第五四話 未来を変える英雄
どこからか『赤とんぼ』が聞こえてきた。ふと見上げれば空は暗がりが宿った灰色一色で、アイツを見つけるのにもう半日消費していることに気がついた。
アイツはどれだけ心配をかけさせるのか、と愚痴を言っても今回ばかりは誘拐する方が悪いに決まっている。俺に文句があるなら関係ない第三者を巻き込む必要はないだろうに。
結果的にクラスのみんなを巻き込み、ステージの段取りに負担をかけ、赤の他人のために蒐集家が宝物を差し出した。俺はこれからどんな顔をしていけばいいんだ。
まして相手の要求はこちらが預かり知らない領分。『蒼月の至宝』なんて知らない。聞いたこともない。人質を取られているのに無意味な嘘をつくわけがない、のに、あの九十九は一向に信用してくれない。果たして同じ言語を介している人間なのかと疑問に思うくらい。
「約束のものは……ないみたいね。こちらとしては情報もありがたいが」
引き渡し場所は奇しくも至宝を求めてやってきた月賀野寺。その本堂から北に二キロ進んだ先の滝の麓に一時間後に来いと連絡があった。たまたま月賀野寺にいたからいいものを、これが学園祭のメインステージがあるスタジアムにいたらギリギリの時間になっていた。混雑を加味すれば間に合わない可能性だって十分にありえた。それなのにお構いなしに要求を突きつけてくる辺り、拙さや身勝手を感じざるえない。
電話をもらって黒金さんから『天使の短剣』を譲り受けてからしばらく、ダメ元でがむしゃらになって寺の敷地内を探し回ってみた。でもやっぱり何も見つからなかった。
「その前に凛の安全を確認させろ」
約束の時間、言われた場所に向かうとそこには忌々しいあの九十九千早と、執事用の白シャツ一枚を羽織った凛の姿があった。
なんて弱々しい姿なのだろう。いつもはふてぶてしいあの凛が元気を切らして項垂れている。見る限り暴行はされてなさそうだが、逃走防止のためか両手は縛られている。
彼女の容態が心配だった。真っ先に彼女に駆け寄って声をかけたかったけど、取引で弱みを見せるほど愚かではない。カメラの前と同じように感情を噛み殺して取引を進める。
「……凛?」
「…………」
「迎えに行った頃からずっとこんな感じ。彼女には気の毒だけど、こうなったのは全てきみのせいだから」
様子がおかしい。声をかけても何も反応を示さない。終始俯き無言を貫く。俺が知る「天塚凛」の反応ではない。
一抹の不安が頭によぎるが、今はそんなことを考えている場合ではない。兎に角、アイツが戻ってくることが最善だろう。
「……確認したい。今回の取引に『リドル』は関与してるか?」
唐突に『怪盗リドル』の名を挙げたのも理由がある。石川警部の言葉だ。忌々しさでは九十九に劣らないあの怪盗もまた『蒼月の至宝』を狙っている。
二人が同一人物……なんてことは恐らくありえない。
怪盗リドルの犯行をこの目で見たものとして、確かにあれは大胆で派手だったけど、予告状が送られてきて警戒している場から鮮やかに盗み出した手腕から雑には感じない。一方で今回は取引なんて周りくどいというか計画性を欠いているというか、リドルの犯行とは真逆の印象を受けた。
なら次に考えられるのは共犯者という線。こうは考えられないだろうか。
リドルは『蒼月の至宝』を狙っている。しかし警察に情報が漏れてしまい、焦った怪盗は協力者を見つけた。金か、はたまたお宝かはわからないけど、九十九に報酬をちらつかせて操り人形にした。
『怪盗リドル』の名が出なければ自分の犯行とは思われない、などと考えているのかもしれない。でなければこんな馬鹿げた犯行はしない。
「へぇ、きみはどこでその名前を?」
「風の噂だよ。最近この街で奇妙な事件が立て続けに起こってるって。あんたはリドルの仲間なのか?」
「仲間……ねぇ」
仲間かと聞かれて素直に答える人はいない。リドルの名前が出た時の反応を窺いたかっただけだが、どうやら思っていた以上の収穫があった。
吐き捨てるような台詞を吐く九十九。俺は鞠沙や金美社長のような判別眼があるわけでもないから、どんな心境なのかは正確に読み取れない。でも少なからず因縁はありそうだ。
「そろそろ取引にしよう。答えるのはそれからでもいいだろう。さ」
空手の今の自分があまり引き伸ばせば神経を逆なでさせるだけ。そう覚悟した俺は一度大きく深呼吸した。
ポケットには黒金さんから託された『レガリア』もある。短剣自体は眼鏡ケースのような鉄のケースに収められていて、はたから見ると何が入っているかわからないようになっている。
当初の予定ではこれを『蒼月の至宝』の代替品にして取引するつもりだった。
しかし実際に取引に立ち会ってみると状況は悪くない。
凛は手を縛れているだけで走れそう。九十九は武器を手にしてない。なにより思考が顔に出やすいので言葉で感情を探れる。揺さぶりではないけれど長年培ってきた話術で説得ができるかもしれない。そんな希望を見出してしまった。
「『蒼月の至宝』なんて知らない」
九十九は口を真一文字にするも、こちらの案を提示した。
「俺にはちょっとした警察のコネもあるし『群青のティアラ』の持ち主である黒金氏とも面識がある。ほんの少し、裏から情報を流してやらないこともない。もちろん今回のことだってうやむやにするさ」
もちろんリドルがそんなはちみつくらい甘い提案に乗るわけがないし、俺も警察や黒金氏を敵に回す真似はしたくない。二重スパイ、とまではいわずとも諜報員のような役割を演じてリドルの正体に近づければ御の字だろう。
それに交渉相手はリドルではなく九十九だ。最悪、この提案はリドルに通さず二人だけの内密にしても構わない。有益な仕事をすることでリドルからの報酬が増えるとなれば、九十九もこの提案に乗ってくるはずだ。
「あんたが俺を信用できないのはわかる。から、ここに『天使の宝剣』を持ってきた。『蒼月の至宝』と同じ『レガリア』だ。これをあんたにやる。不思議な力が宿った『レガリア』には集めれば集めるほど発光して、次のレリックが探しやすくなるって聞いている。人手不足なら俺も一緒にーー」
だが現実はそううまくいかなかった。
フィクションではない、本当の交渉というものを知らない未熟者。そして、一番は俺も黒金さんも端から推理が間違っていた。これが致命的な敗因だろう。
「はぁ……、やっぱりきみも『リドル』と同じなのか」
九十九は苛立ちを隠さず、足元に敷き詰められた小石を思い切り蹴り飛ばした。
その瞬間に浅はかだった自分は失敗を悟った。凛の身が危ない、と、強引に数十メートル先にいる凛に駆け寄った。けれど九十九は凛の首根っこを掴み、後ろへ投げ飛ばす。そんな光景を見てしまった俺はもう足が動かなくなった。
「きみの質問に答えよう。怪盗リドルとは確かにコンタクトを取っているが共犯者ではない。というか……どっちが正しいかの勝負中? 先に至宝を見つけ、どちらが正しいか。それを証明するための取引だった」
それじゃあ、凛は二人のゲームのために誘拐されたってことか? ふざけるなっ、どれだけ周りに迷惑をかければいいんだ。実に身勝手だ。傲慢だ。
「くだらないことに人を巻き込むな。心に傷を負った凛はどうなるんだ」
「もういい。まったく、愚かな連中には『蒼月の至宝』もわからないのか。ガッカリしたよ。真の価値もわからない愚図ばかりだったとは。『短剣』? 『ティアラ』? リドルが狙ってる宝? はっ、そんなのどうでもいい。私が欲しているのは、この蒼月の未来を変える英雄ーー八月朔日桂馬だ!」
「……なっ」
八月朔日桂馬。学園の実質生徒会長にして大企業の『Hozumi』の御曹司。
非常に心優しくて穏やかで、あの捻くれた天塚凛をも受け入れる寛大な心。あの忘れもしない事件が起こるまでは俺が尊敬する数少ない人だった。
「彼は留学前日に行方不明になったそうだね? 留学先の大学にもいかず、出国した形跡もないから、出国前日まで過ごしていたこの蒼月で行方不明になったと考えられる。そして、その彼と最後に会った人物こそ、きみだ。そう聞いている。あの時日本にいなかった自分は今でも悔やむよ」
そうだ、どおりで端から話が合うわけない。だって俺と彼女の前提が揃っていなかったのだから。
九十九を纏っていた不気味なオーラが剥がれ落ちた気がした。今の九十九千早は意思疎通が朧げな変わり者ではなく、一人の人間の安否を案じる女性。と思うと一つ気が楽になった。
けれどーー
「さぁ、こうして親切に答え合わせをしてやったんだ。知らないとは言わせない。八月朔日桂馬の居場所を吐け」
言えない。凛との秘密もある。けどそれ以上に会長の身を案じる人に真実を打ち明けられるわけがない。まして誘拐騒動を引き起こしてでも情報を引き出そうとする手段を選ばない人間には絶対、口が裂けても言えない。
九十九の口から語られた推理と真実から瞬時に矛盾を見出す。
どんな手段を講じようと、会長が不在の今、彼が所持していたスマホのやり取りを覗くのは困難だ。会長が行方不明になったあの日に至る事情なんて、急遽決まったパーティーなんて当事者以外の誰かが知る由もない。それが会長のような秘密主義者であればなおさらである。
あの日のことを思い出す。
パーティー当日の昼、確かに俺は学園で会長と会った。でもそれは偶然だった。
あの時は「また後で」と軽く挨拶して自分の用事を済ませた。けどその後、凛から電話で呼び出されて急遽家に向かって、アイツの推理を聞いた。もちろん信じられなかった。
でもアイツは生徒会室に凶器と犯行の時の着用していた服が隠されているかもしれないと言い、俺はすぐさま名ばかり生徒会室へと向かった。そして戸棚ーー会長がいつも腰掛けている椅子のすぐ真後ろに、凛の推理どおり血痕がついた学園のジャージが隠されていたのだ。
あの昼間に会った時のことを九十九が誤解していても不思議ではない。
状況を飲み込めたところでこの場をどう収めるか。
幸か不幸か、この場には真実を知るもう一人がいるものの、九十九が凛の関与を知らない方がのちのカードとなる気がした。人質の彼女を頼るわけにはいかない。
今すぐ凛を解放してほしい。
しかし真実を話して、素直に従ってくれるとも思わない。どころか嘘をつくなと逆上しかねない。
「……知らない」
考えに考えた挙句、黙秘を選んだ。あんな残酷な真実を言えるわけがない。
何度も答えを突っぱねれば九十九も諦めてくれるかもしれない。これはリアルであってドラマじゃない。冷静沈着に何度も何度も宥めれば落ち着きを取り戻す、と、そう思っていた。
「シラを切るのは構わない。でも残念。彼女はもうーー」
その瞬間、九十九は感情を捨てた冷たい声で懐に手を伸ばす。
迂闊だった。九十九は武器を隠し持っている。そう思ったらもう後先考えず駆け出した。
急に走り出したので身体が悲鳴を上げた。胸が苦しい。足がつりそうになる。
もうあんな思いはしたくない。俺のせいでアイツが傷つくなんて真っ平ごめんだ。
もう無我夢中で、周りはよく見えていなかった。平静を欠いていたともいえる。
だからすぐ、異変に気づかなかった。気づけなかった。それは自分の拙さが招いた最低の現実だった。
唐突に九十九の身体が揺れ、力無く前のめりに倒れた。
思いがけない現実がやってきた。とめどなく流れる世界に理解が追いつくのが精一杯で、自然と足が止まる。
九十九はぴくりとも動かない。意識を失っている? や、でもどうして。
だ、だけどちょうどタイミング。この隙に凛を連れ出してーー
「ごめんね」
突然耳打ちされた。アイツの声で、アイツが言わないこと。
夢のようなセリフ、感動の再会、劇的な脱出から一転、脇腹への一撃と共に世界が落ちた。
これはひょっとすると天罰なのかもしれない。子供気分が抜けきらない、甘ったるい思考をした大うつけを叱責するような、偉い人からの罰だった。




