ももよばやし(四)
目が覚める。
明るい。
板のすきまから入る光が、白くて、太い。畳の上に何本も落ちていて、そのうちの一本が、わらしの手の甲にあたっている。あたっているところが、あたたかい。
起き上がる。
ほおずきが、まだ眠っている。
壁ぎわは、空いている。
わらしは部屋の中を見る。
ざるがいない。
ざるが寝ていたところは、へこんでいる。畳の目が、体のかたちに押されて寝ている。
わらしは、そこに手を置く。
あたたかい。
自分の寝ていたところにも手を置く。おなじくらい、あたたかい。
わらしは、部屋を出る。
奥の間を見る。いない。
土間を見る。いない。
戸は、開いたままだ。ゆうべ、なまずが開けて、そのままになっている。
外に出る。
通りは明るい。日はもう高いところにある。
土は平らだ。箒の筋が残っている。昨日と同じところに、同じ向きで残っている。
足の跡はない。
引きずった跡もない。
わらしは、しゃがんで、筋を見る。
自分の指でなぞった跡が、まだ残っている。
裏に回る。
戸を押して、狭いところに出る。木の桶が伏せてある。板でできた小さい建物がある。
土に、へこみがある。
大きい。
丸くて、まん中が深くて、ふちの方が浅い。
わらしは、その中に両足で立ってみる。
余る。
前にも、うしろにも、まだ土が余っている。
もうひとつ、その隣にもへこみがある。同じ大きさで、少し向きが違う。
わらしは、しゃがんで、へこみのふちを指でなぞる。
土は乾いている。
顔を上げる。
隣の家の屋根がある。その上に空がある。空は白い。何も欠けていない。
匂いを嗅ぐ。
何もしない。
戻ると、ほおずきが起きている。
起きて、立って、部屋の中をぐるぐる歩いている。
「ざるは」
わらしは、首をふる。
「いないの」
わらしは、首をふる。
ほおずきの顔が、ゆっくり赤くなる。目のふちから赤くなって、それが頬まで広がる。
「ざるー」
土間に降りて、外に向かって呼ぶ。
「ざるー!」
返事はない。
ほおずきは通りに出て、右を向いて呼ぶ。それから左を向いて呼ぶ。両方から、何も返ってこない。
呼びながら、少し歩く。
また戻ってくる。
わらしは戸のところに立って、それを見ている。
ほおずきは、なまずの名前は呼ばない。
膳のある家に行く。
暖簾をめくると、中は暗い。目が慣れるまで待つ。板の間が光ってくる。
膳が出ている。
椀がある。皿がある。箸が二本、揃えて置いてある。
わらしは板の間に上がって、椀を持つ。
あたたかい。
飲む。
しょっぱい。
ほおずきも上がってくる。座って、椀を両手で持つ。持ったまま、飲まない。
「なまずはさ」
ほおずきが言う。
「呼ばれたから、行ったんだよね」
わらしは、ほおずきを見る。
「あれ、だれの声だったんだろ」
わらしは椀を置く。
「ぼく、聞こえなかった」
ほおずきは、椀を見ている。
「なんか言ってたのは、聞こえた。でも、なんて言ってたか分かんない」
しばらく、そうしている。
それから、飲む。
飲むと、少し食べる。食べはじめると、たくさん食べる。ほおずきは皿の物を全部食べて、それから、わらしの皿にも手を伸ばす。
わらしは、皿を押してやる。
外に出る。
日が高い。風が通る。赤いのが揺れて、かさかさ鳴っている。
わらしは通りに立って、右を見る。
家が並んでいる。
左を見る。
家が並んでいる。
わらしは、右の方へ歩き出す。
「どこ行くの」
ほおずきがついてくる。
歩く。家が過ぎていく。格子。暖簾。また格子。井戸。湯屋。
歩く。
だんだん、家の並びが低くなる。
赤いのが、まばらになる。
そのうち、赤いのがなくなる。
通りの終わりに、門がある。
屋根がついている。柱が四本ある。屋根の下は暗い。
門は、開いている。
閉める板は、両方とも壁のところまで寄せてあって、そこで止まっている。
わらしは、門の下に立つ。
上を見る。屋根の裏に、太い木が組んである。組んだところに、鳥の巣のようなものはない。
門の向こうを見る。
道が続いている。
家はない。
わらしは、そこに立ったまま、動かない。
なまずは、夜のことを言った。膳のことも言った。見るなと言った。下だけ見てろと言った。
門のことは、言わなかった。
「行っちゃだめだよ」
ほおずきが、うしろから言う。
わらしは、振り向く。
ほおずきが立っている。そのうしろに通りがある。軒に赤いのが下がっていて、風で揺れている。
「……なまずが」
ほおずきは、そこで止まる。
「……言ってた?」
わらしは、首をふる。
ほおずきは、口を開けて、それから閉じる。
わらしは、門を出る。
うしろで、足音がついてくる。
外は、広い。
道が一本ある。土の道で、街の中のように平らではない。わだちがついていて、そこに水の跡がある。
道の両がわは、草だ。
草は、わらしの膝より高い。風が来ると、いっせいに同じ方へ倒れて、白っぽくなる。倒れたところから、また起きる。
先の方は、上っている。ゆるく上って、そこで空とくっついている。
歩く。
草が足にあたる。ちくちくする。
ほおずきは何も言わずについてくる。
しばらく行くと、道の横に、大きな石がある。
家より低いが、わらしの背よりずっと高い。上の方が平らで、横は縦にひび割れている。ひびに草が生えている。
わらしは、石にさわる。
冷たい。
日が当たっている方にさわる。あたたかい。
まわりを一周する。
裏側に、へこんだところがある。人が二人くらい入れる。中は暗い。しゃがんで覗く。
何もない。
土があるだけだ。
わらしは手を伸ばして、土をひとつかみ取る。
土だ。
もう少し行くと、木でできた何かがある。
半分は土に埋まっている。出ている方は、白っぽくなっていて、さわると、ぼろっと欠ける。
丸いものが、片方だけ残っている。丸いものには細い棒が何本も入っていて、そのうちの何本かは折れている。
わらしは、それを押してみる。
動かない。
もう一度、強く押す。
動かない。
上に乗ってみる。
みしり、と鳴る。
すぐに降りる。
ほおずきが、木の隙間を覗いている。
「なんにもない」
覗いたところに手を入れて、かき回す。
「ほんとに、なんにもない」
道が上りきる。
上りきったところで、目の前が急に開ける。
水だ。
わらしは立ち止まる。
土手の上に立っている。下は、草が斜めに生えていて、その先が砂で、砂の先が水だ。
水は動いている。
寄せてきて、白くなって、引いていく。それを何度もやっている。
音がする。
ずっと、同じ音がしている。
わらしは、右を見る。
水がある。
左を見る。
水がある。
まっすぐ向こうを見る。
水がある。空とくっつくところまで、ずっと水だ。
右の方の水は、ずっと先で白くかすんでいる。左の方の水も、ずっと先で白くかすんでいる。かすんだあたりが、どうなっているのかは分からない。
わらしは振り返る。
街がある。下ってきた道と、その先に、小さくなった門がある。
門の向こうに、赤いのが並んでいる。
こんなに遠いのに、ひとつずつ、ちゃんと見える。
もう一度、右を見る。
もう一度、左を見る。
かすんだあたりで、水が少しこっちへ曲がっているようにも見える。
そう見えるだけかもしれない。
ほおずきが、砂のところまで下りていく。
わらしも下りる。
砂は歩きにくい。足が沈む。
水のふちまで行く。
寄せてきた水が、足にかかる。
冷たい。
引いていくとき、足の下の砂がいっしょに動いて、足首まで埋まる。
ほおずきが、水を蹴る。
「しょっぱい」
わらしは、手で水をすくって、なめる。
しょっぱい。
砂のはしの方に、板を渡したものが突き出ている。
水の上に出ている。細くて、長い。
わらしは、その上を歩いてみる。板は少したわむ。下から水の音がする。板と板のあいだから、下の水が見える。
先まで行く。
その下に、舟がある。
小さい。
四人乗ったらいっぱいになるくらいだ。中に、細長い棒が一本、転がっている。
舟は、綱で板の柱にくくりつけてある。綱は太くて、何回も巻いてある。
わらしは、しゃがんで、綱を見る。
さわる。
ざらざらしている。
引っぱってみる。
動かない。
「そらわらし」
ほおずきが呼ぶ。
砂の上に立って、こっちを向いている。
「かえろう」
わらしは、板の上に立ったまま、水を見ている。
「ねえ、かえろう」
わらしは顔を上げる。
日が、向こうの水の上にある。
さっきまで高いところにあったのが、もう水にくっつきそうなところまで下りている。水の上に、赤い道のようなものができている。
赤い。
わらしは走る。
板の上を走って、砂に降りて、砂の上を走る。足が沈むので、うまく走れない。ほおずきの手を掴んで、引っぱる。
土手を上る。
上ったところで、下の道を見る。
道は、もう半分が影に入っている。
草の色が、白っぽいのから、黒っぽいのに変わっている。
走る。
木でできた何かを過ぎる。大きな石を過ぎる。石の影が、道の反対側まで伸びている。
ほおずきが転ぶ。
わらしが引き起こす。
また走る。
草が足にあたる。ちくちくが痛くなる。それでも走る。
門が見えてくる。
門の屋根が、いちばん上だけ、まだ日にあたっている。柱の下の方は、もう暗い。
わらしは、その暗いところに飛び込む。
通りに出る。
赤いのが、頭の上でいっせいに揺れている。
赤いのが、ほんとうに赤い。
通りの片がわが、屋根から下までぜんぶ黒くなっている。黒い面が、こっちに向かって、じわじわ広くなっている。
ほおずきが、わらしの手を握ったままでいる。
握る力が、強くなる。
「どこ行けばいいの」
わらしは、通りの先を見る。
家が並んでいる。
どの家も、同じかたちをしている。




