第1章:アクションカメラと、四足の獣
「はいみなさん、こんにちはー!」
まばゆい昼の光に向かって、私はお決まりの満面の笑みを浮かべ、両手で大きくピースサインを作った。いつも以上にうまく笑えている。
「瀬戸内の美しい景色と大会の『熱』をどこよりも生々しく、補正ナシの画像でお届けする四二公認のコウメ・チャンネルへようこそ!」
カメラを操作し上から、早熟の胸の膨らみ、無駄のない腰のくびれ、張りのある生足、そしてその全身を晒す。
「いよいよ、本当にお待たせしました!世界ロボットコンテスト『Setouchi 72H』中四国地区予選、開幕です!私は今、スタート地点である与島パーキングエリアの特設展望デッキに立ってまーす!」
網膜レンズの右上に表示されたリアルタイムの視聴者数カウンターが、パチパチと電子音を立てるような速度で跳ね上がっていく。1000、3000、8000、12000――。
よし、滑り出しは上々。画面の端には、我が四国工業高等専門学校第二キャンパス(通称・四二)のプラチナスポンサーである『カワシマ』の鮮やかなライムグリーンのロゴマークが、バッチリと画面内の特等席に固定されている。
広報担当としての私の任務は、この配信を通じてスポンサー企業の宣伝効果を世界中に知らしめることだ。
なんと言っても、今回の『緑龍』に使われている世界最軽量の空隙制御プラスチック外装は、カワシマ社長――つまりメインパイロットであるノゾミ先輩のお父様からの全面的な無償提供、それも数え切れないほどの先端技術の結晶なのだから。宣伝の一ミリもおろそかにするわけにはいかない。
『――間もなく時刻は13時を迎えます。イースト・マースがメインスポンサーを務める、次世代瀬戸内移動インフラ実証実験兼エンターテインメント。本年度の中四国予選は、過酷な自然環境が今なお牙を剥く瀬戸内海全域をフィールドとして執り行われます』
視界の隅で大会の公式中継を司る実況AI『アンナ』のノイズ一つない澄んだ合成音声が流れる。
こいつも私にとってはライバルの一人だ。大会公式から特別に映像使用の許可が出ているが、チャンピオンが格下に胸を貸してくれるようなもの。これを上手く利用して視聴者数を伸ばしてやりたい。遠慮なく公式のメインカメラが映し出す映像を使わせてもらう。
「ご覧ください。この与島パーキングエリアは、会場の熱気で盛り上がっていまーす!」
きらびやかなお祭り仕様のホログラムで埋め尽くされていた。空中を舞う仮想の紙吹雪、10mを超える巨大なカウントダウンタイマー、空間に浮かび上がっては消えるメガ企業のロゴの数々。
この期間中の3日間の72時間は、世界屈指のALA社が提供する巨大なサーバーで現実世界と仮想世界setouchiが同期され拡張現実(AR)には、世界中からアバター(自己分身)が押し寄せていた。世界同時中継される巨大エンタメの熱気が、潮風に乗って肌に直接伝わってくるようだった。
拡張現実の空を見上げれば、メガ企業のロゴをぶら下げた巨大なホログラムの飛行船がゆっくりと旋回し、海面には実際には存在しない極彩色の熱帯魚たちが跳ね回っている。 現実の与島の住人はゼロ人だが、網膜レンズを通したAR空間の観客席には、アメリカ、ヨーロッパ、あるいはアジアの各州からログインしてきた多種多様なアバターたちが足の踏み場もないほどにひしめき合い、それぞれの言語で熱狂的な声援を飛ばしている。
大震災の後、移動が制限されたこの時代において、完全同期で世界中の人々と空間を共有できるこの『Setouchi 72H』は、人類にとって数少ない「世界が一つになる祭り」だった。
《きたきたきた!いよいよ始まりますな》
《今年はどこが優勝するのか。ワクワク、ドキドキ》
《おいおい、去年のバグチーム、今年も推薦枠で出てんのかよ(笑)》
コウメ・チャンネルのチャット欄にはさっそく盛り上げるためのカモたちがやってきた。
「ちょっとそこ!去年の優勝をバグとか言うのやめてもらえますかー?あれは我が四二チームの正当な技術的勝利。というか自然と運の力を味方につけたインスピレーションの勝利ですからね!今年も四二の雄姿、ばっちりこのチャンネルで世界中に生配信していきますから、今のうちにチャンネル登録と高評価、それからカワシマ製品のチェックもお忘れなく!」
《結局、運じゃねえか。それをバグっていうんだよ(笑)》
チャット欄には、世界中の視聴者からもの凄い速度でコメントが書き込まれ、濁流のように下から上へと流れていた。いい感じにコメント欄が盛り上がってきている。これを上手くコントロールするのも私の役目である。
私は一呼吸置いて、自分の網膜バイザーのAI視覚補正を30%まで手動で引き下げた。途端に目の前の景色からデジタルな輝きが剥ぎ取られ、先ほどのド派手な姿と打って変わってざらついた現実が姿を現す。
足元のコンクリート床には、南海大震災で入った無数の不格好な亀裂が、黒い補強樹脂で蜘蛛の巣のように固められている。一般の観光客の姿はなく、報道陣や関係者がまばらにいるだけで島のリアルは閑散としていた。周辺エリアには競技のために一部交通規制も敷かれている。
今も過去に比べればずいぶんとマシにはなっているものの、未だ人類は完全な環境問題の解決には至っていない。人類が及ぼした温暖化の影響で海面が1.0m以上上昇し、災害級の嵐や干ばつが世界各地で頻発した。一時は世界人口がピーク時の3分の1にまで激減し、人類が点在する安全な生存圏に身を寄せ合って暮らしている。
この瀬戸内も例外ではない。多くの島々から人々の暮らしが消えた。日本では陸・海・空の移動を統括する国営企業『イースト・マース』によってインフラは徹底的に集約され、本州と四国を物理的に繋ぐ陸路は、今やこの目の前にある瀬戸大橋の一本しか残されていない。瀬戸内の島々の多くが無人島と化し、人が住まなくなった島は静かに自然へと還りつつある。
私は手元のアナログ端末をタップして、画面に今大会の3Dマップを展開した。
「さあ、初見のリスナーさんのために、今回の『Setouchi 72H』のルールをおさらいしておきましょう!基本は、現実の海と島を舞台にしたAR陣取りゲーム、エリア・コントロールです。フィールドのあちこちに配置された仮想の『ノード』と呼ばれる点に機体を物理的に接触させて、同期することで自分の陣地にしていきます。ノードは仮想空間を通して確認することができます。勝敗を決めるポイントは、獲得したノードを結んでできる多面体の【XYZの体積】で計算されます!」
私は画面上の立体的なポリゴン図を指でつついて見せた。途端に地図上に無数のノードが映し出され各チームを想定したシミュレーション画面が表示される。そのひとつを拡大して見せた。
「これがノードです。無色透明なクリスタルの形状をしています。これに触れると色が変わる仕組みになっています。四一は黒、四二は緑、中一は赤、中二は白に変わります。それぞれのノードを結んだ体積が得点になります」
私がノードに触れると緑色に変わる。いくつかのノードに触れると面になり、立体になって、そのノード同士が結ばれた空間が緑色に変わった。その緑色の内側のノードに触れても色は変わるが、体積は変わらない。
「ここが大事なポイントです。分かりますか?つまりどれだけ多くノードを獲得しても体積を大きくできなければ得点にはなりません。つまり海面(XY)を広く、平べったく囲っても、高さ(Z)がなければ体積はペラペラで得点は伸びません。当然、高さ(Z)だけでも得点は伸びません。面積(XY)と高さ(Z)の両方が要るのです」
さらに拡大すると、ノードの中に比べて一際大きなものがあった。しかもキラキラと眩しく発光して輝いている。
「ノードの中には『ラージ・ノード』という特殊なノードも存在します。通常のノードに比べてZ値が高いボーナスノードです。うまく獲得できれば体積スコアが跳ね上がるっていう、脳汁を極限まで絞り出す仕様になってまーす!」
《なるほど、数だけじゃダメなのか》
《ノードは早い者勝ちだから他チーム取られるくらいなら自分で取ってた方が吉》
《理不尽な3D陣取りゲームだな》
と次々とコメントを寄せられる。
「そうなんです!本日Day1のサブタイトルは『スプリント・ラッシュ』!フィールドはここ瀬戸大橋から笠岡・塩飽諸島海域にかけての約300㎢。仮想空間に設置されたスモール・ノード300個が最初から誤差無しのGPSデータとして全チームに完全公開されていまーす!つまり、機体の性能とそれに適したルート構築力が試される早い者勝ちのレースってわけです!ちなみに先ほど紹介したラージ・ノードの存在はいくつあるのか、どこにあるのか、非公開です。各チームで探して見つけるしかありません」
時刻は12時45分。あと15分でもう間もなく試合がスタートする。
私の背後、瀬戸大橋の巨大なトラス構造が落とす濃い影の下に、四つの巨大な影が並んでいた。振り返り、それらを望遠カメラで捉える。
「さあ、みなさん。これが各チームに支給された基地ドックです!大会側から全チームに支給された、全長8m、幅5mの長方形のコンテナボート。各チームの拠点となる『基地ドック』です。操作は超簡単。コンテナ内の自動操舵システムから子供でも前後左右斜めに操作できます。でも本当に子供が運転しちゃダメですよ。この基地ドッグは海上を最高時速30kmで進むことができます。たとえ高さ10mの津波が来ても耐えられる仕組みになっています。試合中は探査ローバーもここで充電することになるので、基地ドックとの距離感も非常に重要なポイントになるでしょう」
そのボートの上に四角いコンテナが居座っている。
「競技エリア内は広域に渡って衛星からの通信環境が整えられています。私たちはこのボートの上に積まれた4.8m四方のコンテナから探査ローバーを遠隔操縦します。このコンテナ内に必要機材を持ち込み、各チームで自由にレイアウトすることができます。大会初日の本日午前中はセッティングの時間が設けられ、各チームが趣向を凝らした秘密基地を完成させた模様です! ちなみに選手は一度試合が始まれば、この瀬戸内の競技エリアから外に出ることは一切許されません」
画面のチャット欄に、
《閉じ込め、サバイバル・バトル!》
《トイレとか飯はどうすんだよ笑》
《コンテナ中、どうなっているのか見てみたい》
とリアルタイムのコメントが流れるのを見届けて、私はコンテナのハッチにカメラを近づけ、パタパタと手で煽ってみせた。
「ふふん、トイレや食事の心配をしたそこのリスナーさん。このコンテナの中には、簡易キッチンやトイレはもちろんのこと、なんと個室シャワーまで完備されている特注の快適仕様なんです。コンテナの外に出て、この甲板の上で潮風を浴びて瀬戸内の海を満喫したり、バーベキューをすることだって、帰還したマシンのメンテナンスを行うことも完全に自由!三日間の過酷なデス・レースを戦い抜くための、まさに移動式の家ってわけですね!また試合中の時間がある時に中を紹介しますね」
視聴者たちが、
《設備充実しすぎてて草なんなら住めるじゃん》
《シャワー付きコンテナとか最高かよ》
《もったいぶるな、早く見せろ怒》
とチャット欄が一気に盛り上がる。
その時、カメラをフォーカスしていた第二キャンパスの隣に並ぶ、第一キャンパスの基地ドックの甲板から、金属が擦れ合う静かな作動音とともに一台の黒い機体が滑らかに海面へと滑り出した。
各チーム、我が四二にとってはライバルとなる相手だが、公式中継に負けないクオリティを目指す私の配信だ。解説しないわけにはいかない。
「それでは各チーム自慢の探査ローバーの紹介をしたいと思います。現在、一際人々の大きな歓声を集めているのは、四国高専第一キャンパス、チーム『黒麒麟』!世界屈指の素材メーカー『クロサワ』が全面バックアップする、今大会のフラッグシップ機です! 全長約2.1m、全高約0.9メートル、そして総重量はなんと85kg!」
四一のパイロット、都扇ミライが甲板から手を振って見せた。体の引き締まった輪郭がわかる漆黒のスーツを来ている。容姿端麗でモデル業もこなしていると聞く。
あの目立ちたがり屋め…。今年も四二がボコボコにしてやるんだから。
「 航空宇宙分野に使われる極薄高強度の特殊素材『メビウス合金』で覆われた、細長いステルス戦闘機のようなボディが、海面から数cm浮上したまま、ハイドロ・ホバーの超高圧圧縮波が海面を鋭く抉り、光の屈折で生じる漆黒の軌跡を一条の矢のように引き摺りながら、1mmの無駄もない姿勢で海上を浮遊しています! この軽さで時速90kmの滑空を維持する、まさに黒い稲妻です!」
データは事前に読み込んである。
流れるようにカメラドローンの高度を下げ、次に水面を割って現れた、あまりにも美しい白いシルエットへとフォーカスを合わせた。
「その隣には、中国高専第二キャンパスの『海燕』!こちらはさらにコンパクトで、全長約1.8m、全高約0.8m、総重量は驚異の62kg!」
こんな華奢な機体でちゃんと戦えるの?ここはお遊戯会じゃないんだからね。
「軽快なトリマラン構造の船体です。超軽量カーボン製のボディに燕の翼を模した、しなやかな白い電子帆が、瀬戸内の生ぬるい海風を捉えて優雅にたわんでいます。そしてこの白い鳥の体内には、なんと百機の極小ドローン『海鳥』が格納されていて、それらを一斉に群制御するスウォームの指揮艦です!先ほどの黒麒麟には及ばないものの時速80㎞を誇ります。これでも十分速過ぎる!!」
次のローバーが動き始めると凄まじい振動が海面を伝ってきた。コンテナボートの側面に直接横付けされていたその巨大な鉄塊が重低音を響かせ、瀬戸内の海面を大きく割りながら陸地へと這い上がっていく。
「おぉっと、カメラが揺れました! 与島の荒々しい岩肌をミシミシと踏み鳴らし、文字通り海を圧殺するような存在感を放っているのが中国高専第一キャンパスの『大和』!全長約3.6m、全高約1.7m。そして総重量は他の軽量機を文字通り紙切れのように圧殺する、920kgという大規格外の超重量!」
レギュレーションギリギリじゃない。デカけりゃいいってもんじゃないのよ。
「まさに多重積層剛鋼を纏って動き出したかのような、本物の金属の塊です! 戦艦の艦首を思わせる前面重装甲と岩盤を強固に掴む八本の無骨な極太の脚。これはもうローバーなんて可愛いものじゃありません。陸上では時速40㎞、海上では時速60㎞。まさに歩く海上要塞です!」
《どいつもこいつもヤバすぎる。黒麒麟の最速が最強だろう》
《海燕のフォルム、美しい♡》
《多脚戦車きた。これで海に浮くの!? 潜水艦かよ》
チャット欄は、大和が海から岸へと上がり、岩肌を踏みしめるたびに飛び散る破片に狂喜乱舞していた。
それに対する我が四国高専第二キャンパスの『緑龍』はというと先ほどから不穏な動きを見せていた。
「――ノゾミ先輩!もう一度言いますけど、本当に最初からその無茶なプランで行く気ですか!? 脳波同調率のスタート初期値が跳ね上がり過ぎてます。危ないって言ってるんですよ!」
コンテナ内の内線通信から、エンジニア担当の瀬屋トウマ先輩の、胃を壊していそうな悲鳴が漏れ聞こえてきた。ちなみにこれは配信とは別回線。
私は大会公式の配信映像に切り替え、四二のコンテナ内部の固定カメラの映像をワイプで拡大した。
「何を言いよんよ、トウマ。お祭りの始まりやけん。最初から全力全開でいかないかんやろ、世界中で期待してるリスナーさまに失礼やろ!」
「いやいや意味が全くわかりません。ぼくたちは試合で勝ちに来てるんですよね??」
データグローブを嵌めた両手をこれでもかと突き上げてストレッチしているのは、今大会最大の注目株であり、我がチームのメインパイロット――久谷ノゾミ先輩。その切れ長の瞳は、やる気が漲り爛々と輝いている。体のラインがもろにわかるぴっちりした黒いパイロットスーツを着ている。
「カイト先輩も一緒に止めてくださいよ…」
「一度言い出したら聞かないやつだから、ノゾミの好きにやらせてやってくれ」
コンテナの最奥でモニターを冷徹に見つめながら、藤平カイト先輩は静かにヘッドホンの位置を直した。我がチームのリーダーで、まとめ役。
「これだからお祭り変人は……」
ダメだ、トウマ先輩が頭を抱えてしまっている。
「トウマ、文句なら終わってからいくらでも聞いてやる。……ノゾミ、秒読みだ。余計なことは考えるな」
彼女が操縦桿を握りしめると、緑龍の搭載AIであり、操縦者に直接同調する『弐王』がハミングを始め、重々しい四足の各アクチュエータから、ライムグリーンの放熱光がじわりと染み出し始めた。
一瞬どうなることかと焦ったけど、何とかいけそうね。
「もちろん、我が四国第二キャンパスの『緑龍』だって負けていません!頭から尻尾の先まで全長約3.8m、全高約0.7m。そして総重量は160kg。プラチナスポンサーであるカワシマ製の特殊プラスチック外装のおかげで、このサイズとしては信じられないほどの軽さと、水面を弾く強烈な浮力を両立させていまーす!陸上では4足歩行、水上では尻尾を蛇行させて時速60kmを実現させています。これで海だって潜れちゃうんですから」
《ライムグリーンの放熱光キターーーー!! 動くぞ!》
《ノゾミちゃんの全身センサー、完全に緑龍とシンクロしてて最高にエグいから》
《今年も瀬戸大橋を物理的にブッ壊すバグ期待していいですか?》
チャット欄が一気に熱を帯びて盛り上がる。
『皆さん、大変長らくお待たせしました。あと60秒で試合開始となります。……それでは30秒前からカウントダウンを始めます。……30、29、28』
会場ではAIアンナがカウントダウンを刻む。現実会場と仮想世界setouchiではそれに合わせて関係者やリスナーが声を重ねる
この隙に私は駆けて四二のコンテナボートにぴょんと乗り込んだ。デッキからだと肉眼でスタート地点がよく見えた。すでに各校の四機がスタンバイしている。緑龍の太い四肢がチタン製の爪をきりきりと鳴らしながらコンクリートの斜面へと深く喰い込んでいた。
『10、9、8、…』
辺りは秒読みの大合唱となった。否が応でも緊張感が高まる。
『3、2、1』
ホォ――――ッ!!!
鼓膜を鋭く引き裂くような、開幕の電子ホーンが瀬戸内海全域に鳴り響いた。
「さあ、いよいよ始まりました『Setouchi 72H』中四国予選、Day1『スプリント・ラッシュ』スタートです!!」
私の叫び声と同時に、展望デッキのスピーカーが爆発的な運動エネルギーにかき消された。
最初に飛び出したのは『黒麒麟』だった。ハイドロ・ホバーユニットから目に見えないほどの超高圧空気が噴出され、海面をわずかに押し下げたかと思うと、次の瞬間にはトップスピードに達していた。黒いステルスじみた機体が、水面に一条の鋭い「ブラックライン」を刻みながら、一切の無駄なく一直線に瀬戸大橋のトラス構造が形作る斜面へと駆け上がっていく。
「速い! 黒麒麟!さすがはクロサワのメビウス合金、重量を極限まで削ぎ落とした滑空はまるで刃のようです。そのすぐ後ろから海燕も来ている!!」
カメラドローンを操縦しながら私が叫ぶと、すぐ後ろからは中国第二の『海燕』が、まるで白い渡り鳥が翼を広げるような優雅さで追従していた。人工筋肉で作られたスマート・セイルがパシィンと乾いた音を立てて空気を切り裂き、黒麒麟の直後へと文字通り滑るように肉薄していく。
そして、その二機の後ろから船舶級のツイン・ハイドロジェットがドガァァァンと凄まじい重低音を炸裂させながら『大和』が起動する。大和の分厚い肩部装甲から太いワイヤーを引いた推進装置付きの巨大なアンカーが、「シュウゥゥゥン」という空気を切り裂く風切り音を立てて、瀬戸大橋の上空へと射出された。
全チームの視線が、そして世界中の視聴者の視線が、瀬戸大橋の橋桁の遙か頭上の空中に配置された最初のノードへと一斉に収束していく。それはキラキラと眩しく輝いていた。
あれれ?これっていきなりラージ・ノードってやつ??
「あんな目立つ場所にあんなに目立つノードを置かれたら取りに行くしかないでしょ!」
インカム越しにノゾミ先輩が吠え、私のカメラドローンが、その時ライムグリーンの発光を捉えた。
ガチィィィィン!!!
与島の防波堤全体を激しく震わせるような、凄まじい金属衝撃音がこだました。
ノゾミ先輩の駆る『緑龍』は、四肢の先端に仕込まれたチタン製の爪で瀬戸大橋の垂直にそびえ立つ真っ白な橋脚を重力を無視して一気に駆け上がる。
「えーーウソでしょ!!」
私の悲鳴のような絶叫がコウメ・チャンネルの画面を通じて世界中に響き渡る。
海面から50m、100m、150m…。
高度が上がるにつれて、瀬戸内海の強烈な海風が横から緑龍の巨体を殴りつけるように吹き荒れる。普通の機体なら一瞬でバランスを崩して剥がれ落ちる強風だが、空隙制御プラスチック装甲の流線型とトウマ先輩の組んだ高剛性フレームが風の抵抗を力ずくで抑え込んでいく。
網膜レンズを通じてノゾミ先輩の視界を共有している私の足が、あまりの高さにすくんで震えた。下を見下ろせば、先ほどまで巨大に見えていた他チームのコンテナボートや『大和』がまるで米粒のように小さくなっている。高層ビル50階建てに相当する、高さ約200mの完全な垂直壁。それをたった一台のローバーが、重力という絶対のルールを無視して駆け上がっているのだ。
チャット欄のスクロールが、もはや視認できないほどの超高速で流れ始めた。
《うわあああ何だあれ!》
《壁走ってるぞ!》
《垂直登攀!? ロボコンのローバーって壁を登る機械だっけ!?》
《橋脚のコンクリートが壊れるって!笑》
「ハハハハ!サイコー! この重機用高トルクモーター、やっぱトウマの言うた通り、過電流を少し弄るだけで化け物みたいにめちゃくちゃ回る」
網膜インカムの向こうから、ノゾミ先輩の完全に理性のタガが外れた笑い声が鼓膜を烈しく震わせる。
彼女の脳波と『弐王』の同期率は、スタートからわずか15秒で早くも「65%」の警戒ラインを突破していた。バイオリズム同調型AIである『弐王』は、パイロットの興奮と闘争心に直接同調してアクチュエータの出力を引き上げる思想で組まれている。
今、ノゾミ先輩の視界には、網膜レンズを通じて緑龍の四肢が受ける強烈な接地衝撃や、鉄骨を掴むチタン爪の軋みが、まるで自身の皮膚感覚のように生々しく流れ込んでいるはずだった。
「笑っている場合じゃないです、いますぐ出力を落としてください。モーターが焼き切れますって、ノゾミ先輩!」
指令コンテナの薄暗い空気の中でトウマ先輩がホログラムキーボードを親の仇のように叩きつけながら絶叫する。彼の前のモニターには、限界を超えて明滅する赤い警告灯がいくつも灯っていた。
「左前肢の油圧シリンダーが許容圧力を12%超過!装甲がミシミシ鳴ってますってば! 骨格を無理やり通してるんですから、衝撃荷重を機体全体に逃がす限界を超えたら、一瞬でフレームごと歪んで再起不能ですよ!」
「トウマ、大丈夫やって! カイト、次の足場はどこなん!?」
「――1.5秒後に3m上、右側の結合プレート。次はこっちが指示する赤いポイントまで一気に跳べ」
コンテナのモニターを冷徹に見つめていたカイト先輩の低い声が、トウマ先輩の声を無視してノゾミ先輩に精密な指示を出す。
彼の網膜デバイスには、事前に配布された構造データと、緑龍の環境集音アレイが拾うリアルタイムなデータが重ね合わされて映っていた。緑龍のスペックに適した最短で最速のルートを導き出す。
「了解っ!」
緑龍が長い前肢を突き出し、鉄骨のプレートへと強引に爪を引っ掛けた。同時に、鞭のようにしなる超大型の尾部ユニットを大きく振ってバランスをとる。ガシャァン! と激しい火花が飛び散り、160kgの巨体が宙を舞う。
垂直にそびえ立つ真っ白な橋脚を深緑の獣が文字通り駆け上がっていく。その頭上、瀬戸大橋の最頂部にあたるメインケーブルの支柱の真上に、Day1最初の、そして最も高い位置に配置されたノードの青い光が浮かんでいる。
シュウゥゥゥン――という、黒麒麟の空気を切り裂く高いスラスターの音が下から響く。
その背後から、ドガァァァン! と大和の誘導付きのアンカーの推進装置の爆音が弾ける。
「いくよ、緑龍!最初のノードは私たちがもらったぁ!」
ノゾミ先輩の声が響く。一気に弐王の同期率が78%へと跳ね上がる。ノゾミ先輩の網膜レンズの端に、過同調を示す黄色い警告バナーがチカチカと点滅を始めた。だが彼女はそれを完全に無視した。
『量子亡霊』
AIとの同調率75%を超えた際、リミッターを超える能力を発揮する危険な状態。通常のAIではあり得ない、モーター過電流、四肢バネ圧縮、尾部反動などの全系統一時解放を強制実行する。緑龍だけでなくノゾミ先輩に掛かる負荷も相当なものだと聞いている。
緑龍が瀬戸大橋の最頂部――メインケーブルの頂点へと到達した。
上空から、大和のアンカーが緑龍の頭上をかすめて伸びる。下からは、黒麒麟の鋭い機首が最短最速でノードのハッキング範囲へと滑り込んでくる。
「いっけええええええ!!」
緑龍の機体が瀬戸大橋の頂上から虚空へと投げ出される。その刹那、体を反転させて長大な尾部ユニットが、空中に配置された仮想ノードの座標に向かってしなる鞭のように烈しく叩きつけられた。
バチンッ!!!
網膜レンズの空間に、強烈な電子音が鳴り響く。
メインマップに表示されたトップノードの色が、一瞬にして鮮やかなライムグリーンへと塗り替えられた。タッチの差で四二がファースト・ノードを確保した。
「取りました。ファースト・ノードを四二の緑龍が取りました!」
全身に鳥肌が立った。まだ始まったばかりなのに、ちょっと泣きそう…。
《取ったあああああああ!!》
《四二! 四二がやった!!》
チャット欄が、もはや文字として読めない速度の歓声で埋め尽くされる。
ノードを引っ叩いた直後、下から強行突破を仕掛けていた大和のアンカーが、緑龍の外装の一部を掠めた。
カンッ!!! と、耳を圧するような甲高い金属衝撃音が響く。
「えっ……!」
機体同士の直接の接触は禁止されているのにこれって反則じゃないの?
緑龍の右側面のプラスチック装甲が激しく火花を散らし、機体全体のバランスが完全に崩れた。
空中へと放り出され、遥か200m下の海面へと落下していく。
「ノゾミ! 姿勢を制御しろ! 」
カイト先輩が初めて声を荒らげる絶叫がインカムを引き裂いた瞬間、私の網膜バイザーの向こうで、落下する深緑の巨体が四肢を広げた。
「トウマ! 緑龍の装甲強度、また信じてるよ!」
「えっ、ちょ、まさか――!?」トウマ先輩の声が掻き消された。
『クォータム・ゴーストーー』。
長い尾部ユニットをプロペラのように大きく回して機体を強引に反転させた。
昨年度の全国大会で、人工プール会場を破壊した、あの狂気の大技――背面跳水・月面宙返り(リバース・ムーンサルト)。
輝く太陽と、崩落した古い橋の残骸を背負いながら空中で綺麗に、3回転半ひねりと4回転の背面回転。ふたつの回転軸が空中で複雑に交錯する。
緑龍は瀬戸内の海へと真っ逆さまに突っ込んでいった。
ドッパァァァァァァァン!!!
まるで爆弾が水中で炸裂したかのような、規格外の巨大な水柱が与島海域に立ち上る。そのあまりの衝撃と激しい白い飛沫に、上空を旋回していた私のカメラドローンが風圧でバランスを崩して視界が大きくブレた。
「ノゾミ先輩!!」
私が甲板から身を乗り出して叩いて叫ぶ。
展望デッキを埋め尽くした観客たちの地鳴りのような大歓声が、コンテナの分厚い鉄板を透過して響いてくる。公式実況AIアンナの澄ましたアナウンスすらその熱狂にかき消されて聞こえない。
海面には激しい白い泡がぶくぶくと濁って浮かび上がっている。数秒の心臓が止まるような静寂。
やがてその泡の向こうから、深緑の頭部がプハッと海面へ顔を出した。
《生きてる!》
《マジかよ、あの高さから落ちて無事なのか!?》
「ハハハハ、危なかった」
インカムからノゾミ先輩の乾いた笑い声が聞こえた。私がコンテナの中へ入ると、
「笑い事じゃないですって!」
トウマ先輩が本日何度目かもわからない怒声をコンテナ内に響かせる。彼の前のモニターには、限界を超えて明滅する赤いアラートがいくつも灯っていた。
「見てください、このシステムログ!最初の垂直登攀と弐王の超過出力、工程を無視したあの背面跳水・月面宙返りの着地衝撃のせいで、許容値ギリギリですよ。おまけに75%を越さないでくださいねっていったのに、こんな序盤でクォータム・ゴーストを2回も使うなんて…。おかげでバッテリー残量が15%じゃないですか!完全に出遅れですよ!」
「あはは、トウマ、ごめんって。でもスタートダッシュとしては、一番高い位置にあるノードはうちのものやろ。うちのお父…、スポンサーのカワシマ社長も、今頃大喜びしてるよ。祭りの掴みとしては満点やろ!」
コンテナ内の狭い通路で背伸びしながら言った。
私はふと画面の数値に気づいた。これって…、
「すごいですよノゾミ先輩……! うちのチャンネルの同接、120万を超えました! 世界トレンドも堂々の一位!」
私はホログラム画面を先輩たちに見せながら興奮して叫んだ。緑龍のメインカメラを同時配信していた。
「やったーーー!!」
ノゾミ先輩は全く悪びれる様子がない。それどころかお腹が空いたと言って、持参したタッパーからみかんを剥いて食べ始めようとすらしている。
「ノゾミ先輩! 今回のプラチナスポンサーとの契約条件には、総合順位も入ってるんですからね!これで成績悪かったら予算減らされますよ」
トウマ先輩の正論のハサミに挟まれて、ノゾミ先輩は「むぅ」とみかんを口に咥えたまま眉を寄せた。
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私の名前は、友井コウメ。
高専2年生。四二チームで広報を担当している。
私は高専に入学したけど、工学には興味が持てなかった。実験にも積極的に参加する気にもなれず孤立しがちで友達もできなかった。おかげで試験の成績は散々だった。留年こそは免れたものの、欠点が続き、いくつか単位を落としていた。脳裏には、向いていないのならこのまま辞めてしまおうかと何度もよぎる。
このままじゃいけないと思っていた頃に、昨年度の四二ロボコンの優勝のニュースを知る。それまではロボコンの存在さえ知らなかった。こんなすごい人たちが身近にいるのに知らなかったなんてもったいない。
私には特技があった。中学から始めた動画配信だった。何気ない自分んちのペットの動画をいくつかアップした。そのうちのひとつで、うちの犬の寝相と寝言が1万超えのいいねをもらった。それで一気にハマって今では毎日欠かさず投稿を続けている。万を超えるいいねを連発することはないけどそれでもお付き合いもお情けも含めて数百のいいねはコンスタントに稼げるようになった。
人伝てにカイト先輩の連絡先を手に入れて、メールを送った。
「私に広報をやらせてもらえませんか?」って。私の広報することのメリットを合わせて送った。
「世界中に配信しましょう。ファンが増えます。ファンが増えたらスポンサーが喜びます。スポンサーが増えたらもっとできることが増えます」とこう書いておきながら私には、正直、自信は無かった。
数日後、カイト先輩からメールが届いた。
「ご連絡ありがとうございます。現在、広報は募集していませんが、一度研究室に遊びに来ませんか」
私はさっそく日時を指定して会いに行くことにした。そこには、カイト先輩のほかに、トウマ先輩、ノゾミ先輩の姿もあった。会社の面接みたいな重苦しい雰囲気で、逆に笑えた。
私のことを「いいね」稼ぎのインフルエンサーだと思われていたらしい。確かにいいねは欲しいけど、別にそれでお金儲けをしているわけでもない。純粋に私の特技が役立てばいいと思った。
ちょうど優勝したくらいから、注目を浴びて取材依頼が殺到しているところだった。ノゾミ先輩は自分がイヤだと思うことは全くやらないし、トウマ先輩は超がつくほどコミュニケーション障がい者だし、カイト先輩は何でも事務的に処理したがるので受けが悪い。私はそんな四二チームのちょうどいい具合に空いていたスペースにすっぽりと収まることになった。
私にはカイト先輩のようにチームを率いたり、トウマ先輩のように機体の整備をしたり、将来ノゾミ先輩のようにパイロットになりたいとも思わない。残念ながらその才能も素質も無いけど。でもここで四二の活躍を世界中の人に伝えたいと思う。
まだ分からないけど、高専での私の居場所ができて、ちょっとでも楽しいと思えたら高専生活が続けられるような気がした。
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