k-49 飛べ!
一〇〇式司令部偵察機を見上げて、陸雄が呟いた。
「本当にここが二〇二六年まで残るのか?」
「うん。間違いないよ。この子はアハロにあった百式だもん! ね? カッパ、この子はアハロの地下二階の百式だよね!」
カッパは百式をじっくりと観察した。
「うん。間違いない! これはアハロの地下二階の百式だよ!」
その瞬間、B-29が旋回を始めた。
第二波の爆撃が再開された。
窪地の格納庫は、地響きが四人の骨の髄まで伝わってきた。
菊が真っ先に泣き出した。
陸雄から離れなくなった。
ラーナは怖くて泣きそうだったが、ある思いを抱えていた。
意を決して、カッパに告げた。
「カッパ、百式で逃げよう! 三沢までなら飛べるよね!」
カッパがビクッと直立してラーナを見た。
「私が……百式を……?」
「おい! カッパ! まさか、コイツを操縦できるのか!?」
陸雄がカッパに詰め寄った。
カッパは少しだけ考えてから、静かに答えた。
「うん……たぶん出来る……」
陸雄が途端に笑顔になり、カッパの腕を掴んで懇願した。
「よし! よし! よし! 良いぞ! カッパ! それじゃ、菊を乗せて飛んでくれ! 三沢まで飛べるなら菊の故郷まですぐだ! 頼む! カッパ! 菊だけでも助けてやってくれ!」
陸雄の気迫に、カッパは頷くしかなかった。
「でも、百式は二人乗りだよ? 菊を乗せたら……陸雄はここに残るんだよ?私もここに残るんだよ……」
ラーナが気まずそうに言った。
泣きそうだった。
陸雄が複座を確かめると、大型カメラが複座の大半を占めていた。
「このカメラを降ろせば菊一人くらいなら乗れる。よし! すぐに取り掛かろう! カッパ! 天井のチェーンブロックを複座の上まで移動しろ! ラーナと菊はカメラを固定してるネジを全部外せ!」
陸雄が乙女たちに指示を出してから、地上へ駆け上がっていった。
ラーナと菊がカメラのネジを外し始めた。
カッパがチェーンブロックを操り、カメラを吊り上げた。
「カッパ! ゆっくり! ハッチのガラスに当たるとガラスが割れちゃうよ!」
「わかってる!」
カッパは慎重に、カメラを宙吊りにして降ろした。
「ラーナ! 菊ちゃん! どう? 複座に二人乗れそう?」
ラーナと菊が複座に入ると、あっさりハッチが閉まった。
再びハッチが開いて、ラーナがロフトにいるカッパへ叫んだ。
「カッパ! カメラがないだけで複座は広いよ! これなら、無理すれば陸雄も乗せられる!」
カッパがロフトから降りて、鈴菌から習った通りにエンジンの始動作業を始めた。
その時、陸雄が書類ケースを持って戻ってきた。
「ラーナ! これを三沢の偉い人に渡せ。これはこの三菱にとって大切な書類だ。絶対に守りきれ!」
ラーナは書類ケースを受け取りながら、首を傾げた。
「陸雄、まさかここに残るの? 一緒に百式で逃げないの?」
「は? なんで俺まで逃げるんだ? 俺は兵隊だぞ? 敵前逃亡は死刑だぞ? それに、何度も言ってるが、俺はアメリカをバゴーンとやっつける為に軍隊に入ったんだ! これは俺の戦いだ! さあ、早く行け!」
ラーナと菊は固まった。
カッパがエンジンを始動させた。
格納庫がプロペラの風圧で満たされ、三人の乙女の髪がぐちゃぐちゃに乱れた。
「早く乗って!」
誰も動かなかった。
「早く!」
「私も行けない!」
菊が叫んだ。
陸雄が唖然として菊を見た。
ラーナが切ない顔をしていた。
カッパもコックピットから降りてきた。
「どうしたの?」
「陸雄が残るから菊も残るって……」
「なんで? せっかくカメラを外したのに、陸雄も狭いけど乗れるから! 行こうよ!」
「俺は陸軍一速い通信兵だぞ? 俺の事を待ってる奴らがいる。俺は残って仕事をしなくちゃならない! 菊! お前は兵士じゃない! ここに残っても足手まといだ! さっさとカッパ達と逃げろ!」
菊は悲しそうに陸雄に告げた。
「わかったよ……カッパ達と先に青森で待ってる。早く帰ってきてね」
菊が泣きながら複座の空間に体育座りをして蹲った。
カッパとラーナは、まだ踏ん切りがつかなかった。
友人を見捨てることができなかった。
「ラーナ! 俺は逃げたくない! せっかく目の前に敵がいるんだぞ? 俺がバゴーンとやらないで誰がやるんだ!」
「でも……」
「陸雄! 三沢まで二時間もあれば着くんだよ? 少しだけ狭いけど二時間……いや、百式なら一時間半で三沢だよ? 一緒に行こうよ!」
第二波の爆撃が再開された。
笠寺の街が地響きで揺れた。
陸雄がカッパに向かって叫んだ。
「カッパ! 飛べないカッパはただのカッパじゃないのかよ!」
その言葉がカッパの胸を突き抜けた。
カッパは静かにラーナの肩をポンと叩いた。
「行こう! ラーナ! きっと私たちが行かないと陸雄も戦えない!」
ラーナが涙を浮かべながら陸雄に言った。
「陸雄、また一緒に走ろうね!」
ラーナが複座に座った。
二人の乙女が複座の中で泣いていた。
カッパは百式をもう一度、外から眺めた。
ジュラルミンの機体が、格納庫の灯りを受けてひっそりと輝いていた。
カッパは百式に囁いた。
「SUZUKIは失敗を恐れない」
コックピットに座ると、陸雄がカッパに叫んだ。
「モレとモルフェの事は俺に任せとけ! 必ず、綺麗なまま残してやる!」
そう言って陸雄は格納庫の傾斜を駆け上がり、滑走路の高射砲へと走った。
轟音が響いた。
陸雄が空に向かって高射砲を撃ち続けていた。
基地の兵士たちも同様に、百式を守るように空に向かって砲口を向けていた。
(これが、地下二階に埋まってた高射砲なんだ……)
コックピットから見えた高射砲は、アハロの店前にドンと飾られていたあの二門だった。
それが今、百式の行く道を守るために、空に向かって吠えていた。
カッパはスロットルレバーを握った。
せたな町のパノラマラインで叫んだのと同じ気持ちが、胸の奥から湧き上がってきた。
あの時は美しさへの雄叫びだった。
今は、決死の魂の叫びだった。
「ウ、……ウワァァァァァァァァァ!!!!!」
百式が動き出した。
傾斜を滑って、速度が上がっていった。
フライトシミュレーターで何十回も墜落した滑走路。
一度も着陸を成功させられなかった。
でも、飛ぶことだけは、あの夜に成功させた。
百式はグングン加速して、スムーズに空へと浮かんだ。
鈴菌しか着陸させられないと言われた飛行機が、十六歳の少女の手で空へ上がった。
*
高射砲を撃ち続けていた陸雄の目に、百式の姿が映った。
傾斜を抜けて、空へ浮かんで、みるみる遠くなっていった。
陸雄は高射砲の引き金を握ったまま、空を見上げた。
「飛べ! カッパ!」
「飛べ! ラーナ!」
「飛べ! 菊!」
三つの声が、爆撃の轟音の中に消えた。
最速の偵察機は、あっという間に陸雄の視界から消えていった。
*
昭和十九年十二月十三日。
笠寺の街は、壊滅した。




