


「は? 貸すもなにも、あなたが今、砕いたじゃないですか」



 なに言ってるんだコイツ。当の本人は自分で証拠を壊したことに「てへっ」と可愛らしくベロを出して誤魔化している。……あとで天界に怒られるんだろうなぁ、と勝手に妄想しておこう。


 手がかり消失した以上は、天界の専門家たちに任せる他ない。わたしが手伝おうにも天使の力を奪われてしまったからなにもできない。時が解決してくれるのを待とう。



「ん、じゃ、最後」


「くだらないことじゃないでしょうね? わたしも……ふわぁ、なんかさっきから身体の調子がおかしくて。すっごく眠いんです」


「単刀直入に言おう。きみのその身体、壊れかけてる」



 日に何度も絶句する時があったって別にいいだろう。

 何度絶句したって慣れることはなく、どころかさっきよりも辛い現実として重くのしかかり頭が真っ白になった。



「天使の力を無理やり顕現させたことで、人間としてのきみに歪みが生じた。人間の身体に天使の力は耐えきれないんだ。これから今みたいな体調不良が増えていくだろう。でも手の施しようがないわけじゃない。きみが眠っている間に天界に連絡を取ってみたら、一度戻ればある程度治せるとさ。だからそこまで悲観することじゃない」


「なんだ。よかった。なら次の休日でも里帰りしましょうかね。あ、なら迎えを寄越してくださいね。わたし一人じゃ天界に行けませんから」



 なーんだ。メンテナンスで済むなら重症じゃないね。そんな重々しい口調で言う必要ないじゃないか。人が悪いね。



「里帰りなんてものじゃない。きみのその身体は時計以上に精密に作られているんだ。だから治すにしても……三年以上は要するって」



「三年、か。……ながいなぁ」



 仮に天界に戻るとなれば義両親に連絡して「三年間の空白」を作ってもらえばいい。そうすれば戻った時の言い訳に使える。

 ただそうなれば確実に蒼月から離れることになる。三年間の休学は確か学園の規則では認められていない。会える頃には志保とも雅ともクラスのみんなとバラバラ。身体が元に戻れば今の生活は消失してしまう。


 それは……わたしはよしとしない。できない。やりたくない。

 わたしはここで、今いるみんなと一緒に青春を駆け抜けたい。



「ま、伝えなきゃいけないことは全部伝えた。近々、きみのところに天使が来るだろうから、その時に話してくれ。それじゃあ」



 アキハは窓辺に足をかけた。はたから見れば飛び降り寸前。しかし今のアキハには光輪と大きな純白の翼を携えている。誰がどうみても地上で神秘と歌われる神々しい天使だ。中身こそ傲慢で恋敵で、天使なんかよりもっともっとすごいお方なのだけど。



「おっと忘れてた」



 アキハはサッシからぴょいと飛び降りて、不自由なわたしの元にとてとてとやってくる。

 サボって遊んで人に任せっきりのやつのこと。どうせ絶対に報告しなきゃいけない話をすっぽかしていたのだろう。我が主人ながら呆れてしまう。



「この街はどうも狂ってるみたい。ボクも地上でいろんな街や混沌を目にしてきたつもりだけど、ここはなんだか不気味だ。これ以上長くいるとボクの正気もおかしくなるくらいには」



 あなたの様子がおかしいのは元からでは?

「元々おかしいので安心してくださいね」



 おっと、これはうっかり。心の声が漏れてしまった。けどアキハはなにも反応せず、滔々と話を進めた。



「たとえどんなに眩い光でも、人の欲望に飲まれればいとも簡単に恐怖に染め上げられてしまう。星明かりだろうと、月ひかりだろうと。だからきみも気をつけた方がいい――って忠告しようと思ったのになぁ」



 アキハはわたしの顔を覗く。よく見てみると瞼や鼻筋、口元なんて鏡越しで見るわたしの顔とそっくり。違うのは背丈と髪色と中身くらい。地上に逃げたとしてもやっぱりわたしはコイツとは離れられないみたい。


 やがて瓜二つの顔が目の前に迫ってきた。アキハの吐息がわたしの頬に触れる。

 長い長い付き合い、それこそ今、生ある者の中で一番長い。いつからか、わたしは好かなくなった。理由は数々の不満。わたしの半生をダイジェストにしたら、もれなく全員が「かわいそう」って同情してくれるくらいには、悲惨な扱いだった。

 だからわたしはコイツの優しさと温もりを知らない。知らなかった。知りたくもなかった、のに――



「これは『摂理の崩壊』をもたらしたものへの罰。これに懲りたら大人しく天界に帰るように。いいね?」



 そう言い残すとアキハは颯爽と窓辺に立って、瞬きのうちに一瞬でいなくなっていた。

 静まり返る病室には誰かがいた痕跡は残されていない。確かなのはわたしの頭に刻まれた記憶、それから頬に残る温もりだけだった。



「……最悪だ」



 屈辱だった。嫌いなやつからの愛情なんて誰が欲しいのだろう。真っ先に拒絶しなければならない感情。なのに思うように動かせない身体と世界の禁忌に触れた罪とが、アイツの蛮行を肯定する。

 力を失い、罪人になり、生きる目的を失ったわたしにはもう奇跡はやってこない。


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