第44話 黙って食え
アッシェンバッハ侯爵の失脚から数日後。
王城の奥まった場所にある、警備の厳重な会議室。そこでは、事後処理に関する非公式な報告会が開かれていた。
(……王国のVIPが勢揃いだ。前職で言う『社長・専務・常務・営業部長・開発部長が全員同じ会議室にいる』状態だ。末端社員の私が、本当にここにいていいんだろうか。胃薬飲みたい)
ルカ=フォン=エデルハインは、円卓の末席で小さくなりながら、室内の顔ぶれをこっそりと見渡した。
第一王子ルシアン。光の聖女リリアナ。第一騎士団長レオナルト。そして、氷の公爵グレアム。
ルカがガチガチに緊張していると、隣の席に座ったセシリア=フォン=ローゼンベルクが、扇子で口元を隠しながら小声で囁いてきた。
「緊張していますの?」
「少し、というかかなり……」
「おかしなことを言いますわね。あなたが一番、この場に慣れているはずですのに」
「そんなことは全然ないです。私なんてただの男爵家の三女ですし」
ルカが必死に首を振ると、セシリアは楽しそうに目を細めた。
「あら。あの大規模な夜会でローストビーフのソースで咽せた挙句、今や国家反逆罪の証人として大議会に立つ世の中ですもの。十分すぎるほど大物ですわよ」
「それ言わないでください! やっと周りからの認識が変わってきたところなんですから!」
ルカが顔を真っ赤にして突っ伏すと、セシリアは堪えきれないように小さく肩を揺らして笑った。
*
報告会が和やかに進む中、それぞれの人物がルカに言葉をかけてきた。
「エデルハイン令嬢。あなたがいなければ、私は今も誰も話を聞かない場所で、一人で叫んでいたことだろう」
ルシアンが、真っ直ぐに頭を下げた。
「いえ、最初に咽せたのは本当にただの食い意地というか、偶然でして……」
「わかっています。ですが、偶然でも──あなたがいてよかった」
(王太子殿下に『いてよかった』と言われた。前世の私に教えたら『また変な夢見てるよお前、早く起きて出社しろ』って絶対信じないだろうな)
ルカは内心で現実逃避のツッコミを入れつつ、「恐縮です」と愛想笑いを浮かべた。
「エデルハイン令嬢、またお話ししましょうね」
次に声をかけてきたのは、リリアナだった。
「ぜひ。……あ、そうだ。あの『直接飛び込み感情営業』のコツ、今度こっそり教えてください」
「え? なんのことですか?」
「あ、なんでもないです」
政治の玄人たちを泣かせたあの奇跡の営業手腕、ぜひ社畜として学ばせてほしいところだが、彼女の無自覚な実直さゆえの賜物だろう。
最後に、レオナルトがいつもの完璧な笑顔で近づいてきた。
「ルカ嬢。お手紙、確かに受け取りましたよ」
「あ、読んでくれましたか。字が汚くてすみません」
ルカが少し照れると、レオナルトは少しだけ声を潜め、優しく囁いた。
「市場の串焼きの約束、忘れていませんよ」
「え!? 覚えていてくれたんですか!?」
ルカはパァッと顔を輝かせた。
その花が咲いたような反応を見て、レオナルトは──ほんの少しだけ、切なそうに目を細めた。
(愛の告白やドレスの贈り物より、食べ物の約束で一番喜ぶ。……本当に、貴女はずるい人だ)
彼が胸の奥でどんな感情を押し殺したのか、ルカは知る由もなかった。
*
報告会が終わり、全員が散会した後。
広い会議室には、グレアムとルカの二人だけが残された。
「……次は、さらに大きな問題になる」
グレアムが、静寂を破って重々しく告げた。アッシェンバッハの背後にいた隣国の脅威など、まだ火種は燻っているのだ。
(ああ、これ一番しんどいやつね。炎上案件がやっとクローズした瞬間に『実は根本原因のシステムバグがまだ残っていました』って言われる絶望パターンだ)
ルカが内心で白目を剥いていると。
「お前には──続けてもらいたい」
グレアムが、ルカを真っ直ぐに見据えて言った。
「同伴者という契約の形は、もう関係ない」
「……」
ルカは固まった。
社畜フィルターが即座に「これは業務委託契約から正社員登用(無期雇用)への打診では!?」と解釈しかけて──ピタリと止まった。
(……今回だけは、社畜フィルターを切ろう)
ルカは、真っ直ぐな青い瞳を見つめ返した。
「……私で、いいんですか」
「お前でいい、じゃない。お前『が』いい、と思っている」
間髪入れず、迷いのない即答だった。
ルカも、一つ深く息を吸い込み、同じように間を置かずに答えた。
「わかりました」
静かで、甘い沈黙が落ちる。
「……覚悟は、あるか」
「あります」
「……よし」
グレアムが深く頷き、二人の間に完璧な信頼が結ばれたその瞬間──。
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ。
ルカの腹の虫が、会議室に響き渡るほどの特大の音量で鳴り響いた。
「……」
「す、すみません!! 朝から緊張して何も食べていなくて!!」
ルカは顔から火が出るほど真っ赤になり、両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。
(最悪! なんで今鳴るの! ムードぶち壊しだよ! もうほんとにありえない……)
グレアムは、少しの間ルカの頭頂部を見下ろしていたが、やがて短く言った。
「……食堂に行くぞ」
「えっ?」
「覚悟を決めた人間には、まず飯を食わせる。前線でも同じだ」
(それ、軍隊の論理では!? ……いやでも、閣下と一緒にご飯が食べられるならいいか)
ルカは「はい!」と勢いよく立ち上がった。
*
王城の、騎士や文官たちが利用する大食堂。
まさか氷の公爵が、一介の令嬢を連れてこんな大衆的な食堂に現れるとは誰も思っていなかったのだろう。
二人が席に着き、普通のランチプレートを食べている光景を見て、周囲の人間は全員、スプーンを持ったまま完全にフリーズしていた。
「……閣下。みんな、固まってますよ」
ルカが小声で指摘する。
「気にするな」
「いや、めちゃくちゃ気になります。視線が痛いです」
「……慣れる」
「閣下は、こういう大勢の視線の中で食べるのに慣れてるんですか?」
「……今日が、初めてだ」
「全然慣れてないじゃないですか!!」
ルカが容赦なくツッコむと、グレアムは耳の先をほんのりと赤く染め、「……黙って食え」と少しだけ早口で言った。
ルカは「あぁ……はい」と笑って答え、出されたシチューを一口食べた。
……美味しい。
高級なフルコースではないけれど、今まで食べたどんな料理よりも、ずっと温かくて美味しかった。
(……やっぱり、この世界のご飯は最高だ)
逃げなくてよかった。
あの夜、ローストビーフで咽せてよかった。
──この不器用な人に、出会えてよかった。
攻略本に載っていない令嬢の、初めての正念場が今日、静かに終わった。
これからは──きっともっと手強くて、もっともっと美味しいご飯が待っているはずだ。




