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K-94 最初から全部

 ある金曜日の夜。東京都内の、下町にある小さな洋食屋。


 月刊モタチャンプのライター、チャンプは閉店間際の店に滑り込んでいた。


「もう閉店時間なのに申し訳ないです。こちらが異世界食堂だと伺いまして——ライターをしているチャンプと申します」


 名刺を差し出した。店主がそれを受け取って、向かいに座った。


「そうですか……それではマスターも、この現象については謎なんですね?」


「はい。先代の頃からずっと、うちは土曜の日は異世界へ繋がります。私はいつものように土曜の日に裏口から店に入ると、既にそこは異世界になってます。だから、土曜の日だけは店の入口から外へは出ません。今までも出たことがありません」


「それで今回、とある実験に付き合って頂きたいんですよ」


「それはどんな?」


「明日の朝、私も裏口からこの店に入れてください!」


   *


 翌朝の土曜日。店主とチャンプが裏口から店へ入ると——窓の外の景色は、東京とはまるで似つかわしくない異世界の街並みだった。


「ここが……ネモの街……ですか……」


「はい。俺もネモの街だと聞いてます」


 チャンプはコーヒーを飲みながら、朝のネモの街の人の流れを観察していた。そこへ——もはや常連と化したアハロ団が、いつものように扉を押して入ってきた。


「鈴菌さん! ヨンキュウ部の皆さん! お久しぶりです!」


「「「チャンプさん!? どうして!?」」」


 ヨンキュウ部の乙女たちが固まった。


 鈴菌が静かに口を開いた。


「チャンプには東京から土曜の日に異世界食堂へ入ってきてもらった。これで、ゲートを使ってのワープが可能だということを立証できたな。これはいわゆるワームホールって奴だ」


「「「「ワームホール?」」」」


「ワームホールってワープってこと?」


 そのカッパの素朴な一言が——

鈴菌のスイッチを押した。



「……おいおい、何をそんなに驚いてるんだ? チャンプがここにいるのは、単なる心霊現象や魔法の類じゃない。完全なる物理事象だ。いいか、お前らがよくアニメや漫画で見てる『瞬間移動』や『ワープ』なんてのは、理論上百パーセント不可能、あるいは自殺行為なんだぜ。


まず、某国民的漫画の孫悟空がやってる『瞬間移動』だ。あれは物理法則を真っ向から無視してる。物体が質量を持ったまま光速を超えようとすれば、相対性理論におけるローレンツ因子が無限大に発散し、必要なエネルギーも無限大になる。仮に光速に限りなく近づけたとしても、お前らの体感時間は止まるが、周囲の時間は爆速で進む。名古屋から東京へ瞬間移動したつもりが、着いた頃には地球が滅亡して太陽が膨張してる『ウラシマ効果』で詰みだ。つまり、悟空は移動するたびに宇宙の寿命を削ってる大罪人ってことになる。夢もへったくれもねえだろ?


ちなみに『スタートレック』の転送は瞬間移動とは別物だ。あれは対象を素粒子レベルで分解・スキャンし、情報をデジタルデータとして転送先で再構築する『コピー&ペースト』だ。つまり、転送元の『オリジナルのお前』は一度分解されて死に、転送先には『お前の記憶を持った精巧なコピー』が生成される。お前ら、毎朝死んで複製されたいか? まぁ、俺は御免だね。


だが、この『アハロ・異世界食堂型ワームホール』は違う。これはアインシュタイン=ローゼン橋の一種だが、負のエネルギー密度を持つ『エキゾチック物質』によって時空の喉が安定化されている。空間自体を重力的に折りたたみ、点Aと点Bをゼロ距離で直結させるんだ。光速を超える必要がないからウラシマ効果も発生しないし、情報の再構築じゃないから自己の連続性も保たれる。つまり、物理学の制約という『ハメ技』を、時空の歪みという『バグ』で回避した、宇宙刑事もびっくりの時空チートなんだよ!! これを使えば、名古屋の鳥居から東京の異世界食堂裏口まで、二ストの原付で時速三十キロでトトトト走るだけで、事実上の光速超え移動が完了する……。おい、聞いてるか? ここからが本番だ。シュバルツシルト半径と事象の地平線における潮汐力の計算式についてだが——」


   *


(ヨンキュウ部の反応)


「……う、うわぁぁぁん!! 悟空が死んじゃうよぉ! 私、コピーになってまで東京行きたくないよぉ!! 鈴菌さんの話、難しすぎて頭がバゴーーン!って爆発しちゃうぉ!!(号泣)」


「鈴菌さん……もうやめて……。私、ただ『わーい、チャンプさんだ!』って喜びたかっただけなのに……なんで宇宙の寿命の話までされるの……? 胃が……胃が重いぉ……(パフェを置く)」


「……もういい……もういいよ……。ワームホールはすごいけど、鈴菌さんの性格の歪みはワームホールでも直せないんだね……(絶望の眼差し)」


「鈴菌さんの話が長いよ……ワームホールもワープも私たちにはどっちでもいいんだよ……それにスタートレックなんて古すぎてわかんない……」


 見かねたチャンプがフォローした。


「まあまあ、鈴菌さん。乙女たちが話が難しすぎて泣いてますし、これくらいで。実は僕もよくわかってないしさ……」


「そうか? どの辺が難しいんだ?」


「「「「最初から全部!!!!」」」」


「光速理論をきちんと理解しておかないと、後々大変なことになるかもしれないぞ?」


   *


 こうして無事に、チャンプが東京から土曜の日だけはネモの街へ来られることが立証された。


 鈴菌の胸の中では、新たな疑問が静かに育っていた。


(ゲートの封印とはなんだ……? 家康はどうやって封印に成功した……?)


 笠寺の鳥居だけを封印しても、異世界食堂のゲートが残っている。鳥居だけを塞いでも意味がないのではないか——その疑念が、確かな重さを持ち始めていた。


 乙女たちには、まだその疑念が芽生えていなかった。ワームホール理論と通信理論だけで号泣した彼女たちに、封印の話などできる状態ではなかった。


 鈴菌はコーヒーを一口飲んだ。


   *


 せっかくネモの街に来たのだからとチャンプもギルドで鑑定水晶を試すことになった。


 バニーの顔を見たチャンプが困惑した。


「本当にラビットさんに瓜二つだ……。ラビットさんのご先祖さまもバニーガールの衣装なんですね……」


「ウチの家系の女子はバニーガールの衣装を着ないと死ぬ病気なのです。さあ、早速チャンプさんのジョブを測定しましょうか? こちらに手を乗せてください」


 チャンプが水晶に手をかざした。


「うわっ! なんか目の前に出た!」


「それがステータス画面です。ジョブや数値が見えますよね? どんなジョブでしたか?」


 チャンプは躊躇いながら、恥ずかしそうに呟いた。


「ハガキ職人……」


「「「「「は?」」」」」


「ハガキ職人……。俺の書いた記事は全てラジオのリスナーレベルってことか!? そうなのか!?」


 鈴菌とアハロ団の乙女たちは笑いを堪えるのに必死だった。


「ウプププッ……やだ、笑わせないでよ……チャンプさん……」


「ウプププッ……こら! カッパ、笑うなよ! 失礼だろうが! ウプププッ……」


「ウプププッ……でも、レアなジョブですよ……私もこんなすてきな?ジョブは初めて見ましたし……」


「もしかして、チャンプは学生時代にオールナイトニッポンに投稿してたタイプか?」


「はい……毎週……」


 チャンプは戦うことを諦め、ライターとして取材することだけに集中することにした。鈴菌とカッパの容疑者調査に同行して、魔族の方々への聞き込みを取材していった。


「なんか魔族って聞くと勝手に怖いイメージだけど、皆さん普通でしたね」


「そうだよ。魔族も獣人も皆んな普通だよ。あの異世界食堂のウエイトレスさんも魔族だよ」


 こうして容疑者リストの魔族全員への聞き込みが終わった。しかし、犯人らしき人物は見当たらなかった。捜査は振り出しに戻った。


   *


 ギルドへ戻ると、バニーが封書を取り出した。


「また、王国からアハロ団へ親書が届きましたよ。このまま返事を書かないと、王命使節団の方々がずっと滞在し続けることになりますよ……」


「この親書への返信もまた面倒だよな。ちゃんとした書記官にわざわざ書いてもらわないとならないからな……あ、ちょっと待て! チャンプならハガキ職人だからジョブで上手い手紙が書けるんじゃないのか? 俺たちはてっきりラジオの方のハガキ職人だとばかり思ってたが、ストレートに考えてみれば、この世界にハガキ職人なんて造語はあるわけないよな! チャンプ、ちょっと手紙の文章を書いてみろよ!」


 チャンプは羊皮紙にペンを走らせた。この世界の文字が自然と書けることに自分でも驚きながら、あっという間に書き終えた。



────────────────────────────────────

王命使節団へ託す「アハロ団」公式返信(執筆:チャンプ)


【謹啓 王国至高の御座に座す叡智の守護者へ】


陽光煌めくこの佳き日に、王宮より賜りました身に余る光栄なる親書、全霊をもって拝受いたしました。


私共アハロ団は、王都の皆様より寄せられる止むことなき熱き期待を、あたかも夜空を焦がす流星群の如く眩く、また誇らしく感じております。皆様の「我らにまみえん」とするその一途な想いは、私共の魂の奥底、まさにシリンダーの圧縮工程の如く深く、強く、圧縮され、熱き感動へと昇華されております。


されど、誠に恐縮ながら、現在はここネモの街において、二十階層を震撼させる「暴風龍エルドラ」という名の未曾有の難題に、我らがど根性の全てを投じている最中にございます。この災厄を放置したまま王都の門を潜ることは、誇り高き冒険者としての矜持が許さず、また王国の安寧を第一に願う我らの忠義に背くことと存じます。


龍を伏せ、ダンジョンに真の静寂が訪れしその日こそ、我らは風を切り、皆様の元へと馳せ参じる所存です。それまでは、この親書に込めた感謝の念を、遠き空の下、皆様の慈悲深き御心にて温めていただけますれば幸甚に存じます。


【敬白 ネモの街より アハロ団一同】

────────────────────────────────────



「上出来だ! ネモの街の書記官が書いたものよりも、むしろこっちの方が圧倒的に俺らっぽいし、字も綺麗だ」


 チャンプがステータス画面を確認するとレベルが上がっていた。


「うわっ! たったこれだけで、もうレベルが上がりました!」


────────────────────────

チャンプ(ハガキ職人 Lv.2)


HP     20

MP     1

攻撃力   2

防御力   1

素早さ   10

器用さ  200

運    100


【装備】

Canonパワーショット S5IS


【パッシブスキル】

自動翻訳、達筆

────────────────────────


「やっぱりアハロ団関係者は皆さんチートなんですよ! ハガキ職人はギルドとしても最高に使えるジョブとして認知しておきますね!」


   *


 鈴菌はチャンプの有用性を推理しながら、告げた。


「チャンプ、鳩だ! 鳩を飼え!」


「まさか……伝書鳩をですか?」


「そうだ。異世界で鳩が迷わずに飛べるのかはまだ実験してみないと分からないが、試してみる価値はあるだろ? これはハガキ職人のチャンプじゃないと実験できないからな」


「確かに……僕のジョブなら鳩も確実に目的地まで飛ばせそうですよね!」


 バニーが不思議そうに首を傾けた。


「ハトというのはなんですか?」


「あちらの世界では鳥を使って手紙のやり取りをする文化があるんだよ。それをチャンプなら異世界でもできるんじゃないかって話だ。つまり、こんな親書をわざわざ王命使節団が運んでこなくても良くなるってことさ」


 バニーが飛びついた。


「そ、そんなことが可能なんですか!?」


「まだわからん。あちらの世界でも鳥が自分の住処まで帰ってこれる理由は謎のままなんだ。謎だけど確実に帰ってくることだけは事実なんだ。よく磁場とか言われてるが、それも仮説に過ぎない」


「でも、そこまでしてわざわざ手紙のやり取りが必要なの? 別に王都のことなんてネモの街の人達は関係ないよね?」


 カッパの一言が——再びスイッチを押した。


「……おいカッパ、お前は今、この世で最も愚かな質問をしたな。『通信なんて必要ない』だと? いいか、全宇宙の歴史を見渡してみろ。文明の進化とはすなわち、情報の伝達速度と解像度の進化そのものなんだよ!!


いいか、例に出した孫悟空が、王都まで瞬間移動したとしよう。確かに対象物は瞬時に移動する。だが、それはあくまで『点の移動』だ。アイツが王都で何を見て、何を話したか、その情報はアイツが戻ってくるまで、あるいはアイツが正確にアウトプットするまで、誰にも共有されない。つまり、瞬間移動は物流のチートであって、通信のチートじゃねえんだ! 物が届くより、情報が届く方が速い——これこそが、かつて人類が光ファイバーと5Gを追い求めた究極の欲望なんだよ。


いいか? この異世界に通信の概念がないってことは、王都でクーデターが起きようが、隣国が十万の軍勢で攻めてこようが、伝令の馬が走ってくる数日間、俺たちは『無知なカモ』として過ごすことになる。だが、もしチャンプと鳩を使ってバト通信を確立できれば、情報のタイムラグをゼロに近づけられる。


ワームホールは空間を繋ぐが、通信は『因果』を操るんだ。相手が剣を振り下ろす前に、こっちが盾を構える情報を送れば、それはもはや未来予知に等しい。もし俺たちがこの世界の通信インフラを独占すれば、王都の景気をハメることも、隣国の情報を高値で売りつけることも、歴史をまるごとバックアップすることも可能になる。


カッパ、お前はただの鳥だと思ってるだろうが、これは空飛ぶ光回線なんだよ! これさえあれば、王都もギルドも俺たちの手のひらで踊るただのデータチップに過ぎねえ……。いいか、これだけは覚えておけ。この通信の力を手に入れれば、俺たちは——


『神にも悪魔にもなれる!!(キリッ)』」


   *


(カッパの反応)


「う、うわぁぁぁん!! 鈴菌さん、顔が怖いぉ!! 鳥一羽の話でなんで『悪魔』になっちゃうのぉ!? 難しい言葉がバゴーーン!って飛んできて、もう頭の中がタンバリンみたいにガラガラだぉ……(大号泣)」


 見かねたチャンプがフォローした。


「まあまあ、鈴菌さん。カッパちゃんが話が難しすぎて泣いてますし、これくらいで。実は僕もよくわかってないしさ……」


「そうか? どの辺が難しいんだ?」


「最初から全部!!!!」


「情報通信についてきちんと理解しておかないと、後々大変なことになるかもしれないぞ?」


   *


 こうして、ネモの街の土曜日は穏やかに過ぎていった。


 異世界食堂では、乙女たちが再びパフェを注文していた。チャンプは取材メモを書きながら、隣でドーナツをかじるボーアを眺めていた。バニーはカウンターで親書の封をしていた。


 鈴菌だけが、難しい顔でコーヒーを飲んでいた。


(笠寺の鳥居だけを封印しても……異世界食堂のゲートが残っている。ゲートの封印とは、いったい何を指しているんだ……?)


 その疑念は、まだ誰にも告げていなかった。


 乙女たちに話しても、また号泣されるだけだということを、鈴菌はもう十分に理解していた。


 ネモの街は、チャンプという新たな日本人を迎えて、粛々と通信網を張り巡らせていくことになる。







ワームホール(アハロ・異世界食堂型)について:

アインシュタイン=ローゼン橋の一種。エキゾチック物質による時空の安定化により、名古屋の鳥居と東京の異世界食堂裏口がゼロ距離で繋がっています。ウラシマ効果なし。コピー問題なし。二ストの原付でトトトト走るだけで光速超え移動が完了します。詳細はシュバルツシルト半径の計算式をご確認ください(乙女たちは確認しません)。


チャンプのジョブ「ハガキ職人」について:

戦闘能力は皆無ですが、パッシブスキル「自動翻訳」と「達筆」を持ち、王国への公式返信を書いただけでレベルが上がりました。オールナイトニッポンへの投稿歴は毎週とのことです。


伝書鳩(バト通信)計画について:

異世界で鳩が方角を正しく認識できるかどうかは未検証です。ただし鈴菌は「空飛ぶ光回線」と表現しており、王都・ギルド間の通信インフラ独占を視野に入れていることが確認されています。乙女たちは号泣のため詳細を把握していません。



封印の謎については、次回以降に続きます。

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