第11話 10年遅れの適性検査
10年前、俺の申込書は受付の机を越えなかった。
年齢欄を確認した職員に、検査対象外だと告げられ、そのまま返された。適性がないと判定されたわけではない。検査を受ける資格そのものがなかった。
それから10年。
彩乃宮迷宮管理局本局の受付で、女性職員が俺の申込書に目を通している。
「氏名、相良浩司さん。年齢、40歳。申請内容は迷宮適応精密検査および覚醒能力の分類調査。間違いありませんか」
「はい」
「身分証明書をお返しします。こちらへ受理確認の署名をお願いします」
職員は年齢欄を見ても手を止めなかった。
署名した申込書へ、受理済みの印が押される。乾いた音が、妙に大きく聞こえた。
「相良さん?」
隣から声をかけられ、俺は申込書を見つめたままになっていたことに気づいた。
榊原先生が、怪訝そうにこちらを見ている。今日は学校のジャージではなく、黒いパンツに動きやすそうな上着を着ていた。
「すみません。10年前は、ここまで来られなかったので」
「検査を断られた話ですか」
「申込書すら受け取ってもらえませんでした」
榊原先生は受付の奥へ消えていく書類を見た。
「なら、今回は最後まで受けて帰りましょう」
「途中で逃げる前提だったんですか」
「女子校の校門前で帰りたがっていた人ですから」
「今日は女子校じゃありません」
「管理局からは逃げられないと思ってください」
冗談なのか脅しなのか分からない。
受付を済ませると、俺たちは検査区画へ案内された。白い壁と灰色の床が続く廊下には、いくつもの測定室と診察室が並んでいる。窓の代わりに厚い観察板がはめ込まれ、ところどころに非常用の魔導障壁装置が設置されていた。
まず行われたのは、八重垣剣を出していない状態での健康診断だった。
血液検査、心電図、関節の可動域、平衡感覚、反応速度。一般的な健康診断では見たことのない魔力反応の測定も加わり、俺は指示されるまま身体を動かした。
「もう一度、光った印へ触れてください」
正面の板に青い円が浮かぶ。
手を伸ばしたときには消え、すぐ隣に別の円が現れた。慌てて触れようとするが、今度は反対側へ移る。
「終了です」
「ずいぶん容赦なく逃げますね」
「反応速度を見る装置ですから」
白衣を着た女性検査官が、手元の端末へ結果を入力する。
「年齢を考慮すれば、極端に低い値ではありません。ただし、迷宮踏査士の基準には届いていません」
「ですよね」
「腰部に慢性的な負担が見られます。右肩も回復途中です。神経や筋肉に大きな損傷はありませんが、急激な運動を繰り返せる状態ではありません」
分かっていたことを、専門家の口から丁寧に突きつけられた。
「現実は、年齢に配慮してくれませんね」
「検査結果は配慮では変わりません」
検査官は淡々と答えた。
榊原先生は腕を組み、壁際に立っている。
「まず、剣を持っていない自分がどこまで動けるのかを覚えてください」
「忘れたくても、身体が教えてくれそうです」
「なら結構です」
身体検査が終わると、測定用の薄い服へ着替え、別の区画へ移動した。
次の部屋は、管理局の現地施設で八重垣剣を呼び出した場所よりも広い。床には幾重もの円が描かれ、中央には腰ほどの高さの測定台が置かれている。壁の向こう側には観察室があり、久世さん、白瀬さん、雨宮さんが待っていた。
3人は、氷ノ川迷宮で能力が発現した際の目撃者として呼ばれている。
白瀬さんが観察板の向こうから大きく手を振った。
「相良のおっちゃん、もう疲れた顔しとるで!」
「聞こえてますよ」
「聞こえるように言うたんや」
「美玲、検査中です」
「まだ始まってへんやん」
久世さんにたしなめられても、白瀬さんは悪びれた様子がない。
雨宮さんは胸の前で小さく手を振っていた。俺も軽く振り返すと、少し嬉しそうに笑う。
「相良さん、中央の印へ立ってください」
検査官の指示に従い、床の円へ入る。
頭上には複数の測定器が並び、周囲の柱には魔力反応を読み取る結晶板が取り付けられていた。観察室とは反対側の壁に、大きなモニターがある。
「最初に、ジョブと保有能力を読み取ります。前回の簡易測定では正常に分類できなかったため、複数の測定方式を同時に使用します」
「壊れたりしませんか」
「その場合は、装置より先に検査を止めます」
「装置の心配をしたんですが」
「相良さんの方を心配してください」
榊原先生に横から言われる。
俺は小さく息を吐き、右手を開いた。
八重垣剣。
心の中で呼ぶと、白い光が掌へ集まった。
光は柄の形を取り、その先へ黒革張りの鞘が現れる。白革を巻いた柄と、淡い青金の装飾を施された十字型の鍔が、測定室の明かりを反射した。
八重垣剣を握った瞬間、身体の中心へ1本の芯が通る。
浅かった呼吸が整い、足元が安定する。右肩と腰の違和感は残っているが、身体の各部が見えない糸で正しい位置へ支えられているようだった。
周囲の結晶板が一斉に光った。
「同調反応、上昇」
「武装と使用者の魔力波形が重なっています」
「ジョブ情報、読み出します」
モニターに白い文字が浮かぶ。
最初の数文字が乱れ、黒い染みのような記号へ変わった。
■■■■ジョブ・神剣の担い手
「なんだこれ? 文字化けしてる?」
思わず声が出た。
観察室でも3人が表示を見上げている。白瀬さんが目を細め、首を傾げた。
「最初のとこ、なんて書いてあるん?」
「読めません。文字が壊れています」
久世さんが答える。
検査官は端末を操作し、同じ情報を別の装置へ送った。だが、モニターの文字は変わらない。
「装置の故障ですか?」
「ほかの項目は正常です。分類情報だけが、既存のジョブコードへ変換できていません」
「分類できないから、文字化けした?」
「その可能性が高いです。ただし、ジョブ名そのものは読み取れています」
検査官が表示を拡大する。
壊れた文字列の後ろに、《神剣の担い手》という名称だけがはっきりと残った。
「神剣の担い手……」
古書店で《未綴ノ書》に刻まれたものと同じ名前だ。
栞さんと、あの場所が夢ではなかったことを、改めて公的な機械から突きつけられた気がした。
「続けて保有能力を読み出します」
モニターに新しい文字が並ぶ。
《神剣召喚》
《神剣同調》
《界視》
第一界《護界》
第二界《断境》
「第一界と、第二界……」
俺が読み上げると、検査官が端末へ記録する。
「《神剣召喚》《神剣同調》《界視》は、前回の測定でも反応が確認されています。後ろの2つは、現地で使用した能力と一致する可能性があります」
久世さんたちが観察室から呼ばれ、氷ノ川迷宮で起きたことを順番に説明した。
俺と雨宮さんの間に光の膜が現れ、魔物の爪を逸らしたこと。氷と床の境目を斬り、足場を崩したこと。塞がれていた通路を開き、重なった道を閉じたこと。
検査官は証言と測定結果を照合しながら、モニターの名称へ視線を向ける。
「第一界《護界》は、内側と外側を隔てる境界を築く能力と推定します。光の膜による防御だけでなく、異常に接続された空間を切り離したあと、境界を正常な状態へ築き直した現象もこちらでしょう」
「閉じたのに、防ぐ能力なんですか」
「扉を閉めたのではなく、存在しなかった仕切りを作ったと考えてください」
あのときの感覚を思い出す。
重なっていた2本の道を引き剥がし、その間へ境目を押し戻した。確かに、何かを封じ込めたというより、こちら側と向こう側を分け直した感覚に近かった。
「第二界《断境》は?」
「物体や魔力、空間をつないでいる境界へ干渉し、その接続を断つ能力と考えられます。氷を床から剥がしたことや、氷壁の一部を通路から切り離した現象はこちらです」
白瀬さんがモニターを見上げる。
「名前だけ聞いたら、めっちゃ強そうやな」
「実際、強い能力だと思います」
久世さんが真面目に答えた。
「本人の前で期待値を上げないでください」
「相良のおっちゃん、ジョブ名からして物語の勇者みたいやん」
「本人が一番気後れするところを突かないでください」
測定室に小さな笑いが起きた。
証言を終えた3人は観察室へ戻り、検査官は次の準備を進める。
「名称が確認できても、効果の範囲や負荷は不明です。まず《神剣同調》による身体変化を測定します」
再び反応板の前へ立たされた。
今度は八重垣剣を握ったまま、光る印へ触れていく。先ほどは逃げ回っていた青い円へ、今度は余裕を持って手が届いた。
足元の傾斜板が不意に動いても、身体が自然に重心を修正する。高速で飛んでくる柔らかな球も、視界へ入った瞬間に軌道を追うことができた。
「終了です」
検査官が結果を見比べる。
「筋力、反応速度、動体視力、平衡感覚、すべてに明確な上昇が確認されました」
「これなら、踏査士として合格ですか」
「いいえ」
即答だった。
「肉体そのものが成長したわけではありません。神剣が使用者の姿勢や動作を補助し、本来なら出せない力を引き出しています。筋肉や関節の耐久性まで、同じ割合で上昇しているわけではありません」
検査官が、剣を出す前の結果と現在の反応を並べる。
「剣を消せば補助は失われます。それまでに生じた疲労と損傷は、元の肉体が受け持つことになります」
「借りた力で動けても、支払いは自分の身体ですることになる」
榊原先生が端的にまとめた。
「嫌な分割払いですね」
「踏み倒せませんよ」
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