ももよばやし(五)
わらしは、ほおずきの手を引いて歩き出す。
戻る方ではない。
湯屋の方だ。
湯屋の戸は、ほかの家の戸より大きかった。厚かった。上に木の札が下がっていた。
歩く。
通りの黒い面が、もう半分より広くなっている。明るいのは、屋根のいちばん上の細いところだけだ。そこも、見ているうちに細くなる。
「ねえ、間に合う?」
わらしは答えない。
足を速める。
ほおずきがついてくる。手が汗ばんでいる。
湯屋が見えてくる。
大きな戸がある。札が下がっている。
わらしは駆け寄って、戸に手をかける。
引く。
開かない。
もう一度引く。
開かない。
戸と柱のあいだに、指を入れてみる。入らない。すきまがない。
昨日は開いた。
わらしは、両手で引く。踵を土に押しつけて、体ごとうしろに倒れるようにして引く。
戸は動かない。
ほおずきも横に来て、いっしょに引く。
動かない。
「なんで」
わらしは戸から手を離す。
離して、上を見る。
札が、風で揺れている。
そのとき、日が落ちる。
落ちるところは見えない。家に隠れて見えない。ただ、屋根の上の細い明るさが、すっとなくなる。
通りが、一色になる。
青い。
赤いのが、ぜんぶ色をなくして、灰色になる。
風が止まる。
かさかさ鳴っていた音が、止まる。
囃子が鳴る。
遠くではない。
すぐそこだ。
太鼓が一つ、どん、と鳴って、そのあとに笛が入る。それが、通りの向こうの角から聞こえる。
角の壁が、赤くなる。
明かりが、こっちに向かって曲がってくる。
わらしは、ほおずきの手を掴む。
走る。
うしろで、囃子が速くなる。
笛が高くなる。太鼓が細かくなる。手を叩く音が、いくつも重なる。
足音が続く。
たくさんの足音だ。速いのも遅いのもある。地面を叩くのも、引きずるのも、砂を撒くみたいに鳴るのもある。それが、ぜんぶ同じ方へ来ている。
わらしは走る。
下を見る。
自分の足と、ほおずきの足と、土だけを見る。土の上を、うしろから来る明かりが照らしている。二人の影が、前に長く伸びている。
影は、走るたびに短くなったり長くなったりする。
わらしは、影を見ないようにする。
角を曲がる。
曲がったところの通りも、家が並んでいる。同じかたちの家が並んでいる。
前の方の暗がりから、何かが出てくる。
わらしは目を伏せる。
伏せたまま、横に寄って、それを避ける。
避けるとき、着物の袖が、何かにあたる。
冷たい。
濡れている。
もう一度曲がる。
こんどの通りには、井戸がある。
昨日、水を汲んだ井戸だ。
わらしは井戸の横をすり抜ける。
そのとき、井戸の中から音がする。
上ってくる音だ。
ほおずきの息が、うしろで荒くなっている。
ひゅう、ひゅう、と鳴っている。
手が重い。引かれている。
「そらわらし」
わらしは走る。
「そらわらし、ちょっと」
走る。
「まって」
手が、抜ける。
急に軽くなる。
わらしは三歩ばかり走ってから、止まる。
止まって、そのまま前を向いている。
うしろで、囃子が鳴っている。
「まって」
近くはない。
さっきよりずっと遠い。
わらしは、前を向いたままでいる。両手を体の横に下ろして、こぶしを握って、前を向いている。
「そらわらし」
わらしは動かない。
「そらわ」
そこで切れる。
囃子が続いている。
笛と、太鼓と、木を打ち合わせる音。
さっきと同じ節を、同じところで繰り返している。
何も変わっていない。
わらしは走る。
前を向いたまま走る。
うしろは見ない。
足がもつれる。土を蹴りそこねて、膝から倒れる。手をついて、すぐ起きる。手のひらに土がついている。膝が痛い。
走る。
明かりが追ってくる。
影が前に伸びる。
わらしの影は、一つしかない。




