答え
「その苦しみ――俺にも半分、分けてくれよ」
時也君の言葉を思い出す。
「寄るところがある」なんて嘘をついて帰ってきちゃったの、やっぱり申し訳なかったかな。
でも今は、家で一人で考えたかった。
真っ直ぐ家に帰るはずだった。
なのに、ふと顔を上げると、見慣れた古びた洋館が目の前にあった。
気づかないうちに、この道を通っていたのだろうか。
そんなことを考えながら、私は館の中へと足を踏み入れた。
カチッ。
カチッ。
静かな館に、時計の音だけが響いている。
「おや、時雨様。どうかなさいましたか?」
聞き慣れた声に顔を上げる。
「えっ……何かあったって、わかるんですか?」
執事さんは少し微笑んだ。
「この場所は、強い願いを持った人の前に現れるのですよ」
「どのような道を通っていたとしてもね」
その言葉に私は目を丸くした。
今まで何度も願いを叶えてもらっていたのに、そんなことは知らなかった。
「今日は随分と穏やかな表情をされていますね」
「そうですか?」
「ええ。以前とは少し違う願いを抱いているように見えます」
私は思わず視線を逸らした。
そんなに分かりやすかっただろうか。
「ほう、なるほど」
執事さんは納得したように頷く。
「男の子との関係に悩んでおられるのですね」
「な、なんでわかるんですか!?」
思わず声が大きくなる。
この場所は本当に不思議なことばかりだ。
「時雨様は、その方と仲良くなりたいのでしょう?」
「……どうなんですかね」
私は小さく呟く。
「まだ分からないんです」
「本当に時也君のことを信じていいのか」
執事さんは静かに頷いた。
「信用してよいかどうかは、時雨様の心に聞く以外にございませんね」
「まさか、そんな方法があるんですか?」
この館なら、執事さんなら、本当にできるのかもしれない。
そう思ったけれど。
執事さんはふっと笑った。
「私にはそのような力はございませんよ」
「じゃあ、どうやるんですか?」
「時雨様。その答えは、もう出ているのではございませんか?」
「どういうことですか?」
執事さんは優しく微笑んだ。
「私がそう思う理由は、あなた様がここにおられるからです」
「先程も申し上げましたが、この場所は強い願いを持った人の前にしか現れません」
「そして今、あなた様はその方を信じてよいのか悩んでいる」
「――それこそが答えではございませんか?」
私は少しだけ目を伏せた。
そして、小さく笑う。
「……そう、ですよね」
「ありがとうございます」
なんだか胸の中にあった重りが、少しだけ軽くなった気がした。
そうして時間を確認しようとスマホを取り出す。
「あれ?」
思わず声が漏れる。
画面には、時也君からのメッセージが表示されていた。
『なぁ時雨。今日はありがとう』
『明日さ、俺の行きたいところにちょっと付き合ってくれないか?』
思わず頬が緩む。
「迷う必要はないかと思いますよ」
執事さんがそう言った。
「どうせ悩むのであれば、自分のしたいことに耳を傾けてみましょう」
その言葉には、不思議と説得力があった。
「はい。そうします」
私は笑顔で答える。
そして少しだけ意地悪な気持ちになった。
「……執事さんって、寿命と願いを交換してくれるだけの人だと思ってました」
「時雨様はお得意様ですからね」
「これくらいはさせていただきますよ」
「それをもっと前からやってくれてたら、私の寿命ももう少し残ってたと思うんですけど」
「それは申し訳ございません」
「今回からはそうさせていただきましょう」
「今からじゃもう遅いじゃないですか」
私がそう言うと、執事さんは変わらず微笑んでいた。
本当に、この人は何を考えているのか分からない。
「その大切な方とは、メッセージでも会話された方がよろしいかと」
「えっ!?」
思わず大きな声が出る。
「大切な人ですか?」
「違いますよ!」
「ただ……いやでも、時也君は大切だし…」
私が戸惑っていると執事さんは楽しそうに笑う。
「先程まで悩んでいた方が、今は大切な人なのですね」
「若い方の恋は真っ直ぐでよろしい」
「だから恋じゃないですってば!」
完全にからかわれている気がする。
「では時雨様」
執事さんは一礼した。
「お気をつけてお帰りください」
「はい。ありがとうございました」
私は軽く頭を下げて出口へ向かう。
その時だった。
「時雨様」
執事さんの声が聞こえる。
振り返ると、先程までとは違う真剣な表情をしていた。
「残り一年の命ということを、くれぐれもお忘れなきよう」
その言葉に、私は少しだけ笑った。
「はい」
前までと何も変わらない。
残り一年の命。
それでも――
昨日までより、その毎日が少しだけ明るくなった気がした。




