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K-84 地下から始まる異世界生活

 ようかい体操第一が終わると、鈴菌はさっそく立ち上がった。


「モト子、花ちゃん。とりあえず、実際に見た方が早い。鳥居の前まで来い」


   *


 地下空間の奥。


 十メートルほど進んだ先に、真っ赤な鳥居が立っていた。


 モト子と花は、その前で足を止めた。


 鳥居の向こう側に、土壁はなかった。


 青い空があった。

 石畳の続く街があった。

 大通りを行き交う人々の声が、風に乗って届いていた。


「……うそ。なに、これ」


 モト子は立ち尽くした。


 そこに広がっていたのは、絵画の中に迷い込んだかのような、中世ヨーロッパを彷彿とさせる美しい石畳の街並みだった。高くそびえる尖塔の屋根が青い空を突き刺し、白い壁の家々が整然と並んでいる。


 買い物カゴを下げた主婦のような女性の腰には、ごく当たり前のように鋭い剣が下がっていた。隣を歩く男は重厚なローブを翻し、節くれだった杖を握っている。獣人や亜人たちが、互いに笑い合いながら市を楽しんでいた。


「あ、見てモト子さん! あそこ、妖精が飛んでるわ!」


 花の指差す先では、羽ばたくたびにキラキラと光の粉を振りまくフェアリーたちが、果物の屋台の上を無邪気に飛び回っていた。道沿いの屋台からは、見たこともない香辛料の香りと、肉を焼く香ばしい匂いが漂い、人々の活気ある喧騒が波のように押し寄せてきた。


「鳥居の向こうの景色がネモの街なの? 結構、人通りが多いじゃない。しかも地球人と変わらない姿をしてるわよ? 猫耳とかエルフとかいないの?」


「猫耳ではないが、兎耳ならいるぞ? しかも、モト子はそいつの事を知っている」


「え? 私の知り合い? ど、どうして? どうして私の知り合いがネモの街にいるのよ!?」


「まあ、会ってみればわかるさ。行くぞ!」


 鈴菌とヨンキュウ部の乙女たちは慣れた様子で鳥居をくぐっていく。好奇心旺盛な花もワクワクしながらネモの街へ飛び込んでいった。


 最後に、モト子が恐る恐る足を踏み込んだ。


 湿り気のある地下道の暗がりから、真っ赤な鳥居をくぐり抜けた瞬間——刺すような眩い午後の陽光と、肺の奥まで洗われるような澄み切った空気が、全身を包んだ。


 モト子は思わず後ろを振り返った。


 真っ赤な鳥居が、ぽつんと佇んでいた。


 しかし、鳥居の向こう側に見えるはずの「アハロの地下空間」は、どこにもなかった。二本の柱に切り取られた向こう側には、ただネモの街の続き——石畳と、歩く人々の姿だけがあった。


(帰れない……?)


 振り返ればすぐ戻れると思っていたアハロが、忽然と消え失せていた。


 現代人の感覚を根底から揺さぶる美しい景色の中で、モト子はかつてない孤独と、言いようのない不安に飲み込まれそうになっていた。


「……鈴菌。私、ちゃんとアハロに戻って、今日のディナーの準備ができるんでしょうね?」


 震える声を絞り出したモト子の横で、花だけが「あの屋台の肉、何の肉かしら!」と目を輝かせていた。


「あれはワニ肉だよ、花ちゃん。普通に美味い。こちらは鶏の家畜化に成功してなくて、ワニ肉がポピュラーなんだ。あとで異世界料理を奢るからね」


「うん、凄く楽しみ!」


 花が既に異世界に順応していることにモト子は焦りを覚えたが、順応できていない自分こそが正しい認識なのだと心の中でつぶやいた。


   *


 鈴菌がモト子と花をギルドへ案内した。


 重厚な扉を押し開けると、カウンターにバニーガール衣装の受付嬢が座っていた。


 その顔を見た瞬間、モト子が叫んだ。


「ラビットさん!!! どうして、ここにラビットさんが? ラビットさんはやっぱり異世界人だったの!?」


 なんと、ギルドの受付嬢は原付キャノンボールランの司会進行を務めていたラビットにそっくりな女性だった。


「な? 知り合いがいると言っただろ?」


 モト子は何も言えずに、何度も頷いた。


 受付嬢——バニーが、笑いながら口を開いた。


「鈴菌さん! これ以上、からかったら可哀想ですよ〜」


「そうだな。モト子、この人はラビットに似てるが別人だ。名前をバニーという。おそらくラビットのご先祖さまだ」


「ご、ご、ご先祖さまって言ったって、ラビットさんと同じ歳くらいじゃないのよ! ご先祖さまというよりも双子って言われた方が納得できるんだけど……」


「ザックリと説明しますと、ここと、そちらの世界では時間の流れが違うのです。そちらの人からすると信長さんは遠く過去の人物なんでしょうが、私たちからすると、つい最近、この街に訪れた感覚なのです」


「そ、それじゃ、バニーさんは今は何歳なの……?」


「女の子に年齢を聞いちゃダメ!」


「そ、そうよね。そこだけは同意するわ……」


   *


 ようやく落ち着いてきたモト子と花に、鈴菌が鑑定水晶を勧めた。


「せっかくだから、二人もジョブを確かめておけ。バニー、頼む」


 バニーがカウンターの上に鑑定水晶を置いた。


 花がわくわくしながら真っ先に手を乗せた。


 水晶が淡く輝き、花の目の前にステータス画面が浮かび上がった。


「あ! ステータス画面だ! 本当に異世界っぽいよ!」


「ステータス画面は本人しか見られませんので、安心してくださいね! 花さんのジョブはどんなジョブでしたか?」


 花の顔が、じわじわと赤くなっていった。


 もじもじし始めた。


「ん? 花さん? どうしました? ジョブはなんだったのですか?」


「……び、美少女コック……です……」


「はい? すいません、聞こえませんでした? もっと大きな声でお願いします」


「美少女コックです……」


「「「「は?」」」」


 アハロ団とバニーの声が揃った。


「本当に美少女コックって書いてるんだもん! 私だって恥ずかしいんだよ! 普通のコックじゃなくて、どうして美少女コックなの?」


 この瞬間、花は同性からもっと嫌われた。


「チッ!」


 モト子が舌打ちをした。


 荒みきったまま、モト子が鑑定水晶に手を置いた。


 花の時よりも水晶が強く輝いた。


 モト子の目の前にステータス画面が現れた。途端に、モト子の目がランランと輝き始めた。


「モト子さん? 急に目がキラキラしてますよ?」


 モト子の瞳は星でいっぱいになっていた。


「私、一番の当たりジョブを引き当てたかも……」


 全員が固唾を飲んだ。


「私のジョブは——玉の輿!」


「「「「玉の輿!?」」」」


 さすがのバニーも目を丸くした。


「た、玉の輿ですか……。それは、本当に当たりジョブですよ、モト子さん! 過去にそのジョブを手にした玉照姫さんは本当に素敵な旦那様に巡り会って、笠寺の街を作りましたからね。……笠寺の始まりについては、ご存知ですか?」


「えぇ。先程、鈴菌から聞きました。私はその玉照姫と同じジョブなの?」


「はい! 間違いなく同じジョブです! 玉照姫さんが笠寺の街を作ったように、もしかしたらモト子さんも何かとんでもない偉業を為すかも……」


 途端にモト子は異世界のネモの街が好きになった。


「鈴菌、撤回するわ。ゴールデンウィークまでに封印しなくてもいいわよ。ゆっくりと時間をかけて攻略なさい」


 ところが、鈴菌が水を差した。


「いや、それはダメだ。できるだけ早く封印するぞ? 俺は家康と違ってRPGはやり込みタイプじゃなくて、最短最速クリアを目指す男だ!」


「なんなのよ! 人がせっかくゆっくりで良いって譲歩してるのにさ!」


 バニーも静かに頷いた。


「モト子さん、私も鈴菌さんに賛成です。ダンジョンは地球の皆さんには毒です。あの信長さんが魔王化したようにダンジョンは地球の人にとって毒でしかありません。この街にいると歳もとりませんし、ダンジョンのドロップ品には地球にとって魅力ある品も多いのです。ここは間違いなく地球の人を狂わせます。かつて家康さんは長い時間をかけて、ここを封印してくれました。日本史をご存知なら知ってるでしょ? 家康さんが長寿だった事を。当時の日本人の平均寿命から計算すると、家康さんは百二十歳を超える計算になります。一緒にここへ訪れていた天海さんも、家康さんが亡くなったあとも孫の世代まで現役で活躍していたそうじゃないですか。地球の人は長寿繁栄のためなら魔王にもなりうるのです」


鈴菌もモト子がわかりやすいように史実と照らし合わせて説明をした。



「家康が夏の陣で戦った時は七十三歳だぞ? 当時の日本人の平均寿命は四十〜五十歳だ。これがどれだけ異常なことかわかるよな? モト子。家康はかろうじて魔王化しなかったようだが、共にダンジョンに籠っていた天海は魔王化していたそうだ。天海はあの時代で百八歳まで生きたと言われている。しかも自然死とされているが、本当に死んだのかは謎のままだ。魔王化とはそういうことらしい」


 それを聞いてモト子はようやく冷静になった。


「そうね……。魔王化すると周りも迷惑だし、本人もまた不幸よね……。周りの仲間たちの死を全部見ることになるのよね。長寿って……」


 モト子はバニーの顔をそっと窺った。


 バニーはモト子の視線に気づいて、明るく振る舞った。


「あぁ、私の事なら気にしないでください。私はこの街で生まれ育ったので、出会いと別れには耐性があるのです。じゃないと、ギルドの受付嬢なんてできません!」


「まあ、湿っぽい話はここまでだ! 異世界食堂へ行って、異世界名物でも食おうぜ! バニー、俺のギルドカードから飯代を引き出してくれ!」


   *


 ギルドからさほど離れていない異世界食堂に、一同は入った。


 見た目は地球人と変わらない店主がせっせと調理し、魔族っぽいウエイトレスが笑顔で働いていた。


「なんか普通の食堂ですね……。でも、メニューが全然読めません。これは何語なんですか、鈴菌さん」


「この文字はここ異世界で使われている大陸文字だ。このネモはマーク大陸の東の果てにある街なんだ。マーク大陸では人族も亜人族も獣人族も全員がこれを読める。ちなみに俺ももう覚えた。えっと、上から説明すると——ワニのステーキ、ワニの煮込み、少し高いが牛っぽいステーキ、牛っぽい煮込み、更に高級な龍のステーキ、龍の煮込み、って感じだな。基本的に焼くか煮るかのどちらかだ。ライスは無いがパンは地球とほぼ同じものが出る」


「龍!? 龍なんて食べられるの? 美味しいの? 龍って勝手なイメージで硬いイメージなんだけど、包丁で切れるの?」


「まあ、美味い方だぞ。通常の武器ではダメージを与えられないそうだ」


「なるほど。ってことは専用の包丁もあるんだね! 龍も切れる包丁なら私も欲しいな〜。高いのかな?」


「それは残念ながら買ってあげられないなぁ」


「そんなに高いの?」


「いや、金額の問題じゃない。仮に龍包丁を手に入れても、鳥居を通れない。実はここで入手したレアアイテムやレアな食材は全て地球へ持ち帰れる訳じゃないんだ。地球に存在していないものは持ち込めない。分かりやすく説明すると——信長はガンナーだったと教えただろ? 仮に信長がこちらでレーザー銃を手に入れたとしても、それは鳥居を通過できない。火縄銃を入手すれば、それは鳥居を通過できる。龍包丁も地球には存在していないから、鳥居を通せないんだよ。当然、龍肉も持ち帰れない。ちなみにそこはちゃんと時代別に対応されていて、信長の時代には機関銃も拳銃も持ち込めなかったはずだ」


「あ! だから豚肉とか毛ガニばっかり持ち帰ってたんだね! やっと納得できたよ〜。もしかしてゼラチンもドロップ品?」


 オーダーを伝え終わったカッパが、振り返りながら笑顔で答えた。


「うん! ゼラチンはスライムを倒すとドロップするんだよ!」


 モト子と花はようやく、ここ最近の謎の食材について全てを理解した。


「つまり、鳥居を通過できればそれは地球と同じもので、通過できなければ地球には存在していない——ってことね……」


「そういうことだ。ちなみに俺は、こちらで買った魔サンダルを履いたまま鳥居を通過しようとして、魔サンダルだけ弾かれて、つんのめって前のめりに転んだからモト子も気をつけろよ」


 その瞬間、ヨンキュウ部の乙女たちが大爆笑した。


「やっぱり鈴菌さんのつんのめり事件は何度思い出しても面白い!」


「見てないわよ私たちは! でも、想像だけで笑えるわ」


 モト子と花は顔を見合わせた。


(なぜ、この子たちは、こんな謎すぎる異世界でこんなに笑えるの……?)


 やがて、牛っぽいステーキが運ばれてきた。


 モト子と花は一口食べた。


「「牛っぽい……」」


 地球の牛ステーキとほぼ変わらない味に、二人はほんの少しだけ安心した。


 アハロ団は鈴菌のつんのめり事件で、まだ笑い続けていた。


「ビダーンって倒れたよね!ビダーンって!アハハ!」


「そうそう!ビダーン!って倒れたね!ビダーン!ウフフ」


「「「ビダーン!ビダーン!」」」


 こうして、アハロの地下に数週間前からダンジョンが解禁されていた事を、モト子と花はようやく知ることとなった。



ネモの街のダンジョンルール・まとめ(今回判明分):


■持ち込みルール

地球に存在するものは鳥居を通過できる。地球に存在しないものは通過不可。しかも「その時代に地球に存在するかどうか」で判定される。信長の時代に機関銃は通せなかったが、現代の鈴菌には通せる可能性がある。龍肉・魔サンダル・大陸文字で書かれた書物等は地球に存在しないため、持ち出し不可。


■ジョブ一覧(確認済み)

・鈴菌:宇宙刑事(Lv.1) ・ラーナ:ど根性 ・カッパ/キーコン/ボーア:妖怪 ・菊:魔女 ・花:美少女コック ・モト子:玉の輿


■ジョブについての補足

ジョブは鑑定水晶で占う。自分では選べない。一度決まるとジョブチェンジは基本不可。ジョブに対応しない装備は使用不可。


■笠寺ゆかりの人物とダンジョン

禅光(七三六年)→鳥居を作る。織田信長(一五四九年・十五歳)→ダンジョン攻略失敗・魔王化・本能寺で討伐。徳川家康(一五四九年・六歳で初入場)→七十三歳で封印成功。所要期間:六十七年。天海→家康と共に入場。魔王化の疑いあり・百八歳没?・死因不明?。


笠寺観音は今も名古屋市南区笠寺町にあります。鳥居をくぐる前に、お参りを忘れずに。



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