第12話 境界を見る目
《神剣同調》の検査を終え、次は《界視》の確認へ移った。
測定室の壁際へ、同じ大きさの灰色の板が6枚並べられる。見た目には、色も材質もほとんど変わらない。
「内部構造と魔力処理が異なる試験板です。《界視》で違いを確認してください」
八重垣剣を握ったまま、板へ目を凝らす。
視界の中へ、淡い線が浮かんだ。
1枚目には、中央を横切る細い亀裂。2枚目には、表面と内部をつなぐ歪んだ線。3枚目の周囲には、薄い膜の継ぎ目が1か所だけ乱れている。
残りの板にも線はあるが、どれも同じではない。
「左から1枚目は、中に亀裂があります。表面までは出ていません」
「正解です」
「2枚目は、内部に空洞がある。ただ、壊れかけているわけじゃなくて、最初からそういう構造に見えます」
「正解です」
「3枚目は、板そのものより、周囲の何かがずれています。障壁の継ぎ目でしょうか」
「その通りです」
4枚目へ視線を移す。
縦に走る太い線が見える。しかし、危険な亀裂という感じはしない。左右の素材が違うため、接合部分が強く見えているのだろう。
「これは異常じゃないと思います。別の素材をつないだ境目です」
検査官の指が止まった。
「線が見えるだけではなく、性質の違いも判別できるのですか」
「全部分かるわけじゃありません。でも、壊れそうな線と、最初からそこにある継ぎ目は、見え方が少し違います」
「能力を得る以前に、構造物の点検経験があると聞いています」
「設備管理員なので、壊れかけたものは散々見てきました」
検査官は結果へ新しい項目を加えた。
「《界視》は、境界を無条件に理解させる能力ではない。使用者の知識と経験によって、認識精度が変化する可能性があります」
観察板の向こうで、雨宮さんが試験板を見つめていた。
「小春が感じる違和感を、相良さんは線で見てるのかも……」
「雨宮さんも分かるんですか」
「どこが変なのかまでは、いつも分かりません。でも、道や空間がおかしいと、胸の奥がざわざわします」
《迷宮兎》が感じ取る空間の違和感と、《界視》が映す境界の線。
同じものを別の形で捉えているのかもしれない。
「小春と相良さんが一緒なら、《ダンジョンの裏道》の異常も、もっと早く見つけられるでしょうか」
久世さんが検査官へ尋ねる。
「可能性はあります。ただし、現時点で《ダンジョンの裏道》へ接近する許可は出せません」
「分かっています」
久世さんはすぐに引き下がったが、その瞳には何かを考える色が残っていた。
最後に、《護界》の実地検査が行われることになった。
《断境》は対象への影響を予測できないため、今回は使用禁止。氷ノ川迷宮で偶発的に成功したからといって、管理局の設備を片端から切り離すわけにはいかない。
「床の白い円が見えますね」
測定室の中央に、直径2メートルほどの円が光る。その中央へ、水の入った紙コップが置かれた。
「円の外から衝撃を加えます。中にあるコップを守ってください」
「守る対象、俺じゃなくてコップなんですね」
「検査ですから」
「倒したら失格ですか」
「能力の傾向を確認するだけです」
そう言われても、妙な緊張感がある。
八重垣剣を両手で握り、円の内側へ立つ。
氷ノ川迷宮で魔物の前へ割り込んだときは、雨宮さんを守ることしか考えていなかった。今度は紙コップだ。命の危険はないが、どうにも気持ちを乗せにくい。
それでも、円の外と内を意識する。
ここから先へ入れるな。
八重垣剣の鍔に埋め込まれた青金の装飾が淡く光った。
円の縁から透明な膜が立ち上がり、俺と紙コップを囲む。完全な球ではなく、正面へ緩やかに湾曲した壁のような形だった。
「《護界》の発現を確認。試験を開始します」
壁際の装置が動き、小さな衝撃弾を放った。
透明な膜へ当たり、乾いた音とともに弾かれる。腕へ軽い重さが伝わったが、迷宮で魔物の爪を受けたときとは比べものにならない。
「出力を上げます」
2発目。
膜が大きく揺れ、肩へ圧力がかかる。それでも、紙コップの水面はわずかに波打っただけだった。
3発目がぶつかる。
頭の内側を、硬い指で押されたような痛みが走った。
「ぐっ……」
「相良さん、状態を報告してください」
「少し、頭が痛いです。腕も重い」
透明な膜の表面へ、細かな光のヒビが走る。
もう1発なら耐えられる。
そう思った瞬間、視界の端が白く明滅した。
「試験停止」
検査官の声と同時に、衝撃装置が止まる。
「まだいけます」
「その判断を信用しないための検査です」
榊原先生が観察室から入ってきた。
「剣を消してください」
「でも、膜が」
「守る必要のあるものは、もう攻撃されません」
言われて初めて、装置が完全に停止していることへ意識が向いた。
八重垣剣を消す。
白い光がほどけ、透明な膜も消失した。同時に身体を支えていた力が抜け、膝がわずかに揺れる。
検査官が近づき、瞳孔と脈を確認した。
「境界への干渉時、使用者の精神と肉体へ圧力が戻っています。対象が強固、巨大、複雑になるほど、負荷も増すと考えられます」
「魔力切れとは違うんですか」
「通常の魔力消耗だけでは説明できません。便宜上、この負荷反応を《界圧》として記録します」
頭痛は少しずつ引いていたが、指先には細かな震えが残っている。
「迷宮で使ったときは、もっとひどい状況でした」
「当時は極度の緊張状態で、負荷を正確に認識できていなかった可能性があります。視界の明滅、手足の震え、頭痛が初期症状です。さらに続ければ、出血や意識障害につながる恐れがあります」
榊原先生が、俺の震える右手を見る。
「相良さん。今、もう1発なら耐えられると思いましたね」
「……はい」
「その1発で倒れたら、次に守るべきものを守れません」
「分かりました」
「検査中だけの返事にしないでください」
学校の面談でも、似たことを言われたばかりだ。
前に立つことだけが守ることではない。限界を知り、退くことも含まれる。
検査がすべて終わるころには、昼を大きく過ぎていた。
着替えを済ませ、結果説明室へ入る。机の向こうには検査官と管理局の担当者が座り、隣には榊原先生、向かいには久世さんたちが並んでいた。
「精密検査の結果を説明します」
担当者が、数枚の書類を机へ置く。
「相良浩司さんには、既存分類へ正常に変換できないジョブ反応が確認されました。表示異常の原因は継続調査となりますが、《神剣の担い手》というジョブ名と、5つの能力名は複数の装置で一致しています」
書類の中央に、俺の名前がある。
氏名 相良浩司
年齢 40歳
測定表示 ■■■■ジョブ・神剣の担い手
文字化けした部分まで、そのまま記録されていた。
「公的な書類でも文字化けしたままなんですね」
「勝手に補正することはできませんので」
「妙に格好がつきませんね」
「《神剣の担い手》だけ見とけば、十分格好ええやん」
白瀬さんが横から覗き込む。
その下には、《神剣召喚》《神剣同調》《界視》、第一界《護界》、第二界《断境》の名称が並んでいる。
10年前、俺は自分に適性があるのかを確かめることさえできなかった。
今、その答えが公的な記録として目の前にある。
若かった俺が、この紙を見たらどう思うだろう。
喜ぶのか。10年遅いと怒るのか。それとも、40歳になった自分が本当に剣を持ったことを、簡単には信じられないだろうか。
「相良さん」
久世さんに呼ばれ、顔を上げる。
「おめでとうございます、でいいんでしょうか」
「俺にも分かりません。でも、ありがとうございます」
「これで、一緒に訓練できますね」
雨宮さんが小さく笑う。
「管理局からの許可内容を説明します」
担当者が次の書類を開いた。
「彩乃宮第一高校の管理下における基礎訓練を許可します。認定指導員の立ち会いを必須とし、当面は《神剣召喚》と解除、《神剣同調》下での基礎動作、《界視》《護界》の出力確認に限定します」
「《断境》は?」
「指定された試験対象以外への使用を禁止します。実地訓練の実施には、改めて安全計画の提出が必要です」
担当者はさらに条件を読み上げる。
迷宮への立ち入りは、引き続き禁止。毎回の訓練前後に健康状態を記録し、頭痛や視界の異常が出た時点で即時中止。《八重垣剣》の召喚も、学校または管理局の指定区域に限られる。
「以上の条件を守れる場合、特例迷宮踏査訓練員として登録します」
「守ります」
差し出された書類へ署名する。
今度の紙は、受付の向こうへ消えていかなかった。複写された一部が、検査結果と一緒に俺へ渡される。
白瀬さんが身を乗り出した。
「これで次から、ほんまの部活動やな」
「俺は正式な部員ではありませんよ」
「細かいこと気にしすぎやって」
「そこは細かくありません」
「でも、相良さんの席はもうあります」
雨宮さんの一言に、言葉が止まる。
「まずは基礎からです」
久世さんは真面目な顔で言ったが、どこか嬉しそうだった。
俺も同じだったのだと思う。
10年前に受けられなかった検査を終え、ジョブと能力へ正式な名前がついた。学校で訓練する許可も下りた。
これでようやく、剣を持つ側へ踏み出せる。
「相良さん」
浮つきかけた気持ちへ、榊原先生の声が落ちた。
「はい」
「先に言っておきます」
榊原先生は、俺の手にある検査結果を一度見てから、真っ直ぐにこちらを見た。
「その剣は強い。でも、あなたは弱い」
胸の奥へ、冷たい水を流し込まれたようだった。
「次の放課後から、基礎訓練を始めます」
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