摩天楼(七)
扉の向こうは、広い。
そして、暗い。
天井が高い。太い柱が等間隔に立っていて、その奥にまた柱、そのまた奥にも柱。灯りは天井のあちこちに吊るされているが、点いているのは半分もない。点いているやつも、黄色く濁った光を足元に落としているだけで、ろくに遠くを照らさない。
柱の間には、いろいろなものが置かれている。木箱。鉄の枠。布をかぶせた大きな機械らしきもの。腰の高さの仕切り壁が、何の脈絡もなく途中まで伸びて、途中で終わっている。
倉庫だろうか。工場だろうか。
「なあ」
俺は声を落とす。
「ここ、なんか嫌じゃないか」
「嫌だな」とヴィク。
「お前もか」
「ああ」
しばらく歩く。
音がしない。
さっきの書庫も静かだったが、あれは吸われる静けさだった。ここのは違う。ここのは、待っている静けさだ。
俺たちは柱から柱へ、なるべく体を晒さないように移動する。誰に言われたわけでもない。二人とも自然にそうしている。
三本目の柱の陰で、俺は足を止める。
床に、何か置いてある。
布を広げて、その上に品物が並べてある。
金具。ちぎれた鎖。真鍮の取っ手。何かの部品らしい金属の塊。どれも磨かれていて、値がつきそうなものばかりだ。並べ方も雑じゃない。同じ種類でまとめて、大きさの順に。
俺はしゃがんで、それを見る。
「集めてるな、誰か」
「そうだな」
「売る気だ、これは。売る気のやつの並べ方だ」
布の四隅には、結ぶための紐がついている。包んで担げるようにしてある。
だが、包まれていない。
広げたままだ。
俺はそれを、少しのあいだ見下ろしている。
「持ってくか?」とヴィクが言う。
「いや」
俺は立ち上がる。
「置いとこう。取りに戻るかもしれん」
「そうか」
「戻るだろ、普通」
ヴィクは答えない。
俺たちは歩き出す。
音は、前触れなく来る。
かん、と何かが弾ける音。
同時に、俺のすぐ横の柱から、こまかい破片が飛ぶ。頬に当たる。熱い。
「伏せろ!」
ヴィクが俺の襟を掴んで引き倒す。床に肩から落ちる。息が詰まる。
その頭の上を、続けざまに何かが通っていく。
音は、思っていたのと違う。
映画で聞くような、はっきりした破裂音じゃない。もっと平たくて、湿っていて、遠いところで板を叩いているような音だ。それが不規則に続く。
三発。間。二発。長い間。また一発。
俺は木箱の陰に転がり込んで、そこで初めて自分の手が震えていることに気づく。
「おい」
「無事か」
「無事だ。たぶん無事だ。頬に何か刺さってる気がするけど、それは無事の範囲内だ」
「じゃあ無事だな」
俺は箱の縁から、そっと顔を出す。
見える。
いや、見えない。
何かが動いている。それは分かる。三十歩ほど先、柱と柱のあいだを、黒いものが横切った。人の形だったような気もするし、そうでなかった気もする。灯りが遠すぎて、輪郭が溶けている。
もう一度出る。
また動く。今度は別のところ。さっきのやつと同じものなのか、違うものなのかも分からない。
数も分からない。二つか、三つか、もっとか。
「人か?」
「さあな」
「じゃあ何なんだよ」
「撃ってくるものだ」
ヴィクは正しい。
正体を知ったところで、こっちのやることは変わらない。当たらないところにいる。そして、前に進む。それだけだ。
俺は銃を構える。
構えてから、どこを狙えばいいのか分からないことに気づく。動くものは見える。だが次に見えたときには、もう別のところにいる。
それでも、撃つ。
外れた。
どこへ行ったのかも分からない。反動で肩が持っていかれて、俺は自分の姿勢がまるでなっていないことを、撃ってから知る。
そして、次の瞬間。
木箱が鳴る。
一発じゃない。上から、横から、続けざまに叩き込まれてくる。木が裂ける。破片が首筋に落ちる。角が削れて、白い木肌がむき出しになる。
俺は頭を抱えて縮こまる。
全部こっちに来ている。
さっきまで散らばっていたものが、いま、この一点に集まっている。
やんだ。
俺は息を吸う。吸えていなかったことに、そこで気づく。
「……なあ」
「喋るな」
ヴィクの声が低い。
しばらく間があってから、あいつは短く言う。
「見えてない、あいつら」
「え」
「音だ。音のほうを撃ってる」
俺はもう一度、木箱を見る。
削れた角。白い木肌。
あれは俺を狙ったんじゃない。俺の出した音を狙ったんだ。
ヴィクが革の袋を出している。紐を解いて、中から何かをつまみ出す。
ネジだ。
あいつは俺と目を合わせる。それから、顎で右をさす。
俺は頷く。
ヴィクが腕を大きく振る。
ネジが飛んでいく。大きく右へ。
かん、と離れた床で跳ねる音がした。
撃ち込みが、そっちへ移る。三発。四発。
走る。
柱を二本ぶん。仕切り壁を飛び越えて、その裏に転がり込む。背中を壁につけて、息を整える。
俺はヴィクを見る。
あいつは指を一本立てる。もう一回やる、という意味だ。
俺は頷く。
俺たちは、それを繰り返した。
投げる。音が移る。走る。隠れる。息を整える。また投げる。
あいつが顎で先を示す。俺が頷く。指の数で柱を数える。手のひらを下に向けたら、待て。二本の指で自分の目をさして、それから前を示したら、見ろ。
十年つきあってきて、こんなに黙っていたのは初めてだ。
撃ち合いらしい撃ち合いは、ほとんどしていない。
俺が撃ったのは、あの一発きり。ヴィクは、たぶん二発。当たったかどうかは分からない。当てるつもりで撃っていたのかも怪しい。
こっちがやっているのは、要するに、騙すことだ。
ここにいますよ、という嘘。実際にはそこにいない。相手はその嘘を撃つ。撃っているあいだに、こっちは別のところへ行く。
商売と同じだ。
相手が見ているものと、こっちが本当に売っているものを、少しずつずらしていく。
信頼と少しの嘘が価値を吊り上げる。
ネジは、途中で尽きた。
ボルトも投げた。針金の束も投げた。空になった水の缶も投げた。
干した果物の袋も投げた。
惜しい、という顔をしてしまったんだろう。
ヴィクが小さく首を振る。あとで買えばいい、とでも言うように。
そんな店は、もうずっと下だ。
最後に、俺は銃を投げた。
投げてから、少しおかしくなる。
書庫であれだけ苦労して見つけて、板一枚に負けそうになって、怖いだの何だのと言って、それで結局まともに使ったのは一発きりだ。
いちばん高く売れそうなものが、いちばん役に立たなかった。
かん、と遠くで音がした。
撃ち込みが、そっちへ移る。
そして、俺たちは向こう端に着く。
壁だ。
この階の、いちばん奥。
そこに、鉄の枠が組んである。人が四、五人は乗れそうな大きさの、四角い籠。床は厚い鉄板で、天井から太い鎖が伸びている。
昇降機だ。
「あった」
俺は思わず声を出す。
「見ろよ、あるぞ。ちゃんとあった。上に行くやつがある」
「あるな」
「これで、もう走らなくていい」
その籠に飛び込もうとして、俺は足を止める。
籠の中に、何もない。
ボタンがない。紐もない。取っ手も、レバーも、何ひとつない。ただの鉄の箱だ。
「……おい」
俺は籠から出て、周りを見る。
そして、見つける。
籠の外だ。
籠の横、壁に取りつけられた鉄の台。そこから、腰の高さの太いレバーが一本、突き出している。
俺はそれを握って、引いてみる。
重い。だが動く。
がこん、と頭の上で音がした。鎖が張る。籠が、わずかに持ち上がる。
俺は手を離す。
鎖が緩む。籠が下りる。
もう一度引く。上がる。離す。下りる。
「……おい」
俺は自分の手とレバーを見比べる。
「これ、押さえてないと止まるぞ」
「そうだな」
「ずっとだ。ずっと押さえてないと駄目だ。てっぺんまで、ずっと」
「そうだな」
「そうだなじゃないだろ」
俺は籠を見る。レバーを見る。籠を見る。
籠の中から、このレバーには届かない。どう体をひねっても届かない。腕が三本あっても届かない。そういう距離に、わざわざ置いてある。
つまり、こういうことだ。
一人が乗る。
一人が残る。
平たい音が、また近くなる。
さっきまで遠かったのが、柱二本ぶんくらいまで来ている。壁の向こうで何かが動く気配がする。数は分からない。相変わらず分からない。
俺はヴィクのほうを向く。
向いたときには、もう襟を掴まれていた。




