第8話 登録外の男
「では、今の武装は何ですか」
防護服の職員に問われ、俺は言葉に詰まった。
答えようにも、俺自身が何をどこまで分かっているのか怪しい。八重垣剣。名前だけは知っている。手に呼び出せることも、振るえば何かの境目に触れられることも、さっき嫌というほど思い知った。
だが、それを管理局の人間にどう説明すればいいのかは、まるで分からなかった。
「その前に、負傷者の搬送を優先します」
別の職員が割って入った。
俺の前に膝をついていた職員は、少しだけ視線を外し、うなずく。
「分かりました。相良浩司さん、ですね。詳しい話は管理区域で聞きます」
「はい」
「現時点で、あなたを拘束するものではありません。ただし、安全確認が終わるまで、単独行動は控えてください」
「……分かりました」
そう言われるのは当然だった。
俺は登録踏査士ではない。作業着姿で迷宮に現れ、謎の剣を使い、学生3人と一緒に救援隊に保護された40歳の男だ。自分で考えても、怪しい要素が多すぎる。
救援隊の盾の向こうでは、まだ魔物の咆哮が響いていた。
前衛班が魔導具の盾を重ね、別の班が通路の氷を崩して進路を狭めていく。俺たちはその背後を通り、正規ルート側へ誘導された。
雨宮さんは担架に乗せられ、白瀬さんは職員に肩を借りて歩いている。久世さんは何度も後ろを振り返っていたが、救援隊の指示に従って下がった。
俺も歩こうとしたが、腰が痛んで足が思うように前へ出なかった。
濡れた作業着が肌に張りつき、工具鞄の重さが肩に食い込む。八重垣剣が消えてから、身体を支えていた芯のようなものが抜け落ちた感覚があった。
「相良さん、無理に歩かないでください」
医療班の女性職員に支えられる。
「いえ、自分で歩けます」
「その台詞を言う人ほど、だいたい歩けていません」
「……すみません」
反論できなかった。
俺は素直に肩を借りることにした。
氷の通路を抜け、管理局の誘導灯が並ぶ区域へ出る。
壁には金属の補強材が入り、床には滑り止めの板が敷かれていた。人工物があるだけで、胸の奥に少しだけ息が戻る。さっきまでの氷の通路とは違い、ここには人の手が届いている。
それでも、完全に安心はできなかった。迷宮の中にいることに変わりはない。
管理局の現地管理区画に着くと、俺たちは簡易医療室へ運ばれた。
雨宮さんは足首を固定され、白瀬さんは魔力消耗の確認を受けている。久世さんも腕や肩に小さな傷があり、消毒を受けながら事情を聞かれていた。
俺は椅子に座らされ、体温、脈、呼吸、右肩、腰を順番に確認された。
医療班の職員が端末を見て、眉をひそめる。
「右肩と腰に強い負荷が出ています。低体温気味でもありますね。よくこの状態で動けましたね」
「俺もそう思います」
本音だった。
八重垣剣がなければ、あの場で走ることも、防ぐことも、境界を閉じることもできなかっただろう。
逆に言えば、剣が消えた今の俺は、ただの疲れ切った40歳だった。
「相良のおっちゃん、ほんまに大丈夫なん?」
隣の処置台から、白瀬さんがこちらを見てくる。
顔色はまだ悪い。さっき抱きついてきたときの勢いはもうなく、声にも疲れがにじんでいた。
「腰以外は、たぶん」
「腰あかんやつやん」
「まあ、昔から少し」
「それは余計にあかんやつやって」
白瀬さんが呆れたように言う。
その横で、雨宮さんが申し訳なさそうに頭を下げた。
「相良さん、足を固定してくれてありがとうございました。あれがなかったら、もっと迷惑をかけていたと思います」
「迷惑なんてことはないです。あれくらいしかできませんでしたし」
「それでも、助かりました」
雨宮さんは真面目に言った。
こういう真正面の感謝は、どうにも受け取り方に困る。
「相良さん」
久世さんが処置を終え、こちらへ来た。
背筋はまっすぐだが、頬には疲労の色が濃い。
「改めて、ありがとうございました。相良さんがいなければ、私たちは戻れませんでした」
「みなさんが動いてくれたからです。俺一人なら、最初の一撃で終わってました」
「それでも、相良さんは来てくれました」
久世さんの声は静かだった。
俺は何か返そうとして、結局うまい言葉が見つからなかった。
その後、最低限の処置が終わると、俺だけ別室へ案内された。
もちろん、ひとりで自由に歩けるわけではない。廊下の前後には管理局の職員がつき、医療班も近くに待機している。
事情聴取用らしい小さな部屋に入ると、机を挟んで調査官が座っていた。年齢は30代くらいだろうか。無駄のない口調と姿勢で、こちらを責めるというより、事実を一つずつ固定しようとしているように見えた。
「相良浩司さん。確認します。年齢は40歳。彩乃宮モール設備管理員。登録踏査士ではない。間違いありませんか」
「はい」
「学生3名とは、今回の事案以前に面識は?」
「ありません。迷宮内で初めて会いました」
「迷宮へ入った経緯を説明してください」
俺は、地下2階から落ちたあとの経緯を、できるだけ順番に話した。
漏水警報の確認に向かったこと。点検区域の床に黒い線が広がり、床そのものが消えたように見えたこと。石造りの通路に落ちたこと。魔物に追われたこと。道のつながり方がおかしく、貼ったはずの赤い養生テープが別の場所に現れたこと。
そして、逃げ込んだ先に、古書店のような場所があったこと。
そこにいた女性は、栞と名乗った。
俺はその人から本を渡され、開いた。すると、白紙だったはずの頁に文字が浮かび、《未綴ノ書》という名と、《特殊ジョブ・神剣の担い手》という言葉が現れたこと。そして、《八重垣剣》という剣を呼び出せるようになったことまで、順を追って話した。
話し終えるころには、自分でも何を言っているのか分からなくなっていた。
だが、黙っていればもっと怪しい。だから、分かる範囲だけを話すしかなかった。
「その本は、今も持っていますか」
「いえ。店を出る前に、栞さんのところへ戻りました」
「戻った、というのは?」
「勝手に手元から離れて、彼女のところに戻ったように見えました。少なくとも、俺の手元にはありません」
「その古書店の場所は分かりますか」
「分かりません。もう一度行けと言われても、たぶん無理です」
調査官は端末へ何かを入力し、しばらく黙った。
こちらを見る目は鋭いが、嘘だと決めつけているわけではなさそうだった。
「相良さん。あなたが通った場所は、正規入口ではない可能性があります」
「正規入口ではない、というと……裏口みたいなものですか?」
「近いようで、違います」
調査官は慎重に言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「俗に、《ダンジョンの裏道》と呼ばれる現象です」
「……裏道?」
思わず聞き返してしまった。
「裏口じゃないんですか?」
「入口と呼べるほど、安定していません。どこへつながるか分からず、いつ開くかも分からない。入った場所と出る場所が一致する保証もありません」
俺は、石造りの通路で見つけた赤い養生テープを思い出した。
自分で貼ったはずの目印が、違う構造の通路に現れていた。後ろにいた魔物が、前から現れた。あれが道だというのなら、まともな道ではない。
「だから、裏口ではなく裏道……」
「ええ。迷宮の外縁部や、正規地図に載らない経路を経由していると考えられています。もっとも、詳しい仕組みは分かっていません」
「そんなものに、俺は落ちたんですか」
「現時点では、その可能性が高いと見ています」
可能性が高い。
そう言われても、まったく嬉しくない。
「一般人が単独で《ダンジョンの裏道》へ迷い込み、生還した例は多くありません。さらに、そこから別の迷宮内へ接続し、学生3名を救助したとなると、通常の迷宮事案としては処理できません」
「でしょうね」
自分でもそう思う。
昨日までの俺なら、こんな話を聞かされても信じなかったかもしれない。
「先ほどの武装を、もう一度出せますか」
調査官が言った。
「ここで、ですか」
「安全措置を取ります。刃は誰にも向けないでください。難しければ中止します」
別室へ移動させられた。
そこは簡易測定室らしく、床に円形のラインが引かれ、空間を仕切る厚い透明な防護壁があった。医療班と一部の局員はこちらに残り、調査官は防護壁の向こう側へ移動した。
「無理をしないでください。体調に異変があれば、すぐに手を離して」
「分かりました」
右手を軽く開く。
八重垣剣、と心の中で呼んだ。
白い光が手の中に集まり、白革を巻いた柄が現れる。
次の瞬間、剣身の重みが腕に乗った。
同時に、身体の芯に何かが通る。
腰の痛みが消えるわけではない。右肩の熱も残っている。それでも、立っていられる。呼吸が少しだけ深くなる。
透明板の向こうで、測定器の音が変わった。
「迷宮適応反応、確認」
「ジョブ反応あり」
「年齢データと一致しません」
「武装との同調反応が強すぎます。装備品として分離できません」
職員たちの声が低く交わされる。
俺には何を言っているのか、半分も分からなかった。ただ、普通ではないらしいことだけは伝わってくる。
調査官の表情が、さらに硬くなった。
「相良さん。本当に、これまで覚醒反応を確認されたことはないのですね」
「ありません」
「過去に適性検査を受けたことは?」
「30歳のとき、受けようとしたことはあります。でも、年齢で断られました。反応を見るところまで行っていません」
口にしてから、胸の奥が少しだけ重くなった。
10年前、俺は検査すら受けられなかった。迷宮が世界を変え、若い踏査士たちがテレビに映り、誰かが選ばれていく中で、俺は最初から対象外だった。
その俺に、今になって機械が反応している。
「40歳で、新規のジョブ反応……」
調査官が小さく呟いた。
「あり得ないことなんですか」
「絶対にない、とは言いません。ですが、少なくとも通常の範囲ではありません。20歳を越えて完全な新規反応が出る事例は、極めて少ない。まして、既存分類と一致しない特殊反応となると、現場判断で扱える案件ではありません」
やはり、面倒なことになっているらしい。
「剣を消しても?」
「はい。ゆっくりお願いします」
八重垣剣を消す。
光がほどけ、手の中から剣が消えた瞬間、身体の支えも弱まった。膝が少し揺れ、医療班がすぐに近づいてくる。
「座ってください」
「はい」
椅子に座らされる。
情けないが、逆らう気力もなかった。
測定室の外へ戻ると、久世さんたちも別の職員から事情を聞かれていた。
俺の姿を見つけた白瀬さんが、すぐに身を乗り出す。
「相良のおっちゃん、変なこと言われてへん?」
「白瀬さん」
久世さんがたしなめる。
「だって、命の恩人やで。怪しい人扱いされてたら嫌やん」
「管理局の確認は必要です」
「それは分かってるけどな」
白瀬さんは不満そうに頬をふくらませた。
調査官は感情を動かさず、端末を見る。
「白瀬美玲さん。相良さんがあなた方を救助したという証言は、すでに3名から確認しています。それと、安全確認は別です」
「……分かってます」
白瀬さんは小さく答えた。
その横で、久世さんが一歩前へ出る。
「相良さんは、私たちの前に割り込み、魔物の攻撃を防いでくれました。撤退時も、道の異常を見つけ、管理局の救援につなげてくれました。登録踏査士ではありませんが、少なくとも敵意はありません」
「私も、そう思います」
雨宮さんも続けた。
「足を固定してくれたのも、相良さんです。逃げるときも、置いていかないって言ってくれました」
その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
助けたつもりではある。だが、俺は最後まで怖かったし、自信もなかった。そんな自分を、彼女たちはきちんと見て、証言してくれている。
「証言は記録します」
調査官はそう言って、端末を閉じた。
「相良さん。現時点で、あなたを違法侵入者として扱う判断はしません。ただし、事案の性質上、追加の事情聴取と本格測定が必要です」
「本格測定、ですか」
「はい。こちらの簡易設備では判断できません」
やはり、まだ終わらないらしい。
「それと、彩乃宮第一高校の関係者にも確認が必要です。学生3名が関わっていますので」
調査官が別の職員へ指示を出す。
「迷宮踏査部顧問、榊原伊織教諭へ連絡を。至急、管理局まで来ていただいてください」
その名前を聞いた瞬間、久世さんたちの表情が変わった。
白瀬さんは口を閉じ、雨宮さんは背筋を伸ばす。久世さんに至っては、少しだけ緊張したように見えた。
「学校の先生ですよね?」
俺が尋ねると、調査官がこちらを見る。
「ええ。彩乃宮第一高校迷宮踏査部の顧問です」
「顧問の先生に、そんなに緊張するものなんですか」
白瀬さんが苦笑した。
「相良のおっちゃん、榊原先生を知らんの?」
「名前だけなら、たぶん」
「榊原先生は、第一世代踏査士です」
久世さんが静かに言った。
「第一世代……」
10年前、ダンジョンが現れた直後に覚醒した最初期の踏査士たち。
ニュースでも特別な呼び方をされていた人たちだ。ファーストダイバー。迷宮というものに、まだ誰も慣れていなかった時代に、最初に中へ入っていった者たち。
つまり、普通の学校の先生ではない。
俺は椅子の背に身体を預け、思わず天井を見た。
魔物からは助かった。氷の迷宮からも、ひとまず出られた。
だが今度は、第一世代踏査士の先生に会うことになるらしい。
40歳になってからの放課後は、どうにも落ち着く暇をくれないようだった。
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