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第五五話 揺れる世界



「雅っ! しっかり!」



 世界が揺れた。ぐらんぐらんと気持ちが悪くなるくらい不器用で強引な目覚めだった。

 視界に飛び込むは不安げな顔の凛。そんな顔も初めて見る。つくづく今日は珍しいものを見せられるな。



「よかった。意識ある。そっちは?」


「怪我はない。スタンガンか何かで気絶させられただけだ」



 聞き覚えのない男の声が聞こえる。意味がわからない。強引に上半身を起こそうとすると脇腹がズキっと痛む。今、スタンガンって言ってたか? 俺はスタンガンで気絶していたのか? 一体誰に?



「っと、無理に立とうとしないで。わたし一人じゃ支えきれない」


「お前は怪我大丈夫か? さっき突き飛ばされてたろう」



 なんだか助けに来たのに、いつの間にか立場が逆転している。さっきはうんともすんとも口を開かなかったくせに。でもその調子なら擦り傷くらいで済んだのかもしれない。


 なのにどうだろう。凛は渋い顔をして閉口する。


 どうしてそんな顔をしているのか。さっきからずっと近くにいたのにーー



    ◇



「えぇっと、一旦話を整理させてくれ。まず、凛が閉じ込められていたんだよな?」


「畳で突進したら扉が壊れた。そのまま無事に脱出成功」


「頼もしいのやら、おてんばなのやら」



 意識が戻ってきたところで凛、俺と同じように気絶していた九十九、それから一条と名乗る三年生と共に状況整理を始めた。誘拐犯と被害者が同席してまともに進められるのかとヒヤヒヤしたが、先ほどの怯えた姿とは打って変わって平静の凛。それから一度気絶させられて正気を取り戻したのか九十九は黙って淡々と話を進める。


 頭が痛い。なんだか映画の台本を読んだ気分。それくらいボリューミーで、いろいろとツッコミたくなる話である。



「とりあえず外に出れたものの、見覚えのない森の中だったからパニックになっちゃった。で、わたしの勘を頼りに歩こうとしたらーー」


「おいっ! お前、天塚凛を理解しているのかっ? 移動教室ですら、ちゃんと教室に来れるのかいつもヒヤヒヤしてるのに」


「ひ、非常事態なんだからいいだろ! ……こほん、話を戻そう。閉じ込められた小屋から出ようとしたら後ろから一条先輩が追いかけてきたの」



 凛は彼に水を向ける。向こうは俺のことを知っているだろうが、俺は向こうのことを何も知らない。端から疑問だった彼の存在がようやく明らかになった。


 彼は言葉を選ぶようにしばしば声をつまらせる。そして深く息を吐き、覚悟を決めたのかおもむろに話し始める。



「学園の屋上で眠らせた彼女をここまで運んで監視していたのは僕。本当にごめん。謝って済む話ではないけども」


「ま、被害者がわたしだけで本当によかった。そう思うことにしましょうよ。それに今は何度も聞いた謝罪なんかより聞きたい話が山ほどあるんですよ。どうして二人がここで気絶していたのか……どーして雅がここにいるのかも、ね」



 鋭い視線が飛んでくる。そりゃ、俺のせいで巻き込まれたのも同然なのだから怒るのも無理はなかった。ごめんと頭を下げたものの、ぷぃっと外方を向かれてしまった。

 いささか気まずい。無視されたからか説明するタイミングを見失ってしまった。そんなところに人前では見せられないような大きなため息をついた九十九が口を開いた。



「ーー取引失敗。そう思った瞬間に意識が飛んだ」



 九十九の説明は俺の記憶となんの違いもない。続けてその後のことを説明する。



「その直後だ。お前が俺の後ろから話しかけてきて、次の瞬間にはもう同じように気を失ってた。お前はあの時、何をしたんだ? あれ? でもその時一条先輩は何を?」



 真っ当な疑問をぶつけたつもり。不機嫌だからか凛が黙るのはわかるけど、なぜか一条も同じように口をつぐむ。

 そして、重々しい口調で凛が衝撃の事実を放った。



「……わたしたち、ずっと一緒にいて、没収されていたものを返してもらってたんだ。だからわたしはその取引現場にはいない」


「こ、こんな時に冗談言うなって。なぁ?」


「ううん、天塚さんの言ってることは正しいよ。だから逆に、彼女がいたって言うきみたちを疑ってる」


「んなバカなっ! この人だって人質として連れてきたわけだし、この俺が見間違えるわけないだろう。なら俺たちが見ていたやつは誰なんだ」



 バラバラに散乱したパズルのピース。全員の証言が異なるなんて、かの名探偵でも繋ぎ合わせるのは不可能だろう。そう思った矢先、九十九が付け加える。



「こんな芸当ができる人間は一人しかいないーー怪盗リドル、やつだ」



 その忌々しい名前が飛び出た瞬間、世界が変わった。

 どんなからくりを使っているのか知る由もないが、あの怪盗なら不可能を成し遂げても違和感はない。

 なんであれだけ警戒していたのに、あの存在を、アイツの危険性を失念していた自分がすごく情けない。まして俺は『群青のティアラ』が奪われた会場で、凛そっくりの人物を見かけている。


 あぁ、俺なら看破できたはずなのに。なおのこと自分の愚かさが悔やまれる。



「……なぁ、この辺に短刀、落ちてなかったか?」



 突然、短刀なんて言われても困るだろうに、半ばパニックになった俺は曖昧な説明しかできず、狼狽える彼らを当てもないまま探させてしまった。けど茂みにも水中にもそれらしいものは見つからなかった。

 ないというのはつまりリドルの懐に入ってしまった。あの怪盗が何枚も上手だった。九十九との勝負も、俺との因縁も、あの怪盗が悠然と掻っ攫っていったのだ。言葉にならない悔しさとはこういうものなのか。



「で、あなた方はこれをどう収集つけるつもりで?」



 捜索終えてひと段落……なんてさせないとでも言うように凛が切り込む。

 サボれてラッキー、とか思ってなく安心した。案外なんでも許しそうな彼女も犯罪行為には厳しいようだ。



「つまり自首しろ、と?」


「自首も何も、どうしてこんな真似をしたのか聞いてない。大ごとにするにしても口裏を合わせるにしても、いろいろと面倒なんだ。協力してもらいたいならまず、目に見える形で譲歩してもらわないと」


「一条先輩から訊いてないのか?」


「九十九先輩を止めてから説明するって言われたから」



 そうか。取引の時にいなかったから凛は知らないのか。

 けど知ったところで現状を教えられるわけがないのだから、ここで知る必要はない。むしろ知らない方がいい。気まずい空気が流れるのは目に見えていた。


 と、重苦しい空気に先んじて、ポケットがぶるぶると揺れる。手にしたスマホに表示される悍ましい数のメッセージ。後回しにしていたツケが一気に押し寄せてきた。



「……誰かに連絡した? もう結構大ごとになってる、かも」



 ポカンとする凛。聞けばスマホはバッテリー切れで、裏でどれだけの人に心配させたのか知らないのも無理はない。まずは志歩に連絡した方が……や、これ以上大ごとにしたくはないから金美社長諸々の大人連中が先か。黒金さんにも報告しなければならないけど、託してくれたレガリアが怪盗に奪われてしまったなんてどんな顔をすればいいのだろう。


 ひとまず俺のスマホを貸してクラスのみんなに凛の声を聞かせ、電話をしている間に今回の首謀者らを睨みつけながらこう言った。



「今日はもう帰ります。けど、凛への謝罪はもちろん、この落とし前はいずれキッチリつけさせてもらいますから」



 睥睨すると二人はばつが悪そうに俯く。隣のスマホからパニックになった志歩の声で落ち着かず、たじろぐ凛の手を引いてこの場から離れた。



    ◇



 志歩やクラスメイト、それから鞠沙に金美社長、と、スマホをバトンのように受け継ぎながら迷惑をかけた人らに連絡。

「無事で安心した」「大ごとにならなくてよかった」

 そんな言葉をかけられれば反射的にひたすら陳謝。凛が赤べこのように頭を下げていたのは珍しい光景だった。


「雅くんがいなくてもこっちは問題ない」「明日きてくれればいい」と現場の親方から言われたものの、こちらとしては謝らないわけにもいかないので、遅くなってでも後で向かうつもり。


 志歩は「今日はもうゆっくりしてて」とは言うが、やっぱり凛の顔を見せないわけにもいかない。これから向かうと告げると「待ってるね」と期待を孕んだ声で返される。


 そうと決まればさっさと月賀野寺から離れよう。けど肝心の足がない。当然のことながら俺をここまで送ってくれた黒金さんにも報告しようとしたものの通話ができず、学園まで戻る手段を失ってしまった。この後、黒金さんから「よかった」と短いメッセージが送られてきただけ。本当は短剣のことも直接謝りたかったのだけど、それはしばらく叶うことはなかった。


 ここから学園まで歩いて帰るなんて俺でも面倒だと思う。しょうがない、と渋々アプリでタクシーを呼んで待つことになった。その間に俺が知っている全てを話す。はぁ、と素っ気ない相槌を打つ彼女だが、やはり「八月朔日桂馬」の名前が出ると声が低くなる。



「ーーなぁるほど、ね。会長を探すために爆破騒ぎに誘拐なんて、あの人もなかなか度胸があるね」


「感心するな。というかお前は被害届けとか出さなくていいのか」


「ヤダ、めんどくさいもん」



 まったく、どれだけ心配したと思ってるのか、このバカタレ。朝から学園中を駆け回って、理不尽な要求を突きつけられてパニックになって……兎に角、大変な思いをしたのにコイツときたらいつもどおり。なんか自分がアホらしくなる。



「な、これであってるよな?」


「ん、間違ってないと思う。けど……」


「けど?」


「今回爆破事故で観測気球をあげてまで、わたしを誘拐して会長の行方を探ろうとした。そこまで面倒なことをして他人の気遣うなんて、わたしにはできない。一体九十九先輩にはどんなエネルギーがあるんだろうなって不思議に思った。それに付き合う一条先輩もだけど」



 なんだか思っている以上に小難しいことを考えていた。でもその答えはすごく単純だ。

 まだお子様のコイツには理解できないのも無理はない。



「そりゃお前、簡単な話だ。九十九は八月朔日会長に特別な感情を抱いているのさ。一条はよくわかんないけど会長と仲が良かったんじゃないか?」


「……トクベツな感情? ナニソレ? ライバル的な?」



 ははっ、ほぉらやっぱり。天塚凛の頭の中には「恋愛」なんて高尚なロマンは搭載されていないのだ。

 こんなお子様に恋する人間は相当苦労するに決まってる。ほんと、嫌になるくらい。



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