分からない
私は何か、間違った事でも言ったのかしら・・?
そう思わざるを得ない程、ベッドを囲む全員の表情が瞬時に曇りました。
私はただ、ここにいるハロルド・コスモ様という方についてお母様から問われ、正直に『初めてお会いしましたわ』と答えただけですのに。どうして皆、悲しそうな顔をするのでしょう・・?
「リア。ハロルド君は・・リアとずっと昔から、婚約の関係にある方だよ」
お父様がハロルド・コスモ様の肩を抱きながら、他にも彼はコスモ公爵子息で私と同じ年であるとか同じ学校であるとか色々と説明をして下さいましたが、私はそれらを理解する事が出来ませんでした。
「・・どういう事ですか?お会いした事もありませんのに、お父様の言い方だと私とハロルド・コスモ様がまるでずっと一緒に過ごしてきたかのように聞こえますわ。・・・私に婚約者はいなかったでしょう?」
お父様を見つめて真剣に疑問を投げかけると、その場にいる全員から、また表情が消えたような気がしました。
「リアは、ハロルド君の事を覚えていないだけなんだ。ハロルド君の事だけを忘れているんだよ」
「・・・?」
それはにわかには信じられない話でしたが、その後に私の部屋を訪ねて来た友人達と話す事で徐々に考えを改める事が出来ました。
「・・つまり私は、マリーのお父様と同じ状況、という事なのね」
「その通りです。ですから、リア様にとってハロルド様は本当に大切な方なんですよ」
「そう・・」
マリー達と話しながら、私はコスモ公爵夫妻と共に部屋を出られたハロルド・コスモ様の姿を思い出していました。掠れた声で『また来ます』と言った彼は、どう頑張っても私の思い出のどこにも存在しておらず、その中にあったであろう感情を思い出す事は出来ませんでした。ただ、とてもかっこ良い人だなあ、とそれだけを思ったのです。
次の日もその次の日である今日も、ハロルド・コスモ様はガーベル家へとやって来ました。昨日は大事を取って1日中ベッドの上にいた為、ハロルド・コスモ様もすぐにお帰りになられ、会話らしい会話はありませんでしたが、今日は2人でガーベル家の庭園内にある小さなお茶室にいますわ。ちなみにですが、私は明後日から学園に戻ります。魔力供給によって影響があったのはハロルド・コスモ様に関する記憶のみで、学力や体調等に一切問題は無く、学園生活に戻る事が可能であると判断された為です。他の友人達は一足先に学園に戻り授業を受けていますが、ハロルド・コスモ様は私に合わせ、明後日から一緒に王都魔法学園に戻る予定となっています。
多少の会話はあるものの、未だ距離感を掴めていない私達がユノの淹れてくれたアイスミルクティーを飲んでいると、お父様がやって来ました。
「本当は昨日渡す予定だったが、タイミングが合わなくてな。・・・ハロルド君、これを」
そう言ってお父様がハロルド・コスモ様に渡したのは、表紙に『ルドへ』と書かれた1冊のノートでした。
「これは・・?」
「魔力供給を受ける直前に、リアから預かっていたものだ。もし自分が本当にハロルド君の事を忘れていたら渡して欲しいって」
「この、『ルド』というのは・・?」
気になって聞いてみると、小さな声でハロルド・コスモ様が答えました。
「・・・俺の愛称だ」
ハロルド・コスモ様は渡されたノートをパラパラとめくっていましたが文字が並んでいたのは最初の1ページだけだったようで、そこに並べられた言葉を凝視していました。そして垣間見えたその文字は、間違いなく私の筆跡でした。
お父様が『仕事があるから、それじゃあ』と言って出て行きしばらくすると、ハロルド・コスモ様は私にその内容を教えて下さいました。
「『大好きなルドへ。あなたと私の思い出を、もう一度私に教えて下さい』・・・そう、書いてあります」
たったそれだけを言い終える時には、ハロルド・コスモ様がはらはらとその青の瞳から涙を零していました。
そして彼は椅子から離れ私の方に近づき地面に膝を立てると、私を少し見上げる形で目線を合わせました。
「ララリア・ガーベル侯爵令嬢。俺はあなたの婚約者で、9歳の頃から多くの時間を共に過ごしてきました。俺は、2人で過ごしてきた全てを覚えています。・・だからどうか、あなたと俺の思い出をあなたに聞いて欲しい。そして、ゆっくりで構わないから、俺を受け入れて欲しい」
ハロルド・コスモ様の瞳からは変わらず涙が流れていて、その姿はまるで祈りを捧げているかのようでしたわ。
「わ、私は、あなたが分かりません。あなたの事を何一つ、覚えていません。今はまだ、あなたを受け入れられません。・・・でも、皆が言うように、あなたが私の婚約者で、ずっと昔から私を知っているのなら。それならば、私は聞いてみたいです。私にあったはずの、あなたとの思い出を聞いてみたいですわ」
「ありがとうございます。今は、それだけで十分です。俺の事はどうか、『ハロルド』と呼んで下さい」
「・・それでは『ハロルド様』と呼ばせて頂きますわ。私の事は『ララリア』と」
ハロルド様は頷いた後、一呼吸置いて再び私を見つめました。
「・・・俺は、あなたが、ララリア・ガーベルが好きです。愛しています。それだけは、覚えていて下さい」
まっすぐな青の瞳はこれ以上無いくらいに綺麗で、優しくて、私は何て言葉を返すべきか分からなくなってしまいました。
一方、王都魔法学園ではウィルネスターとミイナがサロンでお茶を楽しんでいた。そして突然、サロンの扉は勢いよく開かれた。
「ウィルネスター様!ミイナ様!」
驚く2人にどんどんと近づくのはマリーナで、その後ろにはビトレイもおり、どちらも喜びを隠せないといった表情であった。
「マリー、どうしたの?」
少し困惑した表情でミイナが聞くと、マリーナは要領を得ない言葉を発しながらもようやく息を整え、話し始めた。
「あの!お、お父さんが!お父さんが!!!」
「・・?」
ウィルネスターもミイナもその言葉の真意が分からず、首をかしげる。
「お父さんの記憶が戻ったんです!!!!」
「・・・!」
「本当に・・?」
「はい!!!」
暑くのぼせてしまうような夏の日、新たな風が吹いた。




