真実
「クソっ……なんなんだよ……!」
時雨の心から聞こえてきた、あの言葉が頭から離れない。
――怖い。苦しい。死にたくない。
医者から聞かされた、時雨の余命がもうわずかだということ。
それを治すための方法も、原因すらも分かっていないということ。
なんで俺には、何にもできねえんだよ。
俺には、時雨を救うことができないのかよ。
今は、ただ一人になりたかった。
誰もいない場所へ。
そんなことばかりを考えながら、俺はがむしゃらに走り続けた。
夜の静寂の中に、俺の荒い息遣いと足音だけが響いている。
どれくらい走り続けたろうか。ふと足を止めて周りを見渡した時、激しい違和感を覚えた。
そこは、いつの間にか深い森の中だった。
そして目の前には、俺の行く手を阻むように、巨大な洋館が不気味にそびえ立っている。
気づかないうちに、こんなところまで走ってきたのか……?
戸惑いながらも、俺はその重厚な扉をゆっくりと押し開けた。
――カチッ、カチッ、カチッ……。
館の中は、ただ時計の秒針の音だけが響く異様な空間だった。
奥の方から、コツコツと床を叩く足音が聞こえてくる。
現れたのは、白髪に黒いスーツを纏った一人の男だった。
俺が言葉を発するより先に、その男は恭しく頭を下げて口を開いた。
「お久しぶりです、時也様」
「……久しぶり?」
思わず聞き返す。俺はこんな場所に、来た記憶なんてない。
なのに、胸の奥がざわざわと嫌な音を立てていた。
「おや、覚えておられませんか? 時也様は『心を読むお力』をお持ちになられているじゃないですか。それがどのようにして手に入れられたものなのか、まさかお忘れですか?」
胸の奥の違和感が、一瞬で確信に変わる。
そうだ……思い出した。この忌々しい俺の力。
「……ここが、俺に押し付けた能力だったな」
「押し付けただなんて、人聞きの悪い。時也様が願われたことを、わたしはただ叶えたまでにございますよ。まだ小さかった頃のあなた様はおっしゃった。『僕は人の心を読めるようになりたい、そうすればみんなともっと仲良くなれるから』と。その能力が思ったものと違ったからといって、わたしに怒るのは筋違いではございませんか?」
「っ……」
その通りだ。これは、他ならぬ俺自身が望んだことだった。
思わず言葉に詰まった俺を見て、執事は楽しげに話題を変えた。
「それで……本日は、時雨様の件でここに来られたのですか?」
「な……なんでお前が時雨のことを知ってるんだよ!」
「時雨様も、わたしの大切なお得意様ですからね。色々と話を聞いていますよ。余命が僅かだということもね。その件で、ここへ来られたのでしょう?」
「……まるで、俺が自分の意思でここに来たみたいな言い方をするな。俺はただひたすらに走っていたら、ここに辿り着いただけだ」
少しだけ口元を歪めて微笑んだ執事の顔に、思わず俺の目が鋭くなる。
執事はそれを気にする風でもなく、淡々と言葉を続けた。
「この場所は、強い願いを持つ者の前にだけ現れるものなのです。――『寿命の代わりに、願いを叶える場所』ですからね。そうして時也様の前にも、時雨様の前にも現れた。そういった意味で、あなたはご自分の意思でここに来られたのですよ」
寿命を、代償に――。
その言葉に、俺の思考が急速に繋がっていく。
医者が言っていた『原因不明』という言葉。
願いを叶えるための代償。
「もしかして……時雨の余命が僅かなのは、この場所の仕業なのか!?」
「ええ、そうですよ」
淡々と答える執事は、感情など丸でないような冷徹な顔を浮かべていた。
「なんで……なんでそんなことになるまで願いを叶えたんだよ! なんで止めなかったんだよ! そのせいで時雨は……!」
「おかしなことをおっしゃるのですね。わたしは願われたから叶えた、ただそれだけです。きちんと忠告も致しました。それを受け入れたのは、時雨様ご自身ですよ」
怒りで拳が震える。
だが、こいつを責めても時雨の命が戻るわけじゃない。
「……そうか。願えば、なんでも叶えてくれるんだな? だったら、俺の命はどうなったっていい。時雨のこと、助けてくれ」
「誠に残念ながら、そうすることでは時雨様を助けることはできません」
頭を殴られたような衝撃だった。
やっぱり、俺にはどうすることもできないのか。
時雨を助けられるかもしれないと思った希望の光が、一瞬で深い闇に閉ざされていく。
「もう、俺には……」
「時也様、わたしは『そうすることでは』と申し上げたのです。方法なら、他にありますよ」
「え……?」
俺は縋り付くように執事を見据えた。
「俺はどうなってもいいんだ、頼む、どんなことでもやる! どうすれば時雨を助けられるんだ!」
「時也様が死なれては、時雨様も助かった命の意味がなくなるでしょう。それだけお二人は想い合っているのですから。大丈夫です、安心してください。上手くいけば、お二人とも無事なまま、再会することができますから」
「どうすればいいんだ……!」
「過去に戻るのですよ」
執事は静かに、とんでもない言葉を口にした。
「今までお二人からいただいた、寿命の時間を使ってね。そして、過去の時也様も時雨様も、代償を支払うような契約を結ばずに済むように……あなたが過去のお二人の『孤独』を、救ってあげるのです」
「過去の、孤独を……」
俺には迷う意味なんてない。
時雨を救えるのだから。
「わかりました、やります」
即答した俺に、執事は少しだけ目を細めた。
「ただし、心に根付いた孤独というものは、そう簡単に取り払えるものではございません。どうかお二人を救ってあげられるよう、励んでください。健闘を祈りますよ」
「ああ、頼む……!」
執事が、パチンと一度だけ手を叩いた。
その瞬間、俺の視界がぐにゃりと歪み、世界が激しく回り始める。
あまりの光景に、俺は思わず強く目を閉じた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
恐る恐る目を開けると、そこには、どこか懐かしい光景が広がっていた。
――ここは、小学校の時の通学路の上だ。




