第7話 夜会のルーカス
王宮の大広間には、絶えず音楽が流れていた。
色とりどりのドレス。
家紋をあしらった正装。
きらびやかな装飾品。
普段の学園とは、何もかもが違う。
オリビアは父の隣で、周囲の貴族たちに挨拶をしていた。
「エヴァンス伯爵、お久しぶりです」
「こちらこそ。今夜はお招きいただき光栄です」
父が慣れた様子で会話を続ける。
オリビアも令嬢として失礼のないように微笑み、頭を下げた。
礼儀作法は身についている。
伯爵令嬢として、こういう場に出ることも初めてではない。
ただ。
今日はどうしても、別のことが気になってしまう。
視線を少しだけ動かす。
大広間の中央。
そこにはルーカスがいた。
金色の髪をきっちりと整え、黒を基調とした正装を身につけている。
隣には公爵夫妻。
次々にやってくる貴族たちに、穏やかな笑顔で応じていた。
「公爵閣下、お久しぶりでございます」
「こちらこそ。息災そうで何よりです」
「ルーカス様も、ますますご立派になられて」
「ありがとうございます」
完璧だった。
言葉遣いも。
姿勢も。
微笑み方も。
何一つ隙がない。
「……」
オリビアはしばらく見つめていた。
「オリビア?」
「え?」
「どうした?」
父に声をかけられて、オリビアは慌てて視線を戻す。
「なんでもないです」
「そうか?」
「はい」
けれど、また少しだけルーカスを見る。
目が合った。
青い瞳が、まっすぐこちらを向く。
オリビアは思わず小さく会釈した。
ルーカスも、ほんのわずかに頷く。
それだけ。
なのに、なぜか少し嬉しかった。
しばらくすると、父が別の貴族に呼ばれた。
「オリビア、ここで待っていなさい」
「はい」
一人になったオリビアは、壁際へ移動した。
夜会は嫌いではない。
華やかな雰囲気も、音楽も、美しい装飾も好きだ。
ただ、魔法の研究をしているときほど夢中にはなれない。
「……魔導具の展示でもあればいいのに」
小さく呟いた。
すると。
「そんなに退屈?」
「え?」
振り返る。
そこにルーカスがいた。
「先輩……!」
「やっと話せた」
「忙しそうでした」
「そうなんだよ」
ルーカスは小さく息を吐いた。
さっきまでの完璧な笑顔は消えていた。
「こっちはずっと挨拶ばかり」
「大変ですね」
「君は?」
「父の隣にいました」
「今は?」
「一人です」
「じゃあ、少し話そう」
「いいんですか?」
「僕がいいって言ってるんだからいいよ」
ルーカスは少し笑った。
オリビアも微笑む。
「なんだか不思議です」
「何が?」
「学園と全然違います」
「やっぱり?」
「はい」
オリビアは彼を見る。
「別人みたいです」
「そうかな」
「はい」
「僕は同じだけど」
「でも、学園ではもっと……」
「もっと?」
「気楽な感じです」
「君の前だからじゃない?」
「私の前?」
「うん」
オリビアは少し驚いた。
「どうしてですか?」
「君といると、公爵家の跡取りじゃなくていいから」
「……」
ルーカスは大広間を見渡した。
「ここでは、僕が誰なのかをみんな知ってる」
「はい」
「だから、常にそれらしくしてないといけない」
「大変ですね」
「慣れてるよ」
「でも……」
オリビアは少し考えてから言った。
「私は、学園のルーカス先輩のほうが好きです」
「……」
ルーカスの目が見開かれた。
「今、なんて?」
「学園のルーカス先輩のほうが、話しやすいです」
「ああ……」
ルーカスは胸を押さえるように息を吐いた。
「びっくりした」
「?」
「いや、なんでもない」
オリビアは首を傾げる。
「それより」
ルーカスが話題を変える。
「君の父上は宮廷貴族だったよね」
「はい。領地はありませんけど、王宮で仕事をしています」
「知ってるよ」
「そうなんですか?」
「政治学科だからね。貴族の家系は一通り勉強する」
「なるほど」
「エヴァンス伯爵は王宮内でも評判がいいよ」
「父が?」
「うん。特に外交関係では信頼されている」
「知らなかった……」
オリビアは少し驚いた。
「家では仕事の話をあまりしないので」
「そうなんだ」
「先輩は知ってるんですね」
「政治を学んでるから」
「じゃあ、父のことも知ってるんだ」
「まあね」
オリビアは少し笑った。
「なんだか変な感じです」
「何が?」
「私の知らない父を、先輩が知ってる」
「僕にも、君の知らない僕がいるよ」
「……そうですね」
オリビアは大広間を見た。
たくさんの貴族。
たくさんの家。
たくさんの立場。
学園の図書館では見えなかった世界が、今は目の前に広がっている。
「先輩って、すごい人なんですね」
「やめて」
「え?」
「その言い方、嫌い」
ルーカスは少し困ったように笑った。
「君まで僕を遠くに置かないで」
「……」
オリビアは彼を見た。
「分かりました」
「本当に?」
「はい」
「じゃあ?」
「ルーカス先輩」
その呼び方に、ルーカスの表情が柔らかくなる。
「……うん。それでいい」
遠くから、誰かがルーカスを呼んだ。
「ルーカス様!」
ルーカスが振り返る。
「行かなきゃ」
「はい」
「また後で」
「はい、先輩」
ルーカスは人の輪の中へ戻っていった。
そして再び、次期公爵としての顔を見せる。
オリビアはその背中を見ながら思った。
自分が知っている彼は、ほんの一部分なのだろう。
けれど。
その一部分だけでも、十分だった。
――魔法の本を一緒に読んで。
――くだらない話をして。
――研究が成功すれば一緒に喜ぶ。
そんな「ルーカス先輩」を、オリビアは知っている。
それだけは、誰にも奪えない気がした。
その夜。
オリビアは初めて、身分の違いというものを少しだけ意識した。
そして同時に。
それでも彼を「ルーカス先輩」と呼びたいと思った。




