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第7章:コントローラーと、青燕の女王

 指令コンテナの薄暗い空間に浮かび上がる、青白いホログラムモニター。私は手首のスナップだけでプラチナブロンドの長い髪をまとめ、後頭部でキツく結び上げた。

 純白の専用パイロットスーツのジッパーを首元まで引き上げると、肌に吸い付くようなスマートスキンが、私の心拍、体温、そして脳波の微細な変動をミリ秒単位でモニタリングし始める。コンソールに接続された多機能コントローラーのグリップが、私の指先の微体温を感知して、じわりと青い光のラインを走らせた。

 ……本当に、鬱陶しい世界。

 私は小さく毒を吐き、発光パネルに反射する自分の顔を冷ややかに見つめた。

 イギリス人の祖母から受け継いだ、日本人離れした色素の薄い髪と、ガラス玉のように透き通った淡い瞳。幼い頃から、周囲の大人たちは私を見るたびに「お人形さんのように可愛い」と持て囃し、無邪気に頭を撫でてきた。

 ここ中国州の、重化学工業と造船のDNAを色濃く受け継ぐ男社会においても、それは何一つ変わらない。男たちは力と油の匂い、あるいは分厚い鉄の質量だけを尊び、女には愛嬌とマスコットとしての役割だけを求める。だから私は、それを徹底的に利用してやることにしたの。ニコニコと愛想良く笑い、少し首を傾げて頼る素振りを見せれば、大抵の男は馬鹿みたいに鼻の下を伸ばして私の思い通りに動いてくれる。単純で、単細胞で、反吐が出るほど扱いやすい。

 現在の時刻は、午前9時45分。

 世界ロボットコンテスト『Setouchi 72H』の最終日、Day3の開幕まで、残り15分を切っていた。

 壁一面のメインモニターには、最終日の舞台となる『しまなみ海道・安芸灘とびしま海道エリア』の広大な三次元海図がリアルタイムで投影されている。東西に約45km、南北に約25km。総面積1100㎢という、この三日間で最大のフィールドとなる。事前に情報公開されたスモール・ノードの数は300個。

 初日や二日目に獲得した得点の総計は引き継がれるが、新たなフィールドとなる海図の上には、大三島、大崎上島、向島、因島、大島といった大小無数の島々がパズルのようにひしめき合っている。島と島の間には、瀬戸内特有の猛烈な潮の流れを複雑に遮る幾つもの狭い海峡が牙のように形成されていた。

 私が網膜レンズの視界をほんの少しフリックするだけで、秒速3メートルを超える激流の潮流ベクトルが、不気味な青い矢印となって空間を埋め尽くした。まさに、自然の暴力的なトラップが幾重にも仕掛けられた海の巨大な迷路だ。

 そして何より、今日から大会のルールが根底から覆る。

 ――『上書き(オーバーライト)』の解禁。

 敵チームがすでに獲得し、自陣の色に染めているノードに自機を侵入させ、強制同期を行うことで、相手の陣地を自分たちの色に塗り替え、多角形の面積を根こそぎひっくり返すことができるという、極めて戦闘的で直接的なルールだ。

 ただし、一度誰かの色に染まったノードを奪い返すオーバーライトを実行するためには、リスクを背負わなければならない。

 リスクは二つ。同期時間の制約と莫大なエネルギー消費。

 上書きハッキングを行うローバーは、通常のスモール・ノードなら60秒、そしてフィールドのどこかに非公開で隠されている超高得点のラージ・ノードともなれば、実に180秒もの間、その座標から一歩も動くことができず、完全な無防備状態となる。一度でも他チームの妨害を受けてハッキング範囲から物理的に押し出されれば、同期はゼロからやり直しになる。故意の機体接触は本来禁止だが、この上書きを阻止する、あるいは強行するという名目においてのみ、ノード周辺での接触が認められている。

 さらに恐ろしいのは、システムを強制的に書き換えるための電力消費だ。一回の上書きにつき、メインバッテリーから私の海燕だと総容量の10%近いエネルギーを一気に消費する。ラージ・ノードの上書きともなれば、その3倍の電力が必要だ。やみくもに乱発すれば、たちまち機体はエネルギー枯渇を引き起こし、瀬戸内の激流の中でただの鉄くずへと成り下がる。

「……本当に、野蛮で下品なルールね」

 私は空間に浮かぶルール概要のホログラムを、嫌悪感を込めて指先で弾き飛ばした。

「その通りじゃ、リサ。じゃけえ、わしの出番いうわけじゃろうが」

 不意に、オープンチャンネルから中国第一キャンパスのパイロット、野崎ジュタロウのドスが効いた野太い声が割り込んできた。モニターの隅に、重量920kgの化物機体『大和』のステータス画面が表示される。

「昨日、わしが痛めつけちゃった四国の二機は、まともに動けるかどうかも怪しいけえの。わしらが先に美味いノードを全部確保して陣地を固めちまえば、連中は逆転のために必ずオーバーライトを仕掛けてこざるを得んようになる。奴らがわしらのノードの上で止まった瞬間、わしの大和が質量でミンチにしたるわ。単純な話じゃろ?」

 序盤は当然、どのチームも未獲得のノードを普通に奪い合う。だけど中盤以降、すべてのノードが誰かの色に染まった時、相手のノードを奪おうとすれば無防備な隙を晒すことになる。

 つまり、このルールは、乱戦で相手を物理的に力ずくで排除できる、ジュタロウの大和のような重装甲の機体が圧倒的に有利になるように仕組まれているのだ。

「ええ、本当に頼もしいわね、ジュタロウ。あなたのその圧倒的なパワー、心から信頼しているわ。よろしくね」

 私は声のトーンを優しくワントーン上げて、微笑みを浮かべてマイクに答えた。

 ……この単細胞の筋肉ダルマ。少しはおだてておかないと、勝手に暴走して私の計算を狂わせるんだから。本当に世話が焼けるわ。

 内心で冷たく舌打ちをしながら、私は海図上のスタート地点の配置を再確認した。

 ジュタロウのような脳筋は相手を待って押し潰す上書きの防衛戦しか頭にないが、私の海燕は風を掴めば1㎞/分以上進むことができる。

 最終的に中一と争うようになった場合、大和が一つオーバーライトしてモタモタと移動しているうちに、海燕は3つオーバーライトしてしまえばいい。まして、勝敗を決めるのは最外郭の体積だ。機動性を活かしてより遠くの外周にあるノードを確保して、最後に笑うのは私だ。その前に四国勢を潰さなければ……。

 Day3のスタート位置はこれまでのようにスタート地点から一斉にではなく、二日目終了時点での下位チームから順に、任意のポイントを自由に選択できるという特別ルールが設けられている。

 現在のポイント最下位、四二の『緑龍』は、エリア東側の大島を選択していた。昨日、大和の激流で装甲を丸裸にされたにもかかわらず、まだ図々しくポイントを取りに行く気らしい。

 三位に転落した四一の『黒麒麟』は、エリア中央の大三島を選択した。プライドの高いあの王子様のことだ、昨日味わった屈辱を晴らすために、中央から効率よく放射状に陣地を広げようという魂胆だろう。

 そして、私たち中国連合は、彼らを完全に「挟み撃ち」にする初期配置を選んだ。

 トップを独走するジュタロウの大和は、エリア最東端の向島。二位の私の海燕は、エリア最西端の下蒲刈島を選んだ。

 この広大な海の迷路の中で、私たちが両端から猛スピードで未獲得ノードを先行取得し、四国の連中を中央に追い詰めて逃げ場をなくす。一切の隙を生じさせない、完璧な包囲網の構築だ。

「リサ、予定通りまずはわしと手分けして、しまなみ海道の外周ノードから潰していく。わしに指図するんじゃねえぞ」

「分かっているわ。私たちが強固な陣地を作ってしまえば、彼らは必ず要のノードを上書きしに来る。その隙など一秒たりとも与えたりしないわ」

 指図されるのが嫌なら、大人しく私の描いたルートの上だけを走りなさいよ、駄河馬。

 私はコントローラーを両手でしっかりと握り、海燕のメインシステムをオンラインに切り替えた。

 コンテナの外の甲板で待機していた三胴構造トリマランの純白の船体が、朝日を受けて静かにハミングのような起動音を立てる。極薄の人工筋肉素材で作られた電子帆スマート・セイルが、瀬戸内の朝の海風を的確に捉え、まるで本物の鳥の翼のように優雅に、そして力強く膨らんだ。

『――Day3、オーバーライト・ブロウル。さあ皆さん、お待たせしました。まもなく競技開始です。最高のフィナーレを期待していますよ。カウントダウンを始めます』

 公式実況AIアンナの、どこか熱を帯びたアナウンスがコンテナ内に響き渡る。スタート地点の下蒲刈島は、本州側からのとびしま海道の入口にあたる。かつては橋でつながれていたが、大震災の影響で破損し今は無人島と化していた。

 私はゆっくりと目を閉じ、深く、長く息を吸い込んだ。肺の奥まで冷たい空気を満たし、自らの内にある感情の揺らぎをすべてシャットアウトしていく。

『10、9、8……』

 そして目を開けた瞬間、私の中の意識が戦闘モードへと覚醒した 。

『3、2、1』

 ホォ―――ッ!!!

 最終日の開幕を告げる長音のホーンが、瀬戸内海の空を引き裂いた。

「さあ……白くて綺麗な海を、わたくしたちの勝利で染め上げてあげるわ」

 私は氷のように冷たい声で独りごちて、コントローラーのトリガーを深く引いた。

 海燕の背部ハッチが火薬ボルトの破裂音とともにパージされ、内部のハンガーに敷き詰められていた百機の極小ドローン『海鳥シーガル』が、一斉に大空へと舞い上がった。

 網膜レンズの視界が、百分割されたドローンの光学カメラ映像と、海燕本体のセンサーデータで一気に埋め尽くされる。

 潮流の波形、風速のベクトル、気圧の等高線、大気の湿度、そして敵機の予測熱源。常人なら数秒で脳が過負荷を起こして泡を吹いて気絶するような、莫大なトラフィックの濁流が流れ込んでくる。だが、私と流体力学・群制御統合AI『八咫烏ヤタガラス』の間には、情報を処理するラグなど一ミリ秒も存在してはならない。

 第二群、遅い。0.2秒遅れているわ。風の計算もできないの、このポンコツは。

 第三群、風速7.2メートル、北北西の気流に乗って大崎下島の偵察網を展開しなさい。

 第六群、海燕の先行ルートの波高データをリアルタイムで送信して。

 第一群から第二群は私の両翼でジャミング待機。

 私の指先は、まるで超高速のプレリュードを奏でるピアニストのように、コントローラーの物理キーとホログラムパネルの上で激しく、そして優雅に躍動していた。手のひらに伝わる微細な振動モーターのフィードバックが、私の神経へとダイレクトに百機のドローンの状態を伝えてくる。

 ドローンから送られてくるミクロな海象データが、海燕のスマート・セイルのねじれ角をミリ単位で自動調整していく。無駄なウォータージェットの電力駆動などほとんど必要ない。瀬戸内を吹き抜ける風のエネルギーを100%推進力へと変換した海燕は、時速100キロ近い圧倒的な滑走スピードで西側の海域を切り裂いていく。

 右舷のスマート・セイルがパシィンと小気味良い音を立てて風を孕み、機体が大きく傾く。波の頂点をすり抜けるようにして、ターゲットである仮想のスモール・ノードの座標へ、白い船体を吸い込まれるように滑り込ませては、未獲得の白い点を次々と純白に染め上げていった。上書きカウントのない即時獲得だからこそ、私のスピードがそのまま盤面の支配率へと直結する。

 海燕はとびしま海道に沿って、南東方向へ向かい、しまなみ海道を一旦、下がって北上する。戦況は、大きな遅れも無くほぼ計画通りに進んでいた。

 まず幸運を引き寄せたのは、大崎下島の沿岸を索敵していた海鳥の1機がAR空間上に突如として出現した、激しくきらめく巨光を捉えた。それはラージ・ノードの光だった。

「見つけたわ。御手洗港ね。八咫烏、海燕を最短ルートで誘導して」

 海燕は即座に防波堤へと滑り込み、その白く発光するノードに接触した。まだ誰のものでもない透明なノードは接触した瞬間、ラージ・ノードは眩い純白へと塗り替えられ、私たちのスコアに巨大なボーナス値が加算された。

 ほぼ同時に、エリアの最東端でも大きな地鳴りが轟いていた。ジュタロウの大和が、向島から因島へと渡り、かつて瀬戸内を支配した村上海賊の城跡――因島水軍城いんのしますいぐんじょうの険しい山肌を、多脚を軋ませて強引に登り詰めていた。大和のソナーが、山頂の近くに眠っていた2つ目のラージ・ノードを感知したのだ。

「オラァ! 位置が隠してあろうが関係ねぇわ! ラージ・ノードはわしが真っ先にいただいたけえの!」

 オープン回線から響くジュタロウの獰猛な咆哮と共に、水軍城の直上に位置していた白い結晶が、接触と同時に重苦しい暗赤色へと塗り替えられる。

 午前中のうちに、さらに私が来島海峡、ジュタロウが安芸灘海釜で発見し、即座にこれをキープした。これで手に入れたラージ・ノードは私が2つ、ジュタロウが2つ。この情報は他のチームにもリアルタイムで送られてきていた。

 対する四国勢は、私たちが残した中央の島々の限られたノードを細々と拾うのが精一杯のようだ。昨日のダメージが尾を引いているのだろうか、それとも絶望的な点差に心が折れたか。黒麒麟も緑龍もマップの中央で限られた体積しか描けていない。ラージ・ノードは一つも獲得できていなかった。

 競技開始から2時間を迎えた午後12時。

 メインモニターに表示されたDay3の広大な海図は、すでに80%近くが中国連合の赤と白のポリゴンによって完全に支配されていた。

【Day3 午後12:00 現在・途中経過スコア】

 第1位:中国第一『大和』  45598pt

 第2位:中国第二『海燕』  42543pt

 第3位:四国第一『黒麒麟』 21250pt

 第4位:四国第二『緑龍』  19304pt

 圧倒的なスコア差。

 ダブルスコア以上の大差だ。すべての未獲得ノードが刈り尽くされ、フィールドが完全に色で埋まったら、四国勢がこの絶対的な点差を覆す手段は、もはや一つしか残されていない。中国陣地の外周を強固に形作っている獲得済みのラージ・ノードに侵入し、180秒間というリスクを背負って、強引にオーバーライトを仕掛けてくるしかない。やつらがハッキングを仕掛けて身動きが取れなくなった瞬間を、私とジュタロウが押し潰す。

「……来たわね。思ったよりもしぶといネズミだこと」

 私は薄く笑い、手元のコントローラーをスワイプして、空間に浮かぶ広域マップの一点をズームアップした。

「来島大橋の真下。私がキープして白く染めた、ラージ・ノードに、四二の緑龍がまっすぐに這い寄っているわ」

 コンテナの隅のサブモニターには、コウメチャンネルのライブ配信画面が映し出されていた。

『みんな、四二はまだ諦めてはいないよ! 今から反撃に出ます。勝敗の分かれ目はラージ・ノード、これが取得できれば逆転も夢ではないから!』

 カメラドローンが捉えた緑龍の視界の向こうには、来島海峡の荒々しい白波と、その向こうに佇む島々の緑がはっきりと映り込んでいる。

 これだけヒントがあれば位置の特定は簡単。ホントにおバカさんね。

「ジュタロウ、緑龍の位置が割れたわ。やつらは来島大橋の中央にあるラージ・ノードに向かっている。今、奴の網膜映像から逆算した正確な座標データを送るわ」

「おう、ガッチリ受け取ったぜリサ! 舐めた真似しやがるトカゲ野郎め、今度こそ本当にスクラップにして、完膚なきまでトドメを刺してやるけえ!」

 しかし緑龍は途中で北東方向へと変えた。こちらの動きに気付かれたのか?違うラージ・ノードを狙う気か?この方向だとジュタロウが獲得した因島か?

「ジュタロウ、やつら方向を変えた。新しい位置情報を送る。この位置だと多々羅大橋付近で挟み撃ちに出来る」

「どこへ向かおうが、最後の悪あがきだな」

 東側の海域から、大和のツイン・ハイドロジェットが海底を震わせる咆哮を上げて、多々良大橋へと急行していく。同時に、私も海燕を転舵させ、空中を乱舞する百機のドローン群のベクトルを、多々羅大橋の周辺へと一斉に収束させていく。

「さあ、どうするの? 世界中の見ている前で、もう一度海の底に沈め!」

 私は自らの作り上げた完璧なシーガルの包囲網の完成を確信し、冷たい笑みを浮かべてその瞬間を待った。

 だが、コウメのライブ配信画面に映る多々羅大橋の海面は、不自然なほど静かなままだった。シーガルの姿がどこにも無い。それどころか大和の姿も映って無かった。

「……どういうこと? ジュタロウ、指定の座標には着いたんでしょ!?」

「おう、着いたわ! 座標通り、多々羅大橋の真下の岩礁地帯じゃ! じゃが……おい、リサ! ここにゃあ誰も居らんぞ! 影も形もねぇわ!」

 ジュタロウの苛立ちに満ちた怒声がインカムから響いた瞬間、私の背筋にぞくりと冷たい悪寒が走った。

 誰もいない? 影も形もない?

 そんなはずはない。では、今二百万人が見ているこのコウメチャンネルの配信画面に映っている、白波を立てて進む緑龍の映像は何だというの?

 私はコントローラーから片手を離し、ホログラムパネルを弾いて多々羅大橋周辺の海域の環境データを強制的に取得した。

 ……熱源反応ゼロ。海面の乱れゼロ。モーターの駆動音も、通信電波の微細なノイズも、何一つ検知されない。私の八咫烏の索敵網は、そこに何もないという事実を冷酷に突きつけてきた。

『あははっ……中国連合の皆さん、見事に引っかかりましたね』

 突如、サブモニターの配信画面の中で実況していたコウメの声が、微かに震えながら響いた。

『今ご覧いただいているのは、昨日のDay2で取得した過去の海面データと、緑龍のARモデルを合成してリアルタイムレンダリングした、完全なフェイク映像です! 私たちは多々羅大橋になんて、最初から行っていませーん!』

 その言葉が発せられた瞬間、配信のチャット欄が信じられない速度で荒れ狂い始めた。

《は? フェイク!? ふざけんな!ロボコンの公式配信で嘘流すとか終わってんな》

《通報したわ、カワシマの不買運動するぞ!》

《ずっと信じて応援してたのに、登録解除する!!》

 200万人を超えていた同接カウンターとフォロワー数が、滝のように真っ赤な数字を吐き出しながら激減していく。

「馬鹿な……!」

 私はメインモニターの総合スコアボードの数字を見て、息を呑んだ。

 四国勢のポイントが、前触れもなく異常な速度で跳ね上がっていた。中国連合のノードはただの一つも奪われていない。それなのに、四国勢のポイントだけが爆発的に増加していた。

【Day3 午後13:00 現在・途中経過スコア】

 第1位:中国第一『大和』  46523pt

 第2位:中国第二『海燕』  43157pt

 第3位:四国第一『黒麒麟』 39214pt

 第4位:四国第二『緑龍』  39088pt

「な……何が起きているの!? いつの間にこんなにポイントが上がっているの!?」

『こりゃどういうことじゃ! 一気に追いつかれとるぞ!』

 ジュタロウの焦る声に答える暇もなく、私はコンソールのログを血眼になって解析した。

 四国の二機は、中国の陣地を奪っていない。それなのになぜ得点が増える?

 だが、四国州の反撃はそれだけでは終わらなかった。

「――警告アラート来島海峡大橋くるしまかいきょうおおはしにて、オーバーライトのハッキングを検知!」

 遅れて、けたたましい防衛アラートがコンテナ内に鳴り響いた。

「チィッ! リサ、こっちも安芸灘海釜のラージ・ノードがオーバーライトされかけとる!」

「二ヶ所同時……!?」

 私はコントローラーのグリップに爪が食い込むほど強く握りしめた。

 完全に一杯食わされた。フェイク映像で私とジュタロウを多々羅大橋という的外れな場所へおびき出し、その移動と足止めの隙を突いて、四国の二機は二手に分かれ、中国陣地の二つのラージ・ノードに同時にハッキングを仕掛けていたのだ。180秒のカウントダウンが開始される。

 今から二手に分かれてそれぞれの海域へ向かっても、180秒のハッキング完了には到底間に合わない。

「ジュタロウ! 安芸灘は捨てて、来島海峡へ向かうわよ! 二対一で確実に一機を潰す!」

 多々羅大橋からなら、安芸灘よりも来島海峡の方が距離が近い。

「チィィッ! 舐めた真似しやがって! 逃がすか、アメンボ野郎!」

「ええ……たとえオーバーライトが完了しても、絶対にタダでは帰さない!」

 大和と海燕は、来島海峡へと機首を向け、全速力で限界突破の加速を始めた。

 私は百機のドローン群を格納し、向かい風を切り裂くようにスマート・セイルのテンションを極限まで引き絞る。

 だが、私たちが来島海峡の座標に到達した時、空中に浮かぶ仮想のラージ・ノードは、すでに漆黒の色に書き換えられた直後だった。

 ハッキングを完了させたのは四一の黒麒麟だった。

 モニターの端に、フェイクではない波間に浮かぶ黒麒麟の姿がはっきりと映し出された。

 昨日、土渕海峡で壁に激突して傷ついたはずの装甲は、深夜の突貫作業によって、真新しい漆黒のメビウス合金へと完全に張り替えられていた。機体の動きには昨日ほどのキレがない。完全には元通りに復旧できていないのだろう。

「見つけた。二時の方向。ジュタロウ、挟み撃ちにするよ」

 私は指先を指揮者のように滑らかに振るい、空の彼方から急降下した数十機のシーガルたちで黒麒麟の周囲を取り囲んだ。

「遊びはここまで。私の鳥籠の中で溺れろ!」

 ドローン群が一斉に飛び立ち、強力な妨害電波ジャミングとフェザーミスト(人工水霧)を散布し始める。視界とレーダーを奪う、逃げ場のない白い闇。

「逃がすかよ! ジュタロウ、そっちへ追い込むから!」

「任せとけや。極上の大波を届けたるけえ!」

 東側の海域から、大和の船舶級ハイドロジェットが海底を震わせる咆哮を上げて接近してくるのが確認できた。ジュタロウがその圧倒的な質量と推力で故意に発生させた巨大な引き波――『アイアン・ウェイク』が、高さ数メートルの白い牙を剥き出しにして、黒麒麟へ一直線に迫っていく。

 私は自らの作り上げた完璧な包囲網の完成を確信し、薄く笑いながら、黒麒麟が大和の大津波に飲み込まれ、海の底へと叩き落とされる決定的な瞬間をモニター越しに見つめていた。

 まさに大波が黒麒麟の機体を飲み込もうとしていた、その刹那だった。

 黒麒麟が、逃げるのではなく、あろうことか大波の方へと真っ直ぐに向かって機首を向けたのだ。

「馬鹿め、自爆する気か!」

 ジュタロウの嘲笑が響く。

 だが、次の瞬間、私の目は信じられない光景を目撃した。

 黒麒麟は、大津波のトラフで機体を鋭く傾け、多軸ベクタースラスターを海面に向かって強烈に吹かし、急角度の「ボトムターン」を決めたのだ。

 漆黒の機体が、迫り来る波の斜面を、まるでサーフィンのように滑らかに駆け上がっていく。そして、波が崩れようとする頂点リップの強烈な上向きのエネルギーに機体を完全に預けた。

 波のエネルギーと、黒麒麟自身の推力が完璧な角度で衝突した瞬間。黒麒麟はスラスターのベクトルを上向きに全開にした。

 大和が放った殺意の大津波の頂点をジャンプ台にして、黒麒麟は空高く飛び出した。

 流体力学の極致。重力、風速、そして大津波の運動エネルギー。すべてを完全に計算し尽くした、それはサーフィンの大技「オフ・ザ・リップ・エアリアル」。

 真昼の太陽を背に、漆黒の流星が弧を描いて宙を舞う。水飛沫がスローモーションのように弾け、黒麒麟の流線型のボディが光を反射して輝いた。

 その瞬間、私はコンソールの上で指を止め、ただただ、画面の向こうのその機体に見惚れてしまっていた。

 美しい、と。


*****************************************

 私の名前は、棚海リサ。

 中国高専第二キャンパスに通う4年生。

 イギリス人の祖母から受け継いだ、プラチナブロンドの髪と淡い青色の瞳。幼い頃、祖母はよく私の髪を梳かしながら「まるでおとぎ話のお姫様みたいに綺麗ね」と微笑んでくれた。私もその言葉が嬉しかった。

 自分で言うのも何だけど、小中学校時代には、隣の学校から男女問わず私を目当てに見に来るほど美少女だった。言い寄られても誰も相手にしなかったけど。

 私が年を重ね成長し、ロボット工学の道へ進むことを決めて高専に入学した。強いて理由を言うなら祖母の身の回りをロボットが世話していたことから興味を持った。

 だが、その時から美しさは私を縛る呪いの鎖へと変わった。

 重工業と造船の歴史が根付く中国州の男たちは、汗と油にまみれ、力任せに鉄を叩くことこそが正義だと信じている。彼らの目には、私の容姿は現場には不似合いな、ただの飾りにしか映らなかった。

「棚海くん、重いパーツは俺たちが運ぶから、君はデータ入力でもしていてくれ」

「そんな複雑なシステム、女の子の頭じゃ処理しきれないだろう? もっと単純で可愛い機体を作ればいいのに」

 彼らは優しく、親切な言葉の裏で、私を永遠に「お人形さん」として扱おうとした。私が徹夜で書き上げた流体力学の論文も、群制御のアルゴリズムも、彼らにとってはマスコットの女の子が書いた、可愛らしい落書き程度にしか評価されなかった。

 悔しかった。唇から血が出るほど噛み締め、一人でガレージの隅で泣いた夜もあった。

 だから私は決めたのだ。

 彼らを手玉に取ってやろうと。

 巨大な戦艦がどれほど強力な大砲を持っていようと、潮の流れと風を支配されれば、ただの鉄の棺桶にすぎない。百の極小ドローン群を、まるで一つの巨大な生命体のように統制する群制御統合AI『八咫烏』。私はそれをたった一人で、誰の手も借りずに組み上げた。

 人間の脳では処理しきれない莫大な情報量を、スマートスキンと網膜レンズを通じてダイレクトに私の神経へと伝達する。その完璧にコントロールするため、私は血を吐くような訓練を繰り返した。

「そんなバカな…手も足も出ないなんて……」

「少しもバカなことはないわ。これが現実なのよ」

 かつて私をマスコット扱いしていた男たちは、私の操る『海燕』が百の鳥の群れで彼らの重装甲機を翻弄し、いともたやすく海の底へ沈める様を見て、二度と私の容姿をからかうことはなくなった。

 そうして私は、中国高専第二キャンパスの女王トップに君臨した。

「リサ様、この処理は僕がやっておきます」

「重いでしょう、荷物お持ちしますね、リサ様

「リサ様、そんなことは私にやらせてください」

 そう言って男どもが私に膝まづく。ここでは私は女王だ。

 誰にも邪魔させない。男なんて要らない。私の地位を脅かすやつは誰だって容赦なく叩き潰してやる。

*****************************************


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