k-59 陸雄の秘密
ヨンキュウ部としての活動が始まってから二日目。
学校にある工具は京子先生が手配してくれたが、特殊工具だけは揃っていなかった。
「バイクって特殊工具が必要なんだね〜。 そんな事も知らなかったよ〜」
キーコンが黒板に箇条書きを始めた。
フライホイールプーラー。
ユニバーサルホルダー。
ロックナットレンチ。
タイヤレバーとリムプロテクター。
トルクレンチ。
ショックドライバー。
「これがないとエンジンのフライホイールを外せません。これがないと部品が空回りして一生緩みません。これがないと古いネジが詰みます。全部、ないと絶対に外せない工具です」
ラーナとカッパが顔を見合わせた。
「お金がかかりそうだね……」
「んだなぁ。浜松さ、わだの知り合いがバイクの店やってるはんで、お古の道具ねぇが、聞いてみようがねぇ〜。みんなで週末にでも、行ってみるがぉ? キーコンは、わだの陸王の側車さ乗りな。風切って走るの、気持ちいいぉ」
*
週末。
四人の乙女は浜松にやってきた。
陸王の側車にキーコンが乗り、モレとモルフェが後に続く。
タイラレーシングの前に陸王が停まった瞬間、中から店主が飛び出してきた。
「菊さん! どうしたんですか!? いつこちらに出てきたのですか? まさか、青森から陸王で来られたのですか?」
菊が陸王から降りてヘルメットとゴーグルを外した。
店主の頭をポンと叩いて、懐かしそうな顔をした。
「忠っコも、だいぶ年取ったなぁ〜。わだよりも年上さ見えるよ。わだだば、今は笠寺さ住んでるんだ。中央高校って知ってるが? わだ、そごの夜間に通ってるJKなんだよ。ここにいるだば、わだのクラスメイトだはんで。……んだばって、そんなごどより、忠っコさ頼みごとがあって、わざわざ来たんだぉ」
四人はショップの中に案内された。
壁には数えきれないほどのトロフィーが飾られていた。
レースの写真。
表彰台での笑顔。
サインが入ったメット。
カッパとラーナとキーコンは、目の前の初老の男性が元プロレーサーだと理解した。
「菊ちゃんはこのオジサンとどうして知り合いなの?」
菊がニヤリとして答えようとすると、先に平忠彦が口を開いた。
「私は菊さんの旦那さんの弟子なんだよ」
「「え? 陸雄の!?」」
平忠彦が少し驚いた。
「おや? お嬢さんたちは陸雄さんのことを知ってるのかい? 確か陸雄さんが亡くなってから十年以上経つはずだけど、お嬢さんたちは何故、陸雄さんのことを知ってるんだい?」
カッパとラーナが説明できずに困っていると、菊が機転を利かせて代わりに答えた。
「この子だば、陸雄の隠し子だぉ。だはんで、あんまり誰さも喋らねぇでけろな。……ね? わかるべぉ?」
ニヤリと笑った。
平忠彦が固まった。
一言だけ呟いた。
「さすが師匠……」
*
特殊工具の話をすると、平忠彦は目を輝かせた。
「凄い発想だね! お嬢さんたちが師匠の血を受け継いでると思うと納得できるよ! そんな素敵な部活動には中古の工具なんてケチくさいことを言わずに私から全て新品を贈呈するよ! 私には過去の栄光のおかげで工具メーカーのスポンサーもまだついてるからね! 欲しいものは全てリストにしてこちらに渡してくれたら、お望みのものを全て用意するよ!」
それから平忠彦は菊に向かって言った。
「それにしても、さすが菊さん! こんな素敵な部活動を支援してるなんて、もっと早く教えてくれれば良かったのに。今のバイク業界は本当に終わってます! この子らがもしかしたら日本のバイク業界を救ってくれるかもしれませんね!」
菊と平忠彦が笑い合っていた。
カッパとラーナとキーコンは今の日本のバイク業界が終わっているという自覚はなかった。
でも、大人たちが自分たちのヨンキュウ部を褒めてくれているのは伝わった。
それが嬉しかった。
工具の件が解決すると、今度は平忠彦から菊へ相談があった。
「実はうちの孫も中央高校の全日制に通ってるんですが、お恥ずかしい話、孫はバイクに全く興味がありません。菊さんのお力で孫娘に二輪の楽しさを叩き込んでやってくれませんか?」
「『任せろ!』って言いでぇどごだばって、二輪だば無理やりやらせるもんでねぇはんでなぁ。自由ば求めて乗るもんだぉ。私が無理に背中押のは、なんだが違ってるべなぁ。……だばって、まぁ、一応は忠っコの孫だはんで。気にかけておぐぉ」
*
タイラレーシングを後にして、四人はアハロへ帰ってきた。
カッパが今夜のバイト時間になったので、更衣室でクラッシックタイプのメイド服に着替えてホールに立った。
テーブル席では菊とラーナとキーコンがカッパの働きっぷりを眺めながらラテを飲んでいた。
カッパがメニュー表を三人に持ってきた。
「キーコン! 今夜の日替わりはフォーだってさ! フォーってベトナム料理だよね?」
キーコンが少し目を丸くした。
迷わず日替わりディナーAのフォーセットを頼んだ。
菊もラーナも同じものを頼んだ。
*
しばらくして、カッパが料理を運んできた。
丼の中に黄金色に澄んだスープが満たされていた。
その上に、牛薄切り肉が柔らかく広がり、千切りにされた大葉とパクチーが山盛りになっていた。
玉ねぎの極薄切りが透けるように浮かんで、赤唐辛子が一輪だけ添えられていた。
ナンプラーの深いコクと三河みりんの甘みが、湯気と一緒に立ち上ってきた。
キーコンがスープを一口すすった。
「……っ!!」
牛肉の濃厚な旨味が、ナンプラーの塩気と生姜のキレで完璧に整っていた。
そこに大葉の爽やかな香りとパクチーの野生味が加わって、口の中で静かにワルツを踊り始めた。
「これ……メコンの風じゃない。 名古屋の、もっと新しくて、もっと優しい風が吹いてます!」
次に麺を啜った瞬間、キーコンの衝撃は頂点に達した。
ベトナムのフォーの麺はプツプツと切れる食感が普通だ。
でもこの麺は絹のように滑らかで、それでいて奥底に力強いコシがあった。
スープを吸い込みながらも、麺が自分の存在を主張してくるような食感だった。
「こんなフォー、ハノイにもホーチミンにもありません!」
「花さんは麺打ちが得意なんだよ。佐野ラーメンで修行してるから、フォーの米粉麺でも同じ技術を使えるんだって」
菊が孫の料理を誇らしそうに眺めていた。
*
フォーを食べ終わると、カッパがデザートを運んできた。
透明なグラスの中に、クラッシュアイスの上でコロコロとしたういろうが並んでいた。
鮮やかな深紅のいちじくのコンポートが沈み、ゆで小豆とタピオカが点在していた。
その全体に冷えたココナッツミルクが注がれ、仕上げに西尾の抹茶パウダーがパラリと振りかけられていた。
「ベトナムのチェーっていうデザートに似せてるんだよ。花さんの愛知づくしバージョン」
キーコンがスプーンを入れた。
一口食べた瞬間、メコン川の夕映えと笠寺の商店街の街灯が同時に浮かんだ。
「冷たくて、甘くて、なんて『濃い』味なんでしょう……! ベトナムのチェーはもっと素朴な甘さですけど、これは……この抹茶のほろ苦さが、いちじくの甘みを極限まで引き出しています。ういろうとココナッツミルクがこんなに仲良しだなんて、今の今まで知りませんでした!」
底に沈んでいたゆで小豆が顔を出した。
和と越の甘みが口の中で幸せな衝突を起こした。
キーコンは最後の一滴までコナッツミルクを飲み干した。
「本場のチェーも大好きだけど……私は、この名古屋でしか食べられないチェーが、世界で一番好きです!」
*
「私、ここの常連になりそうです」
「私なんて毎週末来てるんだよ!」
「私もそうします……」
菊が満足そうに微笑んでいた。
カッパがカウンターの中で丁寧にラテ・アートを描いていた。
ラーナとキーコンが至福の顔でそれを眺めていた。
タイラレーシングで見た「プロの魂」と、アハロで味わった「花の真心」。
二つの刺激を受けたキーコンの胸の中で、モンキーを復活させる情熱が、いちじくの色よりも熱く燃え上がっていた。
四人の乙女の部活動は、美味しい夕飯に包まれながら、本格的に動き始めていた。




