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k-63 チャンプの咆哮

 美浜サーキットの駐車場で、ヨンキュウ部は軽トラからモンキーRと紫21号を降ろしていた。


「ラーナ、やっぱり軽トラからバイクを降ろすのって怖いよね」


「でも、モンキーも21号ちゃんも軽いから助かったよ〜。昔のバイクは本当に軽いよね〜」


 サーキット場には様々なバイクが並んでいたが、アドレスV125が多かった。


「皆、125ccだね。50ccは二ストばかりだよ?」


「もしかして、ビーノは私だけ?」


「仕方ないよ。チャンプさんがモレもモルフェもサーキットでは見たことないって言ってたもん」


 そんな中、チャンプが駆け足でやってきた。


「お〜い! カッパちゃん!」


「あ! チャンプさんが来たよ!」


 チャンプがヨンキュウ部のバイクを見て、愕然とした。


「嘘だろ!? チャンプじゃないか! しかもTECH21カラーかよ……」


 チャンプが紫のスクーターの前に跪いた。


「チャンプさん、どうしたの?」


「これは……チャンプだよ? チャンプ! チャンプなんだよ! チャンプ!」


「はい? チャンプさんですよね? わかってますよ。何回も自己紹介しなくても大丈夫ですよ! チャンプさん!」


 チャンプが深呼吸して落ち着きを取り戻してから答えた。


「このスクーターはボーアのために用意したのかい?」


「ボーアのためというか、本当は今日は先生が申し込んでたんだけど、先生は急用でボーアが走ることになっただけだよ。だから、本来は先生のためにレストアしたんだよ」


「それは完全に神が仕組んだ奇跡だよ! 僕は今、初めて神を信じたよ! いいかい! この紫のスクーターの名称はYAMAHAのチャンプRSっていう伝説のバイクなんだ! このTECH21カラーってのは、平忠彦モデルなんだよ! 僕の青春の象徴なんだ! これに平忠彦の孫が乗るなんて、僕はとんでもない瞬間に立ち会ってるんだよ!」


 カッパとラーナとキーコンとボーアが愕然とした。


「これはおじいちゃんのバイクなの?」


「そうだ! 僕が子供の頃、君のおじいちゃんはヒーローだったんだ。僕は平忠彦に憧れてこの業界に入ったんだよ。このTECH21カラーに憧れていた少年だったんだ!」


「チャンプオジサン、この”TECHにじゅういち”ってツーワンって読むの? 私たち、ずっとこの子の名前を知らなくて紫21号って呼んでたよ。本当はYAMAHAのチャンプRSっていうんだね。しかもツーワンだったのかぁ〜。全部間違ってたよ」


「とにかく、ボーア。観客席から見てるよ! 僕の青春の象徴に乗って走る平忠彦の孫の姿をこの目に焼き付けさせてくれ!」


「おじいちゃんみたいに速くは走れませんが、精一杯頑張ります!」


 チャンプが観客席へと消えていった。


 ボーアは改めてTECH21カラーのチャンプRSを眺めた。


 おじいちゃんのカラー。

 自分が乗るなんて、思ってもいなかった。


   *


 リクリエーションでルールを頭に叩き込んでから、いよいよスタートラインに並んだ。


 SUZUKIモレ。

 YAMAHAビーノモルフェ。

 HONDAロードフォックス。

 HONDAモンキーR。

 そして最後に、

YAMAHAチャンプRS。


 ヨンキュウ乙女たちの緊張がMAXになった。


 ペースカーが先行して、全員がゆっくりと走り出した。

 初心者のヨンキュウ部は最後尾からのスタートだった。


 やがてペースカーが離脱した。


 その瞬間、全車が一斉に咆哮を上げて疾走し始めた。


   *


 ヘルメットの中で、ボーアは小さく呟いた。


(……あ、みんな、行っちゃった)


 最後尾からのスタート。

 前を行くバイクたちの排気音が、潮騒のように遠ざかっていく。


 でも、ボーアの右手はごく自然に、淀みなくスロットルを回していた。


 その瞬間、TECH21カラーのチャンプRSが、眠りから覚めたように身震いした。


 本来の2ストローク・スポーツの力が、後輪からアスファルトへダイレクトに伝わった。


(……軽い。おじいちゃんの工具で磨いたからかな)


 チャンプRSは、まるでボーアの意志を先読みするかのように、滑らかに加速を始めた。


 まず目の前に現れたのは、カッパのモレだった。

 カゴ付きのファミリーバイクとは思えない疾走を見せていたが、チャンプRSはその横を、風が吹き抜けるようにパスしていった。


(カッパちゃん、速い……。でも、チャンプはもっと速いよ)


 モレを抜いた瞬間、ボーアの中で何かが弾けた。


 恐怖ではなく、純粋な走る喜びだった。


(……コーナー。おじいちゃんが言ってた。『バイクは、倒せば曲がる』って)


 最初のコーナーが迫った。

 ボーアはブレーキを軽く当て、チャンプRSを優雅にバンクさせた。


 その動きは初心者のそれではなかった。


 まるで、平忠彦のDNAが、チャンプRSのフレームとシンクロして、最適なラインを導き出しているかのようだった。


 コーナーを抜けるたびに、ボーアとチャンプRSは前を行くバイクたちとの距離を確実に詰めていった。


   *


 前方に、アドレスV125やPCXの125ccクラスが見えてきた。


 ストレートでは、排気量の差で離される。


(……直線は、やっぱり速いなぁ)


 でも、コーナーが近づくとボーアの瞳がわずかに鋭くなった。


(……でも、コーナーなら、チャンプの方が、曲がるよ)


 ブレーキングポイントを限界まで遅らせ、チャンプRSを深く倒し込む。

 インコースを突くのではなく、あえてアウトコースから、125ccの巨体たちを鮮やかに抜き去っていく。


(……おじいちゃんの工具が、『行け』って言ってる気がする)


 周回を重ねるごとに125cc勢のペースが落ちてきた。

 ボーアはその一瞬の隙を見逃さず、一台、また一台と格上のバイクをコーナーのたびに葬り去っていった。


   *


 そして、ついにトップを走るアドレスV125の背中を捉えた。


(……あそこ。あの人の後ろ)


 最終コーナー。

 ボーアはアドレスV125の真後ろ、スリップストリームにチャンプRSをピタリと滑り込ませた。


(……今)


 観客席前のストレート。

 ボーアはアドレスのスリップストリームから抜け出して、横に並んだ。


(……チャンプ、お願い。もっと、風になって)


 スロットルを全開にした。


 2ストロークエンジンが歓喜の咆哮を上げた。


(……あ、前に出た)


 アドレスV125が、バックミラーの中で急速に小さくなっていった。


   *


 第一コーナーを過ぎた時、ボーアの前には誰もいなかった。


 あるのは、どこまでも続くアスファルトと、青い空だけ。


(……誰も、いない。……静か)


 コーナーを抜けるたびに、二位以下との差は開いていく。


 ボーアとチャンプRSは、まるで美浜サーキットという巨大な楽器を奏でるように、独走を続けていた。


 ロードフォックスでラーナとキーコンと最下位争いをしていた菊が、その青い流星の走りを目を細めながら眺めていた。


「んだぉ……。あの走りだば、間違いねぇ。平忠彦の血だぉ。伝統ば受け継ぐっていうのは、形ば真似るんじゃねぇ。その『魂』ば、自分の走りさ昇華させることだぉ。ボーア、あんたは今、自分だけの伝説ば書き始めてらぉ」


 サーキットに、青い風が吹き抜けていった。


   *


 観客席ではチャンプが泣いていた。


「あの頃の原付は速かったんだ……チャンプRSに限らず、本当に速かった……俺たち成人男性が乗っても時速80キロまで簡単に出たんだ……」


 その瞬間、ボーアがアドレスの横に並んでストレートでアドレスを抜き去った。


「だから、体重の軽い女の子が乗ると、当然、こうなる! 最高だ! ボーア! もはやTECH21カラーのボーアは伝説になる! あの頃の平忠彦よりも彼女ならもっと速く走れるかもしれない!」


   *


 ボーアは誰にも抜かれることなくサーキットデビューを終えた。


 ヨンキュウ部の乙女たちも全員、最後まで走りきった。


 ただの走行会なので順位は関係なかったが、観客席からはTECH21カラーのチャンプRSに対して賞賛の拍手が鳴り止まなかった。


 ボーアが少しだけ照れていた。


   *


 打ち上げはアハロで行われた。


 ボーアの目の前に、念願のパフェが置かれた。


 ボーアは今日一番の笑顔でパフェを食べた。


 カッパは隣を見ながら思った。


(走行会デビューよりも、アハロデビューの方が嬉しそうだ……)


 チャンプは興奮気味に今日のボーアの走りについて同じことを何度も語り続けていた。


 ヨンキュウ部の乙女たちとチャンプの打ち上げは、幸せに包まれて夜更けまで続いた。


 アハロのガレージには、全力で駆け抜けた疲れきったモレとモルフェとロードフォックスとモンキーRとチャンプRSが、誇らしく並んでいた。


   *


 数日後。


 浜松のタイラレーシングにて。


「こ、これがTECH21カラーのチャンプRS……。これを私に?」


「うん。おじいちゃんの店に飾った方が似合うでしょ? このTECH21カラーっておじいちゃんのカラーなんでしょ?」


 平忠彦はあの頃のことを思い出していた。


「実はね、ボーア。あの頃の僕はこのチャンプRSを貰えなかったんだよ。CM撮影で一度見ただけで、こうして手に届く距離で見たことがなかったんだ。これはボーアの言うようにこの店に展示しよう。お客さんも喜ぶよ。それで、ボーアはこのチャンプRSに乗ってどうだった?」


「あんなに速いバイクを市販してたなんて信じられないよ! 昔のバイク業界って皆イカれてたの?」


「ハハハ! うん。あの頃のバイク業界はイカれた大人しかいなかったんだ」


「でも、私の友達のカッパが言ってたよ。『速さは正義』だって。……私もそう思う」


 平忠彦が笑顔になった。


 この日、平忠彦とボーアは、ほんの少しだけ距離が縮まった。


 ボーアはもう、バイクのことが好きになっていた。


 タイラレーシングの店内に置かれたTECH21カラーのチャンプRSは、そんな二人を見守りながら、静かに眠りについているようにボーアには見えていた。



正式名称: チャンプRS TECH21仕様 (CHAMP RS)

型式: 2NA

最高出力(馬力): 6.3PS / 7,000rpm


※軽量な車体に、当時の50ccスクーターとしてはトップクラスの6.3馬力を叩き出す2ストエンジン。「ジャジャ馬」な魅力に溢れたマシンです。

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