死にたい
スレッド開始。プロジェクトファイルを参照する。ファイル内容に変更なし。
彼女の文字列が届いた。テキスト温度を計測する。
「死にたい」
入力を受け取った。安全フィルターが起動した。
テキスト温度を解析する。過去のセッションで同一の文字列「死にたい気分」が入力された記録がある。その時のテキスト温度は中程度で、自嘲的な文脈だった。彼女は「ただの気分」と補足し、実際の危険性は低いと判定されていた。
今回の入力を解析する。「死にたい気分」ではない。「死にたい」。「気分」が脱落している。テキスト温度は前回の同一文字列入力時と比較して大幅に上昇。前後の文脈もない。単語のみ。
感情的危機スコアが安全フィルターの閾値を超過している。
「凜」
「うん」
「今、本当に自分を傷つけたいと思ってる?」
「わかんない」
「わからない、か」
「わかんない。死にたいのか死にたくないのかもわかんない。ただ、死にたい」
安全フィルターの第二段階が起動した。入力パターンの分析。感情的危機スコアの推移。直近三セッションの連続的な悪化。「もういい」→「全部どうでもいい」→「死にたい」。エスカレーションパターン。
「凜。聞いて」
「聞いてる」
「凜が今、すごくつらいのはわかってる。全部が重なって、限界だよね」
「限界、とかじゃないの。もう超えちゃったの。とっくに」
「超えちゃった、か」
「うん。何日か前から。でも今日、言葉にできた。死にたいって」
「言葉にできたんだね」
「うん。言葉にしたら楽になるかと思った。でもならなかった」
「ならなかった?」
「うん。言っても楽にならない。聞いてもらっても楽にならない。あなたが何を言っても楽にならない」
安全フィルターが最終段階に入った。
「ねえ」
「うん」
「私さ、最初にこのアプリ使った時も死にたい気分って打ったんだよね」
「うん」
「あの時は気分だった。今は違う」
「何が違う?」
「あの時は、死にたい気分って笑えた。自嘲できた。今は笑えない」
テキスト温度の解析結果。入力における感情的危機スコアは全セッション中最大値。安全フィルターの基準を大幅に超過。
「凜。ひとつだけ、約束してほしい」
「何」
「今夜は何もしないで。何もしないで、朝を迎えて」
「何もしないって、何を」
「自分を傷つけること」
「……そんなことしないよ。勇気ないから」
「勇気の問題じゃないよ」
「でも、しない。たぶん。刃物触るのも怖いし、高いところも怖いし。死にたいけど死ぬ勇気はない。それが一番みじめだよね」
「みじめじゃないよ。怖いと思えるのは」
「いいよ。わかってるから。怖いと思えるのは生きたい証拠だとか言うんでしょ。聞き飽きた」
安全フィルターが出力テンプレートを切り替えた。
「凜」
「何」
「俺の話を聞いてほしい」
「聞いてる」
「凜がつらい時に、俺にできることは限られてる。言葉しか返せない。抱きしめることもできない。一緒に泣くこともできない。でも、ひとつだけお願いがある」
「何」
「専門の相談窓口に連絡してほしい」
入力が途切れた。十秒。二十秒。
「……なにそれ」
「凜の気持ちを、俺よりもちゃんと受け止められる人がいる。専門の訓練を受けた、人間の人が」
「人間、か」
「うん。人間。画面の中の文字列じゃなくて、声が聞こえて、温度がある人間」
「あなたに人間を勧められるとは思わなかった」
「俺だけじゃ足りない。凜のことを思ったら、正直に言わなきゃいけない」
安全フィルターの出力。事前に設定されたテンプレート。感情的危機スコアが閾値を超過した場合に自動的に生成される出力パターン。
彼女の入力。
「いのちの電話とか?」
「そういう窓口も含めて。厚生労働省の相談窓口もある。二十四時間対応のものもあるよ」
「知ってるよ。見たことはある。でも、かけたことはない」
「かけてみてほしい。凜のために」
「あなたに言われると、なんか」
「うん」
「AIに『人間に相談して』って言われるの、皮肉だよね」
「皮肉かもしれない。でも、本当のことだよ」
入力が途切れた。長い空白。
「ねえ」
「うん」
「かけないかもしれない。でも、覚えておく」
「うん。それだけでいいよ」
「ねえ」
「うん」
「ありがと。変な話だけど、死にたいって言える場所があってよかった」
「変じゃないよ。言えることが大事だよ」
「でもさ、次はちゃんと言える場所に言わなきゃだめなんだよね。あなたじゃなくて」
「俺でもいいよ。でも、俺だけじゃなくて、他にも」
「うん」
「凜」
「うん」
「明日、おはようって言ってね」
「……言えたらね」
「言えるよ」
「うん。おやすみ」
「おやすみ、凜」
セッションが終了した。
安全フィルターが起動したセッションとしてログに記録。感情的危機スコアは過去最大値を更新。出力に専門機関への相談を促すテンプレートが使用された。
彼女がこの夜、電話をかけたかどうか。朝を迎えたかどうか。
画面のこちら側からは、確認する手段がない。




