第六十話 Fall Down Our Life
存外長い間眠っていた感覚だったし、目覚めてからひっきりなしに来客者が現れたせいで真夜中くらいかと錯覚していた。
しかし病室の去り際にナースステーションの時計を見てみるとまだ七時。なるほど、どおりでお腹がぺこぺこなわけだ。
そこから一階の待合室に向かうとタバコを吸ってないのにタバコ臭い幕部が律儀に待ってくれていた。そこから覆面パトカーに乗り込み、今まで見れなかったスマホを手に取った。なんせ病院内では電話禁止。電源を入れた瞬間に志歩から猛烈なコールが来そうな気がしたのであえて電源を落としていたのだ。
「一件、友達に連絡しても?」
一応幕部に確認を取ってから志歩に連絡する。ギャーギャーとうっさい声が聞こえては運転の迷惑になると思ったし、事前に許可を取ってみた。
しかし、どういうわけか、志歩は通話に出てくれたものの、
『そーなんだー』
ものっすっごい軽い。あの人、わたしが血溜まりになった瞬間の現場にいなかったっけ?
だったらもっと心配してくれてもいいのに、かなり素っ気ない。
まぁ、連日迷惑をかけたんだ。呆れてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。
「また、みんなに迷惑かけちゃったね」
『そんなことない。クラスのみんな「雅を助けてくれてありがとー」って凛ちゃんに感謝してる』
「……えぇっと、もう事件のことはみんな知ってたり?」
『もちろん! 現場にいた人の証言やらビデオ、それに中継もされたし。凛ちゃんが倒れたところはモザイクなりカットされてたけど、今では学園外も大騒ぎだよ』
この世で最も知りたくない情報である。この学園の学生なら誰もが口を揃えて「目立ちたくない」「目をつけられたくない」って答えるはず。それがまさか学園祭で一番目立つであろうメインステージど真ん中であんなことが起きてしまった。逆に目立たないという方が難しい。一縷の望みに縋ってみたけれど、どうやら奇跡に嫌われちゃたみたい。
それから車が次の信号で停まるまで話した。
今回は誘拐事件とは違って、警察が本腰を入れて捜索するくらいには大ごとになっている。学園祭閉幕後もいろんなところのメディアが押し寄せてきて学園も混乱しているそうだ。特に今回の被害者であるわたしと標的となった春夏冬雅は同学年の同じクラス。志歩の住む寮に学園の偉い人がやってきて直々に「1組の生徒は明日一日、自宅待機」と言われたそう。幸いにもわたしたちのクラスの出し物は大掛かりのものではないので半日もかからず片付く。それを加味しての命令なのだろうが、穏やかではいられなかった。
「ん、わかった。じゃあまた、明後日」
目立つこともさることながら、みんなに余計な不安を抱かせるのも不本意。わたしの容態は鞠沙から志歩、志歩からクラスへと拡散されているようで、寮にいるみんなもとりあえず安堵しているという。それが傷心中のわたしの唯一の救いだった。
「もう到着しますよ。くれぐれも異変があればすぐに連絡を」
タクシー運転手顔負けの心地よい運転にぽけっと窓を眺めていた。なんだか見覚えのある光景が見えてきたと思ったら、もう『東風公園前』だった。
「ありがとうございます……あの、最後に訊いても?」
いろんなことが起きた今日を振り返ると一つ、先ほどの病室では気づきもしなかった些細な疑問が湧いた。捜査に関しては素人以下だけど、被害者として気になる一点。捜査をする上で絶対に外せないポイントなので幕部が知らないわけがない。
「ドローンにつけられていた銃に弾丸はいくつ残ってました?」
あの時は咄嗟だったから一発しか聞こえなかった。もしかしたらわたしが聞こえなかっただけ、運良くステージに立っていた雅たちが回避しただけで、実は何発も放たれていたのかもしれない。狙撃に失敗した犯人が途中でやめたという線もある。
でもわたしの推理は――
「気づかれましたか。えぇ、その通りです。弾丸は発砲された一発だけ。妙ですよね。人を殺すにしてはあまりに頼りない。犯人にはよほどの自信があったのでしょう。現に犯行直前まで演出用のドローンに紛れていたんですから」
わたしが言いたかったことを幕部が代弁してくれた。そう、たった一発だけ、か。
眼前の謎に対して、今のわたしにはどうすることもできない。とりあえずこの場は幕部に頭を下げて家に帰ることにした。
今日のところは大人しくするべきだ。気がかりはたくさんあるけれど、わたし自身も考える時間が欲しい。今はただゆっくり家で休みたかった。
* * *
「春夏冬雅が悪い人間ではないのは僕もよぉく知っている。子役として長らく芸能界で活躍していても大人に染まらず、一際強い好奇心と責任感が彼の魅力だった。でもそれが蒼月に来て悪い方向に進んでしまった。聞けば何度も警察のお世話になっているそうじゃないか。こちらとしては警告はしたけど本人には届かなかった。それが今回の事件に繋がってしまった。非常に残念でならないよ」
「だからっ、どうして雅がやらかした前提なの。命を狙われた彼は被害者なのよ?」
「命を狙われるには相応の理由がある。気づかないところで彼が不相応な真似をしでかしたのかもしれない。もちろん警察とも連携して犯人は絶対に突き止める。それと同時に原因も取り除かなければ、事態は好転しない」
「命を狙われる相応の理由? そんなの、あるわけないでしょうが! ――トーカさん、今すぐうちの社長に電話して」
「え、えっと、どうして?」
「今すぐ春夏冬雅のクビを撤回しなさい。さもなくばあたしはもうあんたらの事務所と関わらない」
「えぇっ‼︎」
鞠沙は顔を真っ赤に染め上げ金美社長に詰め寄る。困惑する言問さんと大人の余裕をもって平然とする金美社長が対照的で、実に混沌としていた。
責任を取るのは当たり前。忠告されていたにも関わらず揉め事を起こしたのなら雅にも責任はある。けれど――
「雅は何も悪くありません。確かにアイツは面倒ごとに自分からツッコんできて、あれこれと口を出す厄介なやつです。責任は取るべきですが、重大なコンプラ違反があったわけではあるまいし、いきなりクビっていうのはどうかと思いますが」
わたしが擁護したことで鞠沙の怒りも少しは治った。ありがとうございます、ありがとうございますとでも言うように何度も何度も言問さんも頭を下げている。彼女も日頃、このじゃじゃ馬娘に手を焼いているのだろう。ものすごく同情する。
しかしそんな苦悩を水に流すかのように金美社長はこう言った。
「リドルが人を殺さない保証はどこに?」
「今、リドルは関係ないじゃない!」
「関係ないかどうかは警察が捜査中。僕らは大人しく待つしかできないんだけれど……物を盗む悪党が人を殺さない理由がどこにある? これまではリドルが『殺さない選択』をしただけであって、法に乗っ取ってプライドを守る理由はどこにもない。ティアラの一件で目をつけられて命を狙われた、というのも考えられる」
わたしの中では「ありえない」と断言できた。けれどそれをここで披露したって証拠はなく信用は得られない。
それになんとなく見ていてわかる。この金美というのはどうも只者ではない。わたしの一言一句、心のうちさえ見透かすような無機質な眼差し。なるほど。これがあの雅の演技や洞察力の源流か。そう思うと納得しかない。
そうとわかれば下手に擁護なんてできない。今のわたしの立場を最大限活用した方が得策だろう。
わたしは春夏冬雅を助けた命の恩人。社長直々に頭を下げたところでこの恩が消えるわけではない。
幸いだったのは金美社長が春夏冬雅個人を嫌っていなかった。クビはあくまで芸能界の社長としての決断。そして春夏冬雅のモチーフとなった人物ならば「義理堅い」という特性を持ち合わせているはず。ならば尚更、命の恩人というジョーカーは効果的。下手に口うるさく騒いで心象を悪くするより、エレガントで優雅なお姫様を謳った方が長期的に見て実りある交渉ができるだろう。そう判断した。
わたしは口をつぐむ。しかしじゃじゃ馬娘の方は余計に発火してしまい、最終的に言問さんに腕を引かれて病室を出ていった。
うるさいのがいなくなると部屋には沈黙が訪れる。あぁ、これ以上長くいると待たせている幕部が痺れを切らすかもしれない。そう思って話に区切りがついたわたしは荷物を手に取り、部屋を出た。
「もしも雅くんが、きみほど自分を押し殺せるのなら、こんなことにはならなかっただろうね」
* * *
用心に越したことはないとこの街に来てから自覚している。最低限の防犯はあるものの、あの事件のこともあってか油断できない。それにわたしならあのガラス玉の力で脱出できるけど、お隣の紅葉ちゃんのような小さなお子様だって住んでるんだ。ここは管理人に少しばかり提言を……
「って、バカだな。あれはもうないのに」
そうだ。わたしはもうただの可憐な乙女。眼前で山積みになった問題も今のわたしに解決できるかどうかも怪しい。まったく、これじゃあわたしがあの無責任野郎と同じってことじゃないか。誠に遺憾だ。大変不服だ。否応言わせずあれを壊すなんてとんでもない。
せめて……わたしの身体が壊れるまでは手に残しておきたかった。
あぁ、もうへとへと。鞄から鍵を取り出す手がガクガクと小刻みに震えてしまってる。
これはちょっと、わたしの涙腺がもう決壊寸前。限界だ。
「あっ! 凛ちゃん、こんばんわ……わっ、急に話しかけてごめんなさい」
わたしの物音がよほど目立ったせいか、お隣に住む山本梓さんがひょっこり顔を覗かせた。
慌てて瞼を擦り、いつもどおりの笑顔で平静を取り繕う。
「今日はちょっと、疲れちゃいまして」
顔を合わせれば挨拶するいつもの関係。けれど今日はどこか梓さんの様子が辿々しくて、なんだか様子がおかしい。もしかすると彼女もあの動画を見たのかもしれない。わたしに声をかけたはいいものの気まずい、っていったところだろうか。
そのままぺこりと軽く頭を下げて部屋に入ろうとするも、梓さんはパタパタと駆け足でわたしの肩を掴んだ。
なにかと思えばわたしを部屋に押し込み、扉をゆっくり閉める。気づけば二人きりの空間になっていた。
「ごめんね。大変な時に。その、何時間も前からうちのマンションで凛ちゃんのお客さんが待っていて、寒いのもなんだしって今、うちにいるの」
「お客さん?」
「えぇ。でも約束してなかったとかで凛ちゃんが帰ってくる前に何度か帰ろうとしたの。でもセッパ詰まった様子だったからひとまず紅葉の相手をしてもらってる。お疲れのところ申し訳ないんだけど彼と会ってくれないかな?」
「…………わかりました。いろいろと迷惑かけてすいません」
「とんでもないっ! いつも面倒見てもらってるのは私だし、それに、紅葉も喜んでたから」
大体の予測はついた。いつもなら気だるい声をかけてあーだこーだと言いたいところ。
だけど今の彼の気持ちは痛いほどわかるし、わたしも他人のことを言える立場ではない。でもこれはわたしたちの問題であってこれ以上お隣さんに迷惑はかけられない。梓さんだって連日、学園祭で繁忙期だっただろうし、へとへとだろう。
紅葉さんが寝ているとのことで梓さんが彼を呼んでくることになった。わたしは上がり框に腰を下ろし、彼が来るのを待った。梓さんが戻ってから三分後、ガラガラと物を引く音が聞こえると扉が静かに開いた。
「雅ってコーヒー派だっけ? それとも紅茶派?」
そこには憔悴しきった雅がいた。髪の毛もボサボサで目が虚ろ、十年くらい歳を取ったんじゃないかって勘繰るくらい「春夏冬雅」とかけ離れた雅。わたしがリビングに通すとスーツケースと山登り用の巨大なリュックサックをひょいと軽く持ち上げ、何も言わずに部屋に入った。
◇
「……その、助けてくれてありがとう」
「身体が勝手に動いただけ。別に雅に恩を売ろうとか感謝されようとか思っていないし、人として当然のことをしたまで。だから気にしないで……ん? さっきも同じこと言ったような」
「金美社長……や、金美さんに言ったんだろう。全部、聞いたんだよな」
「うん」 わたしは首肯した。
「そうか。なら話が早くて助かる。今まで住んでた家は事務所のものだしもう住めない。しばらくは貯金を崩して生活できるけど、どのみちもうここにはいる意味はない。これから実家に帰って、母親と話したら、蒼月を、学園を去る。その前にお前の無事をこの目で確認できてよかった」
「本当に辞めるつもり? 鞠沙だって激怒してたし、諦めず説得し続ければいつか――」
「それに今回のクビでお冠なのは金美さんじゃなく、うちの母親だ。俺が未成年である以上、学業も仕事も全部親に一任されてるから。金美社長を説得したところで無理だ」
昔から愛用しているお気に入りのマグカップに口付ける。夜にブラックを飲むなんて滅多にしないが、雅の話を聞く間は頭をスッキリしておいた方がいい。ほんのりの緩くしたのが仇となり、雅の話を聞いていると冷めていた。
雅のご両親はどんな人なんだろう。訊けば気さくに教えてくれそうだが、わたしはあまり親の話題を出してほしくない。なのであえて避けて別の話題にする。
「お腹空かない? 食材がこんもり余っててさ、炒飯くらいならすぐ作れるけど」
「いらない。もう実家に帰るつもりだから」
「え、もう電車ないよ? 九十九先輩の爆破事故の影響でしばらく本数を減らして運行中。知らなかった? わたしより長くこの街に住んでるのにぃ?」
なんだか煽らずにはいられなかった。毎度毎度方向音痴だとバカにされてきた日々を忘れちゃいない。雅も失念していたようで、慌ててスマホで時刻表を検索していた。が、案の定わたしの言うとおりだったようだようで項垂れている。
思えば名ばかり生徒会でわたしを押し倒した時も、追い詰められた雅はらしからぬことを口走っていたし、後先考えずに動いていた。天下無敵の天才役者にも明確な欠点があるみたい。
あの時はどう諌めたっけ。こちらも思うがままに喋ったからあまり覚えていない。
「しょーがない。鞠沙に連絡して迎えに来てもらおうか。えぇっと、連絡先はっと」
「ダメだ。それはできない。鞠沙とは接触禁止になったから」
それにはさすがのわたしでもやりすぎだと思った。友達を、将来の妻との接触さえ制限するなんて事務所や親の権力を超えている。こうなればわたしが二人の逢瀬を作らなきゃいけない。
だけどあの社長のことだ。きっと下手な真似は悟られるし、現場を押さえられたら信用を捨てることになる。それだけは絶対に避けたい。
短い付き合いだけど春夏冬雅の人となりは知ってる。
本音をいえば春夏冬雅個人に対して好意的な感情は皆無だ。だけどあの大舞台で大観衆の感情を一斉に動かす天才を不祥事一歩手前のところで引退させるなんて絶対にあってはならない。
心が弱っている雅に説得を重ねたところで届かない。せめて今日……や、心が落ち着くまでは蒼月で匿っておきたい。だけど彼は今日にでも去ろうとしている。どころか学園を辞める覚悟まである。
お前がいなくなったらわたしはどうすればいい? 少なくともお前は面倒で賑やかな日常の一端なんだ。勝手に荒らしておいて、勝手に消えるなんてわたしは許さない――
「ならさ、しばらくここに住め」
「え……」
「事務所は高校を卒業するまで公表しないって言ってるんだ。真面目に学業に勤しむ学生にまで口うるさくしない。周りにバレなければこれまで通りの生活はできるんじゃない? きみの親だって蒼月を去れとまでは言ってないんだろう?」
「で、でも住むところが」
「それを与えてやるって言ってるんだ。嫌なら別の家を探すまで」
「や、でも……」
「少しは頭を冷やしなよ。今の春夏冬雅にできることは何? 勝手に蒼月を離れれば周りに不信感を与える。ここは不協和音さえ一瞬で伝播する物好きらの庭なんだ。『春夏冬雅が引退した』なんて話が広まれば蒼月の外でも騒ぎになる。せっかくの事務所の配慮も全部ぱぁー。自分で捨てるなんて馬鹿げてる」
雅は閉口する。男の気持ちなんてよくわかんないけど、命を救われた相手にさらに情けをかけられるってどんな気持ちなんだろう。惨めに思ったりするのだろうか。けど感情で動くよりか今は、理性的になってもらいたい。わたしが言ったことは間違ってる?
「……なら、その……」
「ん、みなまで言わなくていい。何度も言うようだけど別に恩を売りたいわけじゃないから。あーあー、お腹すいちゃった。まだスーパー開いてる……よね。お弁当買ってこようか。一緒に行く?」
「ジョーダン勘弁してくれ。そんなことをしたら噂になるだろう」
「そっか。そーだよね」
うん、これなら大丈夫そう。しばらくここに置いておけばいずれ回復するだろう。こればかりは時の流れに任せる他ない。わたしが以前そうだったように。
祈りはもう届かない。祝福はもう訪れない。奇跡を起こす力も残されていないわたしは呼吸するだけの、この地上で最も哀れな存在。
生きる目的を失った。これからわたしはどうやって歩いて行こう。おまけに壊れかけのフレームはいつ動かなくなってもおかしくない。この先どこまで進めるかは神のみぞ知る。強請ったってどうせ教えてくれやしないけどね。
次から3章になります。次回更新未定。




