第3章:ホログラムと、約束の海図
「トウマ、システム出力30%を維持しろ。取りこぼした外周のスモール・ノードを狙う」
「はいっ!」
緑龍が中国第一の『大和』と離れた後の数時間は神経をすり減らすような消耗戦が続いた。その間に緑龍のバッテリーはクォータム・ゴーストを使ったために消耗し再度交換する羽目になった。
互いに距離を取りながら残りのノードを取り合う。残りのノードはもう少ない。数少ないが、確かに備讃瀬戸のフィールドのあちこちに点在していた。だが、四一の『黒麒麟』と中二の『海燕』は、すでに自分たちのエリアのXY軸を最大値にまで到達させていた。
向こうもバカじゃない。これ以上は平面のノードをいくら獲得しても、多角形の体積は増えないためポイントは伸びない。しかし、他チームに取られて陣地を広げられるくらいなら、自分たちの色に変えて蓋をしてしまえばいい。こちらのポイントが高くならないようにZ軸を持つノードも潰されていく。黒麒麟と海燕という空力とスピードに特化した二機が海面と上空を制圧し、スペック的に潜行が必須となる深海のノードについては、圧倒的な質量を持つ『大和』との早い者勝ちの争奪戦となった。
当たり前のことだが、Z軸も重要ではあるが、ラージ・ノードでも無い限り上空や深海に対してkm単位は望めない。せいぜい-100mか+200mか。XY軸の方がポイントは稼ぎやすいということになる。
そうはさせまいとおれたち四二は広大な網の目の合間を縫って、点在するノードを一つずつ泥臭く拾い集めるしかなかった。おれはコンテナの最奥で三台のホログラムモニターを同時に睨みつけていた。右の画面には公式の広域気象データ、左には緑龍の環境集音アレイが拾う海底の地形データ、そして中央には各チームのリアルタイムの軌跡。
「黒麒麟が北北東へ転舵した。おれたちの予測進路を塞ぎに来ている。トウマ、緑龍を右へ15度回頭。佐柳島の南側、暗礁の影にあるノードへ向かえ」
「了解。また海燕のドローン群です! 上空から進路に網を張られています!」
「無視しろ。海燕は威嚇しているだけだ。あいつらもこれ以上バッテリーを無駄にはしたくない。緑龍の装甲強度なら強引に突破できる」
おれの指示に合わせて、トウマが仮想キーボードを叩き、ノゾミが操縦桿を振るう。
おれたちの緑龍と中一の大和は、黒麒麟が残したノードを互いに牽制し合いながら、執念深く拾い集め続けた。
やがて、傾きかけた太陽が瀬戸内の海を鈍い黄金色に染め始めた頃。
ピ―――、ピ―――、ピ―――ッ!!!
17時。Day1『スプリント・ラッシュ』の終了を告げる電子ホーンが、夕闇の迫る瀬戸内海全域に鳴り響いた。 リアルタイム戦況マップが、システムロックを知らせる強烈な赤色に明滅し、島々を侵食していた各チームのポリゴンの陣地変動がピタリと停止する。
『……Day1、競技時間終了です。選手の皆さん、大変お疲れさまでした。本日の競技はこれで終了です』
実況AIアンナのアナウンスがコンテナ内に響き渡った。続いて、メインモニターの画面が切り替わり、初日の最終順位と獲得ポイントが巨大な文字で表示される。
【Day1 終了時・総合スコア】
1位:四国第一『黒麒麟』 14783pt
2位:中国第二『海燕』 12449pt
3位:四国第二『緑龍』 6241pt
4位:中国第一『大和』 5826pt
『各チームの順位をお知らせします。各ポイントの合計は明日以降にも持ち越されます。三日間のトータルの得点が高いチームが本戦出場となります』
その数字を見た瞬間、トウマが全身の糸が切れたように、コンテナの硬い床にへたり込んだ。物理キーボードのない空間で仮想ホログラムのパネルを何時間も叩き続けた指先は、摩擦熱と極度の神経疲労でかすかに痙攣するように震えている。
「3位……! くそっ……あんなに死に物狂いで拾ったのに、トップの黒麒麟にダブルスコア以上の差をつけられてるじゃないか……!」
トウマが悔しそうに床を拳で叩く。
「これ、3位じゃヤバくないの? 明日はもっとペースあげなきゃ!」
コウメも、ドローンの中継用コントローラーを置きながら、不安そうにスコアボードを見上げている。彼女の配信チャンネルの同接は一時150万人を記録したが、後半の消耗戦が続くにつれて、少しずつ数字は落ち着きを見せていた。
「まあ、一日目はこれでいい。想定内だ」
おれがモニターの数字を冷徹に見つめたまま呟くと、トウマとコウメが弾かれたように振り返った。
「想定内って……カイト先輩、倍以上負けてるんですよ!?」
「どう考えてもやばいでしょ! このままじゃスポンサーさんたちにも怒られますって!」
「いやこれでいい」
おれは振り返りパニックになりかけている二人の目を見て、はっきりと答えた。
「まだ初日だ。十分に逆転可能な点数差に収まっている。エリアが劇的に広くなる明日からが、本当の本番だ」
「エリアが広くなるんなら、スピードがある黒麒麟や海燕の方が圧倒的に有利じゃん。それって余計に厳しくなるんじゃ……」
コウメがうつむき加減で反論する。
「普通のノードの取り合いならな。だが、おれたちに勝機があるとすれば、ラージ・ノードだ」
おれは空間に浮かぶホログラムモニターに戦況マップを指先で弾き、明日のフィールドである『小豆島・直島エリア』の地形データを空中に展開した。
「初日である今日、フィールドには少なくとも1個のラージ・ノードを獲得できた。だが、それ以外に隠されたラージノードはおれたちも含めてどのチームも誰も見つけられなかった。1個しかなかったのか、それとも運営のAIはよほど厄介な場所にそれを隠していたのか。明日はこれを狙う」
「これが二日目のラージ・ノードの配置予想だ」
おれはモニター上の小豆島周辺の海図に、三つの赤い光点をプロットした。
「えっ、ラージ・ノードは運営から座標の発表はされてないのに? どうしたんですか、これ??」
トウマが目を丸くして身を乗り出す。
「今日一日、おれは他チームの動きをすべて記録し、逆算していた。恐らくラージ・ノードを他のチームも探していたはずだ。それぞれのチームのセンシング能力(索敵範囲)は不明だが、仮に緑龍と同じ半径10mと仮定した場合、少なくとも今日の黒麒麟や海燕が通った軌跡のライン上には、ラージ・ノードは存在しなかったことになる」
初日の各チームの軌跡が、海図の上に何本もの色のついた線となって描かれる。縦横無尽に引かれた線が、フィールドのハズレの場所を証明していた。
「これに二日目のノード配置の傾向、瀬戸内特有の海底地形、潮の満ち引きの流れ……そして、この大会のメインスポンサーである国営企業イースト・マース社が、『次世代インフラ実証実験』として欲しがるであろうデータ収集ポイントの傾向。それらすべての変数を統計学的に掛け合わせ、最後にノゾミの突飛な行動パターンでノイズを足す」
モニターには二日目の競技エリアに、確率を示す等高線のような赤いヒートマップが浮かび上がった。
「これが、ラージ・ノードの予想位置だ。明日のおれたちは、これらの場所を優先して探しに行く」
「カイト先輩の頭の中、どうなってるんですか……すごっ」
コウメが目を輝かせる。
「最終的には、おれの勘だがな」
おれは真顔で答えた。
「統計学と心理学の賜物ですよね。……でも、もしその『勘』が外れたら?」
「もちろんその可能性もある。だから、なるべくリスクヘッジはしておく。優先するとは言ったが、確実にスモール・ノードで得点を稼ぎつつ、ラージ・ノードの予想地点を経由できるルートで勝負する」
おれはマップの東端へ視線を移した。
「問題は……中国第一の『大和』だな」
そこには、不気味に赤く染まったまま動きを止めた大和の軌跡があった。
あの大和のパイロット、野崎ジュタロウがいる。初日で最下位になったからといって大人しく引き下がるようなタマなわけがない。
――約1ヶ月前。
本州と四国を繋ぐ唯一の陸路、瀬戸大橋のたもとにある与島パーキングエリア。
イースト・マース中四国支部が管理する無機質なカンファレンスルームに予選に出場する4チームの代表者が集められていた。これに四二キャンパスからは、おれが参加した。
正面の巨大なスクリーンには、大会のメインスポンサーであるイースト・マースの責任者・御堂傑のホログラムアバターが映し出され、今年の大会ルールであるノードエリア・コントロール(AR陣取りゲーム)と、XYZ軸の概念、そして各日の独自ルールについて淡々と説明を終えたところだった。
「――以上が、今年度の『Setouchi 72H』の特別ルールとなります。そして…」
御堂のアバターが、冷徹な目で室内を見渡した。
「本戦への出場枠ですが、四国州のトップから1チーム、中国州のトップから1チームの、計2枠に秋に関西州(新首都・京都)で開催される世界ロボットコンテスト本戦への出場権を与えます。皆様の健闘をお祈りしております」
そしてルール説明が終わり、質疑応答の時間となった。
「ちょっと質問いいですか?」
「どうぞ」
中国高専第一キャンパスの席から野崎ジュタロウがゆっくりと立ち上がった。身長190cmを超える筋肉の塊のようなその体躯が室内の重苦しい空気をさらに圧迫する。
「四国と中国で仲良く1枠ずつ分け合うルールですがね。仮に、あくまで仮にですよ、1位2位が中国が独占した場合でも四国の3位が本線に進む。そんなことになったら興覚めじゃないですか?」
「ほう。では、野崎くんはどうすべきだと?」
御堂が眉をひそめる。
「単純に総合スコアの『上位2チーム』が本戦に出場する。それでいいじゃないですか。予選で勝てないやつが全国に進んだって、どうせ勝てないでしょうから」
ジュタロウはニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。
御堂は少し面白そうに目を細め、ホログラムの向こうで頷いた。
「なるほど。完全な実力主義の競争というわけですね。我々イースト・マースとしても、より激しいデータが取れるならば歓迎します。今年度の代表枠は州の垣根を撤廃し『総合上位2チーム』に変更しても運営側はよいですよ」
会議室の空気がピリッと凍りついた。
「他のチームの方々はどうですか?」
御堂は残りのチームに問いかけた。その問いに真っ先に反応したのは棚海リサだった。
「御堂様、賢明な判断に感謝いたしますわ」
中国高専第二キャンパスの席から、プラチナブロンドの髪を揺らして、リサが優雅に立ち上がった。彼女の淡いブルーの瞳には一切の遠慮がない。
「強いチームで関西に乗り込んだ方がよっぽど効率的だもの。自信の無い皆様は、今年の予選はどうぞ瀬戸内の景色を楽しむ思い出作りにしてくださいませ」
「そういうこっちゃ」
ジュタロウがまだ意見を言っていない四国州の席を舐め回すように睨みつけた。今度は明らかな敵意を込めた、粗暴な口調だ。その圧倒的な挑発に対し、四一の席に座っていた空前クウゴが車椅子の上で静かに腕を組んで鼻で笑った。
「……ほう。ずいぶんと舐められたものだが。実力主義だと言うならこちらに異論はない。別に構わないよ」
四一から参加していた空前クウゴも車椅子に乗ったままで、
「いいですよ。うちも舐められたもんだ。吠えるのは勝ってからにしてくれないか」
と涼しい顔で受け流した。
バチバチに火花が散る中、
「四二さんはどうですか?」
御堂のその緊迫した空気の中でこちらに視線が一斉に向いた。
「せっかく用意されてる中国州代表の枠が失うかもしれんけど、ええんですね?」
ジュタロウの額に青筋が浮かび、リサの美しい顔が微かに引き攣った。
「それでは、中四国予選は上位2チームが本戦に進むことで決定します」
話をまとめて御堂が言い放った。
そんな一ヶ月ほど前のやり取りが、おれの脳裏に鮮明に蘇る。
「あんな提案を自らしておいて大和のポイントは最下位だが、このまま大人しく終わるとは思えない。明日は何か盤外の罠を仕掛けてくるはずだ」
やつらの狙いもラージ・ノード狙いの可能性は高い。もしくは何らかの方法で攻撃してくるか……。
「二日目のスタート地点は小豆島。まずは島内のノードを獲得していくことになるが、ここで優位を保てなければ、おれたちの負けだ」
夕暮れの瀬戸内を、おれたちのコンテナボートがゆっくりと指定された海上停泊ポイントへと自動航行していく。窓の外では、赤く染まった海が一日目の熱狂を冷ますように静かに波打っていた。
「あー、お腹減った!」と先ほどまで姿が見えなかったノゾミ先輩が呑気に現れた。
「ノゾミ先輩、大事な話している時にどこ行ってるんですか?」
「まあまあ、難しい話はあとにせん?トウマ、コウメ!今日は私が特製カレー作ったから元気出そうよ!」
ノゾミがインナースーツの上から大きめのパーカーを羽織りながら、コンテナ奥の簡易キッチンから両手に巨大な鍋を抱えて出てきた。部屋中に一気にカレーの匂いが漂う。
途端にお腹の音が木霊した。
一番大きい音を発生させた人物に視線が集中する。
「いやいやいや、私じゃないから」
顔を真っ赤にして否定するコウメ。
「いやいや、先輩は一番疲れているでしょう。ぼくがやりますから座っててください!」
皿やスプーンを準備しようとトウマが立ち上がり、キッチンへと走っていく。
「カイトもカレー食べるでしょ?」
「ああ、食う。だが余計なものは入れるなよ」
「失礼な! ちゃんと栄養学的に算出された最適栄養素しか入れてないよ!」
トウマが手際よくアルミパネルを展開した簡易ダイニングテーブルを囲み、おれたちは遅めの夕食をとった。
ノゾミが作ったカレーはレトルトのベースに大量のスパイスとプロテインや謎の緑色の粉末がぶち込まれた、見た目は泥水のような代物だった。が、塩水と泥と、極度の緊張感にまみれた一日を終えた身体には、その暴力的な香辛料が信じられないほど染み渡った。
「くぁーっ、生き返る! やっぱり過負荷のあとは炭水化物とスパイスに限るね!」
「このカレーは……、かれーどころじゃないですよ、口が焼けるぅ」
トウマが口を赤くしながら大騒ぎしていた。
「カレーは辛いほど美味しいでしょ」
ノゾミが特盛のカレーをペロリと平らげ、満足そうに腹を叩く。
いつのまにかシャワーを浴びた彼女の髪はまだ少し濡れていて、狭い空間にほんのりとシャンプーの香りと、カレーの匂いが混ざり合い漂っていた。温かいシャワーと、まともかどうかは別にして食事が取れるこのコンテナの存在は、三日間のレースにおいて有難かった。
「先輩、髪ちゃんと乾かしてくださいよ。またスーツのセンサーの接点に水分が入って、パルスが狂いますから」
トウマが渋い顔でノゾミの接近を牽制した。
「えー、めんどくさ。じゃあ外の風で乾かす」
ノゾミはタオルを首にかけ、防音ドアを開けて甲板のデッキへ出ていく。その後を追って、おれも自分のコーヒーを入れたマグカップを手に取りデッキへ出た。
瀬戸内の海に陽が落ちようとしていた。オレンジ色になりかけた陽の光が反射してキラキラと海面を照らす。肌を撫でる潮風が心地良かった。
デッキの端では、緑龍が一日目の稼働を終え、太い充電ケーブルを繋がれて静かに眠っている。
ノゾミがタオルで髪をわしゃわしゃと拭きながら、
「カイト。明日はどんな作戦でいくん?」
海を見つめたままおれの方を向いた。先ほどの会話をノゾミ一人だけ聞いていない。
おれは網膜デバイスをノゾミの網膜レンズと同期させ、Day2のフィールドとなる『小豆島・直島エリア』の3Dホログラムを二人の間の空中に展開した。
それから先ほど二人にした話を繰り返した。
「今日の試合で気づいたことがある。ラージ・ノードはもともとバーチャルってこともあるんだろうが、物理的なセンサーの類には一切反応もしない。詳しいことは不明だが、おそらくはある程度近づかないと分からないプログラムになっているのだろう。今はあのキラキラの光だけが頼りだ」
「ふーん。じゃあ、明日はみんなで宝探しってわけだ」
「他のチームに比べて、四二が獲得したノードの数は少ない割に得点が高い。これもラージ・ノードの恩恵だ」
「ホントだ。これ一つだけZ値のボーナスポイントが1000mもある」
「だが、どのチームもラージ・ノードの重要性に気が付いたはずだ。明日はラージ・ノードの取り合いになる。だが、おまえは余計なことは考えず、スモール・ノードの獲得と機動に専念しろ。ラージ・ノードの配置予測はしてみたが、おれの勘が100%当たっているとも限らないからな」
おれはホログラムの海図を指先でタップし、小豆島の沿岸部から海底へと広がる「音響立体地図」を赤くハイライトした。
「トウマがラージ・ノード用の簡易探査機能をつけた。突貫品だが、これがあればAR上にキラキラの反応があれば反応する仕組みになっている」
「わかった。カイト、頼りにしてるよ」
ノゾミが無邪気に笑い、おれの背中をバンバンと力強く叩く。相変わらず加減というものを知らない。普通に痛い。
「……カナタは、元気なのか?」
ノゾミの手が止まり、彼女は黙ってうなずいた。
四一の『黒麒麟』の頭脳であるAI『ラプラス』。それを組み上げ調律しているのは、他でもないノゾミの実の弟、久谷カナタだ。かつては、小さなガレージで姉弟揃って、一緒にロボットをいじっていたはずだった。だが、カナタはここから去っていった。
「……」
ノゾミが少しだけ寂しそうな、けれどどこか嬉しそうな目をして暗い海に向かって視線を落とす。
「カナタと一緒に作った『零』を元に進化させたのが、今の『弐王』だから……、明日は勝つよ。カナタにも、誰にも負けない」
「弟相手だからって、手加減するなよ」
「当たり前でしょ。完膚なきまでに叩き潰して、お姉ちゃんの凄さを分からせてやるんだから」
即答したノゾミの力強い言葉を聞いて安堵した。
あれは南海大震災の傷跡がまだ街のあちこちに生々しく残っていた、おれたちが小学二年生の夏だった。
地元で開催された、復興支援のための小さなロボットコンテスト。優勝すれば賞金も出るが、それよりも副賞の全国大会出場の切符が欲しかった。
それがおれたちがロボットにのめり込む最初のきっかけだった。おれとノゾミは、瓦礫の山になった廃材置き場から拾ってきたモーターやパイプを不格好に組み合わせて、泥だらけになり、指先をすりむき、何度もショートさせて、やっとの思いで四本足で歩く犬のような機体を立ち上がらせた。「ザ・ワン」と名付けた。
それはただの機械じゃない、あれはおれたちの魂が通った確かに「子供」だった。そう呼ぶことは一度もなかったけど……。
だが、結果は散々だった。 優勝したのは、関西の有名進学塾に通う子供が持ち込んだ、市販の高級キットをプログラミングしただけの白くてスマートな二輪ローバーだった。
「君たちの作品は情熱は伝わるんですが、工学的な無駄が多過ぎる。設計の基礎が全くできていない」
大人の審査員たちは、おれたちの「ザ・ワン」を鼻で笑い、無菌室で作られたようなスマートなガラクタだけを称賛した。
帰り道の夕暮れ。ひび割れたアスファルトが続く川沿いの土手が延々と続いていた。いつもは男勝りで、転んで膝から血を流しても泣いたことなんてなかったノゾミがふいに立ち止まった。彼女はボロボロに汚れた自分たちの機体を胸にきつく抱きしめながら、大粒の涙をこぼして泣きじゃくっていた。
「なんで……あんなに、一生懸命歩いたのに……! わたしたちのザ・ワンのほうが、絶対によかったのに……っ!」
彼女は負けたことが悔しかったんじゃない。泥だらけになりながらも懸命に立ち上がった自分たちの作った子供をあっけなく否定されたことが悲しかったのだ。
おれは泣きじゃくるノゾミの前に立ち、その泥だらけの小さな手を強く握りしめた。
「泣くなよ。今度は勝つ。何度でも作り直して、おれが絶対に勝たせてやる。だからまた一緒にやろ」
「……ほんと?」
「ああ。約束だ」
夕日に照らされたノゾミの悔し涙がおれの胸の奥底にどうしようもなく焼き付いていた。
あの時、どうするのが本当は正解だったのだろう…。
夜の瀬戸内海。
明日の激戦を前に、小さなコンテナの中は、束の間の静かな夜を迎えようとしていた。 瀬戸内海の穏やかな波音だけが、コンテナの分厚い鋼鉄の壁越しに低く、子守唄のように響いている。ロフトベッドからは、疲れ切ったノゾミの規則正しい寝息が聞こえていた。
空間に浮かぶ青白いホログラムの光だけが、薄暗い室内を静かに照らしている。トウマはまだ起きていて、無音の空間を指先でフリックし、緑龍のサーボモーターのミリ秒単位の調律と、パルスノイズの除去を執念深く続けていた。
床の隅では、コウメが明日の配信に備えて大量のドローン用バッテリーパックを抱え込んだまま、毛布も被らずに寝落ちしている。おれは無言で近づき、彼女の肩にそっと毛布をかけてやった。
「トウマ、ほどほどにして寝ろよ。明日、お前に倒れられたら緑龍はただの鉄くずだぞ」
おれが声をかけると、トウマは充血して疲れ切った目をこすりながら、小さく頷いた。
「……想像以上にダメージが機体のあちこちにあって。少しでも塞いでおきます。内緒でリミッター外しの上限を引き上げておきます。パワーは落ちますが、これ以上、ノゾミ先輩の神経に無駄な負担はかけられない。それに燃費も長持ちしますし」
「そうだな。任せた」
おれは防音ドアのロックを解除し、再び狭い甲板ガレージに出た。
十月の夜風は冷たく、潮の匂いが肺の奥まで深く入り込んでくる。
海面には、全自動物流船の青白い航路灯が、まるで感情を持たない幽霊のように一定の速度で音もなく滑っていくのが見えた。空には人工衛星の光が、冷たい星の瞬きに混じって規則正しく移動している。
すべてがAIによって管理され、完璧に最適化されたこの静かで荒廃した世界。明日もまた、おれたちの泥臭い生存競争が幕を開ける。おれは潮風に吹かれながら手すりに寄りかかり、網膜デバイスを起動した。
視界に浮かび上がるのは、Day2の舞台となる『小豆島・直島エリア』の巨大な三次元地形データだ。東西に40km、そして南北20km。総面積800㎢。 初日のスプリント・ラッシュが行われた群島エリアとは桁違いのスケールだ。おまけに小豆島は、標高800m級の険しい山脈に、深い渓谷、そして複雑に入り組んだ海岸線を持つ。ホバー機体や大型機体にとっては地獄のような地形。
ここまでが最低限のラインだろう。おれが考えるようなことはどこのチームのやつも考えるだろう。ましてAIなら尚更だ。すぐに思い付くだろう。出し抜くにはそれ以上のアイデアが要る。
考えろ、考えろ……。
チャプ、チャプ、とボートの船底を叩く波の音。遠くで潮がぶつかり合う低い唸り。風が海面を撫でる微細な振動。 振り返ると、コンテナの小さな窓越しに、オレンジ色の常夜灯に照らされたノゾミの寝顔が見えた。毛布を蹴飛ばし、大の字になって眠る、昔から何も変わっていない。
おれはコンテナの窓から視線を外し、再び暗い瀬戸内の海へと向き直った。 冷たい海風が、おれの熱くなった頭を冷やしていく。
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おれは藤平カイト。
四国工業高等専門学校第二キャンパスに通う4年生だ。
久谷ノゾミとの付き合いは古い。家が近所で、親同士も仲が良かったから互いの家にもしょっちゅう遊びに行った。物心が付いた頃にはもうその隣にいた感じだ。小学校、中学校も、そしてノゾミが高専に進学すると聞いて、迷うことなくおれも高専を選んだ。
高専二年の春。ノゾミの弟であるカナタが、家を出て四国高専第一キャンパスへと進学した。
放課後の薄暗いガレージでノゾミは珍しく作業の手を止め、油で汚れた床を見つめながらポツリと呟いた。
「カナタ、行っちゃったんやね」
いつもの騒がしい彼女からは想像もつかないほど、細く頼りない声だった。
「昔はあんなにちっちゃかったのに、大人になって、どんどん変わっていくんよね。遅かれ早かれ、ずっと一緒にはいられんし。それが少しだけ早まっただけ。仕方ないよね」
ノゾミは振り返り、おれの方を見た。その泣き出しそうな目には見覚えがあった。
「ねえ、カイト。お願いやから、カイトだけはずっと変わらず、私のそばにおってよ」
その言葉に、おれは胸を刺された。
努めて閉じ込めていた気持ちが思わず溢れそうになる。この足でそばに近付き、この手で触れたくなる。幼馴染ではなく、一人の男として、あいつのそばに立ちたい。弟のカナタが去って空いたその隙間に埋めて、おれがお前を――。
ダメだ、ダメだ。冷静になれ。
おれの喉元まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。そして、1ミリも悟られないように言葉を選んだ。
「たとえおまえがイヤだって否定したってそばにいてやるよ」
その言葉を聞いて、ノゾミはいつもの屈託のない笑顔に戻った。
「バカやないん。私からそんなん言うわけないやろ」
「そんなことより手を動かせ。そこの接続、ちゃんと確認してるのか?」
ノゾミの言うそばと、おれのそばの意味はきっと違うのだろう。
正直、ロボコンなんてどうでもよかった。
別に自転車でも、料理でも、カメラでも、勉強でも、おれはおまえのそばにさえいられれば、本当は何でもよかったんだ。
あの時、どうするのが本当は正解だったのだろう…。
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