k-62 チャンプの前夜祭
九月下旬になると、アハロの宿泊部門にも空き部屋がチラホラ目立つようになっていた。
「十月以降の予約は激減だね〜。私、しばらく休もうか? 人件費もバカにならないだろ?」
「そうよねぇ〜。十月以降はクレアおばさんは休業して貰っても構わないかもね……でも、十月いっぱいまで雇用しておくから十二月からは失業保険が出るはずだから、また来年のゴールデンウィークから手伝っていただこうかな?」
クレアおばさんとモト子が冬季間の営業について話し合っていた。
その会話に加われないカッパは、手持ち無沙汰にエスプレッソマシンをピカピカに磨いていた。
(私も冬はバイト無くなるのかな……)
不安げな顔をしていたカッパを見て、モト子が声をかけた。
「そんな顔しなくても大丈夫よ! カッパ! アンタは今まで通りバイトには来てもらうからね、クレアおばさんは元々、ピーク時だけの契約なのよ」
そんな会話をしていると、モト子のスマホが鳴った。
「もしもし……あら、チャンプ! 久しぶりね!……あぁ、そんなこと……はいはい。おやすい御用よ。……うん、待ってるわ!」
電話を終えるとモト子がニコッと笑ってクレアおばさんに告げた。
「クレアおばさん、今夜、男一人! 予約入ったわ!」
クレアおばさんがニコッと笑って宿帳へ記入した。
*
数時間後の中休み時間に、モト子の知人と名乗る男性客が来店した。
「モト子さん! お久しぶりです!」
「チャンプ! 本当に久しぶりね! 稚内以来かな?」
二人の原付キャノンボールの思い出話が始まった。
カッパは二人にラテを振る舞いながら、聞き耳を立てていた。
ひと段落するとモト子がカッパに告げた。
「カッパ、花を連れてきてもらえる」
言われた通り厨房から花を呼び出した。
花とチャンプは初対面のようで、互いに自己紹介をしていた。
「アプリさんから龍馬の手紙のことを聞きましてね。もし良かったらそれを見せてもらいたくて……」
「チャンプさん、ごめんなさい。実は函館の坂本春猪さんの子孫の晴衣さんに渡しちゃいました!」
函館の晴衣という言葉を聞いてカッパが耳をそばだてた。
「そうですかぁ〜。それは残念! でも、幕末の事を取材させてください! ほら? アプリさんって無口だから、ちゃんとまだ全てを理解してないんですよ」
花が快く引き受けて、チャンプに幕末で見てきたことを全て語り始めた。
「よーし! これだけネタが豊富だと充分小説として描けるよ! ありがとう! 花さん!」
「でも、私よりも鈴菌さんの方が、もっと酷い歴史干渉をしてましたよ? 鈴菌さんからも取材した方が良いんじゃないですか?」
「そうね。鈴菌も呼ぼうか! 地下の改装の事も相談したかったのよ」
モト子がすぐに鈴菌へ電話をかけた。
そんな中、花がチャンプに告げた。
「チャンプさん! 実はあそこのカウンターの子も夏休みに戦時中にタイムスリップをしたんですって。あの子の話もかなり凄い内容ですよ!」
チャンプが興奮気味にカッパの方へ歩み寄った。
「君! 取材させてよ!」
カッパは急なチャンプの熱量に固まったが、何とか落ち着きを取り戻してから夏休みの経緯を語り出した。
それを聞いたチャンプがネタの大洪水に溺れる寸前だった。
「マジかよ! ここへ来て良かった! とんでもない小説を書けそうだよ! 本当にアハロの地下には戦闘機が埋まってたのかい?」
「ね? 鈴菌に任せるとこうなるのよ。斜め上を行くのが鈴菌なの……」
モト子がスマホの動画を見せた。
チャンプは興奮気味に一〇〇式司令部偵察機の動画や写真をコピーしてもらい、今はもぬけの殻となっていた地下空間を見物して写真を撮っていた。
そうこうするうちにアハロの夜の営業が始まってしまい、花もカッパも仕事に追われた。
チャンプは店内でノートパソコンでデータ整理をしながら鈴菌の到着を待った。
*
時刻が二十一時を回ろうとした頃、鈴菌がSUZUKI GSX-R1000Rをかっ飛ばしてアハロにやってきた。
「チャンプ! 久しぶりだな!」
鈴菌とチャンプの取材が始まった。
ちょうどバイトの終了時間になったカッパは厨房で賄いを食べていた。
和風ハンバーグをモグモグと食べているカッパを見つけて、鈴菌が声をかけた。
「おい! カッパ! 来週だろ? モレでサーキットを走るのは。モレは見た目に反して速いバイクだから舐めてかかるなよ! まあ、百式を飛ばせたお前なら楽勝かもしれんがな……」
カッパは和風ハンバーグを頬張りながら、鈴菌にサムズアップで返した。
そのやり取りを聞いていたチャンプが取材の矛先を変えた。
「鈴菌さん! あの子もSUZUKI信者なんですか? いわゆる鈴菌さんの弟子なんですか?」
「弟子ではないな。カッパにはまだ何も教えてはいない。たまたまモレに乗ってるだけの女子高生だ。まあ、新司偵の操縦方法だけは教え込んだけどな」
「それはそれで凄いエピソードですよ! 鈴菌さんがフライトシミュレーターを作ってなければあの子は死んでたかもしれなかったと思うと、影の立役者は鈴菌さんと言っても過言ではありませんよ!」
「チャンプ! 褒めちゃダメよ! アプリさんや本田くんはタイムスリップは鈴菌のせいだと決めつけてたわよ。戦闘機のことだって鈴菌が発掘しなければ、カッパもタイムスリップしなかったかもしれないんだからね!」
「馬鹿な! 俺こそタイムスリップはアプリか本田のせいだと思ってる! アプリはなぞが多すぎるし、本田に至っては八甲田で雪中行軍の英霊達に遭遇してる前科がある! 俺こそ唯一まともな男だ!」
「いや、僕としてはそんな非日常を体験できるあなた方が羨ましいよ! 鈴菌さん! 早くまた何か発掘してくださいよ!」
「そればかりは俺でも不可能だ。新司偵にしても、ここは実際に戦中は三菱の軍需要塞だっただけだ。たまたまここに閉じ込まれた戦闘機が埋まってただけなんだよ。俺は特に何もしていないからな」
*
賄いを食べ終えたカッパが帰る前に鈴菌へ挨拶に来た。
「鈴菌さん! 私はここで帰りますので! またね!」
今度は小説の取材ではなくバイク雑誌の記者としてチャンプがカッパに尋ねている。
「カッパちゃん。君はモレでサーキットを走るのかい? 随分とレアなバイクで走るんだね。カゴ付きのバイクでサーキットを走るなんて、この僕でも見たことがないよ」
「え? そうなの? 鈴菌さん! モレのカゴって外せるの?」
「ただの走行会だろ? そんなことは気にするな。ただ、モレの全開を楽しめ!」
「な〜んだ! それなら良かった! うちの部員にはモルフェもいるからね。モルフェってカゴ外せないよね?」
モレにモルフェというラインナップを聞いてチャンプが前のめりになった。
「モレとモルフェ!? 嘘でしょ? そんな二台がサーキットを走るのかい?」
「はい! 私、高校で原付の部活に入ってるから、部活動の一環で皆でサーキットを走るんです! モレとモルフェとロードフォックスとモンキーRと紫二十一号!」
「え? 君の高校には原付の部活があるのかい? それって学校にちゃんと許可を得てる部活動なの?」
「はい。ちゃんと顧問の先生もいますよ」
チャンプがモト子と鈴菌に問い詰めた。
「モト子さんも鈴菌さんもこんなにオイシイ話をどうして今まで教えてくれなかったんですか!!! 高校にバイクの部活ですよ! これは日本の三ない運動への最高のアンチテーゼだよ! カッパちゃん! 君は本当に素晴らしい! バイク業界を救う部活になるかもしれないよ?」
「あぁ、それ平さんにも言われました」
「は? 平さん?」
「はい。浜松の……えっと……確かタイラレーシングって所のオジサン。ボーアのおじいちゃん。平さんがうちの部の工具を買ってくれたんです」
「ま、まさか……平忠彦の事かい?」
「うん。忠っコって言われてたけどフルネームは平忠彦だったはずだよ」
チャンプが打ち震えた。
「今、君はボーアのおじいちゃんって言ったよね? そのボーアって子は平忠彦のお孫さん? そのボーアも部員なの?」
「ボーアは部員じゃないよ。でも、来週の走行会には参加するんだよ」
チャンプの興奮がMAXに達した。
「平の孫がサーキットを走るだと!? こんなスクープを見過ごすところだったよ! 本当に今日はアハロに来て良かった! 最高だ! カッパちゃん! 来週は僕もサーキットへ取材に行くよ! 平の孫のサーキットデビューを独占取材できるなんて本当にラッキーだよ! 鈴菌さんは平忠彦と聞いて興奮しないのかい? 同じ浜松在住だろ?」
「俺はSUZUKI以外は全く興味はない! SUZUKIイズムの伝承者としてYAMAHAなどに現を抜かす訳にはいかないからな! 平忠彦がYAMAHA以外のバイクに乗ると死ぬ病気なように、この俺もSUZUKI以外のバイクに乗ると死ぬ病気だからな!」
いつもの鈴菌のブレない態度に、チャンプとカッパが大笑いした。
*
カッパが家に帰ってからも、アハロの夜は深くまで続いた。
チャンプにとって、アハロ訪問は予想以上の収穫があった。
タイムスリップした女子高生。
戦時中の笠寺。
一〇〇式司令部偵察機の地下格納庫。
本田宗一郎と川上源一にオーバーホールされた原付。
高校の原付部活。
そして、平忠彦の孫娘のサーキットデビュー。
一つ一つは断片的な話だったが、全部つなげると一本の長い物語になりそうだった。
(アプリさんから幕末の話を聞いた時、あの時もこんな気持ちだったな)
チャンプはノートの余白に、走行会の日付を書き留めた。
夜更けになる頃には鈴菌とモト子が地下空間の改装について揉めだしたので、チャンプが二人の間に入って場を和ませていた。
そして来週にも、ヨンキュウ部の取材のために再び訪れることをモト子に約束した。
アハロの夜が、静かに更けていった。
小説の最初の一行を、チャンプはまだ書けていなかった。
でも、今なら書けそうな気がした。




