K-81 風呂を作るという日常
山梨県から帰還した鈴菌とカッパは、アハロのカウンター席でラテを飲みながら本日の反省会をしていた。
「これで本栖高校にもSUZUKIイズムが浸透しそうですね」
「あぁ。もはや、俺たちにできることは無くなったな! あの学園はいずれSUZUKI高校へと生まれ変わるだろう……」
師弟はうっとりと目を細めた。
そこへ、モト子が口を挟んだ。
「鈴菌! いい所に来たわね。アンタの豚肉について聞きたい事があったのよ! あの大量の豚肉と、三〜四日前にまた毛ガニが大量に冷蔵庫に入ってたんだけど、それも鈴菌でしょ?」
「そ、そうだ。毛ガニが捕れすぎてな……」
「あれは何処から仕入れたのよ。肉も蟹も最高級品だったわよ? 訳あり品ならまだわかるけど、最高級品クラスを大量にお裾分けなんて有り得ないでしょ?」
「それがSUZUKIイズムだと思えば、なんの不思議も無いだろ? 俺はSUZUKIイズムの伝承者だぞ?」
「豚肉と毛ガニの何処がSUZUKIと関係してんのよ! アハロを変なことに巻き込まないでよ? それから、今後はウチに食材を卸す時はちゃんと伝票とか貰ってきてよ。このままこんな仕入れ値タダなんてことをしてたら、税務署が動いちゃう」
伝票という言葉を聞いた瞬間、鈴菌とカッパは顔を見合わせてドキッとした。
「伝票……伝票か……貰えたら貰ってくるさ……」
モト子はそれだけ言うとカウンターの中へ戻っていった。
師弟は声を潜めた。
「あれは伝票なんて貰えるのか?」
「わかりません……でも、次に潜った時にギルドに聞いてみましょう……」
ギルド。
その単語は、カウンターの中のモト子には聞こえなかった。
それで、ちょうど良かった。
*
週末の朝。
鈴菌は夜明けからアハロの地下空間に降りて、リフォームの続きを始めていた。
やがてヨンキュウ部の乙女たちが続々と合流してくる。
「お! 来たな。今日は岩風呂の素材集めからだな。あとは菊さんだけか」
「たぶん菊ちゃんは花さんと一緒に来るから、九時過ぎだよ」
「そうだったな。あの二人は一緒に住んでるんだったな」
菊を待つ間も、鈴菌が乙女たちを仕切って脱衣場のリフォームを進めていた。
脱衣場の壁には木材が貼られ、棚が組まれ、もはやどこからどう見ても脱衣場だった。
浴室の方も、岩を組んだ浴槽の輪郭が出来上がりつつあった。
ちょうど九時になった頃、地下へ降りてくる足音が聞こえてきた。
一同は顔を上げた。
「あ、菊ちゃんが来たみたい! 菊ちゃん! 今日は次の階層で岩風呂の素材集めだよ! 菊ちゃんがいないと次の階層まで進めないんだよ〜」
階段の下に現れたのは——菊ではなかった。
モト子だった。
「あ! 店長!? どうしてここに?」
モト子はカッパの言葉を聞いていた。理解はできた。しかしその意味を、信じたくなかった。
「カッパ? 今、次の階層とか言ってたわよね? ここは地下二階のはずだけど……次の階層ってどういう事? それに、脱衣場も浴室もほぼ完成してるじゃない! まだこれ以上、手を加えるつもりなの?」
「つ、次のか、か、か、階層? 私、そんな事言いましたっけ? ラーナ? 私、そんな事言ってた?」
「言ってないよ! 次の改造! そう! 次の改造って言ってんだよ! 店長さん!」
モト子は首をかしげた。
「岩の素材集めって言葉も聞こえてたわよ? それについてはどう答えるのかしら? この名古屋で、何処に岩の素材なんて落ちてるのかな? カッパ!」
カッパはもう涙目だった。
ラーナとキーコンは急に日本語が話せないキャラとなり、ごく普通のイタリア人とベトナム人のフリをしてモト子からじりじりと離れていった。ボーアもそれに続いた。
脱衣場にはモト子とカッパだけが残された。
*
そこへ、何も知らない菊が地下室へ降りてきた。
モト子がいるとは露ほども思っていない菊は、いつも通りの朗らかな声で皆に呼びかけた。
「さあ! 今日も気張ってレベル上げねばなぁ! そいで、めずらしいお宝バゴーンと手に入れようぉ!」
「あ! 菊ちゃん! バカ! 何言ってんの!」
菊はようやく脱衣場にモト子がいることに気づいた。
一瞬、固まった。
「さ、さ、さあ! 今日も皆で怪我ねぇように、ようかい体操第一始めるぉ! ほら? 皆、並んでー!」
誰も何も言わなかった。
全員が何かを誤魔化すかのように、ぞろぞろと整列した。
「♪ヨーでる ヨーでる ヨーでる ヨーでる 妖怪出るけん出られんけん♪」
脱衣場の中で、六人が真剣な顔でようかい体操第一を踊った。
モト子は腕を組んで、踊る六人を黙って眺めていた。
その目は、体操が進むにつれて、どんどん細くなっていった。
体操が終わった。
「……百歩譲って、作業前に体操するのはわかるわよ? でも今、菊さんはお宝ってはっきり言ってたわよ? レベル上げとも言ってた。ゲームの事? いや、ただのゲームにしてはあなた方の焦り方がおかしすぎるのよ。カッパ! 菊さん! 何か隠してない?」
六人が、それぞれ全力で視線を逸らした。
脱衣場に、重い沈黙が満ちた。
その時——一階から、花の声が降ってきた。
「モト子さ〜ん! 宮満鮮魚店さんが来たよ〜! なんか今日も訳あり品の相談だって!」
モト子は鈴菌をひと睨みした。
長い、長い沈黙。
それから、モト子は何も言わずに踵を返し、地下から出ていった。
*
「……ふう。危なかったぜ」
「それにしても、こんな時のためにようかい体操第一を練習しておいて良かったですね! ギリギリ誤魔化せてました!」
「やっぱり、店長さんは侮れねぇなぁ。あれだけ完璧に踊ってらようかい体操第一も、ずっと疑いの目で見でだったぉ。まあ、もうすぐアハロの開店時間だ。店が始まれば店長さんは地下さ降りてこねぇはんで、安心だぉ!」
「そうだな。あと二十分もすればモト子も開店準備で地下には来ないだろ。そろそろリフォーム作業をやめて、各々、縦穴を降りる準備をしよう。俺はダミードラム缶を動かすから、カッパはウインチをセットしてくれ」
「りょ!」
鈴菌の合図とともに、ヨンキュウ部の乙女たちは縦穴へと降りる準備を整えた。
縦穴の深さは二十メートルを超えている。
二十メートル掘っても井戸水が出なかったので、今は縦から横へと穴が続いていた。横井戸だ。その先にあるものを目指して、師弟と乙女たちは地底へと潜っていく。
慣れた手つきで、鈴菌を先頭にヨンキュウ部の乙女たちが次々と縦穴へ消えていった。
最後にカッパがウインチのレバーを固定して、縄梯子を手繰りながら降りた。
*
これが、最近のアハロの地下空間での日常だった。
モト子と花はまだ、地底の存在を知らない。
地下空間の先にある地底。
ロードランナー師弟コンビが地道に掘り進んでしまった地底。
謎の豚肉の正体も、謎のゼラチンの正体も、そしてギルドという言葉の意味も——モト子と花は何も知らないまま、せっせとアハロの開店準備に追われていた。
地底へと潜った皆が居なくなった地下空間は、静かにアハロの営業時間を見守っている。
今日もアハロのカフェは開いた。
コーヒーの香りが、西之門の路地に漂い出した。
地下二十メートルの縦穴の先に横井戸が続いていること、謎の豚肉と毛ガニが冷蔵庫を満たしていること、謎のゼラチンが大量に存在すること、そしてギルドという単語が会話に登場したこと——これらの謎はまだ、ひとつも解決していません。
ようかい体操第一は、作業前の体操として大変優秀です。なお、妖怪は出ませんでした。たぶん。




