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第五七話 フィナーレ



 翌日、天気は快晴。ここ数日は季節にとらわれない暖かさが続いていたが、今日は冬の到来を感じる肌寒さ。こういう日は伊織から貰ったアレで身体を温めたいところ。賑やかを失う一方で帰る楽しみができたのは幸いだ。



「お世話になりました。またね、凛さん」



 昨晩アイスを口にしながら明日のことを会議。鍵さえ返してくれれば適当に発ってくれて構わない。午前中は家でゆっくりしてもらって、手間だけど帰る直前に教室に来てもらって返してくれれば問題ない。そう言ったのだが結局みんなと一緒に出ることになった。


 また来てください。今度こっちに戻ってきたらパーティーしよう。なんて口約束をしながら駅へと向かう。

 改札口に到着すると昨晩の話どおり、案内板には減便のお知らせ。いつもは環状運転を行なっているモノレールだけど今日は「セントラル発」やら「セントラル止まり」なんて見慣れない行き先が増えている。

 電光掲示板に目を向けると、三分後には学園行きの列車が来る。もう別れも目の前だ。



「あ、そーだ。凛に伝えなきゃいけない」



 そんな別れの瀬戸際にふと葵お姉様が声をかけてきた。なんだろうと思う間もなくわたしの腕を掴んで、みんなから離れる。

 これってひょっとして愛の告白? やだ、どうしよう。まだ覚悟できてない。

 しかしタイムリミットが限られている今、わたしに思考をフル回転させる時間はなかった。



「泊まり然り、アキハのこと然り、昨日のこと然り、凛にはいろいろと謝らないといけないね」



 なにかと思えば大したことは……や、アレに関してはわたしの存在意義に関するので大問題。だけど葵お姉様が謝ることではないし、金輪際顔を合わせないと約束してくれれば許す。もしくはこれ以上伊織に近づかない、葵お姉様から手を引くと約束してくれれば諸々の恨みを水に流したっていいだろう。



「や、アキハのことじゃなくて」



 こうしてみると街中を歩く人間となんら変わらない。人並みに感情豊かで、ばつが悪そうに言葉を詰まらせる。

 あぁ、なんだ。きっと宿代とかなんとか、心優しいお姉様はちゃちなことを気にしてくれているのだろう。そんなのわたしは気にしてない。



「でしたら今度デートしましょう。生憎一年後の今日は埋まってるので、なるべく近いうちに。もちろんあのお邪魔虫抜きで」


「そんなので許してくれるなら喜んで。アキハを嫉妬させるくらいイチャイチャしよっか」



 刺激が強すぎる。誇張表現抜きに勢い余って鼻血を吹き出しそうになった。そんな沸騰したわたしをモノレールの進入が一気に冷ます。

 これはもう脈あり。このままグレトナグリーンに直行したっていいのでは? 


 そう思った矢先、視界に入ってしまった。

 金輪際顔を合わせたくない宿敵の顔、怠惰で強欲で貪欲な「アキハ」ではなく、天界の主人としての本気の殺意。

 殺される。冗談抜きに。



「そ、それはちょっと怖い」


「ま、いつでも連絡してきてね。待ってるから」



 もう葵お姉様の声が耳に入らない。あの殺意のせいで天界は厳戒態勢に入ってるはず。アイツらのことだからこの瞬間も他人事のように実況しているのかも。なんかちょっと腹が立ってきた。わたしはお前らのエンタメじゃないんだぞ。


 こうして四つの笑顔と一つの殺意と別れた。賑やかから遠ざかると心の片隅に一抹の寂しさが湧いた。



    ◇



「今日って学園祭四日目、最終日だよね?」


「そーだよ」


「よかった。わたしの勘違いじゃなくて。でさ、今何時だっけ?」


「うんと、十時。開場してから一時間経過」


「うんうん、それも勘違いじゃないか。で、今日の来場者は何人?」


「凛ちゃん。大丈夫? 昨日のこともあるし、数も数えられないんじゃ心配だよ」


「いいからいいから。で、何人?」


「……七人」


「うん。そうだよね。なんでこんなに少ないの?」



 学園祭四日目。最終日もまた今までと同じようにシフト制を組んでいて、わたし、志保、白南風薫、阿佐美羽留、祖父江雲雀、それから東雲女史。いつもの見知った顔が揃っている。


 わたしの記憶ではシフト決めの際、「最終日はたくさん人が集まるから覚悟してね」と脅された覚えがあるけれど、現実はこのとおり、かんこ鳥が鳴いている。

 さらになんか予定していた面子より人が多い。というかクラスの半分くらいここにいないか?

 過剰戦力とはこういうことを指すのだろう。



「昨日の爆破事故の影響だよ。予定より早く蒼月を離れる人が増えたから、学園全体が人が減ってるんだ」



 と、東雲女史が教えてくれる。



「でもこんなに変わるもんです?」


「みんな、メインステージに行ったみたい。キャンセル続出で今なら学校の生徒だと観覧できるんだって」



 その会話に瀬戸が割り込んできた。後ろには瀬戸といつもつるんでる菊田の顔もある。


 メインステージはスタジアムの特設会場で行われている学園祭の目玉で、期間中毎日特別なゲストを招いてライブやトークショーが開かれている。そして最終日のクライマックスもこのメインステージ。クライマックスライブは中継やネット配信が行われるほど盛り上がるのだが、残念なことに当選倍率が高く、蒼月の住民でも学園の生徒でも滅多なことで当選しない高い壁。

 今年はうちのクラスもほぼ全員が申し込んだらしいが、当選したのは僅か二人だけという。もしかすると嫉妬されるのを恐れて黙っているだけの可能性もあるが、兎に角、当選はとてーもありがたい話なのだ。


 それが今回、学園の生徒なら観覧できるなんて千載一遇のビッグチャンスだろうに、うちの教室にはわんさかと暇を持て余す生徒がいる。これはどういうこと?


 と、頭上にクエスチョンマークを浮かべていると、東雲女史がちょいちょいと手招き。呼ばれるがまま近づくとこっそり耳打ちをされた。



「あんたの誘拐騒ぎでみんな怖がってるんだ。それにこのところ事件も多いだろう? いくら蒼月が優秀なセキュリティと呼ばれていたって、殺人事件も解決できないようなポンコツなんじゃないかと疑心暗鬼になりつつある。あ、天塚のせいじゃないよ。日頃の鬱憤が溜まってるだけさ」



 そんなものなのだろうか。東雲女史が気にするなとは言うが、もし昨日のことがなかったら多分大多数の暇人がステージに向かっただろう。そう思うとわたしも責任を感じてしまう。



「な、天塚も行ってくれば?」



 どこから聞きつけてきたのか雲雀も入ってくる。別にわたしは最初から興味ない。なんなんら最初から抽選にも応募していない。だからいくら入場フリーでも行くつもりはなかった。

 首を振るわたしに、先ほども見たような手招きで教室の隅っこに連れ出される。



「これ、オフレコなんだけど、今日のステージ、雅も出るみたいだ」


「え、でも彼、休止中でしょう?」


「だったんだけど、昨日のステージの裏方仕事を休んだ代わり、シークレットゲストとしてステージに上がるって」



 休止中の俳優が一日限りとはいえ公の場に姿を現して業界的にはいいのだろうか。

 わたしには良し悪しがわからない。義理堅い雅なら事務所にも話を通しているだろうし、世間への心象は問題ないと思いたい。

 でも雅が嫌がっていたとしたらわたしのせいで……

 そんな言葉が詰まったわたしに雲雀が一枚のチケットを差し出した。「『蒼月メインステージ』関係者専用席」と書かれている。



「どうせ今日はろくに人が来ないだろうし投票もほとんど決まったし、天塚が元気な姿ではしゃぐところをステージの雅に見せてやってくれねぇか? あんたは知らないと思うけど、天塚がいなくなってから血相変えて学園中走り回ってたから、ご褒美というかさ」



 以前のわたしなら絶対に断っていた。「死んでもごめん」とチケットをビリビリに破いていたかもしれない。

 しかし時を経て、今のわたしにそんな真似はできるわけもなく。


 これはあくまでも今回の借りを返すだけ。スタジアム中から湧き出る感情の粒子を見に行くだけ。それでいいならわたしは、行ってやっても構わない。

 それにもしもここに怖がっていけない人がいるならついでに一緒に行けばいい。もちろんそれは指揮官でもある結月志保の許可を貰えればの話だけど。



    ◇



「うっわぁ、超有名アーティストの全国ツアーみたいな規模だ」


「凛ちゃんは見たことあるの?」


「自慢じゃないけどそれなりに。スティービーワンダーとかレディガガとか。でもあの時よりも規模がでかい」


「なら雲雀くんに感謝だね。そんな超ビッグスケールのメインステージ正面の席なんてっ! ここからなら鞠沙ちゃんや雅くんの顔がよく見える。コネがある人はすごいなぁ。ここだけの話、他の子らはいいとこでアリーナだって」


「で、なんで志保がいるわけ?」


「雲雀くんのあのチケットは一枚で二人入れるんだもの。だったら私が適任でしょう?」


「……さいですか」



    * * *



 閑古鳥が鳴く教室で雲雀が声を張り上げた。



「今日はもうお開きにしちまおう。集合時間は十八時、場所はここ。その間は自由時間。結月は異論ないだろう?」


「ま、仕方ないよね。私もさっき校舎を回ってみたんだけど、どこも似たようなものだったし。うん、今日は解散。みんなでメインステージにいこー」



 集団で行くとなるといくらか恐怖も紛れるのか、教室で燻っていた連中が次々と「行くっ」と元気な声で返事した。

 ただ、ステージに興味がない雲雀と男子連中、人酔いするという東雲女史、それから意外だったけど菊田が教室に残って投票の集計をすることになった。



    * * *



 雲雀がくれたチケットの効力はすさまじかった。それはもうVIP扱いで、椅子もパイプ椅子なんかではなくふかふかのソファー。ウェルカムドリンク付き。毛布付き。なんだか少し昔を思い出す扱いだ。

 おまけにメインステージの目の前だと演者に向けられる熱狂が直に伝わってくる。耳栓を用意しておけばよかっただろうか。


 未来都市。その称号に恥ずことなくスタジアム中をドローンが飛び交う。それが気になった志保がドリンクを持ってきたウェイターに「アレはなんです?」と尋ねたところ、カメラやら演出でスモークを発射したりと蒼月のステージには欠かせない道具。

 そういえばこの前、雅と志保がお見舞いに来てくれた時、志保に去年のメインステージの動画を見せてもらったけど、あれにはなかった記憶が。



「なんでも市長肝煎の企画らしいですよ。今回のステージで華々しい活躍を見せれば蒼月の十八番が増えるわけですから、お役所も気合いが入っているみたいです」



 大人の事情だった。いろいろと政治的事情があるみたい。だけど下手に勘繰るより、「へーすごいなー」と呑気に感心する志保を見習うべきかもしれない。




 それからおよそ数時間の待機時間。いつものわたしなら「長すぎる」と不貞腐れて帰っていたところ。でも今日はのほほんと空を眺めながらマンゴージュースを口にして待つだけ。ちょっとお弁当を買いに行ったりアイスを食べたり、傍にいる志保と他愛ない会話をしながらスタジアムのボルテージが高まるのを待っていた。



「なんだかこうして蒼空を見るのも久しぶりだなぁ」


「ま、凛ちゃんはめんどくさがりだもんね」


「その事実と空って関係ある?」


「あるともさ! 何気なく近くにある『ありがたーいものごと』に無関心ってことだもの。昨日だって午前中は晴れてたもん。凛ちゃんが気づかなかっただけ。凛ちゃんが無関心だったり無碍にするものの中にはかけがえのないものが、意外と多いんだよ?」


「そういうものなのかね」



 なんだか志保の口からいい言葉が出てきた気がする。しかしわたしは真っ向から否定したい。


 金銀財宝。どんなに価値があろうとも葵お姉様のように、興味がない人間は欲望の欠片を見せないものなのだ。それにいちいち日常に感謝する人なんて熱心な教徒にも少ない。


 けれどこれは天塚凛以前の経験でわかったことであって、この天塚凛にはわかる由もないこと。だからこの場は言葉を切ってストローに口付けた。



「……なら、志保にはそういう経験あるの?」



 もうこの話はやめようと思ったが、一つ気になってしまった。

 正しいかどうかはさておき、そういう気づきがあるってことは自分で経験したってこと。じゃないとこんなにハッキリとした口調で断言できない。人間ってそういうものだ。


 隣に一瞥向けると志保はピンク色のアセロラジュースが注がれたグラスに直接口付ける。



「あるよ。こうやって甘くておいしージュースを飲めることも、何も考えずにぼーっとすることも、こうして空の下で友達とお話しできる何気ない日常が、ある日唐突になくなったらってね」


「……志保?」


「人間、いつ失うかわからないの。で、ほとんどの人は失ってからようやく気づくの。あー、あの他愛ないことが自分の退屈を潰してくれてたんだなって。それが私が嫌だから、お助け部とか学園祭委員とか、凛ちゃんがめんどくさいって思うことも一生懸命やってるの!」


「そっか。なら頑張って」


「ダーメっ。他人事じゃないよ? 部長として私は凛ちゃんを更生させる義務があるんだから。高校のうち……や、今年中に全力になれることを探さないとメっだよ」



 なんだかとんでもない地雷を踏み抜いてしまったようだ。これには私も大反省。以降、ステージが始まるまでわたしは口を閉ざした。


 あまり大きな声で言えないけどわたしにだってやらなきゃいけないことがあるんだ。

 地上を彷徨っていたあの幽霊と約束した「聖女の遺体」探し。人間の感情集め。

 しばらくは学園祭の準備で振り回されていたけれど、今年はもう大した行事もないから集中して探せる。……くそっ、こういう時にアレが素直に協力してくれたら楽に探せたんだけど。

 ま、悔やんでも仕方ない。向こうもわたしにはもう会いたくないだろうし、わたしも会いたいとは思わない。同じ場所で育った仲だけど、別々の世界で生きていかなきゃならないんだ。アレは頼れない。



    ◇



 ステージが始まる十分前。いよいよスタジアム中の熱気が高まる中、グアバジュースを飲むわたしの肩をぽんぽんと叩く輩が現れた。

 振り返れば上下真っ黒なジャージ姿で黒いサングラスをつけた不審者、もとい春夏冬雅だった。



「あれ? どーしたの? ステージに出るんじゃ……」


「シッ―――! 周りに聞こえたらどうする。一応シークレットゲストで顔見せするだけなんだから」



 雅とは昨日の教室で別れたっきり。あの時は心底疲弊していたが、今日はいつもの三倍マシの明るさを見せている。ははぁ、これが仕事モードというやつか。



「雲雀の野郎が、かわい子ちゃんを二人送り込んだって言うから誰かと思ったら……」


「えっへん」



 志保が薄い胸を張る。ここ数日、本物のちんちくが近くにいたから今更志保をちんちくと呼べない。……ちびっこ? 童顔? まぁアレ以上平均以下のちんちくだ。



「凛、昨日は大丈夫だったか……って、なに唇ぶるぶるさせてんの? ボイストレーニングじゃあるまいし」


「ん? そのとおりだよ。この最前列で思いっきりヤジを飛ばすから」


「やめろバカ」



 雅はこつんとわたしの頭を叩く。うぅ、ジョーダンだったのに。本気でやるわけ、ナイジャナイかー。


 それから雅はすぐに黒服のスタッフに呼び出されステージの裏へと入っていく。

 会場に流れる陽気な音楽がだんだんとボリュームアップ。始まりの予感を感じさせるといよいよスタジアム中の観客が声を出してはしゃぎ出す。


 あくまでも彼はシークレットゲスト。

 今日のステージのメインはこの冬から放送されるドラマの主役に抜擢された龍閃鞠沙。そのドラマはこの蒼月がロケ地になっているらしく、宣伝も兼ねて舞台挨拶をしたり主題歌を歌ったりするそうだ。


 龍閃鞠沙。地獄のような猛特訓を行なっていた時は手を伸ばせば届く距離にいた存在。時には浮気調査を依頼してきたり、ある時は雅の秘蔵写真を売りつけるお得意さんだけど、今日の彼女は手の届かない遥か高みの存在。

 彼女がステージに立てば星々より高い場所で、熱狂の渦の中で堂々と司会を務めている。

 龍閃鞠沙の本気を前にわたしも圧倒されてしまった。


 これがライブ感というやつか。この盛り上がりは映像なんかでは絶対に伝わらない。伊織たちも参加できればよかったのに。


 と、わたしは肝心なことを失念していた。これだけの熱気が集まる場所だ。だったら人間の感情はどうだろうかと、懐にしまっているガラス玉を取り出した。



「おっ? おおっ、おーーー」



 すっごい勢いで光の粒がガラス玉に吸い込まれていく。透明なガラス玉がこれまで見たことのない赤色に染まってくる。本当なら空色に染まるはずなんだけど。もしかすると一気に集まってオーバーフローしているのかも。というか、これ、もうわたしの目標に届かない?



「あたしが主演のドラマ、来年の一月から放送されるので絶対に見てねっ!」



 鞠沙の一言に会場がヒートアップ。アリーナの観客には空をハエのように飛ぶドローンなんて気にならないようだ。



「それからっ、今日はあたしの応援として現在芸能活動を休止してくれている旦那がなんと、駆けつけてくれましたっ!」



 その瞬間、世界がガラリと変わった。大げさではない。誇張表現でもない。クラスメイトだからと贔屓目に見ているわけでもない。


 雅が学生服で登場した途端、会場中から黄色い歓声が飛び交った。かと思えば女性だけではない。男性の野太い声も少なくない。

 ステージでライトを浴びただけで大声援。春夏冬雅の人気を肌で感じとった初めての機会。

 その衝撃のあまり数秒間固まってしまい、手に持っていたガラス玉がグラグラと揺れたのを見落としていた。

 隣からの冷たい視線を気にせず、あれだけヤジを飛ばそうと準備していたのにすっかり失念してしまい、雅が話し終わると他の観客に混ざって拍手をしてしまった。


 そんな時だった――ガラス玉が空のように真っ青に染まっていたのに気づいたのは。


 え、これ、ほんとに完成しちゃった? 嘘。天塚凛の生涯を賭けて人間の感情を集めるつもりだったのに半日で終わっちゃったの? え? え? えぇ⁉︎


 そんなわたしの驚きも会場の歓声が打ち消し、志保には届かない。



「俺がこんなところにいるなんて場違いですが」



 しかし会場から笑いが起こる。「お前はここにいろ」「嫁の活躍は見届けろ」

 雅は観客のレスポンスが静まるのを待った。気づいたファンは声を止め雅の言葉を待った。



「よく鞠沙の旦那って呼ばれるけど、俺はライバルとしか思ってない」



 と、会場中が大ブーイング。しかし今回はブーイングの嵐の中でキッパリとこう言った。



「そのライバルのかけがえのない青春を削って演じたドラマなので絶対に見てください」



 いい感じで締めると割れんばかりの拍手が湧き起こる。

 透明なガラス玉はいつしか小さな地球のように空色に染まっていた。ここまで感情がたまることなんて天界すら予期していなかっただろう。

 たかが人間が現れ、一言二言喋っただけでその場にいる人間の感情を奮い立たせる。


 こんな芸当ができる人間なんて歴史上でも数少ない。まさか彼が……春夏冬雅にそこまでの力があるなんて。わたしは小さな地球を手にしながら、改めて彼の顔を見た。



「……すごい」



 振り絞った簡単な言葉は最大の賛辞。ステージに立つ彼は大観衆を前にも物怖じせず、堂々とハキハキと、わたしも認めるプロポーションを振りまきながら笑っていた。

 この時のわたしは間違いなく、俳優春夏冬雅の虜にされていた。癪だから直接本人には伝えないけど、この感情は紛れも無い事実だった。


 と、そんな時、一台のドローンがフラフラと上昇し、ステージの正面を陣取った。

 何か動きがおかしい。不審な動きをしたドローンを指差して、隣の志保に尋ねる。



「カメラじゃない? ほら、何か下にカメラっぽいの付いてる」



 あぁ、なるほど。嫁とのツーショットかと一瞬納得した。

 しかし、よくよくそのカメラを見てみたが、カメラにしてはやけに先端が細長い。空を自在に飛び回るドローンに望遠レンズなんて必要ないだろうに。どちらかと言えばあれは――



「さぁ、これにて学園祭も閉幕です。最後は花火で締めくくりましょう!」



 鞠沙が空を指差すと会場内外の証明が空を彩る。観客も上を向き、意識はもう空にある。鞠沙も雅も、わたし以外、例外はいなかった。



「ごー、よんー……」



 その瞬間、十秒後の未来が頭によぎる。奇跡とか気のせいとか考える余裕はなかった。

 無意識にガラス玉を握り込み、駆け出して地面を思い切り蹴り上げ、目の前の柵を飛び越える。

 時間がない。そう思ったわたしはガラス玉に願いを込める。


 今のわたしがなくしたもの――それを今だけ授けて、と。



「にー、いちー……」



「あぶない」



 鈍臭い彼は「いち」のタイミングでわたしに気づいた。が、彼はなにもできず、わたしはそのまま彼を押し倒す。


 花火が打ち上がった。その音に溶け込むように、一発の銃弾がメインステージに向かって放たれた。



「――っ!」



 空を舞ったわたしは雅にダイブ。そのまま勢い余って二人とも倒れ込んでしまった。

 銃弾は標的を外し、地面へ着弾。間一髪のところだった。もしも避けられなかったら今頃雅は――



「なっ、なにやってるの、雅。早く逃げてっ」



 真っ先に異変に気づいたのは鞠沙だった。他の観客は花火に夢中で気づかない。

 一部始終こそ見てなかった鞠沙だが、銃声と銃弾、それから飛び込んできたわたしを見て全てを察した。



「え……え、えっ? 血?」



 さすがの雅も混乱しているようだ。鞠沙の声は届いていない。だがステージでの異変を察知した警備もろもろ、関係者がバタバタと駆け寄ってきて、わたしら三人をステージから下ろした。



「なにが――起きたんです?」


「銃で雅が狙われたっ! 気づいた凛が助けてくれたの! は、早く警察に――」


「会場の避難――すぐに――」


「凛! これ――院――」


「凛――ん! へ――なんで――」



 意識が朦朧とする中、なんだか周りが慌ただしい。うつろな目で左を見ると赤ワインでぐっしょり濡れてる。

 もったいない。そう思って舐めようとしたけど身体が動かない。左手に握っていたはずのガラス玉の感覚もない。

 あれ、落としちゃったかな。あとで拾いにいかないと。


 もう力がもう入らない。なんだかドッと眠たくなってしまった。


 最近、連日の無理が祟ったのだろう。ここはじっくり休んで――それから――



 薄れゆく意識の中、空からひらひらと舞い落ちる純白の翼。それが妙に懐かしくて安心して、現実に抗うことなく自然と意識が落ちた――

 

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