k-52 歩こう!
三沢基地の応接室で、三人の乙女がラジオを聞いていた。
軍艦マーチの後に、アナウンサーの声が流れてきた。
「本日、午後二時四十分頃より、マリアナ基地を発進したる敵B29爆撃機、約七十機は、数波に分かれ名古屋地方に侵入せり。わが陸海軍航空部隊および防空部隊は、直ちにこれを捕捉、猛烈なる攻撃を加え、現在までに敵機十数機を撃墜したり。敵はわが生産拠点の一角に対し、無差別なる投弾を行いたるも、損害は軽微にして、わが生産意欲はますます旺盛なり」
「え……? 損害は軽微って、嘘だよ。あんなに火が上がって、みんな逃げ惑ってたのに。ラジオの人は、現場を見てないの?」
菊が一人だけ冷静に言った。
「ラジオはあまり信じない方が良いってウチのおばあちゃんが言ってたよ」
カッパはようやく理解した。
浜松でずっと聞いていたラジオの「日本優勢」は、あれも全部、こういうものだったのだと。
そんな中、応接室に夕飯が運ばれてきた。
今夜の夕飯はヒメマスの塩焼きだった。
「「あ! チップだ!」」
「おや? お二人はヒメマスが北海道ではチップと呼ばれていることを知っているのかな?」
「はい! 洞爺湖でチップの串打ちの作業を手伝ったことがあります!」
「あぁ、なるほど。確か洞爺湖でも放流していたなぁ〜」
「もしかして十和田湖にもヒメマスを放流したの?」
「もちろんそうだぞ? 明治までは十和田湖は死の湖でな、魚なんていなかったんだ。でも、明治になりヒメマスを放流して成功した。そもそもヒメマスは日本には阿寒湖くらいしか生息してないんだよ」
カッパとラーナが耳打ちした。
「これって鉄腕DASHでやってた外来種ってやつだよね?」
「うん! 絶対にそう! 池の水ぜんぶ抜くでもやってた! だからチップオジサンは洞爺湖を守るスーパーオジサンなんだよ!」
鉄腕DASHも池の水ぜんぶ抜くも全く知らない菊だけが、心の底からヒメマスを美味しそうに食べていた。
*
翌朝、三沢基地から蒸気機関車が浦町駅へ向けて走り出した。
カッパとラーナは興奮気味に窓を全開にして、蒸気機関車の真っ黒な煙を堪能した。
「999みたいだ! カッコイイ!」
「鉄カッパ、機械の身体が欲しいのかしら?」
「うん! 機械の身体が欲しいよ! ラーテル!」
「また未来の話? 今度は豚になるんじゃなくて機械になるの?」
「鉄郎は機械の身体にはならなかったから安心してよ! 未来ではこの蒸気機関車も宇宙で走ってるんだよ!」
「大和も宇宙で、蒸気機関車も宇宙に行くの? 未来は誰でも宇宙に行けるの?」
「うん! でも、まだお金持ちだけ!」
「でも、もうすぐ本当にもうすぐ誰でも簡単に行けるようになるんだよ! きっと菊がおばあちゃんになる頃には、必ず誰でも気軽に宇宙に行けるよ!」
「良いなぁ〜。三人でこうして蒸気機関車に乗って宇宙を旅できたら素敵だね!」
「そうだね! でもね、菊ちゃん! 宇宙って怖いんだよ! エイリアンって化け物がいるんだよ」
「エイリアン? どんなお化け?」
「人より大きな蟻んこみたいなヤツ。凄く凶暴!」
「なんでそんな怖い宇宙に行くのさ!」
カッパが悟ったようにキメ顔で語った。
「宇宙、それは人類に残された最後のフロンティア。そこには人類の想像を絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違いない。これは人類初の試みとして五年間の調査旅行に飛び立った宇宙船USSモレ号の驚異に満ちた物語である」
「なんか全然わかんない!」
「私も全然わかんない!」
三人の笑い声が、客車の中に広がっていた。
*
昭和十九年十二月十五日、浦町駅。
ホームに降り立った瞬間、鼻腔を刺すような鋭い冷気が三人を包んだ。
蒸気機関車の黒い煙と、家庭の煙突から上がる薪の匂いが混ざり合って、灰色の空に溶けていった。
「え? これが駅前なの? 笠寺よりも田舎じゃん!」
「何言ってのよ。笠寺は都会でしょ?」
「いや、未来では笠寺は超昭和って言われてるんだよ……」
「さあ、ここからは歩こうか? 夕方までには家に帰れるからね」
三人の乙女は銀世界の浦町駅前を歩き出した。
積雪は膝下まであった。
道の両脇には人の背丈ほどの雪の壁ができていた。
時折、屋根から氷柱がボキッと折れてカッパとラーナが面白そうにアイスキャンデーのように食べながら歩いていった。
三沢で貰った防寒着からは、防虫剤とうっすらと航空燃料の匂いがした。
木炭バスが真っ黒な煙を吐きながらガタガタと通り過ぎていった。
駅の隅では、防空頭巾を被った女性たちが配給の列で足踏みをして暖を取っていた。
行き交う人々は皆、肩をすぼめて黙々と歩いていた。
目に入る色は、雪の白と、建物の古びた茶色と、国民服のカーキだけだった。
*
堤川を渡ると、左右の民家が少しずつ減っていった。
疎開や出征で静まり返った集落を、三人は一列になって進んだ。
川面が凍りついて、白い帯のように見えた。
馬ソリが鈴の音を響かせて追い抜いていった。
馬の鼻息が、巨大な白い雲のように空へ上がっていった。
幸畑への登り坂に差し掛かると、市街地が途切れ、見渡す限りの雪原が広がった。
前方に八甲田連峰がそびえ立ち、地吹雪が横殴りに吹き付けてきた。
三人は黙って歩いた。
足元の雪を踏む音と、自分たちの吐く白い息だけが聞こえていた。
*
吹雪の切れ間に、突如として「それ」が現れた。
雪の中に、巨大な鉄の兵士がヌッと立っていた。
「菊ちゃんが教えてくれた雪中行軍で全滅した兵隊さんってこの人?」
「そうだよ。この人は部隊が全滅した事を伝えるためだけに一人で山を降りようとして歩きながら凍っちゃったの」
「歩きながら凍っちゃったの?」
「うん! そして、雪に立ったまま埋まって目しか動かせなくなって、目をギョロギョロと動かして救援部隊に知らせたんだって」
「ちょっと待って! もしかして、私たちも今からこの山を登るの!?」
「うん! もちろん!」
カッパとラーナは意気消沈した。
「大丈夫! 大丈夫! この雪中行軍の人達は私たちみたいな地元の人に案内を頼まなかったから全滅したと言われてるの。地元の人は八甲田山で迷子になんてならないよ」
二人は不安な顔のまま、再び歩き出した。
後藤銅像の足元で三沢で持たされた乾パンをかじってから、三人はもう一度、雪道へ向かった。
*
日が落ちるのが早かった。
周囲が急速に青白い闇に包まれていった。
民家の窓には遮光カーテンが引かれ、漏れる光すらなかった。
足元は暗く、雪の白さだけを頼りに進んだ。
遠くで風の音が鳴っていた。
それと、自分たちの吐く白い息の音だけが聞こえていた。
*
十六時三十分。
横内の集落が見えてきた。
菊が集落の中に見慣れた屋根を見つけた。
「あ!」
タタタと駆け出した。
勢いよく玄関を開けて叫んだ。
「ただいま!」
中からアヤメが出てきて、菊を優しく出迎えた。
菊はアヤメの前で子供のように泣いていた。
カッパとラーナは少しだけ遠慮がちに、遠くからその光景を見守っていた。
「私たちも早く帰りたいね……」
「うん。ママたち、心配してるよね……」
ラーナが涙を堪えきれなかった。
菊の涙を見て、二人の乙女も急激にホームシックになった。
でも、帰る手段が全く思いつかなかった。
横内の空は、どこまでも白かった。
雪が、静かに、静かに降り続けていた。




