第五十話 FIAT
「ぐぅ、お腹空いたぁ」
どれだけ時間が経ったのか曖昧なのに、お腹は勝手に空くし部屋の中はいささか寒い。放置されていた毛布にくるまって寒さと飢えを必死に凌いだ。
今日は家を出たのがギリギリで朝食何も食べてこなかったんだよなぁ。元はといえば二日間の買いだめをぜーんぶアレが食べたせい。パンやスナック菓子も買い込んだはずなのに全て胃袋の中に入ってしまわれた。
あぁ、みんなでワイワイパーティーするのも楽しいけど、梓さんが働いているとこのビーフシチュー食べたい。
もしも今日無事に帰れたら、今日の夜はみんなであのレストランに行こう。それで……ありったけの美味しいものを詰め込んで満腹になるんだ!
と、そういえば葵お姉様たちはどうしたのだろう。確か今日こそ教室に行くと言ってたし……あぁ、最悪。せっかくの観光なのにこの件に巻き込んでしまったかも。この予想は当たってほしくない……けど、多分、葵お姉様のことだからすでに首を突っ込んでいるのだろう。
伊織、日奈子さん、肇くん、ごめんなさい。無事に帰れたら美味しいレストランでパーティーしよう。みんなでお腹いっぱい美味しいものを……ぐぅ、お腹が空いて力が出ない。未来に思いを馳せるほど悲しいことはない。
とりあえず目の前の現実と向き合って、二度寝を決め込もうとしよう。
心臓に毛が生えてると言われそうだけど、こんな度胸がないと人質なんてやってられないんだ。
「いたっ! わっ、へっ、なんだ?」
薄暗い部屋の中で毛布に包まって目を閉じると、唐突に背中に何がぶつかった。慌てて身を飛び起こしてみるとそこにはラップに包まれたまぁるいもの。日本人が愛してやまないおにぎりだ。それも二個。
いったいどこからやってきたのかと思い周囲に目をやると、よくよく観察してみれば引き戸の隅には猫が通れるようになった小さな扉が付いていた。恐る恐ると手を伸ばして扉を押すも外から重い鉄板が被せられていて、外の世界と遮断されていた。
けど、これで手がかりが一つ。この部屋の近くには誰か監視役がいる。その人に頼めばある程度融通が利くようだ。
この際、おにぎりに毒がどうとかどうでもよく、本能のままかぶりついた。あ、具はしゃけと梅干し。スタンダードって感じで文句はない。
「もっと食べたいなぁ。喉が渇いたぁ」
試しに本音をぶちまけてみる。人質の言うことを聞くほど優しい犯人ではないのはわかるけど、物は試しというやつだ。主張しているだけ主張しよう。
と、しばらくすると引き戸の外がガサゴソと。バタンと鉄板を持ち上げ、キャットドアからビニール袋が投げられた。中にはペットボトルのお茶二本、それから追加のおにぎり二個。
なんて優しい誘拐犯なのでしょう。至れり尽くせりの環境じゃないか。
「ありがとねー」
食べたばかりで寝転がるのは健康に悪い、なんてこんな状況で口うるさく言う人はいないはず。
とりあえず時が解決してくれるのを待つしかない、か。
◇
どんなものかもわからないのに探すなんてあまりに無謀なのだと思い知らされた。
だけど九十九の口ぶりでは俺が知っているような前提。だから自分が気づかないだけで手がかりを掴んでいる可能性がある。
思い出せ、こんな狂った日常の契機を。
最初にリドルと出会ったのはブルームーンホテル。そこでリドルは予告状を差し出し、群青のティアラを狙った。けどあの時はリドルに煽られ施しを与えられたとはいえ無事に奪還できた。
「そういえば社長はあのティアラの持ち主のことを――」
アンティークコレクター。そう言っていた。
もしかするとその人なら蒼月の至宝について知っているかもしれない。
「あ、雅くんかい? 鞠沙ちゃんから話は聞いた。ひとまずお友達を優先――」
「それよりも社長、じつはかくかくしかじか」
もちろん誰かに口外するつもりはなかったさ。だけど電話の話し相手は見えないものを見透かしてしまうあの金美社長。下手に隠すのは信用を失うだけの無意味な行為。だから嘘をつかずありのまま、他の人には絶対に言わないでくれという約束で打ち明けた。
「黒金さんか、それなら」
件のコレクターは黒金というらしい。こちらとしては心当たりがあるかどうか訊きたいだけだったのに、幸か不幸か、黒金氏もこの学園祭に来ているようだ。
「私から連絡しよう。だからまずはきみは冷静に、落ち着いて、無茶をしないように、きみ自身の心配を」
と、念を押されてしまった。とはいえど待ち時間はもったいない。灯台下暗しなんてたまったもんじゃない。とりあえず学園の人気の少ない倉庫を中心に当たってみた。
◇
「直接会いたい?」
「群青のティアラを守ってくれたきみに、一度でいいからお礼を言いたいんだとさ」
「そんな時間はないですよ」
「や、多分会った方がいいと思う」
その十分後、金美社長から連絡があった。時間を理由に断ろとしたのだが、黒金氏は車で移動しているそうだ。
社長がこちらが訳ありだと説明すると快く車に乗せてくれることになったそうだ。
一人より二人。足よりも車。タイムリミットとの勝負と考えれば社長の言うとおり。
そして学園前の正門で落ち合うことになった。
アンティークコレクター。その称号を俺は侮っていた。
どるんどるんと、昨今の環境保護に反するけたたましいエンジン。速さを追求するために最先端の技術を搭載したスポーツカーとは異なる男の浪漫。小型化、曲線美、くりっとした嘆美な目玉。世界をまたにかけて悪事を働くアニメ映画の某怪盗を連想する舶来の骨董品。通行人もまさかこんな轟音が丸みを帯びた可愛らしい車体から轟いているとは思うまい。
その左ハンドルの運転席から、皺も髭もないしょうゆ顔の若々しい男性が顔を覗かせていた。
「時間がないんだろう。詳しいことは車の中で」
◇
「いやぁ、本当はもう少しゆっくりとお話ししたかったのだけど、ミラー越しだと話しにくいな。申し訳ないね」
「とんでもない。それで、その」
「あぁ、金美さんから聞いてるよ。ただねぇ……」
小さな車体は蒼月を駆け抜ける。学園祭中のこの街では車を停められるところを探すのでさえ苦労する。それを黒金氏もわかっていたので、車を走らせながら会議を開いた。
ただどうしてか、少々言いづらそうにする黒金氏。しかしふぅと息をつくと口が動いた。
「あくまでもこれは小耳に挟んだ噂……というか都市伝説のようなものさ。この地に伝わる『天界とのつながり』」
「宝石や絵画の類ではないんですか?」
「あまり詳しいことは知らないんだ。ただ僕のような『群青のティアラ』のようなヴィンテージを好むコレクターの間では、蒼月にはこの世のものとは言い難いものが眠っている、と聞く」
「そ、それの在処は?」
「残念ながら。ただ、その取引相手はソレを持ってこいと言うんだね?」
「いえ、情報だけでもいいと」
「ふぅむ。妙だね」
「というと」
「自慢じゃないが、僕は世界中のコレクターでも指折りの情報通だと思ってる。そんな僕でも噂でしか聞いたことがない伝説の正体を取引相手は知り、尚且つ雅くんが鍵を握っていると誤解している。そして『蒼月の至宝』の正体を知っていながら、その在処をわかっていない。いろいろと無責任がすぎるなと思って」
「あれは絵に描いたような自己中な女ですよ。周りが見えていなくても不思議じゃない」
「ふむ。それに人質と交換なんだろう。情報だけ手に入れたところで彼女はどうするつもりなんだろう」
「他に仲間がいるんだと思います。その犯人は今回の誘拐だけじゃなく、きっと学園祭初日のバス停爆発事件とも関係しているんじゃないかと。あのメッセージ性のかけらもない事件は、今回の誘拐をどれだけスムーズに行えるかのデモンストレーションだったと俺は思います」




