第8話 昨日とは違う人
夜会の翌日。
オリビアは朝から少し落ち着かなかった。
いつものように授業を受けている。
魔法式の講義も、実習も、きちんと聞いている。
けれど、頭の片隅には昨夜の光景が残っていた。
王宮の大広間。
大勢の貴族に囲まれたルーカス。
金髪を整え、堂々と立っていた姿。
そして――。
『君まで僕を遠くに置かないで』
あの言葉。
「……」
オリビアは頬杖をついた。
「どうしたの?」
隣の友人に声をかけられる。
「なんでもない」
「夜会で何かあった?」
「ううん」
嘘ではない。
何かあったわけではない。
ただ。
昨日までより、ルーカスという人が少し遠く感じる。
放課後。
いつものように図書館へ向かう。
扉を開ける。
そして、いつもの席を見る。
「……いない」
少しだけ胸が沈んだ。
昨日の夜会で忙しかったから、今日は来ないのかもしれない。
そう思いながら、本を開く。
数分後。
「オリビア」
「!」
聞き慣れた声。
振り返ると、ルーカスが立っていた。
「こんにちは」
「……こんにちは、ルーカス先輩」
オリビアは少しだけよそよそしく答えた。
ルーカスはすぐに気づいた。
「どうしたの?」
「何がですか?」
「なんか変」
「変じゃないです」
「昨日と違う」
「……」
図星だった。
「夜会のせい?」
「……少しだけ」
「やっぱり」
ルーカスは向かいの席に座った。
「何が気になってる?」
「先輩が……」
「僕が?」
「昨日、すごかったので」
「すごかった?」
「はい」
オリビアは昨夜を思い出す。
「みんなが先輩を見てました」
「まあ、公爵家だからね」
「学園では、もっと普通なのに」
「僕は昨日も普通だったよ」
「違います」
オリビアは首を振った。
「昨日の先輩は、すごく……」
「すごく?」
「公爵様になる人、って感じでした」
ルーカスは黙った。
「それが嫌だった?」
「嫌ではないです」
「じゃあ、何?」
「分からないです」
オリビア自身にも、うまく説明できなかった。
ただ、昨日の彼を見てしまってから。
図書館で気軽に「ルーカス先輩」と呼ぶことが、少しだけ申し訳なく感じる。
「……私」
「うん」
「先輩に気軽に話しかけすぎてたのかなって」
「どうして?」
「だって、先輩は公爵家の跡取りで……」
「またそれ?」
ルーカスが困ったように笑った。
「昨日、言ったよね」
「はい」
「僕を遠くに置かないでって」
「……」
「だから、いつも通りでいい」
「でも」
「オリビア」
ルーカスが真っ直ぐに彼女を見る。
「僕が君と一緒にいたいから、ここに来てるんだよ」
オリビアの目が少し見開かれる。
「……魔法の研究をするため?」
「もちろん、それもある」
「それも?」
「うん」
ルーカスは少しだけ笑った。
「君と話すのが楽しいから」
「……」
オリビアは何も言えなくなった。
「だから、そんなに考えなくていいよ」
「はい……」
「それに」
ルーカスは机の上に一冊の本を置いた。
「昨日、王宮の書庫で見つけた」
「……!」
オリビアが本を手に取る。
古い魔法理論の本だった。
「これ、王宮の書庫にしかない本です」
「そう」
「どうして?」
「君が興味ありそうだったから」
「私のために?」
「うん」
オリビアは本の表紙を撫でた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「……嬉しいです」
その言葉に、ルーカスも笑った。
「じゃあ、研究しようか」
「はい」
二人は本を開いた。
いつものように。
昨日の夜会なんてなかったかのように。
けれど、オリビアの中には小さな変化が残っていた。
ルーカスは、ただの魔法好きな先輩ではない。
公爵家を背負う人でもある。
それでも。
自分のために王宮の書庫から本を探してくれる。
そんな優しい人でもある。
「先輩」
「ん?」
「この本、読み終わったら貸してもらってもいいですか?」
「いいよ」
「ありがとうございます」
「その代わり、僕にも研究結果を見せて」
「もちろんです」
オリビアは笑った。
昨日より、少しだけ自然に。
ルーカスもそれを見て、安心したように微笑んだ。
ただ。
彼自身にも、ひとつ変化があった。
昨夜。
大勢の貴族に囲まれながら、ずっと考えていたこと。
それは――。
早く図書館へ行きたい。
オリビアに会いたい。
そのことだった。
自分でも、少し不思議だった。
魔法を研究するためだけなら、別に彼女でなくてもいい。
それなのに。
彼女がいない図書館は、以前よりずっと静かに感じる。
「……僕も変わったな」
「何か言いました?」
「いや」
ルーカスは本を開いた。
「なんでもないよ」
二人の放課後は、またいつも通りに戻った。
けれど。
それまでとは少しだけ違う。
お互いのことを、ほんの少し深く知ったから。
そしてルーカスはまだ知らない。
この小さな変化が、やがて自分の中で大きな感情になっていくことを。




