k-50 当たらなければ!
「ラーナ! ナビして! 私、空を見る余裕無い!」
離陸した瞬間から、カッパは押しつぶされていた。
フライトシミュレーターでは感じなかったGが、全身に叩きつけてくる。
「重い! 操縦桿が重すぎる! あぁ! 斜めになると身体がズレちゃう!」
シミュレーターは座っているだけで操縦できた。
でも本物は、座っているだけでは操縦桿が体ごと引っ張られる。
周囲の景色を見る余裕がなかった。
高度を上げる余裕もなかった。
低空飛行のまま、ただ前に進むことしかできなかった。
その時、インターコムからラーナの声が飛んできた。
「カッパ! シュークリーム! あの夜、カッパはシュークリームを食べながらでも操縦出来てたよ! 鈴菌さんのフライトシミュレーターは実機にこだわってたんでしょ! 落ち着いて!」
カッパがハッとした。
鈴菌の声が聞こえてきた。
(百式は逃げるためだけの機体だ。戦うんじゃなく逃げ切るだけの戦闘機。当たらなければどうということはない)
「ラーナ! 菊ちゃん! もう大丈夫! 当たらなければどうということはない! ラーナ! 菊ちゃん! 空を見て爆弾の無いエリアを誘導して!」
「りょ!」
ラーナと菊が複座から空を睨んだ。
菊が笠寺の街を見下ろした。
街はほぼ壊滅していた。
残っている建物が皆無だった。
(ここで陸雄が今も戦っている)
菊は涙を拭って、空を睨みつけた。
「カッパ! ラーナ! 青森に帰ろう!」
「「りょ!」」
*
「カッパ! 空の飛行機と同じ方向に進んでる! このままじゃ、爆弾が降ってくる! 三時の方向に進んで!」
「りょ!」
カッパが操縦桿を傾けた。
でも、すぐにまた問題が来た。
「ラーナ! 菊ちゃん! このままじゃ、三沢まで行けない! どうしよう!」
「なんで!?」
「高く飛ばないと、自分が何処を飛んでるかわかんない! でも、爆弾が怖くて高く飛べない! どうしよう! 天白川が見えない!」
「天白川?」
「そう! 天白川! 私、天白川を目印にして三沢まで飛んでたの! 天白川が見つからないと三沢まで飛べないよ! 方向がわからないの!」
カッパは名古屋の空で完全に迷子になっていた。
フライトシミュレーターでは、いつも笠寺の南から天白川を右手に見ながら北上する航路で飛んでいた。
でも今は、爆撃を避けながら低空で右往左往してしまい、今どこにいるかも分からなくなっていた。
「高く飛べないの?」
「ダメ! 爆弾が怖くてこれ以上、高く飛べない! ニュータイプじゃないと、あんなたくさんの爆弾をかわせないよ!」
その時、空を見続けていた菊がある事に気づいた。
「もしかしたら……。ラーナ、よく見て。爆弾は工場しか狙ってない! 何も無いところには爆弾は降ってない! ほら? あそこ! 火事にもなってない!」
菊の指さした方向を、ラーナが見た。
笠寺市内を流れる山崎川の河川敷の周りだけが、爆撃前の状態のまま残されていた。
多くの市民が河川敷へ避難しているのも見えた。
「カッパ! 十一時の方角に山崎川が見えるでしょ! 山崎川は安全地帯! そこなら高く飛べる! 行け! カッパ! 山崎川まで飛べ!」
カッパが十一時の方角を見た。
確かに、山崎川周辺だけが、爆撃前の状態で残されていた。
「見えた! りょ!」
カッパは山崎川に向かって方向転換した。
百式が川沿いに飛んだ。
爆弾が来なかった。
「ここなら安全だ! よし、高く飛ぶから二人とも天白川を探して!」
カッパが操縦桿を引いた。
百式がグングンと高度を上げ始めた。
「百式は百年飛べるんでしょ! 舞い上がれ!」
百式の流線型のフォルムが、大空に吸い込まれていくように昇っていった。
一人では辿り着けなかった。
菊が安全地帯を見つけなければ高度を上げられなかった。
ラーナが山崎川を教えなければ方向転換できなかった。
三人が力を合わせて、百式を空へ送り上げた。
「あった! 天白川!」
「「カッパ! 五時の方向! 天白川!」」
「うん! 私にも見えた! ここからが百式の本領発揮だ! 逃げ切るよ! 百式!」
百式のエンジンが咆哮した。
バラバラバラバラバラバラ……
(これが百式! 逃げ切るための戦闘機! 日本一速い戦闘機!)
百式はあっという間に天白川沿いまで飛行した。
「ここまで来れば、もう大丈夫! ラーナ! 菊ちゃん! あとは天白川沿いを進むだけ! 空の魔物は?」
「空の魔物はこちらには来てないよ! ずっと笠寺の空を旋回してる……」
菊が笠寺の方向を見つめたまま呟いた。
「陸雄……」
「陸雄なら大丈夫。速さに全振りすると敵の攻撃を無効化できるから。この百式も速さに全振りした飛行機なんだって」
「速さに……?」
「そう。速さは正義なんだよ!」
「そうだね! 陸雄ならバゴーンとやってくれるよね!」
ラーナと菊が複座でようやく笑い合った。
「あ! お土産の石鹸! 陸王の側車に忘れてきちゃった!」
「私も買ったばかりのモンペをモルフェのカゴに置いてきちゃった!」
二人が大笑いした。
*
一方、操縦席のカッパには、次の重圧が迫っていた。
フライトシミュレーターで、一度も着陸を成功させたことがない。
毎回、百式が真っ二つになっていた。
(どうしよう。降りられない。パラシュートも無いし、どうすれば良い? ちゃんと練習しておけば良かった!)
百式は天白川を遡り、あとは三沢基地まで真っ直ぐ突き進むだけになった。
カッパは重々しく口を開いた。
「ラーナ、菊ちゃん……私、着陸成功したことが無い!」
ラーナが思い出した。
フライトシミュレーターで毎回、百式が真っ二つになっていたことを。
「この子も真っ二つになるのかな?」
「わかんない……」
せっかく空へと逃げ延びたのに、降りられない。
三人の乙女が人生最大のジレンマに苛まれたその時、菊が明るい声で言った。
「カッパ、ラーナ、下を見てごらん! 真っ白!」
百式の下の世界が、一面の銀世界に変わっていた。
「雪?」
「これが全部雪なの?」
「そうだよ! これ全部、雪なんだよ! 速さに全振りって凄いんだね! 下はもう栃木県かな? 福島県かな? こんな銀世界が春まで続くんだよ! 早く帰ってかまくら作ろう!」
笠寺を離陸してから、百式はとっくの昔に名古屋を出ていた。
爆撃の炎も、B-29の轟音も、もうどこにもなかった。
カッパとラーナは菊の言葉で、そのことを初めて実感した。
「菊、青森は雪が多いの?」
「うん! ウチの実家は八甲田山の麓にあるから雪だらけ!」
「雪だらけ!?」
「そう! 雪だらけ!」
「青森にも男手はないはずだから私、雪かきを頑張るよ!」
「アハハ! カッパとラーナには雪かきは無理だよ! 出来るわけないよ」
「そうなの? ただ、雪を捨てるだけでしょ?」
「毎日降るんだよ? 雪を捨てる場所も無くなるんだよ?」
「雪を捨てる場所が無くなるの!?」
「うん! みんな、家の前には毎日、雪山がどんどん高くなるんだよ。その雪山を固めてかまくらって作るんだよ?」
三人の乙女が笑っていた。
いつの間にか、着陸への恐怖が消えていた。
着陸してからの雪かきを心配できるなら、着陸できると信じていることになる。
三人が同じ未来を見ていた。
カッパの肩から、重圧が消えていった。
「もうすぐ三沢だ!」
バラバラバラバラバラバラ……
百式のエンジン音だけが、青と白の世界に響いていた。
空に雲は一つもなかった。
下界には一面の銀世界が広がっていた。
三人の乙女を乗せた最速の偵察機は、ただひたすらに北を目指して飛び続けていた。




