ももよばやし(七)
わらしを毛の中に入れたまま、ゆっくり立つ。地面が鳴る。
それから、わらしを持ち上げる。
高い。
毛の中から出される。風があたる。冷たい。
わらしは、のっぽの肩の上に置かれる。
肩は広い。座れる。毛が長いので、そこに膝から下が埋まる。
太い指が一本、わらしの前に来る。
わらしは、それを掴む。
顔を上げる。
屋根が、下にある。
ずっと下ではない。手を伸ばせば届きそうな高さに、屋根の斜めがある。屋根はどれも同じ角度で、同じ向きに並んでいる。それが、向こうの方までずっと続いている。
その上に、通りの筋が見える。
家と家のあいだの、細い暗いところだ。それが何本もある。まっすぐなのが一本あって、そこから横に何本も分かれている。分かれた先が、また分かれている。
昼に歩いた通りだ。
上から見ると、そういうかたちをしている。
軒の赤いのが、通りの筋にそって点々と並んでいる。
明かりはついていない。
ついているのは、動いている方の明かりだ。
通りを、明かりが動いている。
一つではない。あっちの筋にも、こっちの筋にもある。ゆっくり動いたり、止まったり、また動いたりしている。
囃子は、そのうちの一つから聞こえている。
明かりのそばに、動いているものがある。遠いので、かたちは分からない。大きいのがいる。長いのがいる。いくつも重なっているように見えるのもいる。
わらしは、それを見ている。
下を向いていない。
見ている。
来ない。
のっぽが歩き出す。
一歩で、屋根が二つぶん過ぎる。
ゆっくり歩いているのに、速い。
わらしは指を掴んだまま、体を揺らされている。上下に揺れる。歩くたび、少し沈んで、また上がる。
風が、耳のところで鳴る。
通りの明かりが、下を過ぎていく。
明かりの方を見ると、明かりも止まる。
しばらく止まっている。
それから、離れていく。
のっぽは、そういうものの上を、またいで歩く。
軒の下に、棒が何本も立っている店がある。
棒の先に、色のついた紙が貼ってある。紙は四角くて、四つの角がそれぞれ折ってあって、まん中で留めてある。
風が来る。
紙が回る。
四つとも、いっせいに回る。かたかた、と鳴る。
わらしは、それを見る。
のっぽが立ち止まる。
腕が下りていく。
指が二本、店の前まで届いて、棒を一本つまむ。
上がってくる。
わらしの前に、紙の回るものが来る。
近い。
まだ回っている。回りながら、こっちに近づいてくる。
わらしは、手を出さない。
指が、それをわらしの頭のところへ持っていく。
前髪と、耳のあいだに、棒が差しこまれる。
ぐっと押しこまれて、それから、ゆるむ。
わらしは、頭に手をやる。
棒がある。
指でたどる。上へたどると、紙にあたる。
紙はつるつるしている。折ってあるところだけ、角が立っている。
ふちを、爪の先でなぞる。
かたい。
指を離すと、また回りだす。
のっぽが歩き出す。
風が、耳のところで鳴る。
耳の上でも、鳴る。
かたかた、かたかた、と鳴っている。
わらしは、前を見る。
屋根が、だんだん低くなっている。
低くなった先に、屋根のついた大きなものがある。
門だ。
わらしは、のっぽの指を引く。
引いて、すぐ下の家を指す。
のっぽは、体ごと向きを変える。
家が、見えなくなる。
わらしは、もう一度、指を引く。
こんどは、屋根のひときわ高い家を指す。昼に戸が開かなかった湯屋だ。
手が来る。
わらしの指している腕を、下から包む。
そっと下ろす。
無理には下ろさない。ゆっくり下ろして、それから、離す。
わらしは、もう一度、腕を上げる。
手は、もう待っている。
指の腹が、手首にあたる。
下ろされる。
わらしは、腕を上げない。
のっぽが、体の向きを変える。
ゆっくり変える。屋根が横に流れていって、止まる。
止まったところに、門がある。
門の向こうには、道がある。
道の先は、上っている。
上りきったところの先が、黒い。
空も黒いが、それとは違う黒だ。空の黒は、上の方が薄い。下の黒は、平らで、どこも同じ濃さで、端がない。
そこだけ、星がない。
手が、また来る。
こんどは、下ろすためではない。
わらしの手首を持って、腕を上げる。
上げて、伸ばす。
指の先が、黒い方を向く。
そこで止まる。
のっぽは、腕を持ったまま、動かない。
長い。
指が離れる。
わらしの腕が、少しずつ下がる。
下がりきる前に、また持ち上げられる。
同じところを指させられる。
そこで止まる。
三度目は、持ち上げられる前に、わらしが腕を上げる。
自分で上げて、黒い方を指す。
のっぽは、動かない。
わらしは、指したままでいる。
腕が重くなる。肩のつけねが痛くなる。
それでも、下ろさない。
手が、上から来る。
腕には触らない。
頭に触る。
風車のとなりに、指の腹が置かれる。
そのまま、しばらく置かれている。
わらしは、腕を下ろす。
のっぽの指を、両手で掴む。
のっぽは、そこから動かない。
門の方を向いたまま、立っている。
下の通りを、明かりが行ったり来たりしている。
囃子が鳴っている。
そのうち、囃子が細くなる。
笛が抜ける。
太鼓だけになる。
太鼓も、間があいて、そのうち鳴らなくなる。
屋根の向こうが、灰色になる。
明かりが、いっせいに動きはじめる。
さっきまでばらばらだったのが、同じ方へ向かって流れていく。細い筋に吸いこまれるみたいに、一つずつ見えなくなる。
見えなくなったところに、何も残らない。
灰色が、白くなる。
のっぽが、しゃがむ。
わらしを肩から下ろす。
両手でつまむようにして、地面に置く。
土だ。
通りのまん中だ。
わらしは、上を見る。
のっぽは、立っている。
顔があるはずのところには、毛がある。
風が吹く。
毛が、ぜんぶ同じ方へ倒れる。
わらしは、手を伸ばす。
届かない。
のっぽが、一歩下がる。
地面が鳴る。
わらしは、追わない。
空が白い。
板の目が見えるくらいに、白い。
わらしは通りのまん中に立っている。
赤いのが、頭の上でかさかさ鳴っている。
もう一度、上を見る。
いない。
***
わらしは歩き出す。
暖簾のある家に入る。
土間から板の間を見る。
膳が出ていない。
板の間には何もない。拭いたあとの艶だけがある。
次の家に入る。
出ていない。
いくつかの家を回るが、やはり膳は出ていない。
わらしは、通りに立って、両がわを見る。
どの家も、戸が閉まっているか、暖簾が下がっているかのどちらかだ。
昨日と同じに見える。
わらしは、門の方へ歩き出す。
風車が、耳の上で鳴っている。
かたかた。
かたかた。
門の下で、わらしは足を止める。
振り返る。
通りが、まっすぐ続いている。
両がわに格子が並んでいる。軒に赤いのが下がっている。風で揺れて、かさかさ鳴っている。
井戸のあたりまでは見える。
その先は、家に隠れて見えない。
誰もいない。
門を出る。
道は、昨日と同じところにある。わだちも、草も、同じだ。
大きな石を過ぎる。
木でできた何かを過ぎる。棒の折れた丸いものが、片方だけ残っている。
道が上る。
上りきる。
水だ。
日は、高いところにある。
砂に降りる。
足が沈む。歩きにくい。
板を渡したところまで行って、その上を歩く。板がたわむ。下から水の音がする。
先まで行く。
舟がある。
昨日と同じところに、昨日と同じかたちで浮いている。中に、細長い棒が一本、転がっている。
綱が、板の柱に巻いてある。
わらしは、しゃがむ。
綱に手をかける。
結び目は、拳ほどの大きさだ。
綱が何本も重なって、互いに食い込んでいる。どれが上でどれが下なのか、見ても分からない。
わらしは、いちばん上に見える綱を引く。
動かない。
隣の綱を引く。
動かない。
指を、綱と綱のあいだに入れる。
入らない。
爪の先だけが入る。
そこを、こじる。
爪が、めくれる。
わらしは指を口に入れる。
しょっぱい。
もう一度、綱に手をかける。
こんどは両手で、下の方の一本を引く。踵を板に押しつけて、体ごとうしろに倒れる。
綱が、少しきしむ。
きしんで、それだけだ。
手を離すと、元に戻る。
わらしは、結び目に噛みつく。
歯を立てる。
繊維が、ぷつぷつ切れる。
口の中がざらざらになる。
顎が疲れる。
顔を離して、見る。
毛羽立っただけだ。
わらしは、砂まで戻る。
石を探す。
平たいのを一つ拾って、板の上まで持ってくる。
綱の上に置いて、上から叩く。
かつ。
かつ。
石が滑る。
指を打つ。
わらしは手を引っこめて、口に入れる。
もう一度叩く。
かつ。
綱は、へこみもしない。
わらしは、舟に乗ってみる。
板から足を伸ばして、縁をまたぐ。舟が揺れる。しゃがんで、底に手をつく。底に水が少し溜まっていて、手が濡れる。
細長い棒を持つ。
持ち上げようとする。
重い。
両手で、まん中を持つ。腰を落として、膝を伸ばす。
棒の先が、少しだけ上がる。
上がって、落ちる。
がん、と舟が鳴る。
わらしは、板の柱を押す。
舟が動く。
離れていく。
綱が伸びきる。
舟が止まる。
引き戻される。
もう一度押す。
同じところで止まる。
わらしは、舟の底に座る。
水が、舟の腹を叩いている。
とん。
とん。
わらしは、顔を上げる。
日は、まだ上の方にある。
板の影が、足もとに短くできている。
わらしは立ち上がる。
板に戻る。
結び目に手をかけ、綱を引く。
指の皮がむける。
手のひらが赤くなる。両方とも赤くなる。
わらしは、手を水につける。
しみる。
また、結び目に手をかける。
そのうち、風車が鳴らなくなる。
わらしは、頭に手をやる。
棒がある。紙もある。
指ではじくと、回る。
手を離すと、止まる。
風がない。
わらしは、顔を上げる。
暗い。




