第2章:トルクレンチと、最適化の解
「いきなりうちの切り札を見せるなんて、一体何考えてるんですか…!」
緑龍を甲板に強制回収してからというもの、ぼくの視線の先、何もない空間に明滅する無数の青白いホログラムウィンドウは、まるで怒濤の警告文の滝のように下から上へと流れ続けている。
網膜レンズが捉えたその仮想パネルを、ぼくは両手でシュッ、シュッ、と激しい風切り音を立てながらフリックし、片っ端からゴミ箱セクションへと放り投げ、視線追跡と音声コマンドを並行してシステムパッチを次々と当てていく。
ぼくの怒りの具合は、空間を切り裂く手のひらの速度と、ヘッドセットの奥で荒ぶる呼吸音にそのまま同期していた。
「なんてことをしてくれるんですか。もしフレームが歪んで壊れたらどうするんですか!外装の換えはあってもフレームは無理ですから、初日でゲームオーバーですよ」
「こんくらいで壊れんやろ、うちの緑龍は。トウマの作った骨格やもん。私は100%信じて飛んだよ」
「いやいや、そういう精神論の問題じゃなくて。意味が全くわかりませんって……」
操縦エリアの正面。壁一面に広がる、緑龍のメインカメラが捉えた瀬戸内の立体映像の前で、久谷ノゾミ先輩がケラケラと笑いながらみかんの皮を剥いている。緑龍は自動で帰還モードになっている。
全身にぴったりと密着した黒いインナースーツ型のモーションセンサーが、彼女の無駄のない身体のラインを容赦なく晒していたが、今のぼくにはそれが『弐王』を狂わせる温床にしか見えなかった。彼女がみかんを一口で口に放り込むたびに、スーツの胸元や肩のセンサーが微細な筋電パルスを拾って、ぼくの目の前のウィンドウに赤いノイズを走らせる。本当に胃が痛い。
ガラリとコンテナの防音ドアが開いて、ドローン用のリモートコントローラーを抱えた後輩、友井コウメが飛び込んできた。外の甲板から入ってきたせいか、彼女の短い髪からは瀬戸内の潮の匂いがかすかに漂っている。
「すごい、すごいですノゾミ先輩! 配信のチャット欄、完全に狂喜乱舞ですよ! 同接が120万を超えて投げ銭の通知が止まりません! リスナーたちが大騒ぎしてます! ほら、緑龍のメインカメラ映像、世界トレンドも堂々の一位ですよ!」
と、コウメが興奮冷めやらぬ様子で目を輝かせる。
「コウメ、さっきの画角最高やったよ。ありがとね。やっぱ祭りの掴みとしては満点やね!」
そういってノゾミ先輩はコウメの頭をナデナデし、さらにぼくの神経を苛立たせた。
手放しで数字を喜ぶ二人の横で、ぼくは空間のウィンドウを一つに統合し、緑龍のファースト・ジャンプにおける残酷な詳細データレポートを空中に叩き出した。
「……二人とも、浮かれる前にこれを見てください」
ぼくの地を這うような冷たい声に、コウメがびくりと肩を揺らす。
空間に表示されたのは、深緑色の機体の3Dワイヤーフレームモデルだ。右側面のプラスチック装甲が、大和の放ったアンカーの余波を喰らって大きく赤色に点滅し、内部の骨格にまで警告が出ている。
「最初の垂直登攀で重機用高トルクモーターに規定値の3倍近い過電流が流れて、大橋の頂上から制動。極めつけは、あの海面への自由落下衝突です。カワシマの空隙プラスチック装甲でなかったら、今頃バラバラになって海の底ですよ。おまけに同調率を60%を超さないでってあれほど言ったのに、最初から無理をするから一時的に78%まで引き上がったせいで、各アクチュエーターのサーボに甚大なダメージが残ってます。これ以上回したら本当に壊れますからね」
「こうなったのも中一のやつらのせいでしょ。運営に抗議してやりましょう」
コウメがいきり立っていた。先ほどの『大和』が放ったアンカーが緑龍の機体に接触した件だ。
「原則、機体の接触は禁止ですが、試合中の故意ではない接触は認められています。先ほどのはこっちを狙って撃ったものでないのであれば、あれは認められないでしょう。そんなことよりも…」
ぼくはため息混じりに空間のウィンドウをフリックし、ノゾミ先輩の目をまっすぐに見た。
「ノゾミ先輩、手を出してください」
ノゾミ先輩はとっさに手を後ろに隠した。明らかにごまかそうとしている。
「えっ何々? もしかして告白?」
ぼくは彼女の手首を無理やりに捕まえて前に出させる。
それを横から覗き込んだコウメが息を呑んで呟く。
「あれ?ノゾミ先輩の手、震えている……?」
「『量子亡霊』の影響でしょ。ダメですよ。前回の人工プールを破壊した時もしばらくそうだったじゃないですか。あのシステムは機体のリミッターを外すだけじゃない、パイロットの神経網にも直接莫大な過負荷をかけるんですから。こんな反則まがいのシステムが運営にバレたら、使用禁止は間違いなしですよ。ぼくだって、本当はこんな危ない橋は渡りたくないんですから」
今までコンテナの最奥で黙って聞いていた藤平カイト先輩が、重い口を開く。
「そうだな。これ以上は体調不調が出るリスクもある。クォータム・ゴーストは当面使用禁止にする。いいな、ノゾミ」
カイト先輩の冷徹な剣幕に、ノゾミ先輩も渋々とうなずくしかなかった。
「さあ、おまえら、まだ試合は始まったばかりだ。ここから挽回するぞ」
コンテナ内の壁面に映し出された巨大なモニターには、1日目の競技エリアである備讃瀬戸の広大な3Dマップが投影されていた。そこに300個分の『スモール・ノード』が星屑のように散らばり、各チームの制圧状況がリアルタイムで色分けされて表示されている。
与島から北西方向に向かって、点在するノードが次々と黒色に書き換えられていく。その恐ろしいほどの速度は最高速度時速90㎞に近いのかもしれない。
「四一の黒麒麟がすごいよ、根こそぎかっさらってく気だね。うちは完全に出遅れたよ。どうする?」
コウメが口を尖らせる。
それをカイト先輩が、立体海図を睨みつけながら低く落ち着いた声で、
「いや、四一は根こそぎノードをかっさらっていく気はないみたいだ。よく見ろ。体積が最大となるように、最外郭にあるノードだけをピンポイントで狙って結んでいる。最初から無駄を省いた完璧なルートをAIに決めさせていたんだろうな…。今からあっちを追いかけても仕方ない。おれたちは南西へと向かう」
「大和と同じ方向ですか?」
コウメが指差す先、与島から南方向へは、中国第一キャンパスの『大和』が赤い領土を広げているのがわかる。
「大和と争う気も共闘する気もない。だが、南西の端を潰して、黒麒麟が描こうとしている最外郭の体積を削り落とす」
「でも、すでに得点が5千以上差があるんですよ! これじゃあ絶対に追いつけないじゃないですか」
ぼくは空間のホログラムパネルを強く叩くようにして声を荒らげた。得点は各チームにも分かるようにリアルタイムで表示されている。
【Day1 午後13:30 現在・途中経過スコア】
1位:四国第一『黒麒麟』 5284pt
2位:中国第二『海燕』 3859pt
3位:中国第一『大和』 1853pt
4位:四国第二『緑龍』 0pt
だが、カイト先輩の網膜レンズの奥の瞳は冷静だった。彼は緑龍の超高感度環境集音アレイが拾う独自の「音響立体地図」を展開し、黒麒麟の進路の先にある、いくつかの小さな島々の間を指し示した。
「えっ。これってひょっとして、事前にリサーチしてたんですか?」
「ああ、試運転もかねて緑龍に自動収集させた。ずいぶん時間はかかったけどな」
この瀬戸内の海をいったい何日かかるのだろう。
「黒麒麟のAIは、海面の最短ルート(XY軸の面積)を完璧に潰しに回ってる。おれたちが勝機があるとすれば、さっきみたいな一番高いところか、誰も潜れない一番深いところにあるノードだな。そこを優先的に回収してZ軸(高さ・深さ)で対抗する。……だからトウマ、一秒でも早く緑龍を復帰させろ」
そう言ってカイト先輩にコンテナから追い出された。
コンテナの気密ハッチを開けた瞬間、瀬戸内の生ぬるい潮風と、十月とは思えないぎらついた太陽の光が容赦なくぼくの肌を焼いた。
甲板には緑龍が横たわっている。
ぼくは重い防護グローブを嵌め、空間に浮かぶ半透明のシステムインターフェースを指先でフリックして、緑龍の背部ハッチのロックを音声コマンドで解除した。
「ハッチオープン。冷却セクション、パージ」
プシューッ、と高圧の冷却ガスが白く噴き出し、焦げ付いた潤滑油と、塩水の焼けた特有の匂いが鼻を突く。
内部のホールドから慎重に引き抜いたメインバッテリーコアは、ノゾミ先輩のあの無茶な駆動のせいで、分厚いグローブ越しでもはっきりとわかるほど凄まじい熱を持っていた。インジケーターの示す残量はわずか14%。ぼくはそれを甲板の急速冷却スロットへと乱暴に放り込み、代わりに隣のスロットで鈍いハミングを上げていた充電済みの新しい重水素パックを引き抜いて、緑龍の細い背骨の隙間へと滑り込ませた。
引き抜いたバッテリーを再び充電コネクタに接続する。交換のタイミングが予定よりもずいぶんと早い。このペースだともう一度くらい交換しなくてはならないだろう。
「……猫も杓子も最適化、か。本当に反吐が出る」
重いパックをカチリと固定しながら、ぼくは海峡の向こうで黒い軌跡を描いているであろう四一のフラグシップ機に向けて、誰に聞かせるでもなく小さく悪態をついた。
ぼくの脳裏にふと無菌室の記憶が蘇る。
中学時代、ぼくは関西州の最高峰とされるエリート養成学校で、次世代AI工学の神童として持てはやされていた。そこは、常に一定の温度と湿度に保たれた、人間臭さの欠片もない空間だった。
すべてのロボットの挙動、すべてのコードの結び目はほんの1ミリのブレも許されない最適解であることを強要された。数ミリの誤差、コンマ数%の出力悪化すら絶対の悪とされ、人間の感情や直感、泥臭い試行錯誤など、システムを狂わせる最大のノイズとして徹底的に排除された。
ぼくはそのまま関西州にある高専へと進んだ。
「瀬屋くん。パイロットの息遣いや心拍など、機体の挙動には不要なデータだ。君の組んだこの生体リンクのコードは、計算の邪魔にしかならない。今すぐ削除したまえ」
白衣を着た教官の冷たい声が、今も耳の奥にこびりついている。
ぼくの心は徐々に押し潰されていった。自分がただの歯車になり果てていく恐怖。システムが弾き出す完璧な正解のハサミに四方から切り刻まれ、ぼくは人と接することが怖くなり学校に行けず不登校になった。
そして逃げるように、この潮風と油の匂いが染み付いた四国の田舎の高専へと転入してきたのだ。
今の時代、AI無しではモノは動かない。それは百も承知だ。
でも、ぼくは心のどこかで、冷たい数式だけのAIを激しく嫌悪している。いつか人間のような感情を持つようになるんだとしても数式から導き出される好きとか嫌いに納得いくのだろうか。
だからこそ、ぼくはこの緑龍に、前の学校の連中が見たら卒倒するような非・最適解の塊を詰め込んでやった。
ぼくは防護グローブを外し、緑龍の装甲の隙間から覗く黒い金属の骨組みを素手で撫でた。
極端に太く、無骨な『高剛性トラス骨格(T-Frame)』。四一キャンパスの黒麒麟のような、風の抵抗を完璧に計算して削り出された流線型の美しいフレームではない。一見すると鉄骨を無造作に組み合わせただけのように見えるが、そこにはどれほど理不尽な方向から衝撃を受けても、機体全体で力を逃がして絶対に中枢を歪ませないという、ぼくの偏執的なまでの構造計算が詰まっている。
そして、その外側を覆うのは、プラチナスポンサーであるカワシマ社長が提供してくれた『空隙制御プラスチック装甲』だ。
これもただの軽い外装ではない。素材の内部に無数のミクロの空気の泡(空隙)が閉じ込められており、外部からの衝撃を感知すると、その気泡が瞬時に収縮して衝撃を物理的に吸収する。さらに水中では気泡を意図的に膨張させることで、信じられないほどの浮力を生み出すことができる。大和の放った推進アンカーを食らって致命傷にならなかったのも、高さ194メートルから海面に叩きつけられてバラバラにならなかったのも、この「呼吸する装甲」がエアバッグの役割を果たしたからだ。
そして何よりこの機体の心臓部。パイロットの興奮や闘争心に合わせてマシンの出力を限界突破させるという同調AIシステム『弐王』。ノゾミ先輩だけのために作られた専用AI。
「トウマ、メンテナンスの進捗はどう?」
コンテナの入り口から、ノゾミ先輩がひょこっと顔を出した。黒いインナースーツの胸元を少し緩め、額ににじんだ汗を手の甲で拭っている。
「……バッテリー交換、各肢のアクチュエータの油圧インジェクション、外装パッチのナノ補強、すべて終わりました。いつでも動かせますよ」
「ありがと、トウマ! さすがは最高のメカニック」
ノゾミ先輩はまたミカンを剥いていた。祖父の家で栽培しているらしい。取り放題・食べ放題らしい。柑橘の世界もAIを使って品種改良が進み、暑い地域でも栽培できる。
「みかん食べる?」
「要りません。それより、スーツのセンサーがまたノゾミ先輩の荒い心拍のせいで変なパルスを拾ってます。一度システムのリブートをかけるので、一瞬だけ意識を完全にクリアにしてじっとしててください」
ぼくが指先で空間のウィンドウを大きくスワイプすると、ノゾミ先輩のスーツの各部に埋め込まれたライムグリーンの同調LEDが、すうっと音もなく消灯した。
その瞬間、ノゾミ先輩の表情からいつもの奔放で騒がしい笑みが一瞬だけ消えた。まるで世界から色が抜け落ちたかのような静寂。
「トウマ…」
「な、何ですか?」
先輩は少しだけ視線を落とし、ぼくの手元を見つめたまま、ぽつりと言った。
「また聴こえてる?」
「え…?」
ぼくが作業の手を止めて網膜のログを確認すると、先輩は自分の胸元、ちょうど心臓が脈打つあたりにそっと細い手を当て、緑龍の環境集音アレイが拾う、瀬戸内の海の底をじっと見つめるように呟いた。
「……海の音なのか、緑龍の音なのか、分かんなくなる…」
ぼくはその言葉に、真昼の太陽の下であるにもかかわらず、背筋が冷たく凍りつくような感覚を覚えた。
『弐王』との同期率が上がれば上がるほど、機体と操縦者の精神の境界は曖昧になっていく。それが、ぼくが作ったこのシステムの最大の魔性であり、彼女を怪物たらしめている理由そのものだった。
もし機体と同調したままで致命的なダメージを受けた時、彼女の精神はどうなってしまうのか。人間と機械の境界線を溶かし続けるこのシステムはいつか彼女自身の心を削り取ってしまうのではないか。ぼくはおぞましい化物を生み出してしまったのではないか――。
「……深呼吸してください、先輩。システムをリセットしました。センサーの感度も落としています。もう海の音は聞こえないはずです」
ぼくが声の震えを隠して努めて冷静な声でそう告げると、ノゾミ先輩は「んー」と小さく伸びをして、いつもの屈託のない笑顔に戻った。
「よーし! じゃあカイトの作戦、いってみようか!」
バッテリーを100%まで満たした緑龍が再び立ち上がった。
「弐王再起動。システムオールグリーン。――緑龍、出撃します!」
コンテナ内ではノゾミ先輩の鋭い声とともに、壁一面に展開された視界モニターが、再び瀬戸内の青い海と鮮烈な太陽の光で埋め尽くされた。
甲板ガレージから、深緑の四肢がチタンの爪を軋ませながら海面へと滑り込んでいく。手足を折りたたみ、しなやかな長い尾部ユニットを大きく波打たせる潜行用の「龍泳モード」へと移行した瞬間、160kgの機体は水の抵抗を完全にゼロへと変え、音もなく海中へと潜行していった。
カイト先輩が、ぼくの横で独自の音響立体地図を空間に展開した。
超高感度環境集音アレイが拾う、瀬戸内の海底の生々しい振動。それが立体的な海図としてぼくたちの目の前に浮かび上がる。
「この先にある佐柳島から高見島にかけての海域は、潮が引くと無数の岩礁が剥き出しになる場所がある。ノゾミ、水深8m、海底のトラスの残骸の影にノードの密集地帯がある」
壁一面のモニターの向こうで、潜行する緑龍がその目を光らせた。
「了解。カイト」
インカムから返ってきたノゾミ先輩の声は、先ほどみかんを食べていた呑気な声とは完全に別人に変わっていた。
彼女が両手をしなやかに動かすと、空間のセンサーがその軌道を完璧にトレースし、海底を泳ぐ緑龍の尾部ユニットが力強く水を打った。
「高見島南側の第一岩礁群に到達! ノード獲得」
ぼくがコンテナの中で叫ぶと同時に、壁面モニターの中の深緑色の獣が、海底の荒々しい花崗岩の割れ目へとチタンの爪を強引に突き立てた。潮流は秒速2mを超える激流だ。普通の軽量機なら一瞬で流されて岩肌に叩きつけられるところを、緑龍はトウマ特製の重骨格をミシミシと軋ませながら、力ずくでその場に機体を固定している。
ピロン、と電子音が鳴り、マップ上の岩礁が鮮やかなライムグリーンに染まった。
「次、そこから北東へ50m、水深12m」
カイト先輩が的確に指示を出していく。ノゾミ先輩は全身のモーションセンサーをしなやかに反転させ、緑龍の長い尾をスクリーンの向こうで一閃させた。尾の先端が水中でノードの座標を正確に射貫く。
ぼくたちの龍は、牙を剥きながら、泥臭く、執念深く、眠っていたノードを一個ずつ確実に毟り取り、ペラペラだったポリゴンの体積を内側から押し広げていった。先ほどまで0ptだった得点にようやく数字が刻まれる。
だが、この浅瀬の探索を海面を爆走する最大の質量が見逃すはずはなかった。
ゴォォォォォォォン……!
コンテナの分厚い鉄板を透過して、海底の水を震わせるような地鳴りのごとき重低音が響いてきた。
「――熱源接近! 東側から急速接近、中国第一の大和です!その距離500m」
ぼくの網膜レンズに、巨大な質量を示す真っ赤な警告マーカーが異常な速度で飛び込んできた。近隣の浅瀬でノードを奪い続ける緑龍に気づき、その巨大な船体を強引にこちらへ向けて転舵してきた。
浅瀬の迷路であるにもかかわらず、大和の船舶級ツイン・ハイドロジェットが、ドガァァァンと重低音を炸裂させる。920kgの質量が放つ凄まじい推進力が、周囲の浅瀬の海水を力ずくで巻き上げ、海底を揺るがすほどの凶器――巨大な引き波を発生させていた。
「大和の引き波が来ます! 波圧が強烈すぎる、この水深じゃ姿勢制御が耐えられません! 流される!」
ぼくは空間の警告ウィンドウを必死にフリックしながら絶叫した。海底の砂や藻が一瞬で巻き上がり、緑龍の視界モニターが真っ白な泡で完全に潰される。津波のような激流が、緑龍の重骨格を岩盤から引き剥がそうと襲いかかった。
だが、真っ白に染まったスクリーンの前で、ノゾミ先輩は獰猛に歯を剥いて笑った。
「弐王、出力を左前肢に集中!この波を踏み台にする!!」
「正気ですか!? 止めてください、ノゾミ先輩!」
弐王の同期率が再び75%の限界領域へと跳ね上がり、コンテナ内に脳を揺さぶるような高周波のハミングが鳴り響く。それとともに緑龍の体が発光していく。
ノゾミ先輩が全身のモーションセンサーを大きくのけ反らせるようにして、空間を激しく蹴り上げた。
その瞬間、海底の緑龍は、大和の放ったアイアン・ウェイクの激流の渦の斜面へと、自らチタン爪を突き立てた。潮流のエネルギーをそのままジャンプの反発力へと変換する。
さらに、カワシマ製の空隙制御プラスチック装甲が、内部のミクロの空気層を一斉に膨張させ、巨体に爆発的な浮力を与えた。
ドッパァァァァァァン!!!
海面が激しく爆発した。
大和の巻き起こした白い白波を突き破り、深緑色の鉄の龍が真昼の太陽に向かって、水中から大空へと弾丸のように跳ね上がったんだ。
生中継中のコウメ・チャンネルには、
《嘘だろ、大和のアイアン・ウェイクを踏み台にして水中跳躍した!?》
《四二の龍が跳んだ! 空中に浮いてるぞ!》
《バケモノかよ! ロボコンのローバーって海を飛ぶ機械だっけ!?》
チャット欄の数字が、もはや文字として読めない超高速の濁流となって下から上へと吹き上がっていく。同接カウンターは150万人を突破し、画面が処理落ちを始めるほどの熱狂に包まれていた。
「コウメ!上のノードの座標を画面に固定しろ!」
カイト先輩が叫ぶ。
「はいっ!!ノゾミ先輩、ここです」
コウメがリモートコントローラーを抱え、天井の低いコンテナの中で身を乗り出すようにしてドローンを操作する。
空中へと跳ね上がった緑龍の遥か頭上にノードがすぐ目の前に迫っていた。太陽の光を背負いながら、ノゾミ先輩はコンテナの中央で、その長い黒髪を烈しく振り乱し、全身を捻って空間を狙い打った。
「もらったぁぁぁぁぁ!!」
スクリーンの向こうで、緑龍の長大な尾部ユニットが、空中を切り裂くようにして仮想ノードの座標へと叩きつけられた。
バチンッ!!!
網膜レンズの空間全体に、鼓膜を震わせるほどの強烈な電子音が鳴り響く。
メインマップに表示されたその重要拠点のカラーが、鮮烈なライムグリーンへと一瞬にして塗り替えられた。
「このまま引くぞ」
「えっ引くの?こっちの方が優先じゃないの…?」
実況していたコウメが思わず、聞き返した。
「このまま潰し合ってもトップとの差は開くばかりだ。それにクォータム・ゴーストは使うなと言ったろ」
「ご、ごめんなさい…」
ノゾミ先輩は素直に謝罪の言葉を口にした。緑龍は大和に背を向ける。
『逃がすかよ。もう少し一緒に遊ぼうぜ』
オープン回線から大和のパイロット、野崎ジュタロウの太い声が響いた。
大和のアンカーが射出され放物線を描いてこちらに向かってくる。緑龍の少し前に着弾して岩礁を砕いた。破片が緑龍の装甲にバチバチと被弾する。
ひぇー、こんなのアリ?直接当てる気はないんだろうけど、あんなの何発も食らったら…。
「もうしつこいやつは嫌われるって」
再び発光した緑龍がアンカーの金属チェーンを伝って大和に突っ込んでいく。
「ぶ、ぶつかる!」
コウメが絶叫して目を伏せる。
ぶつかる寸前で足場のチェーンを力強く蹴り、その反動で大きく跳躍した。緑龍は大和を飛び越えて着水した。
そしてそのまま、龍泳モードとなった緑龍は全速力でその場から離脱した。
「グッバイ、バイバイー」
大和が反転するその隙にアンカーが届かない位置まで離れて距離を取る。
「ノゾミ先輩!大和を飛び越えるときにまたクォータム・ゴーストを使ったでしょ!」
ぼくはノゾミ先輩に一喝した。
ノゾミ先輩はいつもの調子で少しも悪びれた様子もなく、変顔をした。ぼくはコンテナ内を包んでいた張りつめていた緊張が解け、いつもの空気に戻るのを感じた。
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ぼくの名前は、瀬屋トウマ。
四二に通う3年生だ。ロボコンではメカニックのエンジニアを担当している。今でこそ家の外に出られるようになったが、ぼくは引きこもりだった。関西州の高専1年生の時、プレッシャーで学校に行けなくなり丸1年間引きこもっていた。
このままではいけないと父一人を大阪に残し、母方の故郷である四国州へと引っ越してきた。盆正月に何度か訪れたことがある。ぼくも一応同意はしたが、ほとんど母親一人で決めたようなものだった。父は離れて暮らすことになっても何も言わなかった。
「向こうであったことは忘れて、あんたはここからやり直すんやで」
高専への転入手続きを済ませたのも母親だった。ただし1年生の取得単位が無かったために1年生からの二度目の1年生をやり直すことになった。ダブりというやつ。
1年間のブランクはあったものの、ここでの勉学は向こうに比べれば割と楽だった。AIからも離れたいと思っていたのでちょうど良かった。1年生二回目ということもあり最初に受けた試験で学年でトップだった。
ただ、AIかそれに感化される人間たちとしか接してこなかったぼくにとって、コミュニケーション能力の無さは絶望的だった。クラスに少しも馴染めなかった。
「瀬屋君。一緒にやらん?このゲーム、面白いよ」
ぼくの口から出る言葉は、魔法にかかったように靄にかかっていた。
「いやええそんなのくだらん。時間の浪費や」
違う。そんなことを言いたいんじゃないんだ。ゲームはぼくも大好きなんだ。
「瀬屋君は大阪ではどんなことをしてたの?」
「そんなん関係ないやん、何してても別にええやろ」
う、違うんだ。大阪のことはぼくだって思い出したくない。
何度かそんな過ちを繰り返すとぼくに話しかけてくれるクラスメイトはいなくなった。
人と接することが怖い…、嫌われるのが怖い。誰か答えを教えてくれよ。
家を出てから一言も喋らず家に帰ってくる日々が続いた。勉学だけが唯一の救いでぼくの心を保っていた。しかしそれも2年生に上がる頃、試験で初めて2番に落ちた。
もう学校にいくのを辞めようかと、また引きこもりに戻ろうと帰り道、ひとりの女子学生とすれ違った。その女子学生は通り過ぎた後で、わざわざ引き返して戻ってきた。そしてぼくのことを指差してこう言った。
「あっ、何か見たことある。瀬屋トウマくん?AIに詳しいんやろ?」
それが久谷ノゾミ先輩だった。ぼくがニュースに載ったのは中学校の頃にたった一回だけ。それをこの人は覚えていたと言った。
ノゾミ先輩から初めて「零」を見せられた時、鳥肌が立った。
アルゴリズムが狂っていた、明らかに間違っているのだ。それをあえて生かし見事に調律している。これを作った人は天才だ。こんなものを弟さんと一緒に中学時代に作り上げたと聞き、信じられなかった。
「どうしてもうまくいかんのよね。ロボコンで勝つためにはどうしても零が要る。お願いやけん、力貸して」
「なんでぼくがそんなことせないかんのですか、ぼくにええことあるんですか」
しまった…。また重度のコミ障が発動してしまう。
「ええことあるに決まっとるやろ。私が見せたるけん、一番にならんと見れん、一番いい景色」
「何なんですか、それは?そんなん見て、何になるんですか?」
あっ、また言葉が口から零れ出る。
「何になるかは言われてもよー分からへんけど、きっと気持ちええよ。ひょっとして何かエッチなこと想像してた?」
ノゾミ先輩は目を細くしてぼくの方を見る。
「な、何バカなこと言ってるんですか。絶対手伝いませんからね」
「まー、そんな怒らんでも。しゃーないな、1秒だけなら触ってええよ」
「あなたは痴女ですか。頼まれたって絶対触りません。要りません、そんなの」
こんなに人と会話したのはいつ以来だっただろう。ぼくは久しぶりに喋り過ぎてのどが痛くなった。
次の日からぼくは「零」の改良に着手した。これは通常のアプローチの仕方じゃダメだ。ハードと相性が合う専用のAIに仕上げなければ。3か月をかけてトライ&エラーを2500パターンほど繰り返した。良い傾向を見つけたと思っても、その先かその先の先で息詰まってしまう。出口が見つからない。
「やっぱり無理です。ぼくにはできません。こんなの偶然でもなければ完成させるのは不可能です」
ぼくはノゾミ先輩に頭を下げて謝った。断るつもりだった。ぼくは天才じゃない。荷が重過ぎたんだ。
ノゾミ先輩はそれを聞いて、バンバンとぼくの身体を叩いた。
「よーそこまでたどり着いたね。私たちだって1万回以上試したんやから、もうあんたも分かっているんやろうけど、最後は運を味方につけたんよ。でも今まさにこれが運やって分かる人にしか答えは出せん。じゃけんあんたが必要や」
「えーこんなの無理ゲーですって。正気の沙汰じゃない」
「まあまあ、ここまできたんだから。あとは根性勝負。私も手伝うから。それよりもやっぱエッチなことの方がええんか?」
「いやいや遠慮しときます。絶対にそんなの要りませんって」
ぼくたちは『弐王』を完成させた。運を掴むまでに6か月と25518パターンを要した。こんな非科学的なことはもう二度としたくないと心から思った。
ぼくはノゾミ先輩には感謝してる。あの人がいなかったら、ぼくはきっとこの場所にはいない。
ぼくは覚悟は決めた。証明してやる。ぼくたち、いやぼくがこの四国高専に来て正しかったってことを。
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