第38話 余計に、怒っている
朝。
ルカ=フォン=エデルハインは、グレアムからの『今すぐ来い』という緊急の呼び出しを受け、馬車で公爵邸に駆けつけていた。
いつもの「お前がいると静かだから来い」というような穏やかな呼び出しではない。手紙の字面からすら伝わってくる、完全に「軍神」としてのピリピリとした温度。
(……これ、前職で言うところの『全社緊急招集』だ。プロジェクトが致命的なバグを起こしたか、あるいは……)
案内された公爵邸の最も大きな会議室の扉を開けた瞬間、ルカの社畜センサーが最大級の警報を鳴らした。
広いテーブルを囲むように、グレアム、レオナルト、そして王太子ルシアンの三人が険しい顔で立っていたのだ。
(王国のツートップと次期社長(国王)が同じ部屋に揃ってる! 絶対にいい話じゃない!)
「遅かったな。座れ」
グレアムが短く促し、ルカが末席に腰を下ろすや否や、彼は重々しく本題を告げた。
「アッシェンバッハが、隣国・ヴァレンティア王国と密約を結んだ。三日後、ヴァレンティアの使節団が『国王陛下の見舞い』という名目で王都に入る。……その使節団の中に、暗殺者が混じっている」
ルカは息を呑んで固まった。
「暗殺の標的は──ルシアン殿下と、私だ」
さらに固まる。
権力闘争という枠を超えた、明確な暴力による物理的な排除。それがアッシェンバッハの「本命の一撃」だった。
「既に第一騎士団は最高レベルの警戒態勢に入っています」
レオナルトが、笑顔を完全に消した冷徹な顔で地図を広げながら続けた。
「ただ──厄介なことに、使節団は正式な外交手続きを踏んで入国します。明確な証拠がない限り、国境で強制的に引き返させることはできない。万が一外交問題に発展すれば、それこそアッシェンバッハの思う壺です」
「ならば、私が囮になる」
ルシアンが、迷いのない声で言った。
会議室が静まり返る。
「王城の警備をあえて薄くし、暗殺者を引きつける。そこで騎士団が確実に捕捉する。それが、被害を最小限に抑える一番確実な方法だ」
「……リスクが高すぎます、殿下」
グレアムとレオナルトが反論し、そこから高度な防衛戦術の議論が始まった。
ルカはただ黙って、三人のやり取りを聞いていた。
やがて方針が定まり、会議が終わる。
解散の直前、グレアムがルカを鋭く見据えて言った。
「ルカ。お前は今日から、この公爵邸から一歩も出るな。……わかったな」
「……わかりました」
ルカは大人しく頷いた。
三人がそれぞれの持ち場へと足早に散っていく。
広い会議室に、一人残されたルカ。
だが──彼女の脳内は、先ほどから猛烈な勢いで回転し始めていた。
(待って。私、何かできることがあるんじゃないか?)
脳内の「乙女ゲーム・緋色の誓約データベース」を全力で検索する。
ヴァレンティア王国。隣国。ゲームのどこかで、確かにその名前を見たはずだ。
(……あった!)
ルカは立ち上がった。
(グレアムルートのバッドエンド。アッシェンバッハが王国の実権を完全に握った『後』に、彼と密約を結んで王国に介入してくる国だ。……でも今、現実のタイミングはそれよりずっと早い。なぜ?)
理由は一つ。
アッシェンバッハが、ルシアンとグレアムの予想以上の反撃を受け、焦って予定を前倒ししたからだ。
(つまり──ヴァレンティア側も、まだ暗殺の準備が完全に整っていない状態で急遽動かされているはず。連携に必ずボロがある)
使節団の中に暗殺者が混じっている。
だとしたら、その「誰」が暗殺者なのかを事前に特定できれば。外交的な手続きを踏んだまま、合法的にその人物だけを入国拒否、あるいは監視下に置くことができる。囮作戦などという危険な真似をする必要はなくなる。
(……行くしかない)
グレアムには「出るな」と厳命された。
前職で言えば「上司に無断で、独断で動いた重大なコンプライアンス違反案件」だ。後でめちゃくちゃ怒られるかもしれない。
(でも──今動かないと、間に合わないかもしれない!)
ルカは会議室を飛び出し、手配してあった公爵家の馬車に飛び乗った。
向かう先は一つ。王国北部に強大な情報網を持つ、ローゼンベルク家だ。
*
王都のローゼンベルク侯爵邸。
突然の訪問にもかかわらず、セシリアは応接室でルカを迎え入れてくれた。
「セシリア様、単刀直入に一つだけ教えてください。……三日後に来るヴァレンティアの使節団について、ローゼンベルク家の北部の情報網(商会)で、何か不審な動きを掴んでいませんか?」
ルカの切羽詰まった声に、セシリアは手元の紅茶のカップを置き、静かに目を細めた。
「……あなたは本当に、毎回面白いことを聞きますわね」
「時間がないんです。お願いします」
セシリアは少しだけ考え込む素振りを見せ、やがて静かに口を開いた。
「……使節団の副団長として名簿に載っている、カール=ヴァイスという人物」
「カール=ヴァイス……」
「彼の経歴に、不自然な空白があります。我がローゼンベルク家の商会が、三年前に彼と北部で大規模な取引をしようとした際──彼と接触した商会の人間が、突然『消えた』という報告が残っています」
「消えた?」
「ええ。裏社会では有名な話です。一流の暗殺者は、素性を知られることを嫌い、痕跡を残す取引相手を消す。……それだけです」
点と点が、完全に繋がった。
間違いない。彼が、アッシェンバッハが送り込んだ暗殺者だ。
「ありがとうございます、セシリア様!」
ルカは深く頭を下げ、弾かれたように応接室を飛び出した。
背後から、「……無茶をしないでくださいね」というセシリアの静かな声が投げかけられた。
*
ルカは息を切らしながら、再び公爵邸の執務室へと飛び込んだ。
「閣下! カール=ヴァイスという人物を至急調べてください! 使節団の副団長です。彼が暗殺者の可能性が極めて高いです!」
デスクの向こうで、グレアムがゆっくりと顔を上げた。
その青い瞳が、信じられないほど険しく、冷たく細められる。
「……お前、屋敷から出るなと、言ったはずだ」
絶対零度の声。
ルカはビクッと肩を揺らしたが、退かなかった。
「はい、すみません! 命令違反は重々承知しています。でも──!」
「……どこで、その情報を調べた」
グレアムの静かな問いに、ルカは「ローゼンベルク家のセシリア様から」と正直に答えた。
グレアムは無言のまま、部屋の隅で控えていたレオナルトに視線を送った。
レオナルトは既に動き、部下に手信号で指示を出していた。
わずか数分後。
「……公爵殿。カール=ヴァイス、確認が取れました。隣国の裏社会と繋がりがあり、三年前から公式な記録に不自然な空白があります。ビンゴです」
レオナルトの報告に、執務室の空気が一気に変わった。
これで、囮作戦を使わずに、入国審査の段階で彼を拘束できる大義名分ができたのだ。
グレアムが、ゆっくりとルカを見た。
長く、重い沈黙。
やがて、彼は深く、深いため息を吐き出した。
「……よくやった」
ルカは、恐る恐る上目遣いで尋ねた。
「あの……怒っていますか?」
「……怒っている。激しく」
「でも、情報は正しかったですし、役に立ちましたよね?」
ルカが少しだけ反論すると、グレアムは眉間を揉みほぐしながら、唸るように言った。
「……ああ、情報は完璧に正しかった。だからこそ……余計に腹が立っている」
(あ、これ『結果オーライだったから処分はしないけど、プロセスが重大なコンプライアンス違反だから上司としては絶対にお前を褒められない』という、前職で一番よく言われた怒られ方だ……!)
ルカは「誠に申し訳ございませんでした」と、今度こそ完璧な社畜の最敬礼で深く頭を下げた。
怒られながらも、ルカの胸の奥には、不思議と清々しい達成感があった。
私はもう、ただ安全な場所で震えているだけの「守られる側」じゃない。
自分の足で、自分の意志で、彼らと共に盤面を「動かす側」に変わりつつあるのだと──確かに感じていた。




