表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/141

K-86 アップデート中……

 この日、アハロに珍客が来店した。


 地下室の扉が開いて現れたのは、兎耳を持つ女性だった。


「え? ちょっと待って……ラビットさんじゃなくて、バニーさん? 地下室から来たってことはバニーさんだよね……?」


「はい。ネモの方のバニーですよ! モト子さん! あれ? 鈴菌さんから聞いてませんか? ちゃんと伺うと言っていたんですけどね」


(聞いてないわよ……まったく……)


 モト子は戸惑いながらも、カウンターへ座ったバニーの相手をするしかなかった。


 メニューを出しかけて、引っ込めた。


「メニューを読めるわけないですよね?」


「はい! 全く読めません! オススメは?」


「ランチはAかB……って言ってもわからないですよね。肉か魚か、どちらがお好き?」


「それなら魚で!」


 モト子はすぐに料理を運んできた。


「今日のランチは海鮮カツ丼ですよ。お箸とスプーンとフォークを用意したのでお好きな方をどうぞ」


   *


 テーブルに置かれたのは、旬の三種カツ丼と、渡り蟹の味噌汁だった。


 寒ブリ、サワラ、ヒラメ——三種の魚を薄い衣で揚げ、丼つゆと半熟卵でまとめた一品。椀には渡り蟹をぶつ切りにして昆布と共に水から煮出した、磯の香り豊かな味噌汁が添えられていた。


 黄金色の耳をピクピクと震わせ、バニーはその豪華な丼を前に固まった。


「……これ、全部お魚なの? 見た目はまるでお肉の塊みたいだけど……」


 おずおずと割り箸を割り、まずは一番大きなブリカツを口に運んだ。


 サクッという軽快な音の直後——バニーの瞳が、大きく見開かれた。


「んんっ!? なにこれ、噛んだ瞬間に脂がとろけ出して……! お肉よりもずっと瑞々しくて、甘いっ! この『サワラ』っていうのはふわふわしていて優しい味……それにこの『ヒラメ』、噛み応えがあって、噛むたびに旨味がどんどん溢れてくるわ!」


 止まらぬ勢いで、卵を纏ったカツと出汁の染みたご飯を交互に頬張った。一息つく間もなく、渡り蟹の味噌汁に手を伸ばす。


 椀から立ち昇る磯の香りに、鼻先がひくひくと動いた。一口啜った瞬間、「ふぁっ……」と、力の抜けたような声が漏れた。


「……っ、このスープ、すごいわ。海の魔力でも閉じ込めているの? 蟹の旨味が濃すぎて、体中の力が抜けちゃいそう。私の世界には、こんなに深い海の恵みを感じる料理なんてなかった……。ねえ、これ、本当におかわりしてもいいの?」


 頬を赤く染め、夢中で蟹の足をしゃぶるバニーの姿から、ギルドの受付嬢としての威厳はすっかり消え失せていた。


 モト子は思わず笑ってしまった。


「おかわりも良いけど、ランチにはデザートも付くから、食べすぎて満腹にならないでね」


   *


 やがてバニーが味噌汁のおかわりを飲み干し、デザートのガトーショコラも食べ終えると、満足した顔でぽつりと言った。


「昔の日本には無かったものばかり……」


「以前にも日本へは来たことがあるの?」


「はい! 前に来た時は私の叔父さんに会いに来たんですよ。モト子さんは知ってるかなぁ。源って名前なんですけど……」


「それって源氏?」


「げんじ? いえ、違いますよ。みなもと、です。よく部下の方からは鎌倉殿って呼ばれてましたね。源頼朝っていう人が私の叔父さんなんです」


 モト子は唖然とした。


「え? 義経の兄の頼朝?」


「え? モト子さんは父も叔父も知っているのですか?」


「嘘!? もしかして、バニーさんのお父さんって義経なの!?」


「はい。でも、どうしてモト子さんが父のことを知っているのですか?」


「日本人なら誰でも知ってる人物よ?」


「え? そうなんですか? 叔父さんは偉い人だったから有名なのはわかりますが、私の父は特に偉い役職でもなかったはずですよ? むしろお供の弁慶さんの方が有名だったと聞いてます」


「本人はきっとそんな認識だったのかもしれないわね……。でも、あなたのお父さんの方が今の日本では有名なのよ? むしろ叔父さんの方が知名度は低いわね」


「え? なぜですか? 父は若いうちからネモに移住してますから、歴史に名前なんて残っていないはずですよ?」


「それが、今では義経はお兄さんを超えて日本史の中では人気者なのよ。でも、どうして源頼朝に会いに来たの?」


「征夷大将軍って役職になる前に叔父が笠寺観音に来たんですよ。その時に父の代わりに叔父に会いに来たんです。建久元年のことです。父はすでに死んだことになっていたので日本へは来れなかったので、私が代理で叔父に会い、手紙を渡したんです。その時には叔父からご飯をいただいたのですが、今食べたような美味しいご飯ではなく、凄く質素なご飯だったのを覚えています。前日、鈴菌さんからネモの街は日本に対してアップデートできていないと言われちゃいまして、今回こうして来てみました!」


「鈴菌が封印を解いたのは本当に申し訳なかったわ。私からも謝るわ」


「え? 封印を解いたのは鈴菌さんじゃないですよ? 鈴菌さんが鳥居を見つけた時には、既に封印は解かれていましたから」


「え? そうなの? 私はてっきり鈴菌がまた余計なことをしたのかと思ってたわ……。それじゃ封印を解いたのは誰なの?」


「家康さんの次にネモへ訪れた松尾さんというジョブが忍者だった方です。圧倒的に強い方でしたが、突然、鳥居を放置したままどこかへ消えました。同行していた千里さんと共に急に来なくなりましたね。『星崎の 闇を見よとや 啼く千鳥』と謎の言葉を遺して消えました」


「それ、松尾芭蕉じゃん! ちょっと待って、今その俳句を聞くと何か意味深で怖いわ……星崎の闇ってのがまさにネモのことに聞こえちゃう!」


「あら? 松尾さんも有名人なんですか?」


「もはやネモに行った人で無名の人が居なさすぎて、鈴菌たちが気の毒だわ……」


「何を言ってるんですか! 鈴菌さんたちは今までネモを訪れた日本人の中でも群を抜いていますよ? 信長よりも家康よりも、アハロ団は凄いです! 他を圧倒しています! 私は長年ギルドで受付嬢をしてきましたが、アハロ団はひょっとして伝説の勇者になるような気がします!」


 モト子がバニーの過剰な評価を否定しようとしたその時——厨房から花の声が飛んできた。


「モト子さん、バニーさん、バレンタイン用の配布チョコの味見をお願いします!」


 花がハート型のチョコレートが入った小袋を二人に手渡した。


 バレンタインという言葉を初めて聞いたバニーが戸惑っていたので、モト子が説明した。


「これは近年の日本で行われている年に一度のイベントなの。女の子が目当ての男子にチョコを渡して気持ちを伝えるのよ。まあ、お菓子会社が仕組んだイベントだから、そんなに重要なイベントではないんだけどね。それでも、この日は女も男もソワソワするのよねぇ〜」


 ハート型のチョコレートを一口食べたバニーは、モト子の説明を聞いて心底驚いた。


(本当に私は今の日本のことをまるで知らない!)


 バニーはモト子へ身を乗り出して語った。


「モト子さん! ネモでもこんなイベントはできるんでしょうか? このチョコレートを女の子から男子に渡すだけで良いんですよね! たったそれだけのことなのに女も男もソワソワするなんて、ネモには無かった素敵な文化です!」


 それを聞いたモト子の脳内で、ある計算が弾けた。


「チョコレートはウチが用意しようか?」


「良いんですか? でも、お金は鳥居を通過できないから支払えませんよ?」


「お金なんていらないわ。ネモにはこちらへ持ち込める食材があるでしょ? 鈴菌が豚肉や毛ガニを持ってきたからね。そんな通過できる食材と物々交換って事にしない? 異世界食堂で食べた牛のような肉一キロとチョコレート一キロを交換ってことなら、チョコレートを用意するわ」


「それでお願いします!」


 そこへ花が熱いココアを二人へ差し出した。


 バニーはそれを飲んで、また驚いた。


(家康さんや松尾さんは苦いお茶しか持っていなかった……。今の日本と家康さんの頃の日本ではまるで別の国みたい……)


 家康の頃から全くアップデートされていないバニーにとって、今日のアハロは別世界だった。魚料理と頼んだのに見た目が全く魚に見えない料理。甘いチョコレート。女から男にチョコを渡して気持ちを伝えるイベント。そして、熱くて甘い飲み物。


 家康が持ち込んでくれたものとは、何もかも違う。


 バニーは自分のアップデートが全く追いついていないことを、アハロで実感した。


   *


 そして、週末。


 いつものようにアハロ団がネモの街へ原付で現れ、ギルドで装備を整えてからダンジョンへ走り出した。


 その道中、カッパの視線があるアンティークショップに釘付けになった。


「あそこのアンティーク屋さんに寄っても良い?」


「どうしたの? カッパ、お買い物ならダンジョンの後にしなよ」


「あのね、何か凄く寄りたくなったんだよ。私にもこの気持ちはわかんないんだけど……骨董のスキルのせいかな?」


 そう言ってカッパはそそくさとアンティークショップの中へ消えていった。


 アハロ団は店の前でしばらく待った。


 やがてカッパが満足そうな顔で出てくると、その手には謎の水晶髑髏の首飾りがあった。


「カッパ、その可愛くない髑髏の首飾りには特殊効果とかあるの?」


「お店のオジサンも効果は知らないってさ! 呪いの装備かもしれないから半額にしてもらっちゃった!」


(絶対に呪いの装備だ)


 アハロ団全員がそう思ったが、カッパが満足そうなので誰も何も言わなかった。


 そのままダンジョンへと原付を走らせた。


   *


 初の二十階層へチャレンジしようと、十九階層のエレベーター前に差し掛かった瞬間——。


 カッパの水晶髑髏の首飾りが、淡く光り始めた。


「おい! カッパ! 何かヤバいぞ! その髑髏! 早く外せ!」


 カッパが自分の首飾りを見ると、確かに淡く輝いていた。外そうと手をかけた瞬間——あるはずのない水晶髑髏の瞳と、カッパの目が合った気がした。


「今、髑髏と目が合ったよ!」


 水晶髑髏は無言で、じっとカッパを見つめていた。カッパもまた、じっとその瞳を見つめ返した。


 次の瞬間、カッパが何もない壁に向かって、吸い込まれるようにゆっくりと歩き出した。


「カッパ!?」


 止める間もなかった。


 カッパは何もない壁に触れると——そのまま、壁の中へと消えた。


 一部始終を見守っていたアハロ団は顔を見合わせ、カッパが消えた壁に一斉に手を触れた。


 全員が、壁に吸い込まれた。


「クッ! 転移トラップか!」


 鈴菌の声が響いた次の瞬間——アハロ団は、その場から完全に消えてしまった。


 十九階層のエレベーター前に、六台の原付だけが残された。




バニーの家系について:

バニーの父は源義経。叔父は源頼朝。義経が若くしてネモへ移住したため、日本の歴史には記録が残っていない——というのがバニーの認識です。ただし義経が衣川で死なずにネモへ逃れたという伝説は日本各地に残っており、北海道の義経伝説もそのひとつです。


封印を解いたのは鈴菌ではなかった:

封印解除の犯人は、家康の次にネモを訪れた松尾芭蕉(ジョブ:忍者)。同行していた千里と共に突然来なくなったが、遺した俳句「星崎の 闇を見よとや 啼く千鳥」は名古屋市南区の星崎を詠んだ実在の句です。星崎は笠寺からほど近い地名。闇を見よ、と言い遺した芭蕉が何を見たのかは、現在も謎です。


骨董スキルの発動については、次回以降に続きます???


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ