第8章:パイロットスーツと、黒い仁獣
――時計の針は15時間前へと遡る。
Day2 午後22時00分。
小豆島の夜間停泊ポイントに指定された、波の穏やかな入江。
おれたち四国高専第一キャンパス(四一)のコンテナボートは、すべての照明を落とし、システムを完全な静音モードに切り替えたまま、ある一隻のボートと密かに横付けしていた。
四国高専第二キャンパス(四二)の指令コンテナ内。
防音ドアを二重にロックした狭いミーティングスペースに、四一からはおれと久谷カナタ、そしてリーダーの空前クウゴ先輩。対する四二からは、藤平カイト、久谷ノゾミ、広報の友井コウメが顔を突き合わせていた。
この場にいない宮城ホアは、土渕海峡で満身創痍となった黒麒麟の装甲換装という、絶望的な徹夜作業に当たっている。四二側のエンジニアである瀬屋トウマもまた、同じように大破した緑龍の修復に付きっきりだろう。
コンテナ内には、微かな機械油の匂いと、先ほどまで彼らが食べていたであろうスパイスカレーの暴力的な香りが混ざり合って漂っていた。無菌室のように整理されたおれたちのコンテナとは対極にある、いかにも人間の生活臭が染み付いた空間だった。
「手を組め、だと?」
カナタが冷笑を浮かべ、細い腕を組んで四二の面々を睨みつけた。その声には隠しきれない苛立ちと、昨年に自分たちを出し抜かれたことへの不信感がトゲのように張り付いていた。
「今日、土渕海峡で僕たちが閉じ込められている隙にノードを掻っ攫っていこうとしていた連中がどの口で言うんだ。大体、累計ポイントでトップを走る彼らにダブルスコアで負けている僕たち四一と、最下位の君たち四二が組むメリットなんて存在しない」
「メリットならあるさ」
カナタの冷たい視線を正面から受け止め、四二の頭脳であるカイトが、空間に三次元のホログラムマップを展開した。
映し出されたのは、Day3の舞台となる『しまなみ海道・安芸灘とびしま海道エリア』。「明日のDay3、現在、累計ポイントには大差がある」
カイトは淡々と、だが確信に満ちた声で語り始めた。彼は白紙のマップの上に、中国連合のスタート位置と、予想される軌跡を赤と白のラインで引いてみせた。
「やつらは東西の両端から猛スピードで未獲得ノードを拾い集め、おれたち四国勢を中央に追い詰めて外周を完全包囲するつもりだ。そうすれば、必然的におれたちは外側に陣地を広げる範囲を失い、体積を稼げなくなる」
「そんなことは分かっている」
カナタが即座に反論する。
「だから明日、僕が『ラプラス』のプログラムを書き換えて機動力を最大化し、包囲網が閉じる前に強行突破して外側のノードを奪う。黒麒麟のスピードなら可能だ」
「黒麒麟なら抜けられるだろう。でもそれだけじゃ勝てない。Day3のルールは『上書き(オーバーライト)』の解禁だ」
カイトはマップ上の、数少ないラージ・ノードの予想座標を赤く点滅させた。
「中国連合は、おれたちが逆転のためにラージ・ノードを上書きしに来るのを必ず待っている。ジュタロウの性格なら、自ら動いてノードを広げて勝つより力で潰す方を選ぶ。まともにやり合えば、おれたちの負けだ」
クウゴ先輩が、車椅子の上で静かに目を細めた。彼の冷静な戦術眼もまた、カイトの分析と全く同じ結論を導き出しているはずだ。
「……それで? お前たち四二に、この絶望的な盤面をひっくり返す策があるとでも言うのか?」
「ああ。これなら相手に気づかれずに爆発的にポイントを稼げる」
カイトが不敵に笑う。
おれは思わず、壁に寄りかかっていた背中を離した。この男、本気で中国連合の巨大な鳥籠をぶち破る気か。
「明日、お互いが獲得した、互いにとって最も条件のいいノードを交換する。それがおれたちの策だ」
「陣地を……交換するだと?」
おれは思わず聞き返した。共闘を持ちかけておきながら、陣地を交換とはどういうことだ。
「ルールには『他チームのノードを上書き(オーバーライト)できる』としか書かれていない。システム上はおれたちも敵同士だ」
カイトは空中に、明日四国勢が獲得するであろう陣地を示す、二つのいびつな立体図形を描き出した。
「なるべく中国連合に悟られないよう、序盤は油断させる。必要最小限の動きで、やつらに外周を取らせたように見せかける。もう取るべきノードは先に決めておく。互いに最優先でこれらのノードを取りに行く。他のスモール・ノードはくれてやれ。ラージ・ノードも見つけてもこの時点ではわざとスルーする」
立体図面がノードを結んで得点を算出する。だが、その数値はトップの中国連合に追いつけるものではない。塗りつぶされた空間が小さいのは誰の目にも明らかだった。
「でも、これじゃ全然勝てないぞ」
おれが率直に指摘すると、カイトは静かに首を振った。
「いや、ここからだ。相手に取らせるノードの近くにもうひとつノードを獲得しておくのがポイントだ。四二にとって、一番遠くにある四一の外周ノードをオーバーライトする。その逆を黒麒麟もやる。互いに意図的にオーバーライトさせる。四一の方はこことこことここ。四二の場合はこことこことここ。するとこうなる……」
カイトが指先でホログラムの点を弾き、緑と黒の陣地の頂点を意図的に入れ替えた。
その瞬間、二つの陣地はまるで知恵の輪が解けたように複雑に交差し合い、一気に外側へと広がりを見せた。互いの得点が跳ね上がり、中国連合のスコアを一気に抜き去った。
「……そういうことか」
クウゴ先輩が、感嘆の入り混じった息を漏らした。
おれも背筋に粟が立つ思いだった。内側のノードをいくら密集させて確保しても、多角形の体積は増えない。だが、互いの一番遠い頂点を交換し合えば、多角形の外枠そのものが劇的に拡大して逆転する。
「これだけ派手に動くには時間がかかる。レーダー上で僕たちが立ち止まって上書きを始めれば、すぐに大和と海燕が潰しに来るはずだ」
カナタの反論はもっともだった。ハッキングに要する時間は、高速で飛び交うこの競技において永遠とも言えるほどの隙を与えることになる。
「だから時間稼ぎするための囮を作る」
そこで、今までコンテナの隅で黙って話を聞いていた広報のコウメが、スッと手を挙げた。
「私がコウメチャンネルで偽の生配信を流します。過去のARデータと明日の地形データを合成して、全く別の場所にある中国のノードを攻めているように見せかけるんです。これまで中二の棚海リサはずっと私の配信を監視しています。それを逆に利用するんです」
「……本気で言っているのか?」
おれは目を丸くして彼女を見た。
「バレた瞬間に、君のチャンネルの信用は地に落ちるぞ。公式の大会で嘘を流せば、世界中から非難されて大炎上だ」
すると、コウメは両手でスカートの裾を白くなるほど強く握りしめ、少しだけ震えながらも、はっきりと頷いた。
「構いません。チャンネルのフォロワーなんて、また一から集め直せばいいだけです。私は、四二の広報ですから。チームが勝つためなら喜んで炎上してやります!」
沈黙が落ちた。
四二という、廃校寸前の寄せ集めチーム。だが、エンジニアも、ナビゲーターも、広報でさえも、全員が同じ方向を向き、覚悟ができている。
ミライは安芸灘と来島海峡を指差した。
「そして、二点同時にラージノードのオーバーライトを仕掛ける。ラージ・ノードの位置は予測してある。理想はこことここだが、仕掛けるポイントは状況を見ながら改めて指示する。これだけではやつらの動き方次第ではこれでもまだ逆転できない可能性もある」
「待て」
カナタが割って入る。
「ラージ・ノードの位置は公開されていないんだ。ここにあるって、なぜ断言できる?」
「おれの勘だ」
「運営の二日間の手の内を見てたら予想できるって、カイトの勘はすごいんやから」
ノゾミが間髪入れずに満面の笑みでフォローを入れる。
「ちょっと待て。こっちのラプラスにも予想させてみる」
カナタはコンソールを操って四一のコンテナ内のラプラスとリンクした。
「ラプラス、明日のラージ・ノードの予測位置は?」
『明日のラージ・ノードは、安芸灘、来島海峡、大崎下島、因島、……です。細かい座標も出しますか?』
ラプラスの予想は全部で10カ所。そのうち、6つがカイトの予測していたものとほぼ一致していた。
「どう?これで文句はないでしょ」
ノゾミがドヤ顔で言う。カナタはまだ引き下がらない。
「これは限られたノードがあってこそ達成できるけど、先に奴らにお目当てのノードを取られたり、序盤から奴らにオーバーライトされたらこの作戦は成り立たない」
「そうだな、そんな展開になったらおれらの負けだ。先に取られたらそのノードはオーバーライトはせずに諦めて近くのノードを代替する。そこも無ければ代替の代替を当てる。だから序盤からこちらからもオーバーライトを仕掛けない」
カイトは話を続ける。
「やつらも序盤からオーバーライトを仕掛けてくることはない。なるべくやつらとは距離を取って油断させる。オーバーライトし合うと無駄なエネルギーの消耗戦になる。混戦になればこちらも予測を立てるのが難しくなる。それよりもリスクを少なく確実に勝ちたいなら、まずはやつらも未獲得のラージノードを優先して探しに走る。これも勘だがな」
「……勘って……そんな不確定要素ばかりの作戦に、僕たちの命運を乗せろと言うのか?」
カナタが顔を歪める。
「それにもうひとつ。お前らが最後に裏切らないという保証はない。これだと君たち四二が単独トップに立てる計算になる」
カナタはそう言って、立体図面からノードを指し緑色に変える。それで領域が塗り替わり緑息の領域が黒色の得点を超えた。
ノゾミはカナタの手を掴み、真っ直ぐに振り向かせた。そしてカナタの頬を両手で挟んでその目を覗き込んで、
「大丈夫。私は絶対に裏切らない。姉ちゃんを信じろ」
「とにかく今はともに組んだ方がいい。中国勢を逆転するにはこれが一番確率の高い方法なんだ。もちろんそこから先は敵同士で構わない」
おれは小さく笑い声を漏らして立ち上がった。
「面白いじゃないか。おれたちも今の状況からそんなに贅沢を言える立場じゃない」
おれはカイトに向けてまっすぐに手を差し出した。
するとカイトの横にいたノゾミがニカッと笑って、その手を横からガシッと遠慮なく握ってきた。
「中国州に勝ったら四国代表の切符をあげる。私たちはもう一枚の中国代表の枠を実力でもらうんやから」
カイトが呆れたようにため息をつき、おれたちの手の上に自分の手を重ねた。クウゴ先輩もまた静かに頷いている。
「じゃあ、決まりだな」
協定が成立し、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。おれはカイトに向き直る。
「この際、勝つためにはとことん協力しよう。こっちのできるものは全て提供する。困ったことがあれば何でも言ってくれ」
コンテナの外からホアと四二のトウマがなだれ込んできた。恐らくは立ち聞きしていたのだろう。
「もしメビウス合金の端材が余っていたら分けてくれませんか。今日の一件で、緑龍の高剛性フレーム(T-Frame)の関節部に致命的なクラックが入ってるんです。明日の大和の質量に耐えるには、どうしても補強が必要で……」
「……他社のプラチナスポンサーの機体に、クロサワの最高級合金を継ぎ接ぎするなんて、バレたら黒澤茜CEOに殺されるな」
ホアは呆れたように息を吐いたが、すぐに職人の目を光らせてトウマに詰め寄った。
「じゃあそっちも、カワシマの空隙制御プラスチックの予備を出しなさい。黒麒麟のホバー吸気口のシーリングが土渕海峡の波と泥でボロボロなの。あの特殊樹脂の空隙を膨張させて、パッキン代わりに流し込むわ。ついでに剥がれた装甲の穴埋めにも使うから、ありったけよこして」
おれたちの目の前で、互いの企業の看板すら無視した、現場のエンジニア同士による機体補修資材の密輸取引が始まった。
おれは見なかった聞かなかったことにしようとコンテナの外に出た。
すでに甲板には先に先客がいて、
「……ぼくはまだ納得したわけじゃない。チームの決定にしたがったまでだ」
そんな二人の会話が耳に入ってきた。盗み聞きするつもりはないのだが、
「でも今は正直に言うと余裕が無い。ラプラスと、オーバーホールした黒麒麟のリンクの再調整に手こずっている。このままじゃ明日の開始時間までに間に合わない、力を貸してくれないか?」
「お互い一時休戦ってことで。それなら『弐王』のインターフェイスを使えばええ」
「いいのか?」
カナタが驚いたように顔を上げる。
「ええに決まっとるやない。元々は零を改良したもんやし、零はあんたが作ったもんやろ。ラプラスと相性が合うのか知らんけど…。その代わり私もラプラスを使わせてんよ。メビウス合金の情報はそっちのデータベースから引っ張った方が早そうなけん……」
これ以上聞くのは野暮ってもんだ。おれは自分たちの基地ドッグの中に戻ってホアの作業を手伝った。
――そして、現在。Day3、午後13時11分。
操縦桿を握る掌が、じっとりと汗ばんでいるのを感じていた。
純白の専用パイロットスーツは、常に体温と湿度を最適に保つよう設計されている。機内環境もまた、コンテナの空調によって完璧なコンディションに整えられているはずだった。だが、今の背筋を粟立たせるようなこの熱と悪寒は、システムではどうにもならない。
おれたち黒麒麟は、元来島海峡大橋の真下にあったラージ・ノードに侵入し180秒間その場にいてオーバーライトを完了させた。
深夜の突貫作業でホアが仕上げてくれた機体は、剥がれ落ちた漆黒のメビウス合金の隙間には、四二から融通してもらったカワシマの特殊樹脂がパテのように詰め込まれ、マットな質感を覗かせている。その空隙を活かした応急処置のおかげで、完全に死にかけていたホバー吸気口の気密性が保たれ、機体は再び海面を滑る揚力を取り戻していた。
深夜の突貫作業で装甲を張り替えてくれたとはいえ、機体のダメージは深刻だった。バッテリーの残量は先ほどのラージ・ノードのオーバーライトで激減し、機体のホバー出力は本来の60%にも満たない。カナタとノゾミが徹夜で組み直した『ラプラス・零』も急ごしらえで作られぶっつけ本番で不安は残る。
そして今、頭上には海燕の放った極小ドローン群が『フェザーミスト(人工水霧)』を撒き散らし、おれたちの視界とレーダーを奪おうとしている。
さらに最悪なことに、正面からは大和の船舶級ハイドロジェットが生み出した『アイアン・ウェイク』の大津波が、海峡の波をすべて飲み込みながら、真っ白な牙を剥き出しにして迫ってきていた。
絶体絶命のピンチにラプラス・零が導き出した答えは……これはサーフィンなのか?もう迷っている暇はない。ラプラス・零を信じて、おれは波のど真ん中へ飛び込んだ。
サーフィンなんてやったことがないが、波の底で機体を鋭く傾けると、黒麒麟が反り立つ波の斜面を横に滑っていく。凄まじい水圧と遠心力が、シート越しにおれの全身を激しく圧迫した。
ここから、どうすんだ? これ。
波の頂上が、今まさに崩れ落ちようと真っ白な牙を剥いている。あそこに飲み込まれれば、機体は海の底へと叩きつけられてスクラップだ。
弾き出されたその細い糸を、あとは自分の腕でカバーして突き抜けるしかない。
「合わせろカナタ……飛ぶぞ!」
波が崩れる最頂部。その強烈な上向きのエネルギーに機体を完全に預けた瞬間、おれは操縦桿を思い切り手前に引き上げ、多軸ベクタースラスターの推力を上空へと全解放した。
ズザザザァァァッ!!
大津波の頂点を巨大なジャンプ台にして、黒麒麟が重力を振り切り、空高く飛び出した。
真昼の太陽を背負い、漆黒の流星が弧を描いて宙を舞う。重力、風速、そして大津波のエネルギーを完全に支配した。水飛沫がスローモーションのように弾け、機体が光を反射して眩しく輝く中、おれはゆっくりと息を吐き出した。
「抜けた……!」
カナタの歓喜の声がインカムに響く。黒麒麟は大和の大波を無事に回避した。ドローンの撒き散らした人工霧の上空へと抜け出し、一気に視界が開ける。
おれは空中で機体を安定させながら、太陽の光を背負うようにして、元来島海峡大橋の橋桁の残骸を見上げた。その視界に目に入ったのは、四二の探査ローバー『緑龍』の姿だった。
その骸骨のような黒い骨格は、深夜の突貫作業によって用意周到に持ち込まれていた真新しいマットホワイトな空隙制御プラスチックの装甲へと換装されていた。 その真っ白な装甲の隙間から覗く黒い骨格(T-Frame)の関節部には、おれたちが昨夜渡したクロサワのメビウス合金が幾重にも分厚く溶接され、鈍い鋼の光を放っている。
その真っ白な獣が、高さ20mの橋桁の残骸を駆けて、弾丸のような速度でこちらに落下してきた。
緑龍の巨体が、おれたちの頭上を超え、大和が放った大津波のど真ん中へと激突した。
ズドォォォォォォォン!!!
爆弾が炸裂したかのような、規格外の巨大な水柱が来島海峡に立ち上る。重量160kgの機体が、はるか上空から落下してきた莫大な運動エネルギー。その物理的な着水衝撃が、大和の引き波の進行方向と真正面から衝突し、大波を切り裂いた。
さらに、水面が爆発したことによって生じたすさまじい突風が、おれたち黒麒麟にまとわりついていた『海鳥』数十機を、木の葉のように空の彼方へと吹き飛ばしていく。
「遅くなってごめん」
着水の水飛沫の中から、息を切らせたノゾミの明るい声が割り込む。
「おまえら、安芸灘のラージ・ノードは?」
緑龍は先ほどおれたちの一番外側のノードをオーバーライトし、四国連合の得点を爆上がりさせるというミッションを完遂して、そのまま安芸灘のラージ・ノードに向かったはずだった。帰ってくるには早過ぎる。
「180秒も待ってられなかった。オーバーライトの途中で諦めた。おかげでギリ間に合った。またラージ・ノードはオーバーライトしにいったらええけど、あんたらがここで潰されたらまた逆転されて何もかもが無駄になる」
ノゾミが笑い飛ばす。
そうだ。いくら陣地を広げようと、この来島海峡のラージ・ノードを守り切らなければおれたちが作った陣地の形は崩壊してしまう。
白い装甲を纏った緑龍が、自らの身を低く沈め、両足のチタン製パイル・アンカーを来島海峡の浅瀬の岩盤に深く打ち込んだ。
『――おおっとぉっ!! ここで来たぁぁ! 四二の緑龍、空中からの強襲!!』
コンテナ内に響き渡る、大会実況AIアンナの声。いつもは中立で無機質なアナウンスを繰り返すだけの彼女の口調が興奮を帯びていた。
『昨日死んだはずの龍が、大和の波を粉砕し、黒麒麟の盾となったぁ! 完全に2対2、中国連合 VS 四国連合。人工プールでは絶対に見られない、これぞ野生と技術の激突! 世界中の皆さん、ここからが本当の祭りの始まりだぁぁっ!』
画面の向こうで、数百万の視聴者の熱が、爆発するように弾け飛んだのが気配でわかった。誰もが四国勢の勢いに狂喜乱舞している。
「さあ、ここからが本当の勝負だ」
おれは操縦桿を握り直した。
海燕が再びドローン群を転回してフェザーミストを展開し始めている。再び統制の取れた群れとなって、極小ドローンたちがおれたち四国の二機へと襲いかかろうとしていた。
おれは、岩盤に機体を固定して低く身構えている緑龍の背中を見つめた。
「緑龍の背中、借りるぞ!」
「おう! 」
黒麒麟は、残されたわずかなバッテリーを振り絞り、緑龍の背中を踏み台にするようにして、再び空中へと大きく跳躍した。
「クウゴ先輩、カナタ! 黒麒麟の全スラスターの安全装置を解除! 推進力じゃなく、一瞬の爆発にすべてのエネルギーを回してくれ!」
「無茶を言う……だが、了解した!」
「ラプラスの安全マージン、カットします! ミライ先輩、タイミングは任せます!」
おれは、空中で黒麒麟の機体各所に内蔵された微小な多軸ベクタースラスターを、海燕のドローン群に向けて全開にした。
「これまでのさんざんやってくれた分、利子をつけて返してやる!」
バシュゥゥゥゥンッ!!!
それは推進力を得るための噴射ではない。空中で超高圧の圧縮空気を爆発させる暴風の爆弾だった。
海燕の周囲で防壁を作っていたシーガルの群れが、突如発生した強烈な乱気流に巻き込まれてコントロールを失う。極小ドローンたちはAIの統制を失い、海燕自身が猛スピードで滑走して作り出していた後流に吸い込まれるように、逆流を始めた。
『なっ……!?』
オープン回線から、リサの焦燥に満ちた声が漏れる。
コントロールを失った自らのドローン群が、散弾銃の弾のように、海燕の広げた純白のスマート・セイルへと次々と激突していった。ドローン群の位置、海燕との位置関係、気流の強さや角度、これもラプラス・零の計算によるものだった。
バキィンッ! ズザザザザッ!!
鼓膜を劈くような破壊音。極薄の人工筋肉素材で構成された美しい電子帆が、高速回転するドローンのダクテッドファンに巻き込まれ、無惨に引き裂かれていく。ブチブチと制御用の光ファイバーがちぎれ飛び、風を孕んで美しく湾曲していた帆は、見るも無惨なボロボロになって海風にあおられた。
メイン推進力を完全に失った海燕の船体が、ガクンと前のめりにつんのめり、海面に激しい水飛沫を上げて急減速する。
ザッバァァァン!!!
暴風を放ち終えたおれの黒麒麟もまた、すべてのエネルギーを使い果たし、海燕のすぐ横の海面へ不格好に着水して飛沫を浴びせた。もはや黒麒麟は、潮の惰性でしか動けない。
『私の足を止めたところで、もう遅いわ! ジュタロウ、私ごとこいつらを蹴散らしてちょうだい!』
『任せとけやぁぁっ!』
視線を向けると、元来島海峡大橋の橋脚下から、大和が怒り狂ったような重低音を響かせて突進してくるところだった。
その暴力の真正面に、真新しい純白の装甲を纏った緑龍が立ち塞がった。
『どけぇっ、トカゲ野郎! 邪魔だ、退きやがれ!』
頭に血が上ったジュタロウの怒声が響く。
大和の艦首を思わせる前面重装甲が、緑龍の無塗装のプラスチック装甲にガリガリと直接削り込み、火花が滝のように散っている。トウマが組み上げたフレームが限界の悲鳴を上げている。大和の圧倒的な突進をノゾミは自らの機体の骨格をクッションにして、力ずくで真正面から受け止めていた。
『無駄よ! ジュタロウ、そのまま押し潰しなさい!』
「逃げろ、ノゾミ!」
おれは思わず叫んだ。大和の圧倒的な推進力に対し、軽量級の緑龍が正面から耐えられるわけがない。緑龍の装甲がミシミシと嫌な音を立てて大きく歪み、大和の重装甲がいよいよ緑龍の首元を完全にへし折ろうとした、その瞬間だった。
『舐めんなぁぁぁぁっ!!!』
ノゾミの野性的な咆哮が、オープン回線を通じて海域全体に轟いた。
緑龍の体が、装甲の隙間から強烈なライムグリーンに発光する。
四足のチタン爪が岩盤に深く食い込む。
いくら大和の八足が前進しようとしても、それ以上は一歩も前に進まなかった。
「そんなバカな……機体のスペックを遥かに超えている……」
コンテナ内でカナタが絶句する声が聞こえた。
だが、おれには分かった。あれは単なるパワーのぶつかり合いじゃない。
緑龍は、自らを極限まで低く沈み込ませ、大和の突進エネルギーの芯を下から捉えていた。正面から反発するのではなく、相手の巨大な推進力を利用し、自らの体を支点にしてベクトルを上へとずらした。力任せではない相手の圧倒的な力を完璧なタイミングで流転させる合気道のような受け流し。あの日、おれがストリートでジュタロウの拳を受け流し、関節を極めて地面に組み伏せたのと同じように。
大和の懐に潜り込んだ緑龍が、長大な尾を岩盤に叩きつけて咆哮する。
ズゥゥゥゥンッ!!!
920kgの巨体が、自らの突進の勢いと緑龍の跳ね上げによってバランスを完全に崩し、海面からフワリと浮き上がった。
そしてそのまま、見事な放物線を描いて、背中から海面へと投げ飛ばした。
ザッバァァァァァンッ!!!
天地がひっくり返ったような巨大な水飛沫が来島海峡に上がり、重装甲の鉄鬼が無惨に腹を上にして波間に沈んでいく。その余波に揺れる黒麒麟の操縦席で、その信じられない光景を見つめていた。
おれは固く握りしめていた操縦桿から静かに手を離した。
「……あとは任せたぞ」
夕日に照らされた瀬戸内の海で、真っ白な龍が最後の大仕事へ向けて再び深海へとその身を翻した。
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おれの名前は、都扇ミライ。
四国高専第一キャンパスに通う高専3年生だ。
世間の連中はおれの姿を見て、勝手にこう評価する。
『生まれながらの天才』
『文武両道で容姿端麗、なんでもそつなくこなすエリート』
――ふざけるな。
おれは天才なんかじゃない。最初から持っていたものなんて何一つなかった。むしろ、他のやつらより圧倒的に持っているものが羨ましかった。
おれの小学生時代は、どんよりとした曇り空のようだった。
両親はごく平凡なサラリーマン家庭で、裕福でもなければ特別なコネもない。おまけに親の都合で転勤ばかりを繰り返していたため、おれはいつだってクラスの他所者だった。
運動神経が良かったわけでも、勉強ができたわけでもない。自己主張も苦手でいつも教室の隅で息を潜めているような子供だった。
そんな目立たない他所者は、当然のようにいじめの標的になった。多勢に無勢。何人に囲まれて笑われようと、おれは言い返すことすらできず、ただ靴のつま先を見つめて嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。
見かねた親の勧めで格闘技の道場に通い始めたが、天性のセンスなんてあるはずもなく、体格のいい同年代の連中に道場のマットに何度も叩きつけられた。ぱっとしない、ただの弱虫。それがおれだった。
転機はある転校先の小学校で訪れた。
クラスにいつも輪の中心にいる太陽のように明るい女の子がいた。彼女はいじめられて机に突っ伏していたおれにも、分け隔てなく声をかけてくれた。
「大丈夫? プリント、ここに置いておくね」
その何気ない笑顔におれは救われた。この世界におれの存在を認めてくれる人がいる。それだけで今日も生きていけた。
だが、その日の放課後。おれは廊下の曲がり角で、彼女が友達と話しているのを偶然聞いてしまったのだ。
『あの子、誰にプリント渡してたの?』
『えっとね、誰だっけ? あの、いつも隅っこにいる転校生の子。名前、わかんないや。あははっ』
彼女には、悪気なんて一切なかった。
ただ誰にでも優しいだけ。彼女の瞳の中には、おれの名前も知らない存在だった。最初からまともに認識すらされてなどいなかったのだ。
殴られるよりもずっと痛かった。自分の存在がこの世界にとってただの背景でしかないという事実。
今日ここから消えていなくなっても、誰の記憶にも残らない。誰も悲しまない。誰も、おれの名前を呼んでくれない。
その圧倒的な透明な恐怖が、おれの胸の奥底に真っ黒な杭として打ち込まれた。
中学生に上がる春におれは決意した。
このままじゃダメだ。このままじゃ、おれは一生誰の記憶にも残らないまま死んでいく。努力した。それこそ、文字通り死ぬほど努力した。
勉強ができないなら、誰よりも机に向かって睡眠時間を削って暗記した。格闘技で力に勝てないなら、人体の構造、関節の仕組み、流体力学や物理学を徹底的に頭に叩き込み、相手の力を受け流す技術を反復練習した。
ただの一度も自分の顔がいいなんて思ったことがないのに、誰もが振り返るような人間になるために、鏡の前で何百回も笑顔の練習をし、声のトーンを調整し、姿勢を矯正し、好かれるための心理学まで学んだ。
モデル事務所にスカウトされたのも、四一のパイロットに選ばれたのも、持って生まれた才能なんかじゃない。すべては、おれが血反吐を吐きながら後天的に一枚ずつ貼り付けていった鱗の鎧だった。勝手に他人が作り出した幻像の上に立っているに過ぎない。
おれは、本当は怖い。嫌われるのが怖い。名前を覚えられていないことが怖い。誰かの記憶から忘れ去られるのがたまらなく怖い。
だからおれはフラグシップ機の黒麒麟に乗り、世界中継のカメラの前で目立って、華麗に宙を舞わなければならないのだ。たとえ幻像でもいい。都扇ミライがここに存在するということを証明するために。ただそれだけのために……。
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