廣田実のリアル(1)
生徒のこれからの人生のため、俺は決断した。
宮前奈津美の元に駆けつけ、彼女の手首握ったとき、頭の中が真っ白になった。
鼓動はなかった。奈津美は既に死んでいた。
このとき、残された生徒の運命が俺の手に託された。
俺は奈津美がいじめられていることに気付いていた。
おそらくクラスでいじめが起きていることに気付かない担任などいない。自分の家の庭が燃えているのに気付かない人などいないのと同じだ。
気付いていないのではない。皆気付かないフリをしているだけだ。
奈津美が私にいじめの被害を相談してきたことはない。
奈津美はプライドが高かったから、どんなに酷く虐げられようとも、まるで蚊に刺されたに過ぎないというような涼しい顔をしていた。
私はいじめられていない、私はただクラスメイトと戯れ合っているだけ、そう言わんとしているが如くであった。
しかし、いじめている側の生徒の態度は露骨だった。公然と奈津美を陵辱していた。
俺は休み時間に教室の前の廊下で、奈津美が数人の男子に囲まれて暴力を振るわれているのを見たことがある。
「てめえ、生意気なんだよ」
とある者が奈津美のふくらはぎの辺りを蹴飛ばした。
男が女に手を上げるということは社会的なタブーだ。中学生の彼らだってそのことくらいは知っているはずである。
しかし、彼らが何の抵抗もなく奈津美を蹴ったり殴ったりできるのはなぜだろうか。
奈津美は女性として見られていないのか。
もしくは人間とすら見られていないのか。
俺は一瞬逡巡した。
止めに入るべきか。それとも見て見ぬフリをして過ぎ去るべきか。
そうこうしている男子の一人が俺の存在に気付いた。彼が他の男子に目配せをすると、集団は奈津美を残して散り散りに消えていった。
奈津美と目が合った。
驚くべきことに彼女は私にニコリと微笑んでみせた。
「先生、大丈夫です。ただの遊びの延長ですから放っておいて下さい」と、そう伝えたかったのかもしれない。
学校にいる限り、奈津美に安息の時はなかったのかもしれない。
いじめは俺の担当する数学の授業中にだって行われていた。
ある日の授業では、俺が板書をするために生徒たちに背を向けたタイミングを見計らって、消しゴムのカスやノートの切れ端を丸めたものが、奈津美目がけて飛び交った。
これに俺が気付かないはずがない。気配で分かる。生徒たちの笑い声で分かる。床に落ちている物を見たって露骨過ぎる。
しかし、俺が振り返ると、生徒たちはさも完全犯罪をやり遂げたつもりでもあるかのように、悪びれる様子もなくノートに黒板を書き写す。
一般に生徒は、授業中に教師が自分たちの方が見えていないと考えているような節がある。授業中にこっそりお弁当を食べたり携帯をいじったり同級生に嫌がらせをしたりしていても、教師には見えていないと考えているらしい。
―大きな勘違いだ。全て見えている。
大学の大教室とはわけが違う。中学校の教室は狭い。一番後ろの端の席に座っている生徒が教科書に落書きをしていることですらハッキリと見えている。
それにも関わらず、生徒が欺瞞に陥るのは、教師の側の責任もあるかもしれない。
教師は生徒が授業を聞いているかいないかにはそれほど関心がない。
限られた時間内に、決められたカリキュラムを全て消化できるかどうかが一番肝心だ。教師はそれによって評価される。昇給、昇格が決まる。
だから、教師は個々の生徒がこっそりと悪事を働いている限りは注意しない。
そんなことをしている暇があったら、少しでも先へと教科書を読み進めるべきである。だから、生徒が授業中に何をしていようと、少なくともそれが密行的に行われている限りは、教師は見て見ぬフリをする。
こうした教師の態度が教室の空間を拡張し、教室を死角だらけにするのだ。
大学を卒業してすぐ、地元の中学校に非常勤講師として働き始めた頃には、俺にも情熱があった。教育に夢と希望を抱いていた。
しかし、同僚となった教師の先輩たちは、そんな俺の後ろ髪を引っ張った。
ある年配の女性教師は俺に言った。
「生徒とは熱帯魚のようなものです。水槽の中に直接手を入れるようなバカなことはしてはいけません。私たちにできることは決まった時間に決まった餌を与えることだけです」
それに、とその女性教師は小声で付け加えた。
「熱帯魚は長生きしません。すぐに次の世代と入れ替わります。だから、あまり入れ込んでも仕方ないです」
最初、俺はこの女性教師の言葉に反発した。
生徒だって俺たちと同じ人間で、住む世界だって俺たちとは変わらない。教育とは、教師が生徒と積極的に関わっていくことにより、教師との生徒との人格的な接触を通じて達成されていくべきではないのか。
つまり、教育とは人と人との関わり合いではないのか。
しかし、その情熱もそう長くはもたなかった。
教師の仕事の大半は、教室でなく職員室で行われる。生徒とコミュニケーションをとる時間よりも教師同士のコミュニケーションに割かなければならない時間の方が長い。
上手くやっていくためには、生徒との関係よりも同僚との関係を円滑にすることを重視せざるをえなかった。水槽の中をずっと眺めていることは、一種の現実逃避であり、俺が目を向けなければならない社会はもっと別の場所にある、ということを徐々に感じ始めた。
結局、生徒と深く関わることは教師にとっては時間の無駄でしかないということだ。
教師に第一に求められていることは、生徒に勉強を教えることであり、彼らの成績を上げることである。
生徒の悩みを解決したところで、その生徒の成績が上がるとは限らない。ならば、それにかかる時間を、もっと分かりやすく勉強を教えるための準備に費やした方が良い。
大体、いじめというものは流行のようなものだ。
なんとなく始まる。そして、時間が経てば必ず終わる。
俺が中学生の頃もそうであった。
理由はよく分からないが、クラスの男子がいじめられていた。しかし、中学三年生になり、皆が受験勉強に精を出すようになった頃、いじめはピタリと止んだ。
だから、いじめをやめさせようと教師がジタバタすることはやはり時間の無駄でしかないのだ。奈津美に対するいじめも、いつかは勝手に終わる。中高一貫体制を採っていない我が校では、少なくとも、中学卒業と同時にいじめの強制終了スイッチが押される。
奈津美が可哀想だとは思う。彼女にいじめられる必然性はない。
しかし、俺にはそれを放置する以外の選択肢しかなかった。奈津美を転校させ、別の水槽に移すという解決策はある。しかし、それをする権利も義務は教師にはなかった。
だから、私は、奈津美に消しゴムのカスや紙くずを投げつけていた生徒を糾弾しなかった。
生徒の望み通り、盲目な教師を演じた。
板書をするのに夢中で、自分の背後で起きている人権侵害には少しも気付かないかのように振舞った。
俺が生徒に教えなければならないのは、方程式の解き方や図形の面積の測り方である。
俺の説教など誰も望んでいない。




