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魔法を捨てた次期公爵は、図書館の令嬢に恋をする  作者: 莉璃翠


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第10話 噂の向こう側

 それから数日。


 学園の空気が、少しだけ変わった。


 廊下を歩いていると、時々聞こえてくる。


「公爵家のルーカス様、王宮から婚約の話が来たらしいよ」


「やっぱりそうなんだ」


「相手はどこの家なの?」


「まだ決まってないみたい。でも候補はいくつかあるって」


「そりゃそうよね。次期公爵なんだから」


 オリビアは、聞こえないふりをして通り過ぎた。


 別に、自分には関係のない話だ。


 そう思っている。


 けれど。


 図書館の扉を開けた瞬間。


「……」


 いつもの席に、ルーカスがいた。


 金色の髪が窓から差し込む光を受けている。


 彼は本を読んでいた。


「ルーカス先輩」


「オリビア」


 顔を上げたルーカスが、いつものように笑う。


「今日も来たね」


「はい」


 オリビアは向かいの席に座った。


「何の本ですか?」


「魔力循環について」


「珍しいですね。政治学科の本じゃない」


「ここに来て政治の本を読むほうが珍しいでしょ」


「それもそうですね」


 二人で笑う。


 それだけで、少しだけ安心した。


 けれど。


 オリビアは昨日までと同じようには話せなかった。


「……先輩」


「ん?」


「婚約の話」


 ルーカスの手が止まる。


「うん」


「噂になってますね」


「もう学園中に広がってる?」


「たぶん」


「早いな……」


 ルーカスはため息をついた。


「まだ何も決まってないのに」


「そうですよね」


「気にしなくていいよ」


「気にしてません」


「本当に?」


「本当です」


 オリビアは即答した。


 けれど、ルーカスは納得していない顔をしている。


「……君、嘘が下手だね」


「え?」


「いや」


 ルーカスはそれ以上言わなかった。


 その日の昼休み。


 オリビアは友人たちと食堂にいた。


「ねえ、オリビア」


「なに?」


「ルーカス様の婚約の噂、聞いた?」


「うん」


「やっぱり聞いてるんだ」


「学園中で話してるから」


 友人が少し声を落とす。


「でもさ、オリビアってルーカス様と仲いいよね?」


「……普通だよ」


「普通っていう距離じゃないと思うけど」


「図書館で一緒に勉強してるだけ」


「魔法研究でしょ?」


「そう」


「それでも毎日のように一緒にいるじゃん」


 オリビアは黙った。


「もしかして……」


「違うよ」


 反射的に否定した。


「ルーカス先輩は、ただの先輩」


 口にした瞬間。


 胸が少しだけ痛んだ。


「ただの先輩……」


 友人が首を傾げる。


「ならいいけど」


「うん」


 そう答えた。


 午後の授業が終わる。


 いつものように図書館へ向かう。


 けれど今日は、ルーカスがいなかった。


「……」


 昨日までは、いなければ少し残念に思うだけだった。


 今日は違う。


 婚約の話を聞いてから。


 彼が来ない理由まで、余計なことを考えてしまう。


 王宮の用事だろうか。


 家族と話しているのだろうか。


 婚約候補の人と会っているのだろうか。


「……何考えてるんだろう、私」


 オリビアは小さく呟いた。


 そのとき。


「誰のこと?」


「!」


 振り返る。


「ルーカス先輩……」


「こんばんは」


「いつからいたんですか?」


「今来たところ」


 ルーカスは向かいの席に座った。


「今日は遅かったですね」


「ごめん。父と話をしてた」


「公爵様と?」


「うん」


 その言葉に、オリビアは少しだけ姿勢を正した。


 公爵。


 今まではあまり意識していなかった。


 けれど最近は、その存在を強く感じる。


「婚約の話ですか?」


「それも少し」


「……そうですか」


「オリビア」


「はい」


「そんなに気になる?」


「……何がですか?」


「婚約」


 オリビアは答えられなかった。


 ルーカスはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。


「僕もまだ、どうなるか分からない」


「はい」


「ただ」


「ただ?」


「僕は、今の生活を変えたくないと思ってる」


「……学園生活?」


「うん」


 ルーカスは魔法の本に手を置いた。


「政治の勉強も、家のこともある。でも、ここで君と魔法を研究する時間も、僕には大事だから」


 オリビアは顔を上げた。


「……そうなんですね」


「そうだよ」


「なら、よかったです」


「何が?」


「先輩が魔法をやめないなら」


 ルーカスは少し驚いたように目を瞬かせる。


「……君は本当に、そこなんだね」


「え?」


「婚約の話をしてるのに、心配してるのは魔法のこと」


「だって……」


 オリビアは少し考えてから言った。


「先輩が魔法を好きなの、知ってるから」


「……」


「それを諦めてほしくないだけです」


 ルーカスは何も言わなかった。


 ただ、優しい目で彼女を見ている。


「……ありがとう」


「はい」


 オリビアも笑った。


 けれど。


 その夜、寮へ戻ったあと。


 ベッドに横になっても、ルーカスの言葉が頭から離れなかった。


『今の生活を変えたくない』


『君と魔法を研究する時間も、僕には大事』


 それが嬉しかった。


 嬉しいはずなのに。


 どうしてか、その奥に別の感情がある。


 オリビアは胸元に手を当てた。


「……なんでこんなに気になるんだろう」


 答えは、まだ分からなかった。


 ただ一つだけ。


 もし本当にルーカスに婚約者ができたら――。


 今までと同じように、彼を「ルーカス先輩」と呼べるのか。


 そのことだけが、妙に気になっていた。

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