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ローストビーフにむせただけで氷の公爵に溺愛されました。〜攻略本に載っていない社畜令嬢ですが、最強の二人に独占されて平穏な隠居生活が崩壊した件〜  作者: 成瀬 一
第五章 シナリオが、狂い始める

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第40話 詳細不明の政敵に、攻略法は存在した

 アッシェンバッハ侯爵が仕掛けた暗殺計画が、水際で防がれてから数日後。


 王城の、最も広く荘厳な大議会室。


 今日、ルカ=フォン=エデルハインは、いつもの「公爵の同伴者」としてではなく、「エデルハイン令嬢」として正式にこの場への同席を求められていた。


(……名指しで呼ばれた。平社員なのに何の前触れもなく名前を指定されて、経営会議に出席を求められた。絶対に何かある。胃が痛い……)


 重厚な扉を開けて中に入ると、円卓には王国の重臣たちが全員顔を揃えていた。


 その中には、もちろん、黒幕であるヴィルヘルム=アッシェンバッハ侯爵の姿もある。


 彼は追い詰められているはずなのに、いつもと変わらぬ余裕に満ちた、完璧な貴族の微笑みを浮かべて座っていた。


 やがて。


 議長席に、王太子ルシアンが静かに立った。


 かつての傲慢さも、焦燥もない。次期国王としての重圧をその双肩に背負い、覚悟を決めた若き為政者の顔だった。


「本日は、王国の根幹を揺るがす重大な不正と、反逆の嫌疑について審議する」


 ルシアンの声が、冷ややかに、だが確実に議会室に響き渡った。


 そこからは、怒号も悲鳴もない、ただ淡々と事実だけを積み上げていく『静かなる処刑』の時間が始まった。


「第一に、入国審査で拘束されたヴァレンティア使節団の副団長、カール=ヴァイスの自白調書。彼はアッシェンバッハ侯爵との裏での繋がりを、完全に証言した」


「第二に、先日失脚したベルンハルト伯爵の帳簿記録。彼が横領した国庫の資金の流れは、幾重ものダミー商会を経由し、最終的にアッシェンバッハ侯爵の領地へと行き着いている」


「第三に、国王陛下の余命発表のタイミングに関する、医療班への不当な工作の証拠。発表の時期を意図的に操作し、王家の権威を失墜させようとした記録だ」


 次々と提示される、動かぬ証拠の数々。


 一つ一つは、もしかしたら「トカゲの尻尾切り」で逃れられたかもしれない。


 だが、全てが一本の線で繋がった時。アッシェンバッハの「絶対に自分の手は汚さず、証拠を残さない」という鉄則が、初めて、そして完全に崩れ去った。


 ルカは遠巻きに見つめながら、背筋が粟立つのを感じた。


 アッシェンバッハの顔から、余裕の笑みが少しずつ、ほんの少しずつ、石膏のように固く剥がれ落ちていくのが見えたからだ。


「……そして、最後に一つ」


 ルシアンが、不意に視線を動かした。


 円卓の重臣たちの視線が、一斉に──壁際に控えていたルカへと向いた。


(えっ?)


「エデルハイン令嬢。あなたが先日、セシリア=フォン=ローゼンベルク令嬢から得たカール=ヴァイスに関する情報を、この場で、正式に証言していただけますか」


 ルカの心臓が、大きく跳ねた。


(証言!? ちょっと待って、労働審判の決定的な証人として、いきなり法廷の真ん中に立たされたんだけど! 心の準備全くできてないのに!?)


 足がすくみそうになる。


 だが、ルカは視線を泳がせ──円卓の向こう側に座る、グレアムと目が合った。


 彼は何も言わず、ただ静かに、小さく一度だけ頷いた。


「お前なら、できる」と、その青い瞳が言っていた。


 ルカは、大きく深呼吸をし、一歩前に出た。


「……はい」


 声は、震えていなかった。


「カール=ヴァイス氏について、ローゼンベルク家の商会記録に不自然な空白があること。三年前、彼と接触した商会の人間が『消えた』こと。……それを、セシリア様から直接伺いました。彼が暗殺者として動く際の、痕跡を消す手口だと」


 淡々と。しかし、はっきりと。


 しんと静まり返った議会室に、ルカの澄んだ声が響き渡った。


 その瞬間。


 アッシェンバッハが、初めてルカを「まともな人間」として見た。


 今まで「公爵の傍にいる、無害で愚かな小娘」としか認識していなかった彼の目に、初めてルカへの明確な脅威としての評価が生まれた瞬間だった。


(侯爵様、『こいつやるな』みたいな顔してるけど……私元社会人ですからね?)


 ルカは内心で冷ややかにツッコミを入れたが、決して表情には出さなかった。


 グレアムが、静かに立ち上がった。


「以上の証拠を総合すると──ヴィルヘルム=アッシェンバッハ侯爵には、国家転覆を企てた反逆罪の嫌疑がかかる。……重臣各位の、賢明なる判断を仰ぎたい」


 重臣たちが、ゴクリと唾を呑み込み、立ち上がり始めた。


 一人、また一人。


 まるで汚物から逃れるように、アッシェンバッハから距離を置いていく。


 それが、この王国の『答え』だった。


   *


 アッシェンバッハは――静かに、笑った。


 それは、いつもの余裕に満ちた笑顔ではない。全ての手札を失い、盤面がひっくり返ったことを悟った者の、空虚で乾いた笑いだった。


「……見事なものだ」


 誰に言うでもなく、彼は天井を仰いで呟いた。


「私は四十年間、この王国の中枢で生き延びてきた。何人もの貴族を踏み台にし、何人もの政敵を闇に葬った。……それが、このような、若造たちに足元をすくわれる形で終わるとはな」


「侯爵。貴殿のこれまでの国家への功績は認める。だが──」


 ルシアンが、冷徹に言い放った。


「法は、誰に対しても平等だ」


 アッシェンバッハは、ゆっくりとルシアンを見た。


 かつて自分が容易く操り、愚かだと見下していた王太子の顔を。


「……お前が、そこまで変わるとは思わなかった」


 それは、彼が口にした最後の一言であり。


 四十年間の権力闘争の果てに敗れ去った男の、最大の「敗北の認定」だった。


 近衛兵が歩み寄り、抵抗することのないアッシェンバッハの腕を拘束し、連行していく。


 重い扉が閉まり、大議会室は、水を打ったように静まり返った。


 ***


 会議室を出た後。


 ルカは一人、誰もいない廊下で冷たい石壁に背中をもたれかかっていた。


(……終わった)


 張り詰めていた糸が切れ、膝がガクガクと小刻みに震えている。


(本当に、終わったんだ。半年間、毎日胃薬を飲みながら引きずっていた超特大の炎上案件が、ようやく無事にクローズした感覚だ。……疲れた)


 ずるずると床にへたり込みそうになった時。


 横から、大きな手がルカの肩を支えた。


「……大丈夫か」


 グレアムだった。


 ルカは壁にもたれたまま、少しだけ情けない顔で笑った。


「はい。ちょっと、足が震えていますが……なんとか」


「……そうか」


 グレアムはそれだけ言って、ルカの隣に、ただ静かに並んで立った。


 気の利いた慰めの言葉も、労いの言葉もない。


 でも──その大きく温かい背中が「隣にいる」という絶対的な事実だけで、不思議と、ルカの足の震えは少しずつ治まっていった。


 攻略本に「詳細不明の政敵」としか書かれていなかった巨大な男が、今日、静かに退場した。


 そして。


 攻略本に名前すら載っていなかった名もなき令嬢が、今、その歴史が動いた場所に、確かに立っていたのだった。

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