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第4章:コンソールと、御守の証

「第一から第四フェーズまでオールグリーン。誤差範囲は規定値の0.001秒以内に収束。システム同調率99.99%……よし」

 僕は空中に展開された半透明のホログラムコンソールを指先でなぞり、最後のコードの結び目を閉じた。

 四国高専第一キャンパス(通称・四一)の指令コンテナ内は、僕にとって完全なるサンクチュアリ(聖域)だ。空調は機材と人体のパフォーマンスが最も高まる22℃、湿度45%に寸分の狂いもなく固定されている。

 壁面に整然と並ぶのは、関西州の巨大資本『クロサワ』から提供された最新鋭の量子サーバー群。それらは下品な稼働音など一つも立てず、莫大なデータを沈黙の中で処理し、青白いインジケーターの光を規則正しく明滅させている。

 そこには、汗の匂いも、油の汚れも、人間の不確実な感情という「ノイズ」も一切存在しない。

『ハロー、カナタ。本日のプログラムに変更はありますか?』

 合成音声とは思えないほど滑らかな声が、インカム越しに僕の鼓膜を撫でた。

 僕が四一の莫大なリソースを使い、すべての情熱を注ぎ込んで組み上げた環境予測特化型AI『ラプラス』。それが今、完全な状態で目覚めた証だ。

「いや、予定通りだよ、ラプラス。二日目はノードの数が200個。この小豆島を含む東西40km、南北20kmのエリアだ。昨日よりノードの数は3分の2に減り、面積は2.7倍に広がっている。海面の制圧だけでは限界が来る。おそらく、非公開のラージ・ノードの獲得が勝敗を分ける」

『承知しております。環境変数を加味した進行ルートの作戦を32パターン、緊急時に備えた奥の手の回避軌道を4パターン、すでに構築済みです』

「頼んだよ。クウゴ先輩にもデータを共有しておいて」

『すでに転送は完了しています』

「…さすがは、ラプラス」

 僕はふっと息を吐き、コンソールを閉じた。

 現在の時刻は、9:37。

 Day2の競技開始まで残り23分。すべては完璧なスケジュールの内に収まっている。

「ご苦労様、カナタ。相変わらず君のAI調律チューニングは芸術的だね」

 背後から微かなモーター音を響かせて、車椅子が滑るように近づいてきた。四一の4年生であり、チームリーダーの空前クウゴ先輩だ。

 過去の不慮の事故により足の自由を失っている彼だが、網膜デバイスと連動した最新のモビリティを自らの手足のように、いや、それ以上に自在に操る彼に、不便という言葉は無縁だ。むしろ、肉体の疲労や感情の揺らぎといった不確定要素から解放された彼の冷徹な戦術眼と指揮能力こそが、このチームを束ねる絶対的な要となっている。

「ホア先輩のハードウェア調整と、ミライ先輩のテスト操縦のデータが正確だからです。僕はただ、そこから無駄を削ぎ落として数式に当てはめただけですから」

「謙遜しなくていいさ。カナタのAIがなきゃ、昨日だってあそこまで僕たちは健闘出来てないよ。君とラプラスのおかげだ、今日も頼りにしてるよ」

 クウゴ先輩の穏やかな賞賛に、僕は少しだけ誇らしく頷いた。

 コンテナの防音ドアを開け、外の甲板に出ると、瀬戸内の生ぬるい海風が頬を撫でた。雲一つない青空。今日も暑くなりそうだ。

 甲板の特等席には、僕たちのフラッグシップ機『黒麒麟』が、前後に伸びたスラスター部分を静かに接地させて鎮座している。

 今できる四一のすべてを詰め込んだ探査ローバー。世界最軽量を誇るクロサワの「メビウス合金」をフレームに採用し、空気抵抗を極限まで減少させ、海面との間に揚力を増加させる地面効果グランドエフェクトを生む多軸ベクタースラスターを搭載。最高速度は時速90kmに達する。これに僕のラプラスの演算能力を組み合わせれば、負ける道理などないのだ。

 3年生の宮城ホア先輩が、タブレット端末片手に黒麒麟のホバーユニットの最終出力をチェックしていた。

「ホア先輩。試合中にラプラスの想定値より数%ずつ出力を上げるかもしれません。それに合わせて、黒麒麟の排熱システムも調整しといてください」

「分かった」

 彼女は振り返り、親指を立ててみせた。

 ホア先輩はベトナム人の父と日本の母親のハーフだ。ベトナム人の父は優秀なエンジニアとしてあちらの業界では有名人らしく、彼女自身もこの4月にベトナムの高専から四一に留学してきたばかりだ。日本語の聞き取りは完璧だが、喋るのは未だ苦手らしく口数は少ない。

 でも、彼女の仕事には1ミリの無駄もない。これだけの指示で常に完璧なセッティングを仕上げてくる。

「ミライ先輩は?」

「上にいる」

 僕が尋ねると、ホア先輩がコンテナの屋根を指差した。

 備え付けのタラップを上ると、都扇ミライ先輩が両腕を頭の後ろで組み、のんびりと空を見上げて寝転がっていた。

「よ、カナタ。お前も寝転がれよ、風が抜けて気持ちいいぞ」

 仰向けのまま、純白の専用パイロットスーツに身を包んだミライ先輩が爽やかな笑みを向けてくる。文武両道。容姿端麗。モデル業もこなしており、大企業からのスカウトの声も絶えないという。

 AIが大半の制御を肩代わりしてくれるとはいえ、パイロットはただの飾りではない。AIは過去のデータに基づく予測は完璧だが、計画や予定に無い想定外の事象が起きた際の対応には、どうしてもコンマ数秒のタイムラグが生じる。そのタイムラグを直感と技量で埋め、機体の挙動をリカバリーするのがパイロットの役割だ。

「こんなところで油売ってていいんですか。そろそろ始まりますよ」

「おまえらの邪魔しないことが今のおれの仕事だ。それにへたばらないように体力を温存しておくことだろ?」

 僕は時折、少し苛立ちを覚えることがある。

 このミライ先輩が、姉、久谷ノゾミに勝てるのだろうか?

「おれは勝つから。特に四二には負ける気はないよ」

 背中がゾクリとした。

 心の中を読まれた??

「あれ違った?そんな顔してる気がしたから。勘違いだったら、ごめんごめん」

 ミライ先輩はあっけらかんとした態度でタラップを降りていく。

 一瞬でも自分のチームのパイロットを疑った僕の方が間違っている。

「……勝つために、ベストを尽くします。僕のラプラスは、弐王には絶対に負けません。だから、四二には負けないでください」

「ああ、任せとけ」

 ミライ先輩は、親指を立ててみせた。

『――Day2、ブラインド・ハント。開幕まで、残り15分となりました。各チーム、最終スタンバイをお願いします』

 会場全体に実況AIアンナのアナウンスが響く。

 二日目のスタート地点である小豆島・坂手港は、かつてフェリーの定期便があったが、今はない。環境激変と海面上昇によって人口が激減した。今この港を動かしているのは国営企業『イースト・マース』が運営する空を行き交う無数の配送ドローンだけだった。

 昨日と同様に寂れた現実世界とは裏腹に仮想世界setouchiが同期され、坂手港も煌びやかに装飾されている。壁に描かれたドラゴンが動き出して見物者の興味を誘っている。それだけでなくメタルドラゴンが空を舞い、時折、口から炎を吐き出している。港にはバーチャルの店舗が並び、世界中からアバターが溢れている。その数は昨日よりも多いかもしれない。誰かの作ったドラゴンアバターが高額で取引されているのを目撃した。

 実況AIアンナの澄んだ音声が、網膜レンズのモニター越しに流れる。

『さあ、もう間もなく二日目がスタートします。昨日と同じく、ノードの位置は各チームに事前情報として全て公開されています。よーく確認しておいてくださいね。なお、得点が跳ね上がるラージ・ノードは今日も設置数・設置場所ともに非公開でーす!』

 AIアンナは、解説を続ける。

『さあて、本日は『ブラインド・ハント』……昨日とは違って、試合中の各チームのノードの獲得状況、試合が終わるまで得点も公開されません。油断しないでくださいね、足元救われちゃいますよ』

 視界の端に表示されたチャット欄には、

《最後まで順位分かんないとかエグっ》

《せっかく行っても、すでに他チームに取られてる無駄足あるってこと?w》

《ポイント見えないなら、ラージ引いたもん勝ちの運ゲーじゃん》

と、無責任なコメントが滝のように流れていた。見ている側は気楽でいい。

 ふと、港に並ぶ他チームの基地ドックへと視線が向いた。

 一番端の粗末なコンテナボートから、四二の緑龍が甲板へ出ていくところだった。カワシマ製のプラスチック装甲のあちこちには無数の応急処置のパッチが不格好に当てられているのがここからでもはっきりとわかる。

 そしてその傍らのデッキで、相変わらず無神経なほど無邪気に手すりから身を乗り出し、こちらに向かって大きく両手を振っている人物がいた。

「カナター! 今日もよろしくねー! お互い頑張ろうねー!」

 姉の久谷ノゾミだった。

 僕の腹の底でドロリとした重く黒い感情が渦巻くのを感じた。

 僕は姉の姿から視線を逸らし、無視して自分のコンテナの中へ戻った。

「なーんだ。お姉さんに挨拶しなくてよかったの?」

 操縦席に座るミライ先輩が、のけぞるくらいにシートにもたれて苦笑する。

「嫌味ですか?姉とは今は敵同士ですから」

 僕は冷たく言い捨て、自分のコンソールの前に立った。

 僕には分かる。緑龍に搭載されている弐王は僕の書いた『零』をベースに改良されている。

 昨年は全国ロボットコンテスト『Kansai スマート・スプリント』に、あの緑龍のプロトタイプを駆って、姉はコースのギミックである巨大な造波装置の中枢に突っ込み、クロサワが巨額を投じて建造した美しい人工ウォーターフロントを物理的に破壊した。大激流が巻き起こり、エリート機が次々とスピンして沈む中、ボロボロになった緑龍だけが残骸を踏み越えてトップでゴールラインを突き破った。

 SNSで瞬く間に拡散されて、世界中がその走りにではなく想定外の破壊行為に熱狂した。それに僕の零の技術が使われているなんて許せない。

 昨年は、レギュラーメンバーの中に僕もいなかったし、ラプラスも未だ無かった。

『――Day2、ブラインド・ハント。まもなく競技開始です』

 アンナのカウントダウンが、僕の思考を現実に引き戻した。

 四機の獣たちがスタート地点に並び、大人しくその時が訪れるのを待っていた。

『10、9、8、……』

 会場にもカウントダウンの声が木霊する。

 僕は小さく深呼吸をし、黒麒麟のメインシステムをオンラインに切り替える。モニターの向こうで、漆黒の機体が静かにホバーを起動し、海面をわずかに押し下げた。

『3、2、1』

 ホォ――――ッ!!!

 朝の小豆島の静寂を切り裂き、二日目の開幕を告げる電子ホーンが鳴り響いた。坂手港の海面は、一気に四機のローバーが放つ白波と爆音に包まれた。

「ミライ先輩、右舷後方から緑龍が接近! 強引にインコースを塞ぎに来ています!」

 四肢で海面を蹴り立てる『緑龍』が、こちらの進路へ体当たりスレスレの幅寄せを仕掛けてくる。故意の接触は禁止されているから本気でぶつけてくるつもりはないにしても進路をふさがれるとタイムロスにもつながる。

「分かってる。『海燕』も上空にドローン群を展開し始めたね。おれたちの頭上をフタする気かな」

 さらにその頭上からは、海燕から放たれた数十機の極小ドローン『海鳥シーガル』が、網を張るように僕たちの予測進路上へと降下してきていた。

 だが、僕の指先はホログラムコンソールの上で滑らかに踊り続けていた。

「ラプラス、敵機の相対速度およびドローンの展開軌道を計算。最短突破ルートを算出」

 一秒もかからず、モニター上に一本の鮮やかな光のラインが引かれる。

「ミライ先輩、現在地から北西方向へスラスター出力78%。海鳥の包囲網が完成する0.2秒前、緑龍の跳躍の予備動作のタイミングを突いてください」

「そう簡単に言ってくれるなよ、後輩」

 ミライ先輩は軽口を叩きながらも、純白のスーツに包まれた腕で操縦桿を軽くスライドさせた。黒麒麟は多軸ベクタースラスターから海面に向けて超高圧の圧縮波を叩きつけ、凄まじい加速で前方に飛び出した。

 緑龍が威嚇のように繰り出した尾の動きをミリ単位のクリアランスで躱す。そして上空から降ってくるドローンの網の結び目が閉じる直前のわずかな隙間を、黒い刃となって音もなくすり抜けた。

「……計算通りです。中一の『大和』はどう動いていますか?」

「大和は山間部へは向かっていないな。港からそのまま南の沿岸部へ抜けていくみたいだ」

 背後からクウゴ先輩が静かに答えた。

「自重を考慮して山岳戦は捨て、平地の底面積を拾うつもりでしょう」

 モニターに目をやると、緑龍もまた山には登らず、大和とは別ルートで南の海岸線へ向かっているのが分かった。あの軌道なら僕たちとは競合しないはず。海燕だけは昨日と同じく金魚の糞みたいにしつこく黒麒麟の後を追ってくる。

 黒麒麟は後続の海燕をあっという間に引き離し、配置されたノードを的確に拾いながら、坂手港から一気に小豆島の中央山間部へと駆け上がっていく。

 長い年月をかけて風雨に浸食された巨大な奇岩や、そそり立つ絶壁が迷路のように入り組んでいる深い谷の地形、寒霞渓かんかけいへと突入した。深く切り立った谷底からは、不規則で強烈なビル風のような上昇気流が吹き上げていた。

 岩壁の隙間や洞窟の奥深くにもノードが配置されている。

「……ん?」

 背後で、クウゴ先輩がわずかに眉をひそめ、車椅子の肘掛けをトントンと指先で叩いた。

「どうしました、クウゴ先輩?」

「……いや。カナタの予測データは完璧だ。だが、奇岩群の間を抜ける時、最後の3mの特定のタイミングで、ミライの操縦にほんの数秒のタイムラグが生じている」

 クウゴ先輩の網膜デバイスには、黒麒麟の挙動データとミライ先輩の操縦ログがリアルタイムで流れ込んでいる。僕ですら気づかないほどの極めて微細な誤差。

「タイムラグ、ですか……?」

 僕は空間のホログラムを引き寄せ、直近3分間のラプラスの演算ログを展開した。数式と波形が青白い光となって空間に浮かび上がる。

「……なるほど。上空からの気象衛星データと、実際の複雑な地形による気流と電波の乱反射が原因ですね。寒霞渓特有の火山岩でできた複雑な奇岩群が、制御誤差をわずかに生み出しています」

 クウゴ先輩の鋭い眼光が静かに盤面の奥底を睨みつけていた。

「ミライの技量でカバーできているうちはいいが……カナタ、このズレは後々致命傷になりかねない。改善はできるか?」

「愚問です」

 僕はすぐにメインコンソールに両手をかざし、ものすごい速度で指先を走らせた。

「……すぐに修正パッチを当てます。小豆島の岩盤を構成する火山岩の誘電率を算出し、逆算して導き出した補正パラメータをラプラスのカルマンフィルタに組み込みます。これで電波の乱反射ノイズだけを相殺できるはずです」

 空間入力と視線追跡を駆使し、リアルタイムでAIの思考ルーチンを書き換えていく。黒麒麟の機動が修正され、無駄なタイムラグが消えた。

 それをログから確認したクウゴ先輩も満足げに頷き、再び盤面全体の戦況マップへと視線を戻した。

「すごいな、カナタ。ブレが消えた」 

「ラプラス、修正パッチの適合率99.8%。地形の電磁波反射率をキャンセル」

 僕の指先がホログラムコンソールを滑るたび、メインモニターに展開された小豆島の三次元マップがより鮮明な解像度へと書き換えられていく。

「クウゴ先輩。谷底にあるノードはどうしますか?」

「一旦無視しろ。ホバー機体であの狭所に入れば気流が乱反射して姿勢維持だけでバッテリーが消耗する」

 ノードを全部獲る必要なんてない。獲れるものだけを、誰よりも早く、最も効率の良いルートで獲ればいいのだ。

 それよりもラプラスの予測では56%の確率でこの先にラージ・ノードがあるはず…。

「谷底からの風力データ取得。ラプラス、上昇気流を揚力計算に加算。ミライ先輩、スラスター出力を12%落としてください。風に乗って獲りやすい外側のノードだけを取りましょう」

「同感だ、カナタ。無理な勝負はしない」

 ミライ先輩が操縦桿を軽く引くと、黒麒麟は寒霞渓の下から吹き上げる強烈な風を腹に受け、ふわりと空へ舞い上がった。

 天然記念物の岩肌を1㎜も削ることなく、奇岩と奇岩の間を完璧な軌道で縫うように飛び渡り、空中に配置されたノードを次々と黒く染め上げていく。

 ふいにモニター画面端に輝くものを見つけた。この光の波長は1日目に瀬戸大橋の架橋のてっぺんにあったものと完全に一致した。

 ビンゴ!!

 僕は興奮を昂りを押さえながら、

「ミライ先輩、ありました。10時の方向、ラージ・ノードです!」

「カナタ。こちらでも確認した。今からラージ・ノードの獲得に向かう」

 ラージ・ノードは松茸の形をした岩の上にあった。黒麒麟なら何ら問題ない。

 少し手前からスラスター出力をあげてジャンプして、眩しいほどに輝いているラージ・ノードに突っ込んで接触した。すると、先ほどまでの輝きは失せ光を吸い込むような漆黒に変わった。

「よっし、一個目」

 ミライ先輩はガッツポーズをして見せた。

 僕は空間に現在のホログラムマップを展開した。先ほど獲得したラージ・ノードのZ値が1500あるのを確認した。海抜500m程度だから約1000mほどプラスされていた。

「クウゴ先輩、他のチームは、どう動いていると推測しますか?」

 僕がわざとらしく尋ねると、クウゴ先輩が手元のレーダーの微かな熱源反応を一瞥して答えた。

「レーダーを見れば相変わらず海燕はこちらを追いかけてくるようだが、緑龍と大和は完全にレーダーの範囲外だ。おそらく島の南側のノードを拾い集めているのだろう」

 クウゴ先輩は静かに呟いた。

 今日のルールはブラインド・ハント。自分のチームの得点は分かっても他チームがどこでノードを獲得したか、現在のポイントがいくらかは終了の16時まで誰にも分からない。それにこのラージ・ノードの存在が厄介だった。スモール・ノードだけならある程度、予想も付くが、この存在が勝敗を分ける。

 寒霞渓の山頂を制圧した黒麒麟は、そこから西へ向けて一気に山を駆け下りる。

 黒麒麟の前に現れたのは、大小八百枚以上の田んぼが階段状に連なる、中山千枚田なかやませんまいだのすり鉢状の地形だった。人口が減少したこの時代でも島の大切な生活圏として、農作業は自動農機が担っていた。すでに稲刈りは終わり休息期に入っていた。

 空力で浮くホバー機体の黒麒麟にとって、こうした無数の段差は苦手な環境だった。

「ラプラス、斜面の段差データをミリ秒単位で先読み。ベクタースラスターの逆噴射タイミング、完全同期」

 僕がコンソールを叩くと、黒麒麟の機体下部のスラスターが細かく明滅を始めた。段差を乗り越えるたびに生じる気流の乱れを、ラプラスが瞬時に計算し強引に相殺していく。黒麒麟は田んぼを傷つけることなく、階段状の斜面を流れる黒い影のように滑り下っていった。

 ここもラプラスの予測した、ラージ・ノード場所の一つだった。先ほど近くの寒霞渓でラージ・ノードを獲得したため、その確率はリアルタイムで修正され28%ほどに減少していた。

 結局、ラージ・ノードはここになかったが、決して無駄ではない。ここにラージ・ノードが無いことを確認できたおかげで他の予測ポイントの精度が上がる。

「―クウゴ先輩! ラプラスの予測だと、ここの地点のラージ・ノード配置確率は73%です。他の予測地点より遥かに高いです」

 空間のホログラムマップの西端―小豆島本島と、そのすぐ隣に浮かぶ前島との間に、強烈なヒートマップの赤い光点が浮かび上がったのだ。

 コンテナ内の空気が一気に引き締まった。

「座標はどこだ、カナタ」

「現在地から西へすぐ。小豆島と前島を隔てる海峡のど真ん中です」

 それを聞いて、コンソールに向かっていたエンジニアのホア先輩が少しだけ眉をひそめた。

土渕海峡どふちかいきょう……海面上昇の影響もあるだろうが、南海大震災の前後で地形がだいぶ変わってしまっている。全長約1.8kmに対して一番狭いところで幅が2.0mか。上もだいぶ蓋がされているな。完全に塞がれているわけではないが、これは海峡というよりトンネルに近いな」

 クウゴ先輩が、モニターに現地の地形画像データを投影させる。

「黒麒麟の横幅1.6m。ギリギリか…それよりも高さが問題か、干潮時は問題ないが、満潮時になると上と1mもないところがあるな。ちょっと厳しいか…」

「いえ問題ありません。海峡の護岸のコンクリート強度、風向データ、そして波の反射係数……すべてラプラスの計算式に組み込みました。現在、満潮になりつつありますが、まだ1時間ちょっとあります。壁とのクリアランスを維持したまま、グランドエフェクトを効かせて海峡を一直線に駆け抜けましょう」

 僕は自信に満ちた声で答えた。

「それに大和のあの巨体では海峡内に入れませんし、海燕の帆もあそこまで狭く入り組んでいては風を捕まえられない。黒麒麟なら緑龍よりも早く着けるはずです」

 僕が分析を告げると、クウゴ先輩の瞳が輝いた。

「よし、分かった。土庄港側から入るぞ」

 純白のパイロットスーツに身を包んだミライ先輩が、操縦桿を握り直して爽やかに笑った。

「さっさと獲物を頂いちまおう」

「ミライ先輩、最短ルートを出します」

 僕の指示するルート通りに黒麒麟が機首を反転させ、土庄港のすぐ脇に口を開ける細く狭い海峡へと向かった。島の人口が減ったとはいえ、この辺りはまだ住宅街が密集していた。イベントの告知はしているが、普通に人が生活しているエリアだ。進入禁止エリアが設定されていた。黒麒麟には事故防止用の安全装置が付けられているが、それでもスピードも抑え気味に走行せざるを得ない。

 何人かの子供たちが黒麒麟を見て指差す姿が見えた。

 海側から土渕海峡に入った。しばらくは開けていたが、やがて上に蓋がしてある。トンネルに近かった。遠くからでも分かる輝く光を確認した。

「二つ目のラージ・ノード……」

 僕の胸の高鳴りは最高潮に達していた。ここを獲れば、さらに僕たちの勝利に近づく。

 モニターの向こう側で、土渕海峡の狭いコンクリートの壁が、黒麒麟を迎え入れるように口を開けていた。左右の壁がものすごい速度で後方へと流れていく。機体は1m未満の両サイドのクリアランスを完璧に維持し、微塵のブレもなく海峡の最深部へと突き進んでいく。

僕は空間のコンソールを閉じ、勝利を確信して息を吐いた。

「……待て。様子がおかしい」

 不意に、クウゴ先輩の低く、張り詰めた声がコンテナ内の空気を凍らせた。

「どうかしましたか?」

「……中国州の二校の動きが妙だ」

 クウゴ先輩の指先が、マップの西側海域を指し示した。

 中国第二の海燕と、中国第一の大和。――今まさに黒麒麟が突入している土渕海峡の入り口と出口の周辺に向かってきていた。

「やつらもこちらのラージノードに気付いたのか?」

 クウゴ先輩の言葉に、僕は慌てて自分のコンソールで中国勢の軌跡を確認した。だが、僕たちの方が早い。もう今更遅い。

 それなのになぜこちらに向かってきている?

 僕は慌ててホログラムをフリックし、中国勢の二つの機体の軌跡を線で結んだ。それは、僕たち黒麒麟の現在地である土渕海峡を中心とした、完璧な包囲網を形成していた。

「まさか…、罠……?」

 僕の震える声はコンテナ内のサーバーの冷却音に掻き消された。

*****************************************

 僕の名前は久谷カナタ。

 四国高専第一キャンパスに通う2年生だ。僕にはどうしても拭い去れない、小学6年生の時の記憶がある。

 

 僕はまだ中学2年だった姉と一緒に、実家の狭いガレージで泥だらけになりながらロボットをいじっていた。

 自動車、飛行機、ドローン、家電…。あらゆるシステムがAI無しでは成り立たない世の中。搭載されたAIがその機体の性能を左右する。世界中がこぞって開発し続け限界がない。その世界は大きな資本だけが決して優位ではない。独創的なアイデアさえあれば億万長者にもなれる。市販のAIでも十分に優秀だったが、みんなが同じAIを使えば差は出ない。どうしてもそれを越えるためには独自のAIが必要だった。

 僕たちの目標は明確だった。秋に開催される、全国への切符を懸けた『U-14 瀬戸内スプリント』。自作のバイクで障害物コースを誰よりも早く駆け抜ける純粋なスピードレースだった。姉はこのレースに小学生の頃からずっと参加していた。

 僕も何度もそのレースで走る姉の姿を見ていた。怪我をするのも少なくない過酷なレースで、いつも見ている方が冷や冷やするような無茶ばかりする姉を勝たせるため、そして何より姉の身を危険から守るために僕は完璧なAIを組み上げようとした。

 姉の反射神経と直感をどうすれば安全な挙動としてシステムに落とし込めるか。何千というエラーログと向き合いシミュレーションしてみた。安全マージンを厚くすればするほど、演算処理が重くなり、機体の反応速度が落ちてしまう。最適化のジレンマに陥り、理想とするAIには届かなかった。僕は諦めかけていた。

 ある日、出しっぱなしにしていたモニターを見て姉がつぶやく。

「カナタ。これさ、積層フィードバックの設計図よね。さっきネットで見かけた絵画に似とる。応用できんかな?」

 現代アートというやつか、積層された幾何学模様が重ねられている。たしかフラクタル・アート というんだったか?うーん、確かに形は似てはいるが…、

「これを3次元だと限界があるけど、もっと多次元的に考えればどう?」

「いや、ダメなんだ。そんな非線形な変数をそのまま突っ込んだら、オーバーシュートして成り立たなくなってしまう」

「えー? でも、私の肌感だと…。ほら見て、ここのグラフのピーク値。これをここで全部受け止めればいいんでしょ?」

 ん? 異常なノイズとして弾くのではなく、このピーク値をトリガーとして、一時的にリミッターの閾値を書き換える関数を挟んで再調整すれば……?

「……そうか。それならいけるかもしれない!」

 とはいえ、そんな簡単には行くはずもなかった。

 更なる改良を加えてもすぐに別の問題で息詰まってしまった。理論は間違っていないと思うが、とにかく変数の数が多く、ピーク値がいくつも波があって傾向がつかめない。あと何千回試せばたどり着けるかも分からない。

「またダメか…」

 溜息を吐くために実験しているような気分になった。

「カナタ。まだいける。ここはもっと攻めよう」

「でもそんなことしたら…」

「いいからいいから。私にやらせてみて」

 払いのけようとした手が偶然、ホログラムコンソールに当たった。フロー図がばらけてあらぬ方向へスライドした。

「私が調整してあげるから」

「やめろってそんなことしたら壊れる」

 僕もイライラしていて、姉ともみ合っているうちに適当に入力された数値のままで、プログラムが勝手に走り出してしまった。

「あーあー何してくれてんだよ」

 その結果を見て目を剥いた。これまでの最高のパフォーマンスを叩き出していた。

 答えを掴むきっかけさえ見つかればあとはそれほど難しくなかった。あの時、幸運だったと思う。諦めなかった執念と、幾つもの偶然が重なって『ゼロ』は生まれた。

 それは確かに僕と姉が心血を注いで作り上げた、姉の命を守るための御守だった。

 そして、迎えた『U-14 瀬戸内スプリント』大会の決勝で、 零は姉の操縦を最速のルートへと正確に導いていた。順調に行けば間違いなくトップでゴールできるはずだった。 だが、コース最大の難所であるエリアで、機体の駆動系に限界を知らせるアラートが鳴った。

 零はこれ以上は命に関わると判断し、勝つことよりも生存を優先し、強制的に迂回ルートへの退避コマンドを実行しようとした。

「カナタ。ここで止まったら、一番にはなれん!」

  姉は僕が何ヶ月もかけて組み上げた安全スイッチを拒絶した。

 そして、機体の限界を無視してコースのど真ん中へとフルスロットルで突っ込んだのだ。 僕の書いた制御コードは過電流でズタズタに焼き切れ、機体は装甲を吹き飛ばしながら暴走した。それでも姉はその理性をかなぐり捨てたような直感と力技でねじ伏せ、奇跡的に無傷のままトップでゴールラインを突き破ったのだ。

 観客はその姉のクレイジーな走りを称えた。僕が姉の命を守るために必死に作りあげた御守は、姉にとってはただの足枷であり、それを引きちぎって走ることが世界が求める正しさだった。

 その大会のすぐ後、僕は全国規模の学生AIプログラミング大会に出場し、零の一部を改造したレプリカで優勝を果たした。僕のシステムは審査員から絶賛され、メディアからも「次世代の神童」だと持てはやされた。父も、母も、客席で立ち上がって僕に拍手を送ってくれた。 僕はついにみんなに認められたのだと誇らしかった。

 姉と僕の優勝を祝して久谷家では祝勝会が行われた。父も母も何度もよくやったと何度も褒めてくれた。

 その夜、僕はふと目が覚めてトイレに行きたくなった。

「カナタもすごいけど、やっぱりノゾミはすごいな」

 父がリビングで母にぽつりと漏らしたその言葉をドアの隙間から聞いてしまった。

「そうね。カナタのAIには、しっかりお姉ちゃんを支えてやってほしいわね」

 両親に悪気があったわけではない。単に適材適所を語っただけ……。

 だが、その言葉が否が応でも父の会社、カワシマの将来を想像させた。跡継ぎは姉で、僕は二番手で姉の補佐役なのか。僕だって父に認められて後継者になる権利があるはずなのに……。

 僕は姉の背中を追いかけている限り、僕は一生、姉の二番手だ。姉の背中がどうしようもなく憎いものに変わった瞬間だった。

 僕は中学を卒業すると地元を離れて、四一キャンパスへと進学した。そしてクロサワの提供する莫大なリソースを使って『ラプラス』を完成させた。

 この僕のラプラスで証明してやる。そして姉にも、父にも。認めさせてやるんだ。僕なりの正しさを…。

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