↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/22

第17話 40歳、二度目の迷宮へ

 金曜日の午後、俺は迷宮へ入るために休暇を取った。


 10年前の俺が聞けば、きっと羨ましがるだろう。初めての実地訓練へ仕事の疲れを持ち込まないためという、かなり現実的な理由ではあったが、朝から落ち着かなかったことまでは否定できない。


 授業が終わる少し前に彩乃宮第一高校へ着き、迷宮踏査部室で支給された防具を身につける。胸当てと籠手、膝当てを順番に装着していると、白瀬さんが俺の荷物を覗き込んだ。


「相良のおっちゃん、その工具鞄も持っていくん?」


「何か壊れているかもしれないでしょう」


「迷宮を修理する気なん?」


「直せるものなら」


「置いていってください」


 久世さんが装備確認表から顔も上げずに言った。


「即答ですね」


「今回の訓練には必要ありません。荷物が増えれば、移動の邪魔になります」


「小型ライトと養生テープくらいは」


「榊原先生の許可を取ってください」


「では、あたしが確認します」


 部室の入口に立っていた榊原先生が、差し出した道具を一つずつ確かめる。


「小型ライトと養生テープは許可します。簡易工具も、この大きさなら構いません。ただし、設備を見つけても勝手に分解しないこと」


「迷宮の設備を勝手に触るほど命知らずではありません」


「初めて持った剣で大型魔物の前へ出た人の言葉は、少し割り引いて聞きます」


「それを言われると弱いですね」


 許可された道具を腰のポーチへ収めると、雨宮さんが調整式のサポーターを差し出した。


「相良さん、これも着けてください」


「本当に持ってきたんですか」


「痛くなってからでは遅いので」


「まだ迷宮へ入ってもいませんよ」


「だから、今のうちです」


 雨宮さんは引く気がないらしい。俺は観念して受け取り、トレーニングウェアの上から腰へ巻いた。


「苦しくないですか」


「思ったより動きやすいです」


「よかったです。違和感があったら、すぐ言ってください」


「腰の守りだけ、妙に手厚いな」


「美玲ちゃん、笑い事じゃないよ」


「分かってるって。ほら、おっちゃんにはこっちもあるで」


 白瀬さんが差し出したのは、個包装の羊羹だった。


「本当に羊羹なんですね」


「作戦会議で決めたやろ」


「俺の同意はなかった気がします」


「食べたら元気出るから、持っとき」


 受け取ってポーチへ入れる。工具を減らしたはずなのに、腰回りだけは妙に充実していた。


 久世さんは最後に俺の胸当ての留め具と剣帯を確認し、装備表へ印をつけた。


「八重垣剣は、移動中は鞘へ収めたままにしてください。抜くのは戦闘時か、わたしが指示した場合だけです」


「分かりました」


「基本位置は、わたしの斜め後ろです。前へ出るときも、後ろへ戻るときも声を出してください」


「了解です、久世先輩」


「今日は久世さんで構いません」


「ちょっと残念そうやな、雫ちゃん」


「美玲。装備確認を続けて」


 久世さんは平静を装っていたが、耳が少しだけ赤い。指摘すれば話が長くなりそうなので、気づかなかったことにした。


 準備を終えると、榊原先生が俺たち4人を部室の中央へ並ばせた。


「指揮は雫。相良さんは年齢に関係なく、雫の判断に従ってください」


「はい」


「滞在時間は最大2時間。指定ルートから外れない。想定外の魔物、経路の閉塞、空間異常の感知、誰か1人でも行動継続が困難になった場合は撤退します」


 榊原先生の視線が、俺の右手へ移る。


「相良さんは、頭痛、視界の明滅、手の震えが出た時点で《護界》を解除してください。《断境》は緊急時以外、使用禁止です」


「分かりました」


「まだ動ける、は中止しない理由になりません」


「肝に銘じます」


「それと、年長者だからと雫より前へ出ようとしないこと」


「基本位置は斜め後ろでしたね」


「覚えているなら、行動でも守ってください」


 返事をした俺の横で、白瀬さんが小さく笑った。


「相良のおっちゃん、先生からの注意だけ多いな」


「新人ですから」


「自覚あるなら大丈夫や」


「白瀬さんに言われると、少し不安になります」


「なんでやねん」


 学校の車で移動し、氷ノ川迷宮の管理区域へ到着したのは、夕方4時を少し回った頃だった。


 正規入口の前には金属製のゲートが並び、踏査士や職員が許可証を端末へ通している。壁の案内板には、上層区画の気温と魔物の出現状況、現在封鎖されている経路が表示されていた。


 前回の俺は、作業着姿で《ダンジョンの裏道》へ落ち、帰る道も分からないまま氷の通路へ放り出された。


 今日は入口を知っている。退路も地図で確認してある。俺の前には久世さんがいて、後ろには白瀬さんと雨宮さんがいる。


 同じ迷宮なのに、まるで別の場所に見えた。


「相良のおっちゃん、顔が硬いで」


「前回は魔物に追い回された場所ですから」


「今日はうちらがおるやろ」


「頼もしい台詞ですね」


「もっと褒めてもええで」


「美玲ちゃん、声が大きいよ」


 雨宮さんが周囲を気にしながら袖を引くと、白瀬さんは素直に声を落とした。


「小春も、変な感じがしたらすぐ伝えます」


「お願いします。俺も《界視》で見えたことは共有します」


「2人だけで分かったつもりにならないでください」


 先頭の久世さんが振り返る。


「情報は全部、言葉にしてください。全員で共有した上で、最終判断はわたしがします」


「はい」


「了解や」


「小春も分かりました」


 榊原先生は俺たちから数歩離れた後方についた。


「あたしは監督として同行します。ただし、すぐ助けてもらえると思わないこと。危険になる前に、自分たちで中止を判断してください」


「分かりました」


 ゲートが開き、冷気が流れ込んでくる。


 久世さんを先頭に、俺たちは氷ノ川迷宮へ入った。


 上層の通路は、前回通った場所より広く整備されていた。石床には滑り止めの板が敷かれ、壁には一定間隔で管理局の誘導灯が取りつけられている。それでも、壁面を覆う氷と水路から立ち上る冷気は、あの日の感覚を嫌でも思い出させた。


 八重垣剣を鞘に収めたまま腰元で支え、久世さんの斜め後ろを歩く。白瀬さんは俺の右後方、雨宮さんは中央寄りで周囲へ意識を向けていた。


 最初の分岐を越えたところで、視界の端に細い線が浮かんだ。


「久世さん。右側の氷壁に境目が見えます」


「危険ですか」


「まだ分かりません。壁の奥に空洞があるだけかもしれません」


「小春はどう?」


「嫌な感じはしません。壁の向こうから水が流れる音がします」


 久世さんは端末の地図と氷壁を見比べ、位置を記録した。


「管理用の水路でしょう。指定ルートには影響しません。このまま進みます」


「確認しなくていいんですか」


「確認する必要がありません」


 短く答え、久世さんは歩き出した。


 見つけたからといって、俺が確かめに行く必要はない。情報を伝え、必要がなければ触れずに進む。それも4人で動くということだった。


 さらに進むと、雨宮さんが足を止めた。


「前に3つ、動いています」


「距離は?」


「曲がり角の向こうです。こっちへ来ます」


 久世さんが片手を上げ、全員を停止させる。


「戦闘準備。美玲は右へ。小春は後方確認。相良さんは、わたしの斜め後ろを維持してください」


「了解です」


 鞘を剣帯から外し、周囲を確認してから八重垣剣を抜く。白銀の剣身へ迷宮の青白い光が映り、《神剣同調》が腰と脚を支えた。


 曲がり角から現れたのは、灰色の毛皮を氷で覆った犬型の魔物だった。大型犬ほどの身体を低く伏せ、床へ爪を立てている。その後ろから、同じ魔物が2体続いた。


「《霜牙犬(そうがけん)》が3体。上層で確認される魔物です」


 久世さんは剣を正面へ構える。


「正面はわたしが止めます。左右へ回る個体を見てください」


「はい」


 先頭の《霜牙犬》が床を蹴った。


 久世さんは正面から受けず、半歩外へずれて爪の軌道を流す。細身の剣が魔物の肩を浅く切り、氷の欠片が床へ散った。


 俺は《護界》を広げかけ、手を止める。久世さんが対処できる攻撃だ。俺が壁を出せば、彼女の次の動きを邪魔する。


 残る2体が左右へ分かれた。右へ回った個体へ白瀬さんが矢を放ち、左の1体が俺たちの側面へ走り込んでくる。


「相良さん、左です!」


 雨宮さんの声を受け、俺は半歩下がって進路へ入った。


「動きます!」


 声を出し、八重垣剣を両手で構える。


 訓練で何度も繰り返した。敵を追いかけてから剣を振るのではない。通らせたくない場所へ、先に立つ。


 《霜牙犬》は速度を落とさず、こちらへ飛びかかってきた。


 白銀の剣身を斜めに置き、氷に覆われた前脚を受ける。硬い衝撃が腕から肩へ抜け、靴底が石床を滑った。


「ぐっ……!」


 身体は倒れなかった。《神剣同調》が腰と膝を支えている。それでも、想像していたより重い。


「相良のおっちゃん、そのまま!」


 白瀬さんの矢が俺の肩越しを通り、《霜牙犬》の前脚へ突き刺さった。魔物の体勢が崩れ、剣へかかっていた重さが抜ける。


 視界に、前脚を覆う氷と毛皮の境目が浮かんだ。


 《断境》は使わない。


 俺は1歩踏み込み、見えた線へ普通の斬撃を合わせた。八重垣剣が氷の装甲を砕き、《霜牙犬》の前脚へ浅い傷を刻む。


 魔物が甲高く吠え、俺の横を抜けようと身体を捻った。


 追いかけて斬るより、先に戻る。


「下がります!」


 白瀬さんと雨宮さんの前まで後退し、左手を向けた。


「第一界、《護界》!」


 人ひとり分ほどの光の壁が立ち上がる。


 《霜牙犬》が正面からぶつかり、境界の表面が大きく揺れた。頭の奥へ軽い圧迫感が伝わるが、視界の明滅も手の震えもない。展開した《護界》を維持したまま、俺は八重垣剣を両手で構え直す。


 その右側で、白瀬さんが止めた右の個体が立ち上がった。肩へ矢を受けたまま進路を変え、雨宮さんへ向かう。


「右も来ます!」


 雨宮さんの声に、俺は《護界》を広げかけた。


 だが、2体をまとめて囲えば、白瀬さんの射線まで塞ぐ。


「白瀬さん、右をお願いします!」


「任せて!」


 白瀬さんが続けて矢を放つ。矢は魔物の前脚へ当たり、踏み込みを崩した。


「小春、下がって!」


「うん!」


 雨宮さんが壁際へ退く。倒れ込みながらも進もうとした《霜牙犬》の前へ、久世さんが滑り込んだ。


 正面の1体を斬り伏せた勢いのまま、細身の剣が魔物の首元へ走る。氷の装甲が割れ、灰色の身体が床へ崩れた。


 俺の《護界》へぶつかっていた左の個体が、光の壁を蹴って横へ跳ぶ。


「相良さん、左!」


 雨宮さんの声で振り向く。


 魔物は俺の脇を抜けるつもりだった。追うのではなく、その先へ剣を置く。


 踏み込み、八重垣剣を横へ薙ぐ。


 白銀の刃が、先ほど砕いた氷の隙間へ入った。魔物の身体が空中で大きく傾き、そのまま石床へ叩きつけられる。


 すぐには起き上がらない。


「久世さん!」


「そのまま距離を取ってください!」


 俺は倒れた魔物へ近づかず、八重垣剣を構えたまま後退する。久世さんが前へ出て、首元へ剣を振り下ろした。


 魔物の身体から力が抜け、通路へ静けさが戻った。


「戦闘終了。周囲を確認してください」


 久世さんの声に従い、俺は《護界》を解除した。


 八重垣剣を構えたまま左右へ視線を向ける。新しい反応はない。雨宮さんも目を閉じて感知を続け、やがて小さく頷いた。


「ほかにはいません」


 久世さんが後方へ振り返る。


「榊原先生、戦闘終了を確認しました」


「全員、その場で状態を報告してください」


 久世さんに続き、白瀬さんと雨宮さんが答える。


「負傷なし。魔力消耗も問題ありません」


「うちも大丈夫や」


「小春も怪我はありません」


「相良さんは?」


「怪我はありません。頭痛も、視界の異常もないです」


「手を見せてください」


 雨宮さんがすぐに近づき、八重垣剣を握る俺の右手を覗き込んだ。


「少し震えています」


「さっきの衝撃が残っているだけだと思います。ですが、休憩します」


「はい。小春も脈を確認します」


 雨宮さんは、ほっとしたように頷いた。


 俺が久世さんを見ると、彼女も頷く。


「5分休憩します。相良さんは八重垣剣を消してください」


「分かりました」


 剣を消し、壁際へ腰を下ろす。


 雨宮さんが脈を確認している間に、白瀬さんが俺の前へしゃがみ込んだ。


「4人での初戦、星4つやな」


「また星をつけるんですか」


「1個足りへんのは、最初に滑った分」


「見ていましたか」


「全員見とったで」


「久世さん。後衛へ戻った判断はどうでした?」


「よかったです」


 久世さんは倒れた魔物を確認しながら答えた。


「相良さんが追っていれば、美玲の射線を塞ぎ、小春の前も空いていました」


「剣で倒しきれなかったことは?」


「倒すことが、相良さんの役割ではありません」


「褒められているんでしょうか」


「褒めています」


 真面目な顔で言われ、ようやく少しだけ肩の力が抜けた。


 魔物を一人で倒したわけではない。久世さんが正面を止め、雨宮さんが側面の敵を見つけ、白瀬さんの矢が動きを崩した。俺は剣と《護界》で、その敵を後ろへ通さなかった。


 訓練で決めた役割が、迷宮でも形になった。


 5分後、手の震えが治まったことを雨宮さんに確認してもらい、俺たちは探索を再開した。


 指定ルートを少し進んだところで、俺と雨宮さんが同時に足を止める。


 通路脇の氷壁に、壁や床とは違う細い境界が見えた。氷壁の表面へ、別の道の端だけが重なっている。


「相良さん」


「雨宮さんも感じましたか」


「はい。少しだけ、道が近いです」


 雨宮さんの表現は曖昧だったが、何を指しているのかは分かった。


 《ダンジョンの裏道》に似た気配だ。


 久世さんは端末へ位置を記録し、すぐに判断した。


「空間異常を確認しました。訓練を中止して、来た道を戻ります」


「了解です。」


 前にここへ来たとき、道は俺を勝手に呑み込み、どこへ向かうのかも選ばせてくれなかった。


 今は違う。見えたものを4人で確かめ、引き返す道を選べる。


 俺たちは隊列を崩さず、正規入口まで戻った。


 管理区域へ帰還すると、久世さんが職員へ異常を報告する。座標と見え方を伝え、俺も《界視》で確認した境界の形を説明した。


 職員は端末へ入力し、上層区画の図面を開く。


「この位置で間違いありませんか」


「はい」


「ですが、ここには管理水路も空洞もありません。壁の向こうは岩盤です」


 画面の地図には、俺たちが見たはずの道が存在していなかった。


 背中に、迷宮の冷気とは違う寒さが走る。


 俺たちが見た道は、本来なら存在しないものだった。


 また別の《裏道》が、氷ノ川迷宮へ口を開こうとしていた。

評価やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになりますのでよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。