ももよばやし(八)
わらしは、綱を掴む。
暗いので、結び目がどこにあるのか分からない。手さぐりで探す。
指が震えて、綱の上をすべる。
音がする。
うしろだ。
土手の方から、笛が聞こえる。
わらしは、振り返る。
赤い。
軒に、赤いのが下がっている。ずらっと。右にも、左にも。
風が来て、いっせいに揺れる。
かさかさ鳴る。
足の下が、砂ではない。
土だ。
平らにならしてある。乾いていて、あたたかい。
わらしは、通りのまん中に立っている。
両がわに家が並んでいる。格子がある。暖簾が下がっている。
屋根の線が、向こうの方までひと続きに揃っている。
手には、何も持っていない。
囃子が鳴っている。
近い。
わらしは走る。
門の方へ走る。
門がどっちなのか、分からない。
通りは、どっちを向いても同じかたちをしている。同じ格子。同じ暖簾。同じ赤いの。
走っても、走っても、同じところが前にある。
うしろから、足音が来る。
いくつも来る。
わらしは下を見る。
自分の足と、土だけを見る。
土の上を、明かりが照らしている。
影が、前に伸びている。
わらしの影が一つと、そのうしろに、いくつも伸びている。
長いのがある。
途中で折れているのがある。
わらしの影より、ずっと大きいのがある。
わらしは、影を見ないようにする。
見ないようにすると、足もとが分からなくなる。
つまずく。
膝が土につく。
手をつく。
すぐ起きる。
すぐうしろで、息の音がする。
濡れた音だ。
わらしは走る。
前に、門がある。
屋根がついている。柱が四本ある。
わらしは門をくぐる。
外に出る。
道がある。わだちがある。草がある。
草が足にあたる。ちくちくする。
うしろで、囃子が鳴っている。
門を抜けて、来る。
わらしは、うしろを見る。
赤い。
軒に、赤いのが下がっている。ずらっと。右にも、左にも。
足の下が、草ではない。
土だ。
平らにならしてある。
わらしは、通りのまん中に立っている。
わらしは、動かない。
囃子が鳴っている。
膝が、震えている。
震えているのが、下を見なくても分かる。
わらしは、しゃがむ。
しゃがんで、膝を抱えて、顔を膝のあいだに入れる。
目を閉じる。
囃子が近づく。
太鼓が、腹に届く。
着物の裾が、あたたかくなる。
それから、冷たくなる。
何かが、すぐ前で止まる。
低いところから、息が聞こえる。
わらしの顔の高さと、同じくらいのところからだ。
匂いがする。
濡れた匂いだ。
指のようなものが、わらしの前髪に触れる。
風車が、鳴る。
かたかた。
地面が鳴る。
どん。
前にあった息が、ふっと遠ざかる。
風が、上から来る。
体が浮く。
わらしは、のっぽの肩に置かれる。
わらしは、うしろを見ようとする。
見えない。
大きな指が、わらしの頬に当たっている。
顎の下から、前へ、押されている。
首が、前を向かされる。
わらしは、もう一度うしろを見ようとする。
また、押される。
三度目は、指が頬に当たったままになる。
離れない。
わらしは、前を向いている。
のっぽが走る。
門をくぐる。
屈んでくぐる。屋根が頭にあたって、木の割れる音がする。
外に出る。
道がある。
わらしは、うしろを見ない。
道が下る。
前に、大きな石がある。
石が、動く。
上の方の平らなところが、持ち上がる。
縦のひび割れが、ひらく。
ひびに生えていた草が、そのまま、ふちに並んでいる。
わらしは、それを見る。
のっぽが跳ぶ。
石のひらいたところの上を、跳び越える。
わらしの下を、それが過ぎる。
中は、暗い。
底が見えない。
閉じる音がする。
石が、うしろで鳴っている。
追ってくる。
引きずる音だ。
わらしは、指を掴む。
両手で掴む。
前に、木でできた何かがある。
半分は土に埋まっている。
丸いものが、片方だけ残っている。
それが、回っている。
棒の折れたところが、地面を掻いている。
がり。
がり。
土に埋まっている方が、抜けてくる。
長い。
抜けても抜けても、まだ出てくる。
白い。
わらしは、顔を毛にうずめる。
見ない。
のっぽの体が、右に傾く。
何かが、すぐ横を通る。
風が来る。
のっぽが走る。
道が上る。
上りきる。
水だ。
のっぽが土手を降りる。
砂が飛ぶ。
板の上を走る。板が折れる。折れながら走る。
板の先まで来る。
のっぽが片手を下ろす。
わらしを掴んで、舟の中に置く。
底に、水が溜まっている。
冷たい。
のっぽが、綱を持つ。
引く。
一度で切れる。
板の柱が、いっしょに折れる。
舟が動く。
わらしは、うしろを見ようとする。
指が、来る。
顎の下から、前へ、押される。
わらしは、前を向く。
のっぽが水に入る。
腰まで入って、それから、舟のうしろに手をつく。
押す。
砂の方で、音がする。
わらしは、見ない。
音が、水のふちまで来る。
そこで、止まる。
出てこない。
囃子が鳴っている。
さっきと同じ節を、同じところで繰り返している。
舟が進む。
のっぽが、舟の横に来る。
縁に、片手をかける。
指が四本、舟の中に入っている。
わらしは、その指を掴む。
両手で掴む。
指は太い。両手でまわしても、まわりきらない。
濡れている。
水の上に、月がある。
低いところにある。
水の上に、白い道のようなものができている。
舟は、そこを通っていく。
進む。
水が、のっぽの胸まで来る。
毛が、水の上に広がる。
長いのが、舟のまわりに浮いている。
わらしは、指を掴んでいる。
進む。
水が、のっぽの肩まで来る。
濡れた毛が、ぜんぶ寝ている。
体が、細くなっている。
わらしは、指を掴んでいる。
指が、少しずつ、縁から抜けていく。
わらしは、掴んだまま、引く。
引いても、抜けていく。
わらしは、舟の底に踵をつっぱる。
もっと強く掴む。
指の毛が、手のひらの中で、ずるっとすべる。
わらしは、掴み直す。
掴み直す。
進む。
水が、のっぽの首まで来る。
わらしは、掴んでいる。
月が、水にさわる。
わらしの手の中に、指がある。
まだ、ある。
月が、半分になる。
まだ、ある。
月が、沈む。
暗い。
わらしは、手を見る。
見えない。
わらしは、手を握る。
何もない。
わらしは、顔を上げる。
うしろは、見ない。
上を見る。
「ーーーー」
音は、出ない。
口が開いている。
喉が動いている。
胸が、いっぱいまでふくらんで、しぼむ。
もう一度、ふくらむ。
上には、何もない。
星が、一つずつ消えていく。
端の方から消えていく。
朝が来ない。
水の音も、なくなる。
舟が、進んでいるのか、止まっているのか、分からない。
暗い。




